急坂と五千円

新巻へもん

なぜかいつまでも記憶している

 私は子供の頃に北の方に住んでいました。

 太平洋側の平野部ですし豪雪地帯というほどではなかったのですが、冬場になると雪合戦をしたり、土手でスキーや橇遊びができる程度には雪が積もったものです。

 雪の重みで送電線が切れて停電したこともありました。

 夕飯のときはちょうどクリスマスシーズンだったこともありクリスマスケーキについていた蝋燭の明かりでの食事です。

 これはこれで非日常感があって楽しかったですね。

 まあ、子供だったからというのもあるのでしょうけども。


 というわけで、雪に関するエピソードは結構あるのですが、その中でも強く印象に残っていることがあります。

 それは12月になったばかりで例年であればまだ雪には早い時期のことでした。

 登校時にはチラチラしていた粉雪が学校にいる間にどんどん大きくなり、しっとりと重いボタ雪に変わります。

 窓から見える景色はどんどんと雪化粧に変わっていきました。

 授業中からそわそわして既に心は何をして遊ぼうかという気持ちでいっぱいになります。

 仲の良い友達3人と今日は何をするのかと話しながら坂道を家に向かっていたところ、途中で1台の乗用車がスタックしていました。


 その当時の私の住んでいたところは川の側の低いところで、学校は高台の国道沿いにあります。

 通学路はだらだらと続くスキー場の緩斜面程度の傾斜がありました。

 スタックしている車はシャーベット状になった雪でスリップして、まったく動きそうにありません。


 後の私からすると不思議でならないのですが、何を思ったのか私は運転席の窓をノックします。

 手でハンドルを回して窓を開けたおじさんに私は言いました。

「僕たちが押してあげるよ」

 そして返事も待たずに傘をその辺に放り投げると友達に声をかけて車の後ろに回って押し始めます。


 小学校3年生の男の子4人の力なんてたかが知れていると思うのですが、4人で力を合わせると車はなんとか動き出しました。

 もちろん、盛大にシャーベット状の雪を後輪で巻き上げて私たちにぶちまけ、顔からシャツ、ズボンまでびしょびしょです。

 しかも、私は冬だというのに半袖、半ズボンでした。

 今じゃ考えられないですけど、その当時の子供なら割と普通のことです。

 で、アホな男子小学生なので、「冷てー」とか叫びながらもキャッキャと大はしゃぎでした。

 まあ、当時は純真な少年だったので良いことをしたという高揚感もあったと思います。

 

 それじゃ帰ろうぜと傘をさして歩き出そうとしたときでした。

「ちょっと坊やたち。待って」

 振り返ると立ち往生していた自動車のおじさんが足早にやってきています。

 少し進んだ場所にある平坦なところに止まっている運転席のドアは空きっぱなしでした。

 おじさんは私たちのところにやってくると財布を取り出して五千円を私の手に押し付けます。

「助かったよ。ありがとう」


「えーと……」

 突然のことに戸惑っている私たちを置いておじさんはさっさと車に戻っていきました。

「どうしよう、これ?」

 昭和時代の小学生にとっては5千円は大金です。

 4人で分割しても1人当たり1250円。


 とりあえず私の家に行って両替してもらいました。

 そしてランドセルを放り投げると皆で遊びにいきます。

 ポケットには1250円。

 もうね。ウッキウキですよ。

 特に私の場合は家が厳しくて自由に使える小遣いというものをもらっていませんでした。

 何かあればその都度申告です。


 どうせ小学生の金の使い方です。

 親からすると気前よく出てくるような用途ではありません。

 毎回渋い顔をする母からせびるのはそれなりにストレスでした。

 それがですよ。

 何に使うのか言わなくていいお金が千円以上。

 その冬は楽しく過ごしたと思います。

 何に使ったのか覚えていないんですけどね。

 

 なんなら、その時の友達3人の顔と名前も覚えていません。

 その後、人間関係でつまずいて色々とあった私からすると、1番楽しかった黄金時代なのに。

 まあ、私が率先しておじさんに声をかけているし、みんなが私の声掛けに従っているということは、本当に自分のことなのか俄かには信じられない思いもあります。


 たぶん、幸せだった頃を象徴する出来事だから記憶に残っているんでしょうね。

 今はほとんど雪の積もることのない東京住まいで、雪で立ち往生する車を見ることもありません。

 もし、見かけても小学生の頃のように颯爽と手助けできるかどうかは……。

 雪の便りを聞くようになると毎年思い出すお話でした。


 

 

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