雪の聖女〜魔法が使えないからと追放された落ちこぼれ聖女、実は雪魔法が使えました。雪降る故郷で幸せに暮らします。

くれは

 * * * 

「フユハ、残念ですがあなたを聖女にすることはできません」

「……はい」


 大聖女様のお言葉に、わたしは地味な黒髪の頭を深く下げて返事した。それ以外の何もできなかった。

 後ろから、他の聖女候補たちのざわめく声が聞こえる。それは小さなひそひそ声だけれど「やっぱり」とか「泥くさい」とか「雑草」とか聞こえてくる。決してわたしに好意的なものではない。

 わたしは頭を下げたまま、大聖女様のお言葉を待った。


「あなたは十歳の頃に素質を見出され、それから六年間ここで聖女の修行を納めてきました。その成果はかんばしいものではありません。それは自分が一番よくおわかりでしょう」

「……ご期待に添えずすみません」


 わたしは黙ったまま、自分の靴のつま先を見つめる。目に力を込めて。そうでないと泣きそうだったから。絶対泣くもんか、と思っていた。

 聖女候補が揃ってまとう白いスカート、それを握る手は震えてしまっていた。


「聖女の儀を目前にしても、あなたの魔法は発現しませんでした。わたくしも残念でなりません。ですが、魔法の発現しないあなたを聖女の儀に出すことはできません。つまり、あなたは聖女になることはできません。ですから、聖女の儀が始まるまでには、この大聖堂を出てゆきなさい。良いですね」

「……はい」


 残念と言いながらも、大聖女様の声は冷え冷えとしていた。グレーの石床のように。

 ざわめきの中には、ひそやかな笑い声も混じっていた。いつもそうだ。王都から遠い雪深い北の村出身の地味なわたしは、煌びやかで美しい聖女候補たちから「田舎者」と嘲笑われていた。今更もう気にはしないけど。


「馬車代くらいは出しましょう。故郷にお帰りなさい」


 その言葉に、田舎に帰ることはできそうだと、安堵した。このまま放り出されたらのたれ死んでしまうな、と心配してたから。

 それでわたしは、華やかな王都を離れ、地味な田舎に帰ることになったのだ。

 ほとんどない私物を小さなバッグに詰めて、六年暮らした大聖堂を見上げる。石造りの立派な建物は、青空を背景に美しく存在を主張していた。色鮮やかなステンドグラスが陽光に輝いている。

 眩しさに、わたしは泣きそうになるのを我慢して、小さな声で豪奢な彫刻に悪態をついた。


「王都なんか大っ嫌い」


   *


 故郷に向かう馬車の荷台で揺られていると、車軸の軋む音と振動とともに、王都の賑わいが遠ざかってゆく。家並はいつか、草地と木立に変わっていた。

 のんびりした空気に久しぶりに触れて、わたしは王都でずいぶん緊張して過ごしていたのだと、思い知った。

 礼拝や礼儀作法の授業は苦痛だった。六年も王都で暮らしていたけど、わたしは最後まで田舎者だったのだ。

 そうやって揺られながら、わたしは六年前のことを思い出す。

 わたしが王都に連れてこられたのは十歳のとき。わたしの中にはどうやら膨大な魔力があるらしい、ということが領主様の耳に入ったのだ。

 それで王都からわざわざ偉い人たちがやってきた。わたしを聖女候補として大聖堂に連れてゆくために。

 領主様の命令には逆らえない。それで両親は泣く泣くわたしを王都に送り出すことになった。


「フユハ! 行くな!」


 それに最後まで逆らっていたのは、幼馴染のシグルだった。同い年のわたしたちは仲良しで、いつも一緒に遊んでいた。

 シグルにとって、わたしが王都に連れていかれるのは納得できないことで、ずっと泣いていた。王都への馬車に乗せられたわたしを、走って追いかけようとしてくれた。

 転んで、それでも顔をあげてわたしを見ていたシグルの姿を、今でも思い出すことができる。

 シグルは体も小さくて泣き虫で、でも優しかった。わたしと同じような真っ黒い髪に、湖を思わせるような青い目をしていたのを覚えている。


「六年、か」


 本当はちょっとだけ不安だった。手紙は書いてはいたけれど、両親とだって六年も顔を合わせていない。

 村はどんな様子だろうか。シグルの家の林檎の木はまだあるだろうか。シグルと一緒に林檎を収穫して、アップルパイにして食べたことが懐かしい。あの甘酸っぱい味。

 そうやって思い返すほど、不安は大きくなる。

 聖女になれなかったわたしは、村で暮らしていくことができるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。

 空にはうっすらと雲がかかっていた。それでもうすぐ、故郷では雪が降り始める季節だな、と思い出した。

 王都では雪は降らないから、もうずっと雪は見ていない。

 不安もあるけど、やっぱり懐かしいという気持ちは、抑えられなかった。


   *


 青空に霞む山並み。わたしは大きく息を吸い込んだ。ああ、わたしの村だ、という気がした。

 涙に滲む村の様子は、六年前の記憶のままで、わたしはすっかり嬉しくなっていた。


「フユハ……?」


 聞き覚えのない声に振り向けば、そこには背の高い黒髪の男の人がいた。わたしと同じくらいの年の──その湖を思わせる青い瞳が、わたしの姿を映して目一杯開かれている。


「もしかして……シグル?」


 わたしはぼんやりとその姿を見上げる。髪も目も確かにシグルなのに、あの小さくて泣き虫だった面影はもうなくて……それで、すっかりしっかりした男の人になっていて、声だって低くなっていて……。

 何を言えば良いかわからなくて、わたしはぽかんとしていた。

 しばらくして、シグルは困ったように視線をそらした。


「どうした……んですか」


 シグルの言葉遣いに距離を感じてしまった。ああ、もう、わたしたちは仲の良い幼馴染じゃないんだ。

 六年も経ってるんだ、当たり前だ。

 わたしはうつむいて事情を説明する。


「魔法が発現しなくて、聖女にはなれなかったから大聖堂を追い出されて、それで戻ってきた」


 そっと見上げると、シグルは眉を寄せていた。

 それはそうだ。こんなこと、いきなり言われても困るだろう。それで戻ってきたって言われたって、受け入れられるわけがない。

 わたしは王都で買ったスカートを握りしめて、どうしようかと考える。

 もうシグルとは、前みたいに仲良くはできないんだって思って、そのことが悲しかった。


「とにかく、家に顔を出したらどう……ですか。親に顔を見せたら良い……と、思います」

「そうする」


 わたしは短く応えると、シグルから逃げるように駆け出した。

 今のシグルと一緒にいるのは寂しいから。早くお父さんとお母さんの顔を見て安心したかった。


   *


 久し振りの我が家は、なんだか狭くなったように感じた。でも実際は狭くなったわけじゃない。わたしが大きくなってるんだ。

 それでも、石造りの冷たい大聖堂なんかよりも、素朴な木の家はとても安心できた。かすかな木のにおい、それから毎日の生活のにおい。

 どれだけ離れていても忘れられない、大好きな家のにおいだった。

 お父さんもお母さんも驚きはしたけど、わたしが事情を話せば、大聖堂の仕打ちに怒ってくれた。


「あなたを勝手に連れていっておいて勝手に追い出すなんて!」

「やっぱりあのとき、領主に逆らってでもお前を手放すんじゃなかった」


 そしてお母さんはわたしを抱き締める。


「よく頑張ったね、フユハ。これからは、ずっと家にいて良いからね」

「お前に大変な思いをさせて、悪かったな」


 ふたりに優しい言葉をかけてもらえて、わたしはとうとう泣き出してしまった。

 大聖堂でこれまで、どれだけ心細かったか。ひとりで暮らすことが、どれだけ寂しかったか。周囲に「田舎者」と嘲笑われて、どれだけつらかったか。

 そんな気持ちが全部、溢れてきてしまった。


「大変だったよ。会いたかったよ」


 泣きながら、お母さんにすがりつく。懐かしいお母さんのにおいがする。家のにおいと同じで、決して忘れることはない。

 お母さんは小さいときみたいに、わたしの背中をとんとん、と軽く叩いてくれた。その感触で、また涙が溢れてくる。

 王都での六年間、誰かに抱き締められることなんてなかった。

 良かった。わたしまた、ここで暮らしていける。


   *


 少しずつ、わたしは田舎での生活を取り戻していった。

 井戸の水汲みや料理、収穫の手伝い。そんな日常がいちいち懐かしかった。

 もう、毎朝毎晩の礼拝も、礼儀作法や儀式のお勉強も、魔力を高めるという瞑想も、しなくて良い。それは素晴らしい開放感だった。

 わたしはやっぱり、王都で聖女なんかやるより、こうして普通の村娘でいる方があってるみたいだ。お父さんお母さんと暮らす日々が幸せで、毎日が楽しかった。

 ひとつ気になっているのは、シグルのことだ。

 再会したあの日から、シグルとはずっとうまく喋れないでいる。あの、変な敬語は止めてくれるようになったけど……ずっと視線は合わせてくれないし、前のように喋ってくれることもない。

 わたしも、昔とは違うシグルとのちょうど良い距離感がわからないでいた。わたしの中ではずっと、小さい泣き虫のシグルだったから。

 シグルのお父さんとお母さんには挨拶にいって、昔の通りに話すことができた。アップルパイももらった。記憶の通りの甘酸っぱい味。

 でも、そんなときだってシグルとはやっぱりぎこちないままだった。


「わ、雪……!」


 空が暗くて空気が冷たいと思っていたら、はらはらと小さな白いかけらが舞い散ってきた。

 この季節初めての雪だった。


「ちょっと散歩してくる!」


 わたしは手袋をして肩掛けをまとって、編み物をしているお母さんにそう告げる。


「雪が降る中行かなくても」


 呆れたような顔で、でもお母さんは笑っていた。


「だって、王都じゃ雪降らないんだもん。久し振りに雪をちゃんと見たいの!」

「気をつけてね」

「はあい!」


 わたしははしゃいで家を飛び出した。空気を吸い込むと胸が痛いくらいに冷たい。

 舞い落ちてくる白い結晶が頬に触れると、ひんやりと冷たくて心地良い。わたしはそのまま弾むように歩き出した。


   *


 シグルの家の前を通ると、シグルが出てきてわたしの後をついてきた。

 最初はどこかに用事かなと思っていたのだけど、わたしが立ち止まればシグルも止まる。わたしが歩けばシグルも歩く。明らかにわたしについてきていた。

 そのくせ、振り向くと目を合わせずに空を見上げて雪の様子を見たりするのだ。


「えっと……何か用?」

「いや……」


 思い切って声をかけると、シグルは困ったように視線をうろうろとさせて、それから小さく溜息をついた。


「俺より、お前はどこに……行くんだ」

「わたしは散歩。雪を見るの、久し振りだから嬉しくて」


 シグルは目を見開いてわたしを見た。なんだかとても久し振りに目があった気がする。それからシグルは、また横を向いた。


「俺も散歩」


 それ以上何も言わないので、わたしはまた歩き出す。わたしの背後でシグルも歩き出した。

 ちらちらとした雪が、肩掛けにくっつく。久し振りに見る結晶の美しさに溜息をついてから、わたしは軽くそれを払った。

 不意に、頭に手を置かれた。手袋をしたシグルの手だった。

 すっかり大きくなってしまったシグルの手が、わたしの黒髪から白い結晶を払い除ける。それはもうすっかり男の人の手で、わたしはどうして良いかわからなくなったまま、足を止めてうつむいた。


「ありがとう」

「あ、いや……勝手にごめん。その……」


 シグルは手を引っ込めて、一歩離れた。


「昔を思い出して、つい……」


 なんだかそのまま離れていってしまいそうで、わたしはつい大声を出した。


「待って!」


 びくり、とシグルが動きを止める。その青い瞳を見上げて、わたしは必死に声を出す。


「あの……一緒に散歩したい……」


 シグルは唇を開いたり閉じたり繰り返して、それからゆっくりとわたしの顔を覗き込んだ。


「俺と?」

「そう、シグルと。昔みたいに」


 何度か瞬きをしたシグルは、舞い落ちる雪の中でしばらく微動だにせず考え込んでいた。それからぎこちなく顔をあげて、小さく笑った。


「そっか……良かった」


 その安心したような顔は、なんだか昔の泣き虫だった頃のシグルみたいで、わたしもだいぶほっとした。

 それでわたしたちは、並んで雪の中を散歩することになったのだった。


   *


 小さな川には木でできた橋がかかっている。その橋は、うっすらと白い雪が積もりはじめていた。

 わたしとシグルで渡ると、ふたり分の足跡が残る。


「滑らないように気をつけて」


 シグルが差し出してくれる手を、わたしは少し戸惑いながら握る。昔は手を繋ぐなんて当たり前だったのに。

 そうだ、いつだったかもこうやって、ふたりで転ばないように橋を渡ったっけ。

 わたしとシグルは、きっとまた仲良くなれる。そんな気がした。

 もちろん、小さい頃みたいに、あの頃と全く同じようにとはいかないと思うけど。でも、シグルに嫌われていたわけじゃなかった。

 それは、わたしをとても浮かれさせた。


「雪って綺麗だね」


 両手を空に伸ばして、雪の結晶を手袋に受け止める。綺麗な六角形の形を眺めて楽しむ。

 シグルははしゃぐわたしに苦笑した。


「綺麗なばっかりじゃないけどな」

「だって、すごく久し振りに見たんだもん! 王都じゃ雪は降らないから、すごく寂しかった」


 はしゃいだままそう言えば、シグルは急に痛みをこらえるような顔をした。

 立ち止まってシグルを見上げれば、シグルはうつむいた。


「あの日、フユハの周りで雪の結晶が輝いて見えたんだ。すごく綺麗で……特別な思い出なんだ」

「あの日?」

「ふたりで雪遊びしてた日」

「いっぱいあるからどの日かわからないや」


 わたしの言葉に、シグルは眉を寄せて、困ったような少し悲しそうな、変な笑い方をした。


「いいよ、どの日でも。で、そのきらきらしてたのが魔力だったんだよな。俺がそのことを大人たちに話して、それが領主様の耳に入ったんだよ」


 わたしは何も言えないまま、シグルの湖みたいな瞳を見上げていた。シグルの黒いまつげに、雪の結晶が乗っかる。


「だから、フユハが王都に連れていかれたのは、俺のせいなんだ。俺がフユハのことを誰にも言わなければ、フユハは王都に行くことなんて、なかったんだ」


 だから、とシグルはわたしを見た。悲しい瞳だった。雪が急に冷たく感じられる。空気が痛いくらいに冷たい。


「ごめん、フユハ。全部俺のせいなんだ」


 シグルの言葉を噛み締めながら、わたしは空を見上げる。シグルは謝ったけど、わたしにはシグルを責めたい気持ちなんかちっともなかった。

 でも、シグルはずっと、そんな後悔を持っていたんだ。わたしはシグルのその後悔を消し去りたいと思った。雪がとけるみたいに、そんな後悔なんか消えてなくなれば良いって思った。

 わたしは手袋の手を持ち上げて、シグルの頬を包む。シグルは驚いたように目を見開いた。


「わたしはまた戻ってくることができたし、シグルともこうして会えたし、だから大丈夫だよ」

「でも……」

「大丈夫! ね?」


 シグルの手袋の手が持ち上がって、頬を包むわたしの手に添えられる。手袋越しに、体温が伝わる。その温かさに、わたしは急に胸が苦しくなった。

 シグルは穏やかに笑っていた。久し振りに見た、シグルの普通の笑顔だった。


「ありがとう、フユハ」


 ぎゅ、と胸を掴まれたような苦しさに、わたしは慌てて手を引っ込める。シグルは大人しく、わたしの手を離してくれた。

 わたしたちの間を埋めるように、ちらちらと雪の結晶が舞い落ちてくる。舞い散る雪越しに、わたしたちは見つめあっていた。

 体の奥で魔力が渦巻いているのがわかる。今までどれだけ瞑想をしても、修行をしても、魔力なんかちっともわからなかったのに。

 シグルの周囲を舞い散る雪が、ひとつひとつ輝いているのが、はっきりと見えていた。


   *


 もっともっと雪深くなって、シグルの家の林檎の木もすっかり白く埋まってしまった頃、村に雪山の魔物が現れた。

 雪山の魔物の爪で腕を怪我をしたおじさんは、死ぬことはなかったけれど、深い傷のせいで熱を出してしまった。腕も元通りに治るかわからないらしい。

 このままでは村全体に被害が出る。

 だから男の人たちが武器になるものを持って、魔物狩りに出た。その中にはお父さんも、シグルも入っている。

 お母さんとわたしは、家で不安を押し殺して無事を祈っていた。

 あいにくの天気で、吹雪が近かった。家の外では風が唸り、大きな雪の塊が横殴りに吹き付けている。

 もう誰にも、怪我をしてほしくない。みんな無事でいてほしい。

 そんな気持ちが、自分の中で魔力になって吹雪のように渦巻いているのがわかった。

 風が家を揺らす。その音が響くたびに、わたしの体の中の魔力も揺さぶられる。身体中に魔力が巡る。指先までじんじんと熱い。

 ああ、そうだ。

 わたしは不意に気づく。

 他の聖女候補たちは、火や水や光だとか、そういうものを操る魔法を発現させていた。そんな中でわたしは最後まで何も操ることができなかった。

 でも、わたしの中に確かに魔力はあったのだ。今まで、操るものが周りになかっただけで。


「お母さん、わたし行ってくる!」

「待ちなさい! どこに行くの!?」


 わたしの腕を掴むお母さんの手。その温かい優しい手を、今は振り解いた。

 シグルの湖のような瞳を思い出す。彼を助けたい。お父さんにも傷ついてほしくない。村の誰も、無事でいてほしい。

 お母さんになんて言えば良いのか、もどかしい。


「わたしに魔力があったのは、きっとこのためなんだって気づいたの! わたしならみんなを助けられる!」

「どういうことなの!?」

「ごめんなさい、お母さん。ちゃんと戻ってくるから!」


 わたしは家を飛び出して、吹雪の中に身を晒した。


   *


 本格的に吹雪いてきた。でも寒くはない。

 視界は悪くても、周囲の雪がどこに向かえば良いかを教えてくれた。

 わたしは迷わずに、雪の中を走る。雪の上を移動するのも、普段なら大変なのに、まるで雪が運んでくれるかのように軽々と走ることができた。

 今、雪はわたしの味方だった。わたしの手足だった。

 向かう先に、村の人たちの姿が霞んで見えた。みんなで立ち向かっている大きな黒い塊が、雪山の魔物だ。四つ足の、赤い血走った目の魔物。

 今は前脚を持ち上げて、その鋭い爪を振り下ろそうとしている。その先にいるのは、ああ、シグルだ。

 シグルは村人の誰かを背中に庇うように、斧を構えている。


「間に合って!」


 冷たい空気を吸い込んで、わたしは叫ぶ。手を伸ばす。

 その指先に魔力が集まるのを感じる。そして、シグルの前に積もっていた雪が壁のように立ち上がった。

 魔物の咆哮が風の音を切り裂いて響き渡る。その爪は雪の壁を崩しはしたけれど、シグルには届いていない。間に合ったのだ。

 その隙に、わたしは駆け寄って、シグルの前に立つ。巨大な魔物を見上げる。


「フユハ……?」


 シグルの驚いたような声を背中に聞く。

 わたしはもう一度、雪を壁にして魔物の爪を防ぐ。そしてシグルを振り返った。


「大丈夫! わたし、魔法が使えるみたい!」

「え……?」


 周囲の村の人たちは、ぽかんとわたしを見ていた。

 雪の壁がまた崩れる。

 シグルは慌てて斧を構えたまま、魔物からわたしを守るように前に立った。その背中に、わたしはまた胸を掴まれたように苦しくなった。

 この人を守りたいって強く思った。


「フユハ! 無理するな!」

「わたしは大丈夫!」


 再び振り下ろされた爪を、シグルは斧で止めた。

 その間にわたしは、魔物の体全部を雪で包み込んだ。吹雪いてくる雪の結晶が、わたしの魔力に反応して輝き出す。

 怖くないわけがない。でも、わたしなら守れる、だから守りたかった。


「シグルも無茶しないで!」


 吹雪いてくる雪の塊をつららのように尖らせる。そしてそれを雪に包まれた魔物に突き刺す。ひとつだけじゃない。いくつも、いくつも。

 魔物は、体の中にある魔力の核を壊せば体が崩壊する。だから、その核を壊せるように。

 雪の中で魔物が暴れる。くぐもった咆哮が聞こえる。わたしは一瞬押されかけた。シグルが雪の塊から飛び出てきた爪を斧で弾き返す。

 わたしは歯を食いしばってその場に踏み止まると、さらに雪で固めて魔物を押さえつける。また、雪を突き刺す。

 そして手応えはあった。

 魔力の核が砕ける音が、雪の中から聞こえた。一瞬だけ、風が止まった。

 雪を操っていた魔力を止めれば、大きな雪の塊は崩れ、割れた魔力の核が中から出てきた。

 もう大丈夫だ。


「フユハ! 大丈夫か!?」

「シグル、無事で良かった!」


 わたしは振り向いたシグルに飛び付いた。その体温を感じたかった。


「フユハ……」


 シグルは一瞬動きを止めてから、戸惑うようにわたしの背中に手を置いた。その温かさは、わたしを安心させてくれた。


「フユハが、あの魔物を……」

「本物の聖女だ……」


 村人の誰かが呟くのが聞こえた。吹雪の風に負けないくらいに、みんながざわめいているのがわかる。でももう、何も気にならなかった。

 周囲の吹雪は星空のように輝き、まるで流れ星のように見えた。


   *


 雪解けとともに、わたしの雪の魔法の噂は領主様や王都まで広まってしまったらしい。

 でも大聖堂は聖女として戻れと言ってこないし、王都から迎えもやってこない。

 当然だ。雪を操ることができても、王都では役に立たないのだから。仮に来いと言われても、今度はちゃんと断るつもりだ。

 だってわたしは、この村が好きだから。それに──。


「フユハ」


 甘い声とともに、シグルの大きな手がわたしの黒髪を丁寧に撫でる。

 春の種まきの合間を見て、シグルとはこうやって逢引きしている。とは言っても、もうこの関係は村中に知れ渡ってしまっているんだけど。

 場所だって、シグルの家の林檎の木の下だし。

 むしろ、いつ結婚するんだとみんなにせっつかれている状況だ。


「シグル、大好きだよ」


 わたしはシグルの肩に頭をもたれかける。シグルはその重みを受け止めてくれる。そんな些細なことが、今は幸せだった。

 林檎の木には柔らかな緑色の葉っぱが芽吹いていた。きっと花をつけて、また実がなる。

 そして今年は、シグルと一緒にアップルパイを食べるのだ。あの甘酸っぱい味のアップルパイを。


「俺も好きだ、フユハ。もうあの頃みたいに遠慮はしないから」


 シグルの顔が近づいてくる。湖を思わせる青い瞳はどこまでも優しい。

 わたしは目を閉じて、口付けを受け入れた。

 穏やかな春風が吹き抜けて、林檎の葉っぱが柔らかな音を立てていた。


   *


 わたしが「雪の聖女」なんて呼ばれるようになるのは、もう少しだけ先の話だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪の聖女〜魔法が使えないからと追放された落ちこぼれ聖女、実は雪魔法が使えました。雪降る故郷で幸せに暮らします。 くれは @kurehaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画