雪道をひたすら走るその先に

小絲 さなこ



「──大丈夫だって。何度か冬に車で志賀高原しがこうげん行ってるし。ああ、うん……わかってるって。急がつく運転しなければいいんだろ?」


 松本を出て安曇野あづみの市内を走行中、着信があったのでコンビニに入った。

 折り返し母に電話をかけると、大雪警報が発令されたから気をつけて、とのこと。続けて雪道運転についての講義が始まった。

 長くなりそうだったので強引に通話を終わらせる。


「母さんも年かなぁ。最近、話長ぇよ……」


 空を見上げると澄んだ青い空が広がっている。山の方に雲があるものの、雪が降る気配はない。


「どうせ夜になってからだろ」



 今から思えば、この独り言は完全にフラグであった。





 今回の年末年始は九日間の休み。

 俺はその長い休暇の初日の夜から八日目の朝までを白馬はくばでゆっくり過ごすことにした。


 両親が数年前に長野県白馬村はくばむらに建てた家には薪ストーブがあるのだ。

 東京の郊外にある会社借り上げのオンボロアパートと白馬のログハウス風一軒家──どちらで過ごす方が快適か。考えてみなくてもわかるだろう。しかも母の手料理と親父の手打ち蕎麦付き。完全に白馬の圧勝だ。



 冬に車で白馬へ行く時には、いつも長野インターで降りる。

 だが、今回は松本市内で高校時代の友人と会う予定があった。

 山賊焼き定食を食べ、積もる話に花を咲かせていたらあっという間に午後二時前。

 休みの開放感でのんびりモードになっていることもあり、下道したみちで安曇野、大町おおまちを抜けて行くことにした。

 

 実はこのルートで白馬に行くのは初めてだ。初めての道は、子供の頃の遊びを思い出して胸が高鳴る。わくわく。まさにそんな感じだ。沸くか湧くかどちらのワクか。枠からはみ出そう、の枠かもしれない。


 途中、穂高ほたか神社に参拝したり、コンビニに寄ったりと、のんびりトコトコ下道ドライブ。

 安曇野のどこまでも続く田園風景を堪能し、鼻歌混じりでアクセルを踏む。


 どうもおかしいと感じ始めたのは大町市に入ってからだ。


 はらはらと白いものが舞っているのに、空は青い。これだけなら信州ではよくあることだ。


 だから気にせず車を走らせていたのだが──気付いたら空全体が白く、雪の粒も大きくなっていた。


 

「マジかよ……」


 これ、積もるやつだ。

 ずんずん積もるやつ!



「いやいや、大丈夫だろ。だって今、大町だぞ」


 嫌な予感を打ち消したくて自分に言い聞かせる。


 現在地から白馬までそれほど距離はない。

 だが、周囲の車もだいぶ速度を落としており、当初の予定時刻よりも遅く到着することは確実だろう。


「まさかとは思うけど、立ちお……」


 手で口を押さえる。

 あぶねー!

 フラグを立てるところだったぞ。


 木崎湖きさきこ沿いの道ではノロノロ運転の車が連なっている。

 この時点ですでに太陽が傾き始めており、万が一の時のために菓子を買っておいて良かった、と心から思った。



 白馬村に入る頃には、日没間近で暗く、あたり一面雪しか見えない状態。

 かろうじて数十メートル先を走る車が見える。

 暴力的とも言いたくなる降り方の雪。わだちが消されていく。


 雪道の運転では轍に沿って走行するのが基本だ。それに逆らうと、ハンドルを取られたり滑りやすくなる。

 つまり、轍は電車のレールのようなものなのだ。

 その轍が、前の車が通って間もないのに雪によって消されていく。スピードを落とす。これ以上落とすと前の車を見失うというギリギリまで。


 ナビは道なりを指示しているが、前の車は左折した。

 マジか。前の車、頼りにしていたのに。

 これで真っ白な空間を先頭で走ることになってしまった。

 轍がないというのがこんなに恐ろしいものだとは思わなかった。

 ポールが立っていなければ、どこからどこまでが車道なのか、わからなくなりそうだ。

 この辺りの車道の両端には等間隔にポールが立っている。そのため車道の横幅はわかるのだが、中央線などはわからない。停止線なんて見えるわけがない。


 ナビに従って右折。


「右折?」


 あれ?

 右折だっけ?


 違和感を覚えるも、そのまま車を走らせていくと、前方に除雪車じょせつしゃが見えた。


「うわ。除雪間に合ってないってことかよ」


 除雪車が通ったあとのはずなのに、どんどん雪が積もり、その痕跡を消していく。


 景色など見る余裕もない。

 ただ、一瞬でも気を抜いたらヤバい──本能的にそう感じ、ハンドルを握る手に力がこもりそうになる。



 やがて除雪車がトンネルに入った。


「トンネルなんてあったっけ」


 ナビはそのまま直進を指示している。

 吸い込まれるようにトンネルの中に入ると────





 白い。


 どこからどこまでが道なのかわからない、とにかく真っ白だった。

 おまけに除雪車も見当たらない。


「トンネルに入ったはずだよな……」


 思わず車を停め、降りようとして気づく。


 これ、外に出ても大丈夫なのだろうか。


 そっと窓を開けて身を乗り出してみる。


 何も見えない。

 ただ白い空間が広がっていただけだった。



 窓を閉め、息を吐く。



「どういうことだ……」



 その一、実は事故っていて、今の俺は意識不明状態。つまり、これは夢。

 その二、事故ってあの世に行く途中。

 その三、怪異的なものに巻き込まれている。


 その一が現実的だろうな。というか、そう思いたい。

 その二は断固拒否する。まだ二十四だぞ。それに親より先に死ぬのはさすがにちょっと……

 その三は帰れるなら構わないが、その保証はないし、非現実的だ。


「よし、夢だ夢!」


 そうと決まれば、やることはひとつ。

 目を覚ませばいい──どうやって?


「……とりあえず、走るか」




 アクセルを踏もうとしたそのとき、車の真ん前にひとりの女性が立っていることに気付いた。


「あの、どうかしましたか」


 再び窓を開け、女性に声をかける。

 すると彼女は何かを呟き、 運転席側のドアに近づいてきた。


「うそつき」


 そう言うと彼女は俺に向かって手を伸ばす。

 ひんやりとした冷たい手が俺の頬を撫でた。


「私のこと、忘れちゃったのね?」

「え……」


 いや、俺あなたとは初対面だと思うんですが──そう言おうと口を開くが、なぜか言葉を紡げない。



 こんな美人、どこかで出会っていたら忘れるはずがない。


 白い肌。

 真っ黒な髪は腰まである。


「あっ……もしかして、ユキちゃん?」






 子供の頃、俺は毎年両親に長野県の北部にあるスキー場に連れて行かれた。両親はスキーが好きで、ふたりが出会ったのもゲレンデ。当然、子供にもスキーをやらせたかったのだろう。俺は普通に歩けるようになる前からスキー板に乗せられていたらしい。覚えてないけど。


 彼女と初めて会ったのは、物心ついた頃だろうか。正直言って、初対面を覚えていない、のが正しいかもしれない。


 冬、両親に連れて行かれる白馬のスキー場で必ず会う女の子──それがユキだった。


 最後に彼女と会ったのは小学六年生の冬。

 中学生になってからの俺は、両親のスキー旅行についていくのをやめたからだ。

 都会の子にとっては、スキーが上手いことよりも百メートル走で良いタイムを残せる方がスゴイことなのだ。陸上部に入って、そこそこのタイムを出していたから尚更。親とスキー旅行なんて行けるかよ、という思春期にありがちな感情があったのも否定できないが。

 そういえば両親が本気で信州移住を検討し始めたのもその頃だったな。




「最後に会ったときの約束、覚えてる?」


 俺の頬に手を添えたまま、彼女は俺の返事を待つ。


「最後に会ったとき……?」

「うん」

「ごめん、覚えてない」


 下手な嘘はつかず、正直に答える。

 彼女は俺の頬から手を離し、寂しそうに微笑んだ。


「あなただけは覚えてると思ったのに……」


 そう言って俺をまっすぐ見つめてくる。


「じ、じゃあ、俺急ぐから!」


 彼女から目を逸らし、強く視線を感じながらもエンジンをかけた。


 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。

 本能が危険だと、これ以上彼女の近くにいてはダメだと訴えている。

 彼女はまだ車の近くにいるが、構わずアクセルを踏み込んだ。

 俺の見立てが正しければ、こんなことで彼女は死んだりしないだろう。そもそも死ぬという概念があるかどうかも疑問だし。

 


 どこから地面でどこから空なのかもわからない空間が続いている。

 本当に走行しているのか不安になるが、地面を走っている感覚はあり、バックミラーに映る彼女の姿が小さくなっていく。


 どれくらい走っただろうか。

 前方にトンネルが見え────




────眩しい。



「どうかしましたかっ?」



 男性の声で、俺は自分が雪道に立っていることに気がついた。


「あれ?」


 いつ車から降りたのだろう。

 そばにある愛車を見つめる。


「大丈夫ですか、どこかぶつけましたか?」


 暗くて男性の表情はよく見えないが、声の感じからして中年から初老くらい。俺の車の周りを一周し「どうかしたんですか」と彼は俺の顔を覗き込んだ。


 どう答えていいかわからない。

 だが、正直に言ったところで信じてはもらえないだろう。


「えーと、道に迷ってしまったみたいで……」


 両親の家の住所を伝えると、男性は進行方向とは真逆を示した。


「おかしいな。ナビではこっちだと……」

 思わず呟く。

 

「いや、こっちですよ。俺んちその近くなもんで。こっちで合ってますよ」 

 男性が胸を張った。


「おにーさん、イケメンだしなァ。雪女にでも惑わされたのかもしんねぇ」


 男性はガハハと豪快に笑ったが、俺は笑うことが出来なかった。





 翌日。


 昨晩、どうにか両親の家に辿り着いたものの、どっと疲れが出てしまい、晩飯もそこそこに風呂に入り、早く寝てしまった。


 目が覚めたら朝十時前。

 母は俺を叩き起こすようなことはしなかったようだ。おかげで疲れは取れ、気分も爽やか。

 

 よし、昨日のアレはもう忘れよう。メシ食ってひと滑りするか。


 行きつけのスキー場でひと滑りし、休憩を取っていると、隣に座った人が俺の顔を覗き込んだ。


 

 薄い水色のウェアに水色のニット帽。

 顔は見えないが、体格からして女性だろう。


「あの……」

 あまりの距離の近さに、何か用ですか──と言おうとして息を呑む。


 帽子を取った彼女の髪は黒く、長い。

 そして肌の色は雪のように白くて……


「ユキ……ちゃん……?」


 動けないのは、彼女の微笑みがあまりにも美しいからだけではない。


 

「どうして昨晩は逃げたりしたの? 子供の頃、約束したよね。大人になったら──」



 

 

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