さらば『繊細』な婚約者! 気を遣い続ける日々に別れを告げて、わたしは新しい恋に生きるのよ!

藍銅 紅(らんどう こう)

さらば『繊細』な婚約者

親が娘の婚約者を決めるのが当然の、この貴族社会。わたしも十四歳の時に親が決めた相手とお見合いをした。


それがブラウミュラー侯爵家のバスティアン様だ。


やわらかな銀髪、緑の瞳に赤い唇、女性と見まごうほどの美しい顔。触れたら折れてしまいそうな程に可憐で繊細だった。


え、バスティアン様って本当に人間? 


背中に羽が生えていたりしない? 


妖精じゃないの?


当時のわたしは本気でそう思った。というか、面と向かってそう言ってしまった。


「ぼ、僕は人間だよ……」


か細くて、それでいて、澄んだ泉から湧き出る水のような清らかな声だった。美少年というのは声までが美しいのか。


感動を通り越して、衝撃を受けたほどだった。


「気を悪くしたらごめんなさい。だけどこれほどまでに繊細と言いますか、月の光が銀細工になったかのような美しいかたを見たことがなかったもので……」


「僕……、繊細?」


「ええ、もちろんでございます。こんなにも優美で、お美しい。あ、男のかたに申し上げる言葉ではなかったですね……」


バスティアン様はわたしより二歳年上だから十六歳。わたしの国では十六歳と言えば立派な成人。それに男の人に対して繊細だの美しいだの優美だのは……誉め言葉じゃあないわよね。ごめんなさい……と、わたしは頭を下げた。

だけど……。


「そうなのよ、ミレーヌ様は観察眼がおありですわね。あたくしのバスティアンは、外見だけではなく、感性も繊細ですのよ。純粋で、素直で……人を傷つけるような野蛮なことはしませんのよ」


バスティアン様のお母様が自慢気に微笑んだ。


「ねえ、ミレーヌ様。バスティアンはね、母のわたくしが言うのは何ですけれど、本当に心優しいのよ。バスティアンと婚約して、ずっとバスティアンを支えてくださると嬉しいですわ」


そうしてわたしとバスティアン様の婚約は結ばれた。


天使か妖精を自分のものにできたみたいな気持ちになって、わたしは本当に天にも昇る気持ちだった。




ただし、それは当時の話。


一年経った今では、そんな気持ちはもう皆無だ。 




繊細。


バスティアン様は、良い意味でだけではなくて、悪い意味でも繊細だったのだ。




例えば「バスティアン様、ケーキはお好きですか?」などと話題を振るとする。


「う、うん……。好き、かな……?」などと首を横に傾げ、これが好きとかあれは嫌いとか、明言はしない。言質を取られないようにするのが貴族かもしれないが。


「どんなケーキがお好みですか? わたしはオレンジのシフォンが好物で」


「え、ええっと。その、シフォンはおいしいよね。あ、でも……」


「でも、どうしました?」


「お、男の僕が、甘いものが好きなんて言ったら……おかしいとか思われないかなあ……」


ちらと上目遣いでわたしを見てくるバスティアン様。


バスティアン様の『繊細』な性格をあまり理解していなかったころは、わたしは「男の方でも甘いもの好きなかたはいらっしゃいますわよね。わたしの従兄のお兄様もチョコレートが好きで……」などと返事をしていた。


だけどこういう返事は、バスティアン様にとってはお気に召さないものなのだ。


バスティアン様が上目遣いで相手を見るのは、相手からかまってもらいたい、認めてもらいたいということなのだ。


「おかしくはございませんわ。バスティアン様は素敵ですわね」とか言わなくてはならないのだ。バスティアン様以外の、わたしの従兄の例えなどを言葉に出して、話題を従兄のことに変えようものなら、ジトッとしたいじけた目で見つめてくる。


それに、わたしの誕生日などのプレゼントもまったくと言っていいほど贈ってこない。


ああ、いや、無視しているとかそういうわけではない。いろいろな商人に声をかけ「僕の婚約者にふさわしいプレゼントを贈りたいのだけれど……」といくつもいくつも見繕っているのだけれど、これだと決めることができないのだ。


わたしが「バスティアン様がわたしに選んでくださるものなら、なんだって嬉しいですわ」と言っても「失敗したら取り返しのつかないことになる変なものや、君が喜ばないものを贈ってしまったら……」と、ずっと悩んでいるのだそうだ。そうして「ミレーヌ様に嫌われるのが怖くて……」と落ち込むのだ。


つまり決断力に欠けている。


周りから自分がどう思われているのか、人からの印象をとても気にしていることも多い。


自分から人に話しかけていくのも苦手なようで、夜会でもわたしのそばを離れようとしない。わたしが友人たちと歓談でもしようものなら「ミレーヌ様はいいなあ……。お友達が多くて。僕なんて、知り合いすらいなくて……」と、俯いてしまう。


その姿は神話の女神のように美しいものだから、周囲の人間も「ほう……」と感嘆のため息を零すのだけれど……。


ああ、観賞用としては、最上の美だとは思う。


だけど、バスティアン様はわたしの婚約者なのだ。成人している男のかた、なのだ。お友達を作れないことを悩んでいるなんて、幼い子供ではないのに。


もうちょっとこう……年相応になってほしい。


おずおずと、上目遣いで見られるのはもう嫌だ。


なんかね、もうね。些細なことでも傷ついて落ち込んだり、傷ついたりする自分は嫌われてしまうのではないかと、様々な不安を抱えているナイーブな美少年って素敵……なんて気持ちはね、ずんずんずんずん目減りしてきたのよ。

三歳児とか五歳児とかの引っ込み思案な男の子の面倒を見ている親戚のお姉さんのような気分になるの……。




「婚約者、もう辞めたい……」




そんな言葉をバスティアン様に向かって発しようものならば、「ぼ、僕は……君にふさわしい男じゃない……のかな……」と、目に涙を浮かべるのだ。


あ、あああああああ……。雨に濡れた捨て犬のような瞳で見つめてくるのはやめてほしい。わたしが犬を捨てたような人でなしになった気分になる。


正直、もう会いたくない。フェードアウトして、婚約自体なかったことにしたい。


心の底から神に祈った。


そうしたら、いたのだ。神が!


ピンク色の髪をした、男爵家のご令嬢……というか、もともとは男爵の愛人の娘だったのだが、正式に娘として引き取られたというリンダ様というご令嬢がっ!


婚約者がいる男性にも堂々と夜会やガーデンパーティで自分から声をかけていくという強心臓の持ち主が!


なんというか、類稀なる美少年のバスティアン様を見て、リンダ様は「顔良し、身分良し、性格、落としやすそう」とか思ったのだろうか。 


バスティアン様に対して猛烈なアタックを仕掛けていった。


胸を押し当てるようにして、腕を組むなんてことは当たり前。


話すときは、鼻と鼻が触れるほどに顔を近づける。


何よりもすごいと思ったのは、ぼそぼそと、後ろ向きというか、自分のことを肯定してくれと言わんばかりのバスティアン様のお話に、全て「すごーい、素敵ですうバスティアン様!」とにこにこにこにこ笑顔で全部肯定するのだ。


そんなリンダ様に、バスティアン様も次第に惹かれていったようだ。


わたしのことなどは忘れたかのように、リンダ様と二人きりの世界を作っている。



よっし! そのまま二人、くっついていて。


わたしは神に祈った。



その祈りはきっと神に通じたのだ。


自分からは何もはっきりと言わないバスティアン様が、夜会の席で、宣言したのだ。



「ぼ、僕は、ミレーヌ様との婚約を、破棄、して……、このリンダと、婚約を……したいな……って……」



しどろもどろだけど。


小説や演劇でよくある悪役令嬢物の、婚約破棄からの断罪とかのように、自分を正当化して、相手の婚約者に非を全部押し付けるような勢いはないけれど。


それでもあのバスティアン様が、公衆の面前で、婚約破棄宣言っ!


よくもまあ、ここまでご成長されましたわね……と、まるで幼いころからおぼっちゃまにお仕えした、ばあやのような心境になってしまったわ。


そんなわたしに向かってリンダさん、いや、リンダ神は「ミレーヌ様、許してください。あたしとバスティアン様は真実の愛で結ばれているんですう」とウソ泣きをしてきた。



「あたしが気に入らないのはわかっています。今だってそんなふうにあたしを睨みつけて……。バスティアン様、本当はあたし、ずっとミレーヌ様に嫌がらせをされてきたんですう」



なんて言って、バスティアン様に抱き着くリンダ神。



「な、なんだと……。ミレーヌ様が、そんな……」


「こんなにも素敵なバスティアン様を、あたしにとられるからって、嫉妬に駆られて……」



まあ、本当にお芝居のようだわ。


わたしは感心してしまった。


そこまでして、リンダ神はバスティアン様を引き受けてくれるのね。ありがとうありがとう!


あとは任せるわねリンダ様っ!



「いや、ホント、『繊細』なバスティアン様とはもう御縁を切りたくて仕方がなかったんです。わたし、リンダ様のように、『繊細な』バスティアン様を全肯定なんて、できないんです! 些細なことでも傷ついて落ち込んだり、傷ついたり、様々な不安を抱えているナイーブな美少年って、わたしには荷が重かった! 本当にもう無理っ! 三歳児とか五歳児とかの引っ込み思案な男の子の面倒を見ている親戚のお姉さんのような婚約者なんて、もうこれ以上やってられない! どうか、リンダ様、あとはよろしくお願いします! リンダ様がバスティアン様を引き受けてくださるのなら、もう喜んでっ! 嫌がらせなんて、まったく全然したことないけど、したことにしてもいいですから!」



一気にそう言ってしまったら、リンダ様もバスティアン様も「は?」と、ハトが豆鉄砲でも食らったような顔になっていた。


だけど、せっかくバスティアン様のほうから、こんな人の集まる夜会で婚約破棄を宣言してくれたのだ。


この機を逃してなるものかっ!


わたしは「あなたはわたしの救世主です。バスティアン様のことは全面的にお任せいたしますっ! ありがとう!」と満面の笑顔でリンダ様の手を取った。



さらば『繊細』な婚約者! 


さらばナイーブなお心を傷つけないように気を遣い続けた日々よっ!


わたしはもう、自由に生きるっ!


わたしは足取りも軽くというか、「たりらりら~」とスキップをしながら夜会の会場を辞していった。


そんなわたしの姿を見て、従兄が苦笑しつつ結婚を申し込んできてくれたのだ。



本当はずっと好きだったと言ってくれた従兄に、思わず恋心が芽生えたわたしだった。




終わり

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