6話 死ねない

<三輪鍛冶屋>から砂利道をはさんだ少し離れた場所に、砕石を敷き詰めた駐車用スペースがある。

 サラは、涼平がいつも使っている商用車に駆け寄って異変に気づいた。車体が片方に傾いている。パンクだった。隣に駐めてある環の軽バンもやられている。

 車が使えないなら乗ってきた自転車を使うか、自分の足で走るか……

「都祁を置き去りにして逃げるのか?」

 ——置き去りにして

 背後から聞こえた声は、サラの心の傷をえぐるものだった。

「あたしは逃げるんじゃなくて……」

 否定する声が震えた。

「ならどうする」

 振りむいた先、日が暮れて濃くなってきた闇のなかから室生が姿を現した。サラとの距離を詰めながら、挑発するように特殊警棒の先を振った。

「大野と下市が追っている。助けたいなら早くしないとな。手遅れになるぞ」

「合意書より、もてあそぶほうが本命だったんだ」

 加虐心を隠しもしない室生の笑みが返ってきた。

 身体中の血が沸騰して熱くなる。力で意のままにしようとするやつに。環を傷つけようとする者には例外なく。

 サラの双眸から憤怒があふれた。

「やる気が出たか」

 腰の後ろに手をやった室生が、小型のタクティカルナイフを抜いた。

「大事だというなら、おまえが守ってみせろ」

 双方の中間地点にナイフを投げ落とした。

「小さなナイフでも使い方次第だ。そいつで俺のみぞおちを突け。首を切り裂け。目玉を突き刺せ。骨に守られていない急所なら大きな力はいらない。必要なのは躊躇いを捨てることだけだ。そうすれば、おまえにも勝つチャンスがある。どうする?」

 そんなもの決まっている。

 サラは、視線だけでナイフが落ちている周辺の状況を確かめる。息を吸い、吐くと同時にダッシュを切った。

 身体は低く。右手でナイフを拾い上げる。

 左手を地面に差し入れた。

 爪が剥けそうになるのも構わず、タイヤで踏み固められた砕石を握り込んだ。鋭角に尖った砕石をすくいとる。そのままアンダースローで室生の目元へと叩きつけた。

 砕石から顔を背けた室生には取り合わず疾走の態勢にはいる。

 あのとき、環を残して逃げた。ひとりでサバイブさせてしまった。

 今度はひとりにさせない。

 室生などに構っていられなかった。環に迫っている危険を早く排除しなければ。サラは室生の向こう側、環が残っている三輪の家しか見ていなかった。

 母屋へ最短距離で走り抜ける。その背中を強烈な一撃が襲った。

 メガネが吹っ飛ぶほどの衝撃だった。室生は視界を奪われながらも警棒を勘で振るい、ヒットさせてきた。

 激烈な痛みに内臓を締め付けられる。膝が折れる。そこから立てなかった。呼吸が止まりそうなほど苦しい。

 それでもサラは前に進もうとした。環のそばへ。

「俺を無視するな! おまえの相手はこっちだ」

 誘うように大きく警棒を振り上げた瞬間を逃さない。サラは室生の懐に飛び込んだ。

 メガネをなくし、ぼやけた視界で恐怖心も薄くなっていたから飛び込めた。しかし、そのあとが続かなかった。

 サラの身長は平均すらない。短いリーチで室生の、まして防刃ベストをつけている胴体に組みついても腕がまわりきらず、力が入らない。ぶつかった勢いで、よろめかせた程度だった。

 室生にへばりつき、攻めあぐねているサラの頭の上から楽しげな声がした。

「さあ次はどうする?」

 遊ばれている——。

「都祁を助けるんだろ? おまえの覚悟はそんなものか」

 どうにもできなかった。渾身の力を込めても、室生の身体はぴくりとも動かず、岩に抱きついている気分になる。

 力では、まったく敵わない。悔しくて喉の奥から唸り声がもれた。

「この程度だったか」

 ぽそりと聞こえた声とともに、サラの脚から力が溶け出した。

 何が起こったのかわからなかった。胸に熱いものが迫り上がってきてむせる。呼吸を奪う鈍痛に襲われ、目の端に赤黒いものがうつった。

 サラは地面に倒れ込んでいた。

 室生はどこ? 

 かろうじて動く腕で地面を這う。頼りない視力で、猫背の姿を捜す。日が暮れてひろがった黒紫色の闇の中では、黒の防刃ベストがまぎれて、わからなくなっていた。

 腕の感覚までもがなくなってくる。瞼が異様に重い。

 狭くなるサラの視界に、古い石塔群がぼんやりと浮かんだ。

<三輪鍛冶屋>を守ってきたというなら、次の代を受け継ぐ環も守ってくれるはず……

 その考えを振りはらった。都合のいい希望にすがっているだけでは環を守れない。自分で動かないと。

 やり残したまま死にたくない。

 死ねわけにはいかない。

 死んでたまるか——

 なのに意識は奈落の底に引き込まれていく。


     *


<三輪鍛冶屋>からの帰路。忌部生花に戻る社用のワゴン車の運転を黒塚に任せ、由行は助手席で黙り込んでいた。

 環のオカルト話に理性が無視しろという一方で、ただのホラ話として聞き流すこともできない。

 真偽はともかく、<三輪鍛冶屋>への環の信念みたいなものを感じた。その揺るぎなさへの憧憬があった。竜一が聞いたら嗤うだろうが。

 そして、

 ——藤ノ木さんは迷っているように見受けられます。

 環に言われてことが耳に残っていた。反論できなかった。

 火葬場を併設した斎場の建設許可を得るため、竜一は知事に鼻薬を効かせることもやっている。計画を是が非でも進めたい事情は承知していた。

 それでもなお強攻策をとる思い切りがつかないなら、成り行き任せも一手かと考えてしまう。

 室生は十中八九、おとなしくはならない。黒塚もそのあたりは予測できているだろう。いまでこそ由行の指導役などやっている黒塚も、過去では室生の立ち位置にいたのだから。

 黒塚が何も言ってこないのは、結論を急かされても納得できないと決行しない由行を考えてのことだ。

 竜一の帰りが遅いとなると、今度は室生が気になって鍛冶屋に駆けつけた。そのくせまた室生を放したままにしている。あっちに行き、こっちに戻り、うろうろしてばかり。

 甘い対応を見逃してもらうにも限度がある。尻に火がついていることを承知していても、由行は態度を決めかねていた。

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鋼打ちの守り神 栗岡志百 @kurioka

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