リアル・ハーレムは、やめておけ!

甘い秋空

義姉と幼馴染と留学生と義母そしてラブコメとAI小説映画



 1.朝


 目覚ましの音が耳元で鳴り響く。

 俺、高校生のアキト。目をこすりながらベッドから這い出した。

 時計を見ると、いつもより少し遅い時間。

 焦る気持ちを抑えつつ制服に袖を通し、部屋を出たその瞬間だ。

「きゃっ! 何よ、いきなり!」

 柔らかい何かとぶつかった。いや、正確には誰かだ。


「ご、ごめん! 俺……」

 咄嗟に謝る俺の目の前に立っていたのは、義姉? いや、学校の高嶺の華と呼ばれている同学年のユリカだった。

 淡いブラウンの髪が、アパート四階に差し込んでくる朝の光を受けてキラキラと輝き、その大きな瞳が驚きに見開かれている。

「気をつけなさいよ! もう……」

 俺を睨むユリカの声には微かに苛立ちが混じっていた。もっともだ。


 ぶつかったのは俺の不注意だし、彼女がこの家の住人になったのは、ほんの一週間前。

 再婚した父親の伴侶、義母ミナトさんの連れ子である彼女と俺は、いまだにぎこちない関係のままだ。

 誕生日の数ヶ月の違いで、同学年の彼女は義姉となったのだ。

「本当にごめん! 怪我とかない?」

「平気……さっさと朝ご飯食べて、遅刻しないようにしなさいよ!」

 言いながらユリカは食卓へ向かう。


 その背中を見ながら、俺は胸の内の鼓動を抑えるのに必死だった。

 義姉である前に、彼女は俺がずっと憧れていた存在なのだから。


 俺も食卓につくと、テーブルには既に朝食が並べられていた。

 義母のミナトさんが台所でコーヒーを淹れている。

 その姿は、いかにも母親らしいエプロン姿だ。


「おはよう、アキト君。今日も仲良しね、ユリカと」

 仲良し……だなんて、ミナトさんは本気で言っているのか?

 俺たちの間にあるのは、どう見ても家族の絆とは言い難い。

 ユリカも気まずそうに顔をそらしている。

「そ、そんなわけ……ぶつかっただけです!」

 俺が弁解する間にも、ミナトさんの目尻は下がり、微笑みが広がっていく。

 その優しい眼差しが意味するのは? 家族としての一体感への期待だ。


「でもね、家族っていうのは、そういう小さな出来事から少しずつ始まるものなのよ」

 ミナトさんの言葉に、俺とユリカは同時に目を合わせ、そして気まずそうに視線を逸らした。

 家族……俺にとってその言葉は、まだ馴染まない響きを持っている。


 昨晩、俺は自室でひとつの挑戦を成し遂げた。

 執筆していた恋愛小説をついに完成させ、投稿サイト「AI小説映画」にアップロードしたのだ。

 このサイトは、選ばれた小説をAI技術でVR映画化する試験サービスを行っている。自分の作品が立体映像として形になる……そんな未来に心が躍った。


 しかし、それと同時に不安もあった。

 この小説は俺の密かな思いを映したものだ。

 仮にユリカが読むことになったらどう思うだろう?


「アキト? 何ニヤついてんの、気持ち悪いんだけど」

 不意にユリカの声がして、現実に引き戻される。

 俺は慌てて顔を引き締めた。

「別に……ただ、ちょっと考えてただけだよ……」

「ふーん」

 疑いの目を向けるユリカ。


 その横顔を見ながら、俺は心の中で小さくため息をつく。

 彼女に憧れている気持ちが伝わってしまったら……なんて、考えすぎだろうか?


 アパートから学校へ向かう道すがら、俺はユリカの後ろを離れて歩いていた。

 周りの男子生徒たちの視線がユリカに集まる中、俺はその後ろ姿に見惚れそうになるのを必死に堪えた。


 俺の新しい日々が静かに幕を開けていく。



 2.新学年


 新しい学年の始まり。

 昇降口に入ると、目に飛び込んできたのはクラス分け表だった。

 同じクラスにユリカ、義姉であり、学校の高嶺の華と呼ばれる彼女の名前があるのを確認し、胸がざわついた。

 俺たちが姉弟であることは、同級生たちには知られていない。


 さらに目に留まったのは、幼馴染みのギンチヨの名前だ。

 彼女は男っぽい見た目に短い髪が特徴で、口調もどこかぶっきらぼう。

 だが、その裏には面倒見の良さが隠れている。

 また同じクラスになった彼女の名前を見て、少しだけ心が軽くなる。


「アキト! また同じクラスかよ。お前とはどこまでも縁が切れねぇな!」

 ギンチヨが笑顔で話しかけてきた。

 俺も笑顔を返す。

「元気そうで……なにより」

「お前もな。相変わらずなようで安心したわ」

 そんな軽口を叩かれながら、懐かしい会話に心が温かくなる。


 ユリカと目を合わせると、彼女は少し離れた席で黙って窓の外を見つめていた。その表情はいつも通りクールだ。


 お昼の時間、ギンチヨが俺の前にやってきた。

「ほら、これ。お前にやるよ」

 そう言って差し出されたのは彼女手作りのお弁当だった。

 見れば、俺の好きな唐揚げや卵焼きがぎっしり詰まっている。


「お前さ、どうせまだまともに昼飯作れねぇんだろ? ほら、いいからこれ食っとけ」

「ありがと、でも……なんか……」

「遠慮すんなって。お前の好きなのくらい覚えてんだよ、余計な気づかいすんな」

 その一言に胸がジーンとした。

 幼馴染みって、こういうところ、ありがたい。

 俺は素直に受け取り、弁当を頬張る。

 味はもちろん最高だった。


 昼休みが終わり、午後の授業が始まるまでの短い時間、図書室に立ち寄った。

 そこでは、女子のスターシアという留学生が静かに本を読んでいた。

「貴方も……本? 読む……好き、ですか?」

 彼女が声をかけてきた。

 日本語はぎこちないが、その瞳には知的な光が宿っている。


「あ、好きだよ。えっと、小説……よく読むんだ」

 そう答えると、彼女の表情がぱっと明るくなった。

「それ……面白い……ですか?」

 俺が手にしていたのは恋愛小説だった。


 会話が進むうちに、つい俺が小説を書いていることを話してしまった。


「え? 本当……ですか? すごい! どんな……話?」

 スターシアの興味津々な様子に、俺は少しだけ恥ずかしくなりながらも、自分の作品について簡単に説明した。

 本当は、俺が書いているのはハーレムなのだが、そこは隠した。

 彼女の笑顔とキラキラした瞳に、なんだか自分の書いたものが認められたような気がした。


 家に帰ると、食卓にミナトさんが座っていた。

 義母であり、小説家として活躍する彼女は、静かにパソコンに向かって執筆をしている。

「おかえりなさい、アキト君。学校はどうだったの?」

「まあ、普通……かな? うん、普通」

 気まずさを隠すように答える。

 ミナトさんは優しいが、俺にとってはまだどこか他人行儀な存在だ。

 そんな彼女を「お母さん」と呼ぶのは、どうしても抵抗がある。


 部屋に戻り、パソコンを立ち上げて投稿サイト「AI小説映画」にログインする。

 すると、自分の作品に思いのほか多くの高評価がついているのを見て驚いた。

「おっ?」

 評価欄を確認すると、人気作家のマルさんが俺の小説を「おすすめ」として紹介してくれていた。


 マルさんは正体不明だが、どこか女性っぽい文体が特徴で、俺も彼女……いや、その人のファンの一人だ。

「え、もしかして……これ、本当に3D化されちゃうかも!」

 期待と緊張が入り混じる。俺の中で何かが静かに動き始めているのを感じた。


 次の日の朝、いつもより少し早く目が覚めた。

 投稿した小説がどうなっているのか気になって仕方がない。



 3.ざわつき


 新しい学年になってから、俺は自分の感情を持て余していた。

 ユリカが好きだ。

 でも、血が繋がっていないとはいえ、姉弟なんだからその想いを口にすることなんてできない。


 それに、彼女と話す機会なんてほとんどない。

 学校でも家でも、俺たちの会話はあいさつ程度だ。

 だから余計に気になる。

 俺のこと、ユリカはどう思っているんだろう。


 学校の昼休み、親友のカイが真剣な表情で俺に話しかけてきた。

「アキト、ちょっといいか?」

「おい、どうしたんだよ? そんな深刻そうな顔してさ」

 カイは一度深呼吸をすると、声をひそめて言った。

「実はオレ……ユリカのことが好きなんだ。機会を見つけて告白しようと思ってる。でも、どう思う?」

 その言葉に、俺の心臓が一瞬止まったような気がした。


 頭の中がぐるぐると回る。

 俺もユリカが好きなのに。

 だけど、彼女と俺は姉弟だ。

 俺にはカイを応援する以外の選択肢はない。

「ユリカってさ、マジで高嶺の花だよな。でも、当たって砕けるのも……青春ってやつだよな?」

 そう言って、カイの背中を軽く叩いた。

 その瞬間、自分の心の中に広がる複雑な気持ちを押し殺した。


 午後、クラスメイトのイズミが興奮気味に話しているのを耳にした。

「私の書いたダークファンタジー小説が、ついにAIで3D化されることになったの! やっぱり投稿して良かった!」

 俺より先にデビューするとは、正直うらやましいし、少し妬ましい。


 俺の小説もいつか……そんなふうに思っていた矢先、俺のスマホに通知が届いた。

『おめでとうございます あなたの投稿した恋愛小説がAIによって3D化されることが決定しました』

 画面を見た瞬間、心臓が高鳴った。

 夢が一つ叶ったんだ!


 でも、ハーレムだ……この喜びを話せる相手がいない寂しさを感じた。



 4.お弁当


 朝、俺は目を覚ますとダイニングに向かった。

 そこにはユリカがいて、俺と目が合った。

 勇気を振り絞って「おはよう」と声をかけると、ユリカは一瞬驚いたような顔をしてから「おはよう」と返してくれた。

 その柔らかい声に、胸が少しだけ高鳴った。


 義母のミナトさんは、キッチンで微笑みながら俺たちに包みを手渡してきた。

「今日はお弁当、作ってみたの。気に入ってくれるといいんだけど」

 可愛らしい巾着袋に包まれたお弁当だった。

 しかも、同じ布柄の巾着袋だった。


 このお揃いを学校に持って行ったら、危険だ。

 ユリカも、同じことを考えているようだ。

 ユリカと俺は、それぞれのお弁当を、別の巾着袋を変えて、カバンに詰め、無言で家を出た。


 学校に着くと、スターシアが近づいてきた。

 ハーフらしい整った顔立ちと知的な雰囲気の彼女は、俺にこう提案してきた。

「アキト……えっと、あなたの……書いた、小説? 読み合って……評価、し合う? どう、ですか?」

 俺は心臓が跳ねるのを感じた。

 俺の小説はハーレム物だ。読まれるなんて、考えただけで恥ずかしい。

「ごめん、それはちょっと無理! 他の人に読まれるとか……恥ずかしすぎる」

 スターシアは肩をすくめて「そう、残念だわ」と言ったが、その瞳には少し寂しそうな色が宿っていた。


 その時、ふと視線を感じて振り返ると、少し離れた場所でユリカがこちらを見ているのに気がついた。

 彼女の表情は読めなかったが、なぜか胸がざわついた。


 昼休みになると、幼馴染みのギンチヨが俺に話しかけてきた。

 男勝りの性格で気さくな彼女は、弁当を手にしていたが、俺が弁当を持っていることに気づくと驚いた顔をした。

「おー、珍しいなアキトが弁当持ってくるなんて。誰か作ってくれたのかよ?」

「うん、実は父さんが再婚してさ……それで、義母さんが作ってくれたんだよ」

「あ、でもこのことは他の人には……絶対ナイショだからな! 頼むぞ?」

 ギンチヨは一瞬驚いたような顔になった。

「そっか、まぁそんな感じか」

 俺に渡そうとしていた弁当をしまい込む彼女の仕草が、どこか残念そうにも見えた。


 その時、またしても視線を感じた。ユリカだ。彼女は無表情でこちらを見ていたが、何かを考えているような雰囲気だった。


 その日の放課後、俺は一人で家に帰る途中、心の中で考え続けていた。

 ユリカとは家族としてどう接すればいいのか、ギンチヨとは幼馴染みとしてどんな距離感でいるべきなのか、スターシアには小説仲間としてどこまで心を開けばいいのか。

 そして、義母のミナトさんとの新しい生活は、どんな絆を育てていくべきなのか。


 答えが出ないまま家に着き、俺は自分の部屋で投稿サイト「AI小説映画」を開いた。

 俺の恋愛小説がVR映画として公開されたばかりだった。

 そのレビュー欄には好意的なコメントが多く並んでいたが、どこか現実感が湧かなかった。


 その時、ユリカが部屋のドアをノックしてきた。

「これ……買いすぎちゃっただけだから! 別に、あんたにあげるつもりとか……じゃないし!」

 手渡されたのは、ショートケーキだった。

「ありがとう……」

「別に、ついでだから」

 とだけ言って去っていった。


 俺の小説がVR映画になることなんて、ユリカは知らない。

 それでも、なぜかそのケーキが俺への祝福のように感じられて、一人でこっそりと嬉しがったのだった。



 5.改変


 今日も学校でギンチヨが俺に話しかけてきた。

「アキト、ちょっとこれ全然わかんねぇんだけど、教えてくれない?」

 いつものように彼女は教科書を片手に俺に近づいてくる。

 ギンチヨは幼馴染みで、こうして何気ない相談をしてくれるのが心地よい。


 けれど、ふとした瞬間に違和感を覚える。

 ふと視線を感じて振り向くと、少し離れたところでユリカが俺たちを見ていた。

 いや、正確には「盗み見ている」と言った方が正しいかもしれない。

 義姉である彼女の視線に気づいた瞬間、胸の奥がざわつく。

 どうして俺たちを見てるんだ?


 昼休みにはスターシアが俺に話しかけてきた。

「アキト。この間の……えっと、小説? 話、ですけど……もっと、アイデア……考える? どう、ですか?」

 スターシアは学校で目立つハーフで、小説を書く仲間としては刺激的な存在だ。

 彼女の発想は俺にはないもので、いつも感心する。

 けれど、恋愛小説の話題となると、どこか気恥ずかしい。

「悪いけど、恋愛ものって……正直、あんま得意じゃないんだ」

 俺がためらっている間も、スターシアはどこか楽しそうに続ける。


 その様子をまたユリカが見ていることに気づいた。

 何かを言いたげな、けれど何も言わない――その視線が妙に引っかかる。


 放課後、親友のカイから、ユリカに告白したと聞かされた。

「玉砕してきたよ、でもスッキリした!」

 彼は清々しい顔をして笑ったけれど、心の中ではきっと傷ついているはずだ。

 それでも、彼の潔さには感服する。

 俺も同じように気持ちを伝えるべきなのか……いや、でも、俺とユリカは姉弟だ。

 それに、義母のミナトさんもいるこの家庭で、そんな感情を抱くこと自体が許されるのか?


 家に帰ると、ミナトさんが食卓でノートパソコンを開き、小説の執筆をしていた。

 ミナトさんから小説のネタにしたいと、学校での生活を聞かれた。

 そのとき、背後からユリカの気配を感じた。

 やっぱり、また俺たちの会話を聞いている。


「ユリカも座ってちょうだい。学校の話、聞かせてくれる?」

 ミナトさんが声をかけると、ユリカは少し戸惑いながら椅子に座った。

「特別なことはないです。ただ、平穏に過ごしています」

 その答えに、俺は少し肩透かしを食らった気分だった。

 今日、カイから告白されただろう……


 ミナトさんが、さらに問いかける。

「新しい家族の生活にはもう慣れた?」

 その質問に、ユリカも俺もドキッとした。

「まだ慣れません……」

 そう言う彼女の声は、どこか寂しそうに聞こえた。

「俺は、もっと話せるようになりたい……」

 正直にそう言った俺に、ユリカが一瞬だけ驚いた表情を浮かべた。

 その後、ふっと微笑んだ顔を見て、胸が熱くなるのを感じた。


 その夜、俺の書いた恋愛小説を元にしたVR作品を自分で視聴した。

 けれど、画面に映し出されたキャラクターの名前を見て、息を呑んだ。

 主人公の名前が「アキト」に、ヒロインの名前が「ユリカ」「ギンチヨ」「スターシア」に改変されていたのだ。

「……なんだ、これ?」

 動揺を隠せず、すぐにオンラインコミュニティを確認すると、同じようにキャラクターの名前が勝手に変えられたと騒いでいる投稿がいくつもあった。


 俺は小説家でもあるミナトさんに相談した。

 彼女はすぐに出版社に連絡を入れてくれた。

「これは大変ね。放っておけない問題だわ」

 これからどうなるのか……



 6.さらし者


 連日、テレビやネットが騒がしい。

 AIが勝手に投稿者のパソコンを覗き見てデータを収集し、作品内のキャラクター名を現実の情報と紐づけていたというニュースだ。

 顔写真や名前まで関連付けられていたらしい。

 国会ではスパイ防止法違反とか、監督責任だとか、大問題になっている。


 でも、そんな大げさな話、高校生の俺にはどうでもいい。

「いや、問題はそこじゃないんだよな……」

 俺にとっての問題は、俺の本名と同級生の名前が、そのままネット配信されたことだ。


 クラスで噂が広まるのに時間はかからなかった。

「アキトってさ、実はユリカとかギンチヨとかスターシアと……」

「ハーレムとかありえないでしょ! でも、噂だと……」

 教室のざわつきが、肌に刺さるようだった。


 昼休み、いつものように席に座っていたけれど、視線が痛い。

 周りの連中がコソコソ話しているのが耳に入る。

「アキトは変態だって……」

「ユリカもギンチヨもスターシアも、彼の作品のヒロインなんだって?」

 勘弁してくれよ。

 俺は机に伏せて、ため息をついた。

 この状況、どうにかならないのか?


 コミュニティでは、マルさんが発言してくれていた。

「キャラクター名と作者のデータは直接関連しておらす、無関係です」

 そのおかげで、リアル身元がバレることはなかった。


 その時だった。

 突然、ユリカが立ち上がった。

 彼女はクラス中を見回して、口を開いた。

「アキトは私の彼氏だから! 変な噂流すとか、やめてくれない?」

 教室が一瞬静まり返った。


 俺も含めて、全員が彼女の言葉に唖然とした。

「は、はぁ?」

 俺が口を開ける間もなく、カイがニヤリと笑って言った。

「あー、やっぱりそうか。なんか最近、変に仲良さそうだったもんな」

 俺は慌てて否定しようとしたが、言葉が出てこない。

 一方で、ギンチヨとスターシアの表情が目に入った。

 ギンチヨは、ぽかんと口を開けたまま固まっている。

 スターシアは眉を寄せて、何か言いたげだったけど、何も言わずに目を伏せた。


 昼休みが終わりに近づくと、ユリカが俺に近づいてきた。

 彼女の顔にはどこか決意めいたものが浮かんでいる。

「ごめん……って、別に謝ってるわけじゃないから。ただ……ああでもしなきゃ、あんたもっと困ったでしょ?」


「いや、別に怒ってるわけじゃないけど……でも、本当にいいのか? あんなこと言っちゃって」

 ユリカは俺の目をじっと見つめた。

 彼女の瞳に映る感情がなんなのか、俺には分からなかった。

 ただ、胸がざわつく。

「大丈夫だって。これくらいで私の生活とか変わんないし。それより、守りたいのは……アキトなんだから」


 その言葉が、ずしりと胸に響いた。

 午後の授業が始まった。教室の外の空は不穏な色をしている。

 先生の話が耳に入ってこない。

 ギンチヨとスターシアの表情が頭を離れないのだ。

 彼女たちは、これから俺にどう接してくるんだろう?


 そして何より、ユリカの言葉に隠された真意――それを知るのが、怖くもあり、待ち遠しくもあった。

「この状況……これから、どうなるんだろう」

 俺の胸中は、嵐の前のようにざわついていた。



 7.告白


「アキト、ごめん…… 私、ちょっと話してくるだけだから、別に気にしなくていいから!」

 授業が終わり、ユリカがそう言って立ち上がった。

 彼女の目線の先にはギンチヨとスターシアがいる。

 俺は何も言えずに、彼女の背中を見送るしかなかった。


 彼女が二人を廊下に呼び出し、教室の外で何やら話し合っているのが見える。

 その様子をちらっと見たが、ギンチヨもスターシアも、難しい顔をして頷いたり、眉をひそめたりしている。


「何を話してるんだろうな……」

 俺は机に突っ伏して、ため息をついた。

 この数日のざわつきが嘘みたいに静かになった教室の空気が、逆に俺の胸を重くした。


「アキト……」

 ユリカが戻ってきた時、彼女の顔は、どこかスッキリしているように見えた。

「私、ちゃんと二人に説明したから。あの時、アキトと付き合ってるって言ったのは勢いだから! ……好きだからとかじゃなくて! ……いや、まあ、ちょっとはあるけど」

 正直、嬉しいような、寂しいような、複雑な気持ちだった。


 ユリカの気持ちを聞けたのは良かったけど、俺たちが付き合っているっていう噂も、彼女がその場の勢いで出まかせを言ったものだったと分かると、胸の奥が少し痛んだ。

「でもまぁ……変な噂とか、なくなるなら、いいか」

 俺はそう自分に言い聞かせるように呟いた。


 放課後、教室でカイに捕まった。

「おい、アキト。これで噂は収まったんだろ? 次はお前の番だな!」

「は? 俺の番? いや、何の話してんだよ?」


「お前、ユリカの気持ち知ったんだろ? だったら男らしく自分の気持ちを伝えろよ!」

「いや、でもそれは……」

「ほら、今だ! 行け!」

 俺はカイに背中を押され、ふらつきながらユリカの前に立った。


 彼女は驚いた顔で俺を見る。

 心臓が跳ね上がるような感覚に襲われた。

「ユリカ、俺さ……その……」

 頭が真っ白になる。

 練習した言葉なんてどこかに消え去っていた。

 それでも、勇気を振り絞って口を開いた。

「俺と……俺と家族になってくれ!!!」


 一瞬、沈黙が流れた。

 周りにいたギンチヨとスターシアも、目を丸くして俺を見ている。

「え、それ早くない?」

 ギンチヨが眉をひそめた。

「えっと……ですよね。普通、友達から……始めるべき……です……」

 スターシアも呆れたように言う。


 カイが笑いながら首を横に振った。

「お前、なんでプロポーズみたいなセリフ言ってんだよ!」

 そう言いながら、カイが俺の首を締める真似をする。

「い、痛い! 痛いって! わかった、ギブアップ!」

 ユリカは手で口元を押さえて笑っていた。

 彼女の笑顔を見たら、恥ずかしい気持ちが少しだけ薄れた気がする。


 結局、その場でユリカから返事をもらうことは……できなかった。


 翌日から、教室の空気は少しずつ平穏を取り戻していった。

 けれど、俺の胸の中にはまだモヤモヤした気持ちが残っている。


「あの返事……いつもらえるんだろう」

 窓の外をぼんやりと眺めながら、俺は小さくため息をついた。



 8.お弁当


 朝の光が差し込むアパートの食卓。

 俺の義母、ミナトさんが、キッチンで手際よくお弁当を詰めている横で、ユリカが笑顔で手伝っている。


「ユリカ、そっちの卵焼き、お願いできる?」

「はーい!」

 二人の会話が心地よく耳に入ってくる。

 俺はというと、まだ寝ぼけ眼で椅子に座りながら二人のやり取りを眺めていた。

「アキト、ぼーっとしてないで、これ持って行きなさいよ」

 お母さんが手渡してきたお弁当……俺の巾着袋を見て、驚いた。

 ユリカの手元にある巾着袋と、同じ布柄じゃないか。


「これ、ユリカのと同じじゃん? ……って、別に深い意味ないから」

 俺が思わず呟くと、ユリカが手を止めて笑った。

「そうなの。お母さんが同じ生地で作ってくれたんだって。可愛いでしょ?」

「いや、別に可愛いとか思ってないから! いや、マジで!」

 照れ隠しでそっけなく返したものの、胸の奥がほのかに温かくなる感覚を覚えた。


 学校に着くと、ギンチヨとスターシアが早速俺に話しかけてきた。

「アキト、次の数学の課題、分からない所あるんだけど教えてくれる?」

 ギンチヨがノートを持って駆け寄ってくる。

「アキト、次の小説……えっと、進んでる? 続きを……早く、読みたい、です!」

 スターシアが身を乗り出してくる。

「お前らさ! ちょ、ちょっと待てって! 順番、ちゃんとしようぜ?」

 俺は苦笑しながら二人を制しつつ、彼女たちとのやり取りに少し安心していた。

 何も変わっていないようで、どこか違う。そんな感覚が俺の胸をかすめた。


 昼休み、ユリカが俺の隣にやってきた。

 彼女は、自分の巾着袋を手に持っていて、俺のと並べて見せた。

「ほら、やっぱりお揃いだね」

「だからさ、なんだよ! それがどうしたってんだよ!」

 俺がそっけなく返すと、ユリカはくすっと笑った。


「お揃いって、なんかいいじゃない……家族みたいでしょ?」

 その言葉にドキッとした。

 ユリカが無邪気に言っただけなのは分かっている。

 それでも、心の奥で何かが揺れ動くのを感じた。

 巾着の布柄はただの布に過ぎない。

 だけど、それに込められた義母とユリカの気持ちは、俺にとって特別なものだった。


 放課後、夕焼けに染まる校舎の前で、俺はふと空を見上げた。

 これまで俺は何かに追われているような気がしていたけれど、今日の出来事が背中を軽くしてくれたような気がする。

 義母やユリカ、ギンチヨやスターシア。

 俺の周りには、こんなにもたくさんの人たちがいて、それぞれが俺の生活に大切な色を加えてくれている。


「これからもさ、ちゃんと……大事にしていかなきゃな」

 俺はそう心に決めた。

 小説も、恋愛も、全力で向き合っていこう。


 鞄の中の巾着袋のように、俺と周囲の絆もまた、少しずつ形を作り始めているのだろうと……



 ―― 終わり ――




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