【SF短編小説】宇宙の記憶、人の時 ~悠久の観察者は美しい夢を見る~(約9,500字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】宇宙の記憶、人の時 ~悠久の観察者は美しい夢を見る~(約9,500字)

●第1章:『死期を視る瞳』


 織部星子が初めて人の死期を見たのは、五歳の誕生日の朝だった。


 窓から差し込む春の陽射しに目を覚ました星子は、いつものように母の顔を見上げた。そしてその瞬間、彼女は息を呑んだ。母の頭上に、淡く光る数字が浮かんでいたのだ。


「23041」


 最初は何の数字なのか分からなかった。しかしその日から、星子は次第にその数字の意味を理解していった。それは、その人の残された日数。つまり、死までの時間だった。


 二十年後の現在。星子は国立天文台で研究員として働いている。


「織部さん、今日の観測データの解析、終わりました?」


 同僚の声に、星子は画面から目を上げた。


「ええ、ほぼ。あとは微調整するだけです」


 声をかけてきた佐伯朋美の頭上には「9125」の数字が浮かんでいた。二十五年と少し。普通の寿命だ。星子は誰にも、この能力のことは話していない。話せば、必ずその人との関係が変わってしまうから。


 望遠鏡ドームの中で、星子は毎晩、星々を観測している。膨大な時間をかけて地球まで届く星の光。その途方もない時間の流れを見ていると、人の寿命の短さに息が詰まりそうになる。


「織部さん」


 朋美が再び声をかけた。


「今週末、研究室の飲み会があるんですけど、来ませんか?」


 星子は、やんわりと断るための言葉を探した。


「すみません。データの整理が溜まっていて……」


 朋美の表情が曇る。頭上の数字が微かに揺らめいた。


「そうですか……。織部さん、いつも一人で作業されてますよね」


「ええ、この方が効率がいいので」


 星子は薄く笑って見せた。本当は、ただ怖いのだ。人と親しくなることが。その人の死期を知りながら、親しい関係を築くことが。


 その夜。星子は一人、天文台の隣にある宿舎に戻った。小さなワンルームの部屋で、彼女は窓際に置いた望遠鏡をセットする。プライベートでも、星を見ることが彼女の唯一の楽しみだった。


 接眼レンズを覗き込むと、今夜も無数の星が瞬いている。それぞれの星までの距離を考えると、今この瞬間に見えている光の多くは、何百年、何千年も前に放たれたものだ。もしかしたら、その星自体はもう存在していないかもしれない。


 ふと、スマートフォンが震えた。実家からのメッセージだ。


『星子、元気? 来週は父の命日だけど、帰ってこれる?』


 星子は深いため息をついた。十年前、父は突然の事故で亡くなった。その時、彼女は父の頭上の数字が急激に減っていくのを目の当たりにした。それ以来、星子は人との距離をさらに遠ざけるようになった。


 返信を考えていると、突然、空が明るく光った。星子は慌てて望遠鏡から顔を上げる。流星だ。

大気圏に突入して燃え尽きる小さな天体。それは儚く、そして美しかった。


 星子は思わず目を閉じた。子供の頃、母に教わった願い事の作法を思い出して。でも、すぐに首を振る。願い事なんて、叶うはずがない。この世界は、そんな都合のいいものじゃない。


 翌朝。星子は早めに天文台に向かった。今日は特別講演会があり、準備が必要だった。


 講堂に向かう途中、彼女は立ち止まった。中庭のベンチに座っている少年が目に入ったからだ。

十代後半くらいだろうか。黒い髪に白いシャツ。どこにでもいそうな少年だが、星子の目は釘付けになった。


 少年の頭上には、「0」という数字が浮かんでいた。


(死期が今日?)


 星子は動揺を隠せなかった。目の前の少年は、とても死にそうには見えない。穏やかな表情で、本を読んでいる。


 突然、少年が顔を上げた。澄んだ瞳で、まっすぐに星子を見つめる。


「やっと会えましたね」


 少年はそう言って、柔らかく微笑んだ。


●第2章:『永遠という名の少年』


「初めまして。僕は久遠です」


 少年は立ち上がり、星子に向かって軽く会釈をした。

 

 星子は言葉に詰まった。目の前の少年の頭上で、「0」の数字がゆらめいている。これまで見てきた数字は、必ず整数で表示されていた。「0」など、見たことがない。


「織部星子さん、ですよね?」


「ええ、そうですけど……あなたは?」


「天文台に用事があって来ました。でも、本当の目的は星子さんに会うことです」


 久遠と名乗る少年は、まるで古くからの知人に話しかけるような自然な口調で言った。その態度に、星子は警戒感を覚えた。


「私に、何の用ですか?」


「星子さんには、特別な力がありますよね」


 星子の背筋が凍った。


「人の死期が見える。残された時間が、数字として見える」


 久遠はそう言って、自分の頭上を指差した。まるで、自分の数字が見えているかのように。


「なぜ、それを……」


「僕にも見えます。でも、僕の場合は違います」


 久遠は物静かに続けた。


「僕には、人の生まれた時が見えるんです」


 星子は息を呑んだ。


「生まれた時、というと?」


「はい。その人が最初に呼吸をした瞬間の日時です。星子さんの場合は……1994年4月1日の午前5時23分ですね」


 星子は言葉を失った。その時刻は、母から聞いていた自分の誕生時刻と完全に一致していた。


「信じられないかもしれません。でも、これは本当のことです」


 久遠は優しく微笑んだ。その表情には、どこか深い哀しみが滲んでいるように見えた。


「そして、僕の頭上に浮かぶ数字のことも知っています。『0』という数字が見えているはずです」


 星子はゆっくりと頷いた。


「あなたは……死期が今日、ということですか?」


「違います」


 久遠は首を横に振った。


「僕の場合、『0』は別の意味を持っています。僕には、死期がないんです」


 その言葉に、星子は目を見開いた。死期がない? そんなことがあり得るのか?


「つまり、あなたは……」


「ええ。僕は、普通の人間ではありません」


 久遠の声は静かだったが、その言葉は重く星子の心に響いた。


「誕生も、死も、定められていない存在。それが僕です」


 風が吹き、久遠の黒い髪が揺れた。その姿は確かにそこにあるのに、どこか実体がないような、儚い印象を与えた。


「なぜ、私に会いに来たんですか?」


 星子は、やっとの思いでその質問を口にした。


「それは……」


 久遠が答えようとした瞬間、講堂から人の声が聞こえてきた。講演会の準備の時間だ。


「あ、すみません。私、行かないと」


「分かりました。また会いましょう」


 久遠は小さく手を振った。


「きっと、また会えるはずです」


 その言葉を残して、久遠は静かに立ち去っていった。星子は、その背中が見えなくなるまで見送った。頭上の「0」は、最後まで変わることはなかった。


 講演会は、予定通り進行した。しかし星子の心は、終始、あの不思議な少年のことで満ちていた。

普通の人間ではない??その言葉の意味を、彼女はまだ理解できていなかった。


 その日の夕方、星子は資料室で作業をしていた。突然、背後から声がした。


「織部さん」


 振り返ると、朋美が立っていた。


「佐伯さん」


「さっき、中庭で誰かと話してましたよね? あの人、誰ですか?」


 朋美の声には、珍しく興味深そうな色が混じっていた。


「ああ、あれは……」


 星子は言葉に詰まった。久遠のことを、どう説明すればいいのだろう。


「織部さんって、あんまり人と話さないから、気になっちゃって」


 朋美は申し訳なさそうに笑った。


「ごめんなさい。しつこいですよね」


「いいえ」


 星子は小さく首を振った。


「ただの……来訪者の少年です」


 その曖昧な答えに、朋美は少し寂しそうな表情を浮かべた。星子は、朋美の頭上の数字を見つめた。「9125」。約25年の人生が、まだ彼女には残されている。その時間の中で、彼女はどんな喜びを見つけ、どんな悲しみに出会うのだろう。


 夜。星子は再び望遠鏡に向かった。今夜は土星を観測する予定だ。

輪を持つあの美しい惑星は、いつ見ても心を奪われる。


 接眼レンズをのぞき込んでいると、またあの声が聞こえた。


「きれいですね」


 驚いて振り返ると、そこには久遠が立っていた。


「どうして、ここに?」


「星子さんのことが、もっと知りたかったんです」


 久遠は星子の横に並んで、夜空を見上げた。


「人の死期が見える能力。それは、星子さんにとって重荷だったでしょう?」


 星子は黙ってうなずいた。


「でも、それは決して呪いではありません」


 久遠の言葉に、星子は驚いて顔を上げた。


「星子さんの能力は、人生の尊さを知るための贈り物なんです」


 久遠はまっすぐに星子の目を見つめた。


「だから僕は、星子さんに会いに来ました。有限の時間を持つ人間の素晴らしさを、誰よりも深く理解している人に」


●第3章:『彗星の軌跡』


 その夜、星子は眠れなかった。


 久遠の言葉が、頭の中でぐるぐると回り続けている。人生の尊さを知るための贈り物??。そんな風に考えたことは、一度もなかった。


 星子は窓の外を見上げた。今夜は満月に近い。その柔らかな光の中で、彼女は自分の人生を振り返っていた。


 五歳の誕生日から始まったこの能力は、確かに彼女の人生を大きく変えた。人との距離を置き、深い関係を築くことを避けてきた。それは、知りたくない真実から目を背けるための、自分なりの防衛だった。


 スマートフォンの画面が明るく光る。母からの返信だ。


『分かったわ。でも無理はしないで。あなたには、あなたの生き方があるものね』


 母は、星子の変わりように気づいているはずだ。父の死後、さらに内向的になった娘を、それでも優しく見守り続けてくれている。


 母の頭上の数字を思い出す。「5840」。約16年。まだ十分長いはずなのに、何だか急に短く感じられた。


 翌朝。星子が天文台に到着すると、朋美が慌ただしい様子で駆け寄ってきた。


「織部さん! 大変です!」


「どうしたんですか?」


「新しい彗星が発見されたんです。しかも、予想外の軌道で太陽に接近している!」


 朋美の興奮した声に、星子も思わず身を乗り出した。彗星の発見は珍しいことではないが、予期せぬ軌道というのは気になる。


「データ、見せてください」


 二人は急いで観測室に向かった。モニターには、未知の彗星の軌道予測が表示されている。


「これは……」


 星子は息を呑んだ。軌道は明らかに異常だった。通常、彗星は放物線や双曲線を描いて太陽の周りを回る。しかし、この彗星は予測不可能な軌道を描いているように見えた。


「まるで……意思を持っているみたいですね」


 朋美が呟いた言葉に、星子は何かを思い出した。久遠の存在。彼もまた、通常の法則では説明できない存在だった。


 その時、背後で静かな声がした。


「やはり、気づきましたか」


 振り返ると、そこには久遠が立っていた。


「久遠くん! あの、この人が?」


 朋美が驚いた様子で星子を見た。


「ああ、昨日の……」


「失礼します」


 久遠は丁寧にお辞儀をした。


「私は久遠と申します。この彗星のことで、お話ししたいことがあって来ました」


 朋美は混乱した様子だったが、久遠の物腰の良さに少し安心したように見えた。


「この彗星は、通常の天体ではありません」


 久遠はモニターに映る軌道を指差した。


「これは、私たちと同じような存在です。永遠の時を生きる者たちの、一つの形なのです」


 星子は息を呑んだ。永遠の時を生きる者??それは、久遠自身のことでもあった。


「何を言ってるんですか?」


 朋美が困惑した声を上げる。


「佐伯さん、少し席を外してもらえますか?」


 星子は静かに言った。朋美は何か言いかけたが、星子の真剣な表情を見て頷いた。


 部屋から朋美が出て行くと、久遠は話し始めた。


「人間には寿命という制限がある。でも、この宇宙には、もっと自由な存在もいるんです」


 久遠の声は静かだが、確かな強さを持っていた。


「私たちは、時々このように形を変えて現れる。彗星になったり、流星になったり。人の姿を取ることもある」


「あなたも、その一人なんですね」


 星子はようやく理解した気がした。


「はい。でも、私たちにも制限はあります」


 久遠は少し寂しそうな表情を浮かべた。


「永遠に生きることは、時として孤独です。人間のような、限られた時間の中での輝きを持つことができない」


 星子は黙って聞いていた。


「だから私は、星子さんに会いたかった。死を見る目を持つあなたなら、生きることの本質を理解しているはずだと思って」


 窓の外で、朝日が昇り始めていた。その光は、久遠の姿をより一層透明に見せた。


●第4章:『時を超えた邂逅』


 その日から、星子の日常は少しずつ変化していった。


 久遠は時々天文台に現れては、星子と話をするようになった。彼の存在は不思議なもので、他の職員たちは彼のことを覚えていないようだった。まるで、星子にしか見えない存在であるかのように。


「僕たちは人々の記憶に長く留まることはできないんです」


 ある日、久遠はそう説明した。


「永遠の存在である私たちは、有限の世界に深く関わることができない。それが、私たちの宿命です」


 星子は考え込んだ。


「でも、私にはあなたの姿が見えている」


「それは、星子さんが特別だからです」


 久遠は優しく微笑んだ。


「死を見る目を持つあなただからこそ、永遠の存在である私たちを認識できる。それは稀有な才能です」


 その言葉に、星子は複雑な思いを抱いた。今まで呪いだと思っていた能力が、実は貴重な才能だったという事実。でも、それは本当に祝福すべきことなのだろうか。


 その夜、星子は一人で観測室に残っていた。新しく発見された彗星??久遠と同じ永遠の存在だという彗星を観測していた。


 突然、モニターに異変が表示された。彗星の軌道が大きく変化し始めたのだ。


「これは……」


 星子は慌てて計算を始めた。このままでは、彗星は地球の引力圏に接近する可能性がある。


 その時、背後で物音がした。


「久遠?」


 振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。長い銀色の髪を持つ美しい女性。そして、その頭上にも「0」という数字が浮かんでいた。


「初めまして、星子さん」


 女性は穏やかな声で言った。


「私の名は、月詠(つくよみ)。久遠の、同胞です」


 星子は言葉を失った。また新しい永遠の存在に出会ったのだ。


「彗星の件で、お話ししたいことがあります」


 月詠は真剣な表情で続けた。


「あの彗星は、私たちの仲間の一人。でも、彼は少し……混乱しているのです」


「混乱?」


「はい。人間への強い関心を持ってしまった。このままでは、地球に接近しようとするかもしれない」


 星子は息を呑んだ。


「それは危険なことですか?」


「とても」


 月詠は静かに頷いた。


「私たちは、人間の世界に深く関わってはいけない。それは、宇宙の摂理です」


 その時、観測室のドアが開き、久遠が入ってきた。


「月詠さん……」


 久遠の表情には、珍しく緊張の色が浮かんでいた。


「久遠、あなたも分かっているはずです」


 月詠の声は厳しさを帯びていた。


「人間の世界に、私たちが干渉してはいけない。それなのに、あなたは……」


「分かっています」


 久遠は静かに言った。


「でも、私は星子さんと出会ってしまった。そして……」


 彼は言葉を切った。


「私も、人間の世界に惹かれているんです」


 月詠は深いため息をついた。


「だからこそ、危険なのです」


 星子は二人のやり取りを聞きながら、胸が締め付けられる思いだった。久遠が自分に近づいたことが、何か大きな摂理に反することだったのかもしれない。でも、それは本当に間違いなのだろうか。


「私には、分かります」


 星子は静かに、しかし確かな声で言った。


「人の死期が見える私だからこそ、分かることがある。生きることの意味を」


 月詠と久遠は、驚いた様子で星子を見つめた。


「有限だからこそ、人生には意味がある。でも、その有限性を知る者がいなければ、その意味も失われてしまう」


 星子は続けた。


「私は死を見る目を持っている。久遠さんたちは永遠を生きている。その両方が、きっと必要なんです」


●第5章:『星々の囁き』


 星子の言葉は、観測室に静かな余韻を残した。


 月詠は長い間黙っていたが、やがて小さくため息をついた。


「あなたの言葉には、確かな重みがある」


 彼女は星子をまっすぐに見つめた。


「でも、それでも私たちには越えてはいけない一線があります」


 その時、突然警報が鳴り響いた。モニターには、彗星の急激な軌道変化が表示されていた。


「まずい!」


 久遠が叫んだ。


「このままでは、大気圏に突入する!」


 月詠が素早く窓際に移動する。


「行きましょう」


 彼女は久遠に向かって手を差し伸べた。


「私たちで、彼を止めないと」


 久遠は一瞬躊躇したが、すぐに頷いた。そして、星子の方を振り返った。


「少しの間、離れることになります」


「でも、戻ってくるんですよね?」


 星子の問いかけに、久遠は優しく微笑んだ。


「約束します」


 次の瞬間、二人の姿が光に包まれ、消えていった。


 その後の数日間、星子は必死で彗星の観測を続けた。軌道は少しずつ安定を取り戻しているように見えた。


 しかし、久遠の姿を見ることはできなかった。


 朋美は星子の様子を心配そうに見ていた。


「織部さん、最近眠れてますか? 顔色があまり良くないように見えるんですけど」


「ありがとう。大丈夫です」


 星子は空を見上げながら答えた。今まで、誰かを待つという経験をしたことがなかった。人との深い関係を避けてきた彼女にとって、これは初めての感覚だった。


 ある夜、星子は天文台の屋上で一人、星を見ていた。


「織部さん」


 背後から声がした。振り返ると、朋美が立っていた。


「佐伯さん……」


「何か、あったんですよね?」


 朋美は星子の隣に座った。


「私には詳しいことは分からない。でも、織部さんが誰かを待っているのは分かります」


 星子は黙っていた。朋美の頭上の数字「9125」が、夜空に浮かぶ星のように輝いて見えた。


「私ね、織部さんのこと、ずっと気になってたんです」


 朋美は静かに続けた。


「いつも一人で、でも寂しそうじゃない。何か、特別なものを見ているような。そんな感じがしていて」


 星子は驚いて朋美を見た。


「だから、最近の織部さんの様子の変化が、嬉しかったんです。誰かを待つ人の表情って、きっとそういうものなんだなって」


 星子は胸が熱くなるのを感じた。


「ごめんなさい」


 思わず、その言葉が口から漏れた。


「これまで、距離を置いてしまって」


 朋美は優しく首を振った。


「いいんです。それが織部さんの生き方だったんですよね」


 その夜、星子は久しぶりに母に電話をした。


「星子? こんな遅くにどうしたの?」


「ねえ、母さん」


 星子は少し躊躇ってから続けた。


「私、人の死期が見えるの」


 電話の向こうで、母の息が止まる気配がした。


「五歳の誕生日から。ずっと、見えてた」


 長い沈黙の後、母の声が返ってきた。


「そう……。昔から星子には何かあると思ってたの。だから、わかるわ」


 その声は、非難めいたところのない、ただ理解を示す温かいものだった。


「でも今は、その能力のおかげで、大切なことに気づけた気がする」


 星子は空を見上げながら言った。


「人生は有限だから、美しい。死があるから、生きることに意味がある」


 母は静かに泣いていた。


「ごめんね、星子。あなたのその力……そして苦しみに気づいてあげられなくて」


「ううん。母さんは、いつも私のことを見守ってくれてた」


 星子も、目に涙が溢れるのを感じた。


「ありがとう」


 その言葉が、夜空に溶けていった。


●第6章:『光年の距離』


 彗星の軌道が完全に安定するまでに、一週間がかかった。


 その間、星子は毎晩観測を続けた。時々、彗星の光が不思議な輝きを放つことがあった。それは、まるで誰かが意思を伝えようとしているかのようだった。


 ある夜、星子は観測室で一人、データの整理をしていた。


「星子さん」


 聞き慣れた声に、彼女は振り返った。


「久遠さん!」


 そこには、久遠と月詠が立っていた。二人とも少し疲れた表情を見せていたが、無事な様子だった。


「ご心配をおかけしました」


 月詠が丁寧に頭を下げた。


「仲間を説得するのに、時間がかかってしまって」


「無事だったんですね」


 星子は安堵の息をついた。


「はい。彼も、人間の世界との距離を理解してくれました」


 久遠が説明した。


「でも、それは完全な別離を意味するわけではないんです」


 星子は首を傾けた。


「どういうことですか?」


「私たち永遠の存在と、有限の存在である人間。確かに、深く交わることは許されない」


 月詠が静かに言った。


「でも、完全に無関係であることもまた、正しくない」


「私たちは、遠い存在として、人間の営みを見守る」


 久遠が続けた。


「時には、彗星として。時には、流星として。そして、稀に人の姿を取って」


 星子は、少しずつ理解していった。


「だから、私にも会えたんですね」


「はい。星子さんは特別です」


 久遠は優しく微笑んだ。


「死を見る目を持つあなただからこそ、私たちの存在を理解できる。そして、その理解が、人間の世界と私たちの世界の、かすかな架け橋になる」


 月詠も、静かに頷いた。


「私たちは、星子さんのような存在を待っていたのかもしれません」


 その時、窓の外で流星が光った。


「あれは……」


「ええ、私たちの仲間です」


 久遠が答えた。


「今度は、正しい形で、人間の世界に関わろうとしています」


 星子は流星の軌跡を見つめた。それは確かに、意思を持って輝いているように見えた。


●第7章:『永遠と刹那の境界線』


 それから一年が過ぎた。


 星子の生活は、少しずつ変化していった。人との距離を置くことは相変わらずだったが、以前のような拒絶的な態度ではなくなっていた。


 特に朋美とは、何となく親しい関係になっていた。


「織部さん、今日も観測ですか?」


「ええ。今夜は木星の衛星を観測する予定です」


「私も手伝わせてください」


 朋美の頭上の数字は、すでに「8760」を示している。でも今は、その数字が重荷には感じられなかった。それは彼女の人生の一部であり、その時間の中で彼女は精一杯生きているのだ。


 久遠は時々、星子の前に現れた。まるで偶然を装うように、さりげなく。


 今夜も、観測室の窓際で星を見ている星子の横に、静かに現れた。


「今夜は、きれいな星空ですね」


「ええ」


 星子は望遠鏡から目を離さずに答えた。


「私ね、考えていたんです」


「何をですか?」


「私たちの出会いについて」


 星子はようやく、久遠の方を向いた。


「最初は、この能力が呪いだと思っていた。でも、それは違った」


 星子は静かに続けた。


「人の死期が見えることは、確かに辛いこと。でも、それは同時に、人生の尊さを教えてくれる」


 久遠は黙って聞いていた。


「有限だからこそ、一瞬一瞬が大切。永遠の時を生きるあなたたちだからこそ、その価値が分かる」


「そうですね」


 久遠は優しく微笑んだ。


「私たちは、永遠という重さを背負っている。でも、人間には人間の、またとない輝きがある」


 窓の外で、新しい流星が光った。


「見てください」


 久遠が指差す方向に、複数の流星が現れ始めた。


「みんな、人間の世界を見守っています」


 星子は息を呑んだ。流星群は、まるで天空の舞踏のように美しかった。


「私たちは、違う時を生きている」


 久遠は静かに言った。


「でも、同じ宇宙の中で」


「ええ」


 星子は頷いた。


「それだけで、十分なんです」


 その夜、星子は久しぶりに日記を書いた。


『人は生まれる時も、死ぬ時も、選べない。

 でも、その限られた時間の中で、私たちは確かに生きている。

 永遠の存在たちに見守られながら。

 そして時には、彼らと言葉を交わしながら。

 それは小さな奇跡かもしれない。

 でも、その奇跡が、私の人生を豊かにしてくれた』


 窓の外では、まだ流星が光り続けていた。それは永遠の存在たちからの、静かな祝福のようだった。


 星子は、もう一度空を見上げた。久遠の頭上に浮かぶ「0」という数字が、星のように輝いている。


 それは、もう呪いの印ではなかった。


 それは、この世界の不思議さと美しさを物語る、小さな奇跡の証だった。


【終わり】


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