混沌喫茶 ストレイキャット
るりいろ
第1話 喫茶ストレイキャット
謎。
この現象を一言で表すならこうなるだろう。
判明している情報が少ないソレは、人が立ち入らないような山の中の少し開けた場所にひっそりと現れていた。
外見は、空間の亀裂と呼ぶほかない。何もない空間に不自然なほどにくっきりと存在しており、おかしなことにどの角度から見ても必ず同じように見える。
そして亀裂の中には黒とも紫とも取れる不気味な色合いと、ほんの僅かな輝きを放つ空間――否、別次元が広がっていた。
と、今まで動きのなかった空間の亀裂に唐突に異変が起き始める。控えめだったはずの輝きが少しばかり強くなり、何かのノイズのようなものが亀裂の周囲に走り始める。
そしてそのノイズが一際強くなった瞬間――亀裂の中から確かな足取りで一人の人間が姿を現した。
黒いコートに身を包み、フードを深く被っている。背丈は決して大柄ではない。線は細いがしっかりとした体つきをしており、右の太ももにはホルスターが取り付けられている。その様相と傍にある空間の亀裂も相まって、得体のしれない雰囲気を醸し出していた。
二、三ほど油断なく周囲を見渡したあと、その人物はおもむろにコートの内側へと手を伸ばし、スマホを取り出して誰かに電話をかけ始めた。
???「もしもし?……ええ、俺です」
声色と一人称から察するに、どうやらこの人物は男性らしい。男性にしてはやや高く、幸薄そうなその声はどこか印象に残る。
???「はい、そうです。終わりましたよ。……ええ、そちらも。あと30分もすればコレも消えるでしょう。……ええ、お願いします。……いえ、むしろ仕事をくれて感謝していますよ。……はい、では」
電話を終えてスマホを懐に戻した男性は首だけ動かし、未だノイズの走り続ける亀裂を一瞥する。そしてもう用はないと言わんばかりにおもむろに一歩踏み出し――次の瞬間、男性の姿は消えていた。
そこには草を踏んだ跡すらなく、まるで最初から誰もいなかったように亀裂のノイズだけが
☆
東京都のとある一軒家。
大通りから離れた場所にあるその建物は一見ただの住宅に見えるだろう。建物の外見も白い壁に黒い三角屋根、四角く整えられた緑の生垣とこれ以上ないほどシンプルなものだ。
だが、一階の入り口付近に設置された木製の立て看板が、ここがただの住宅以外の用途も存在していることを控えめに主張している。
立て看板には黒板が取り付けられているものの、そこには店名しか書かれておらず、簡単なメニューすらもわからない。
極々一部の常連客と近隣の住民だけが、ここが何かを知っている。
ここは『喫茶 ストレイキャット』。気づかれぬようにひっそり佇む、知る人ぞ知る名店である。
☆
木製ドアにかけられたドアプレートの文字が『Open』に変わるのは午前11時30分。お昼に差し掛かってようやく、野良猫は重い瞼を上げる。
シンプルな外装とは打って変わって、内装は本格的な喫茶店だ。
茶を基調としたレトロな家具と、雰囲気を壊さない程度に飾られた観葉植物。店内の角には小さめのテレビが備え付けられており、控えめな音量で流れる番組がBGMの代わりを務めている。
意外にも広いカウンターの向こう側では、店主らしき青年がコーヒーカップを磨いていた。
特徴的なのは髪と瞳だろう。耳が隠れる程度に伸びた髪は所々はねており、その髪色は雪のように白い。コーヒーカップを見つめる瞳は不自然なほど
髪と瞳の色、そして口元に携えた微笑がどこか浮世離れした雰囲気を漂わせている――のならばよかったのだが、あろうことか青年はTシャツにジーパンという私服としか思えない格好でカウンターに立っている。
レトロな雰囲気の喫茶店でも、浮世離れした髪と瞳でも、『万発百中!』と書かれたTシャツを着ていては台無しである。エプロンを着ていればプリントされた文字が隠れるので問題ないのだが、肝心の青年はこれで構わないと思っているのか次々とカップを磨いては棚に戻していく。
そして青年が珈琲を入れるための器具へと手を伸ばし――ふとその目線をテレビの方へ向ける。そこではキャスターが海外の情報を取り扱っているところだった。
青年「……へぇ。アメリカが第Ⅱ級の『カオス』の削除に成功、ね。Ⅰ級に次ぐ大きさなのによくやるもんだ」
思わず、といった様子で言葉を溢した青年はしばらくの間作業の手を止めて番組を追っていたが、別のコーナーに切り替わると同時に青年もまた目線を離す。それ以降、青年の興味を引く事柄がなかったのか番組が終了するまで再びその目が向けられることはなかった。
開店した後に一通りの準備を終えた青年は、カウンターに寄りかかってぼんやりとスマホを見続ける。来客がないことがわかっているのか、時折二階の住居スペースに上がって一時間以上降りてこないこともあった。
こうして青年が暇を持て余す間も当然ながら時間は流れていく。いつの間にかストレイキャットの閉店時間である午後八時を迎えており、青年はいそいそと表の看板を片付けてドアプレートを『Closed』へと裏返す。
喫茶ストレイキャットの本日の来客数、0名。いつも通りの客の入りである。
混沌喫茶 ストレイキャット るりいろ @ruri091733
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