YUKIONNA2024

船越麻央

熱中症になった雪女

 雪が降っている。


 大雪になりそうだ。私の家の庭にも積もり始めた。

 静かだ。この家には私一人しかいない。

 私はぼんやりと庭を眺めながら、この夏の不思議な体験を思い出していた。


 今年の夏はとにかく暑かった。テレビは連日の猛暑を伝え、熱中症警戒アラートが発表されていた。私もエアコンのお世話になる日々が続いていたのだが……。



 その日も朝からうだるような暑さだった。毎日うんざりするような暑さだ。地球温暖化のせいか。それにしても殺人的猛暑である。

 すでに外の気温は三十六度を超えているようだ。こんな日は外に出歩くものではない。私は作家という職業に感謝していた。


 私が涼しい部屋でまったりしていると、玄関で物音がした。この暑いのに何だろう。用があるならインターホンを鳴らしてほしい。

 私は恐る恐る玄関ドアを開けた。


「!」


 若い女性が玄関前で倒れているではないか。髪の長い白いワンピースを着た女性だ。どうやら意識がないようだ。


「どうしました⁉ 大丈夫ですか⁉」

 私の問いかけに女性は答えない。


 私はあわてて周囲を見回したが誰もいない。これは熱中症かもしれない。私は救急車を呼ぼうとスマホを取り出した。


「待って……ください……」


 女性は意識を取り戻したらしく、フラフラと立ち上がった。しかし再びよろめいて倒れそうになる。私は思わず彼女を抱きとめた。やけに冷たい身体だった。

 私は再度救急車を呼ぼうとしたが、彼女は断固として拒否する。


「と、とにかく少し休んだほうがいい」


 私は仕方なく彼女を家の中で休んでもらうことにした。エアコンの温度を下げ、冷蔵庫からミネラルウォーター入りペットボトルを持って来て彼女に与えた。


「水分補給をしてください」

「……ありがとう……」


 どうやら少し落ち着いて来たようだ。さてどうしたものか。


「きみ、名前は? 家はどこ?」

「……わたしは……わたしは……」


 私の質問に彼女はなかなか答えなかった。私は辛抱強く待った。相変わらず外は猛暑だ。このまま表に放り出すわけにもいかないと思ったからだ。


「……わたしは……雪女……です」


 彼女は暑さで頭がイカレてしまったのか。雪女だと? 怪談に出て来る女妖怪だと? たしかに長い黒髪に透き通るような色白、切れ長の眼。美人なのは間違いないのだが。熱中症とは別の意味で病院に連れて行った方がいいのかもしれない。


 彼女は私の疑念を察したようだ。持っていた飲みかけペットボトルにフーと息を吹きかけ、私の目の前に置いた。

 私はそれを手にとって驚いた。ペットボトルに残っていた水はカチンカチンに凍っているではないか。まるでたった今冷凍庫から出してきたような冷たさだ。私は何か手品でも見せられたような気分になった。


「……まだ疑っているのですね」


 彼女は悲しそう顔をした。そして今度は私の手をとった。氷のように冷たい手だった。私が困惑していると、彼女は静かに語りだした。


 もともと彼女は深い山の中で暮らしていた。冬は大雪に見舞われる地域だそうだ。しかし近年の温暖化により次第に住みにくくなり、ついには住み慣れた場所を離れざるを得なくなった。そしてあちこちとさまよううちに私の家の前で倒れた。


 彼女の話をかいつまんで書くとこうなる。しかし何でよりによって私の家の前で倒れたのか。これには理由があった。

 実は以前、雪女を題材にした小説を書いたことがあるのだ。現代風にアレンジした恋愛小説だったと思う。それで彼女は私の家にやって来た……。


 妖怪にまで読まれるとは、私の小説大したもんだ。私は少々得意になった。いやいやそれどころではない。この状況をどうすればいいのか。まさか彼女をこのままこの家に置くわけにもいくまい。


「ご心配なく。もう大丈夫です。わたしは……わたしは山に帰ります。こんな暑い所にはいられません。でも……でも……もしこの冬ここに雪が降ったら……わたしは帰って来ます。その時は……よろしくお願いします……ただ、今日のことは誰にも言わないでください。約束ですよ。もし破るとわたしは……死んでしまうのです。それではさようなら……」


 彼女、いや雪女はわたしの返事を待たずに煙のように消えていった。


 残された私はしばし呆然としていた。暑さのあまり頭がおかしくなったのか。夢でも見ていたのか。しかし私の手の中にはカチンカチンに凍っているペットボトルが残されていた。どうやら夢ではないようだ。

 それにしても、私が誰かに今日のことを話すと彼女が死んでしまうとは。ちょっと話が逆のような気がするのだが……。



 さて相変わらず雪は降り続いている。私は真夏に熱中症にかかった雪女のことを思い出していた。彼女の最後の言葉。ここに雪が降ったら帰って来ると言っていた。

 まさか……そんなはずはない。私は淡い期待を振り払った。


 その時。玄関で物音がした。こんな寒い雪の日に何だろう。用があるならインターホンを鳴らしてほしい。私は玄関ドアを開けた。


 そこには……満面の笑みを浮かべた、黒髪に白いワンピースの女性……いや雪女が立っていた……。




 



 

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