第2話 聴こえてイナイ、フリをして(後)
翌日、僕の色はいつも通りに、戻っていた。
エリスはというと、やはりいつも通り部屋にいたが、最近の彼女の『いつも』は、溜息をついて窓際にいることではなく、明るく机に向かうことに変わった。
彼女の溜息を見ることは、最近ではほぼ、なくなった。変わらないこととして、今まで通り、彼女の部屋の窓は開いたままということだ。
彼女の机が見える窓から中を見ると、彼女の机の端には、僕が置いたリングが置いてあり、それは固い透明な何かで包まれているように見えた。枯れないように、加工してあるように、僕には見えた。
そのさらに翌日のことだ。
僕はまたいつも通り、花弁の中で目を覚ました。生まれてから今日で、40年と3カ月と20日が過ぎていた。
いつまで経っても、僕のいつも、は大体変わらない。ただ、エリス達一家が屋敷に来る前と比べて、僕の『いつも』はちょっと、変わった。
ここ最近で僕は、覚えることが増えた。
僕は過ぎていく時間以外にも、僕のそばにいるある人がその日は元気だったか、悲しそうだったか、何を着ていたか、どういう表情をしていたか、など様々なことを覚えるようになった。そのいつも、が変わったのは1カ月も前のことでもないのに、僕はもう感情に乏しかった頃の自分を、思い出せないでいた。
ここ最近、僕の心は、ブルースプリングの花のように、青からたまに赤く変わるようになっていた。青く戻ったり、赤くなったり、僕の心は忙しかった。これから僕のその変わった色がどうなっていくのかなんて、今の僕にはさっぱり分からなかった。虫の僕にはそこまで考えが及ばないのだ。
「あぁ、今日は何の花を摘もうか」
最近のいつものように、僕は寝起きに、エリスの部屋に持っていく花のことを考えた。そして、考え事をしつつ、枕元にある花粉団子を食べようと手を伸ばした時だ。
僕の背後から、聞き慣れた、ある声が響いた。それは、僕の『いつも』にはないことだった。
「思ったより、キレイなとこに住んでるのね」
その声の方を僕が振り向くことはなかった。僕のカタイ身体は瞬時に、振り向くことを拒んでいた。その声が誰のものなのかは僕は分かっていた、分かっていたので、僕はそちらを向けなかった。
「へぇ、床もフカフカじゃん。今度、昼寝に来ようかな」
彼女はしゃべりながら、少しずつこちらに近づいて来ているのが、背後から聞こえる声の大きさから、分かった。僕は錆びついた機械のような身体をなんとか90度だけ動かして、片目だけで彼女を見た。
そこには僕と同じくらいの親指サイズになったエリスがいた。
寝起きなのか、服装はまだパジャマのままだったが、頭の上には煌びやかに光る花のリングがまるでティアラのように載っていた。
「あれ。言葉、分かるのよね?恥ずかしがってるの?何よ、こないだなんかプロポーズしてきたくせに」
そう言って彼女は悪魔のように笑い、自分の頭に載ったリングをゆび指した。僕の身体はまだ、固い甲殻のように、動こうともせず、そして、口も開こうとしなかった。何か言おうと思っても、僕の頭は青くも赤くもなく、真っ白になっていた。
「まぁいいか。ほら、花巡りしよ?いいとこ、知ってるんでしょ?」
僕の目前まで迫った彼女は、僕の固い昆虫の手を取った。
僕の手はやはり、甲虫らしく、固いままだったが、彼女が強く腕を引くので、軋みながら僕の腕は彼女に続くように動いていった。
しかし、口も頭も、まだ動こうとはしなかった。ただ僕の中の青は、真っ赤になっていた。
聴こえてイナイ、フリをして まじかの @majikano
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