聴こえてイナイ、フリをして
まじかの
第1話 聴こえてイナイ、フリをして(前)
ここ数年、一匹で生きていた。
ある時までは、想い合う相手がいた。
しかし、会って3年もしない内に、僕を置いて天に召された。
それがあってからは、死ぬまで独りでいようと決めた。
親しい相手に先立たれる悲しさと言ったらなかった。あれをもう二度と味わいたくないと思った僕は、それ以降、誰かと関わることをやめた。以来、どこか感情に乏しくなった気がする。
普通は、大体1年で死ぬらしかった。
僕や母以外の普通の、『虫』は。
青い甲殻に包まれた人の親指サイズの六本足を持つ虫、それが僕だ。それは母も同じで、見てくれは、他の虫達と変わらない、そこらへんによくいる甲虫だ。
しかし、中身がどうやら、普通の虫と違うらしかった。母曰く、僕らは魔力を強く持った虫の一種で、特殊な力があるとのことだ。その力のせいで、僕は生きたくもないのに、今日まで40年は生きていた。
だが、それでもまだ寿命の半分にも満たないようだ。母がこの世を去ったのは6年前のことだが、母は120年は生きたという。母は昔、『自分達のような魔力を持った虫は、別の世界から偶然、こちらに来た虫の成れの果てだ』と語ったことがあった。別の世界にいる虫は、100年以上も生きるのだろうか?
僕が持つ特殊な力というのは永寿の他にもあった。
それは虫以外の生物の言葉が分かることだ。
『他の生物の考えを見通す能力』をこの世界では精霊魔法と言う。
これは、そこらへんを飛んでいる精霊から聞いた情報だった。
僕達の血筋はその精霊魔法を使えるらしく、精霊だろうが何だろうが、彼らの言っている言葉を理解できるし、一回聞くとこちらも彼らの言葉を話すことができた。だからと言って、色々な生物と仲良くする気など、僕はもう無かった。同じ虫と仲良くなっても先立たれるだろうし、鳥などには餌と見なされて追われるだけだろうから。
「あぁ、今日は何の花を吸おうか」
そう言いながら僕は、今日という日をスタートさせた。生まれてから今日で、40年と2カ月と3日が過ぎた。ある時から僕が覚えているのは、生まれてからどれくらい経ったか、の時間だけであった。
僕の朝はキッカという草花の花弁の中で始まる。そこが僕の最近の寝床だ。キッカはピンクで大きな花で、花の中はいいベッドだ。
朝日が差し、その花弁の中で起きると僕はまず、その日に吸う蜜のことを考えつつ、前日に作っておいた朝ごはん用の花粉団子を食べる。そして食べ終えると、根城を後にする。それから日中、そこらへんをふわふわと飛び回っては好き勝手に花の蜜を吸って、暗くなる前にキッカに戻って眠る。
そんな生活をしている僕が今住んでいるのは、ある森の一角だ。
ここでそんな生活を送り始めて、2年が過ぎていた。2年前から僕が住んでいる花は、ある大きな屋敷の庭にあった。森の入り口に立っているそのボロボロの屋敷は以前、人が住んでいたらしいが、今は誰も住まなくなって、自然に還り始めていた。管理する人もおらず、屋敷の庭には花やら植物が生え放題で荒れているが、それは人にとっての話で、虫には静かだし、誰とも関わらずに生きていきたい僕にはうってつけの生活場所だと思っていた。
「今日は赤い酸味の強いやつがいいな」
今日食べる花の蜜のことを考えつつ、朝飯用の花粉団子を齧っていた時だ。
花の外から、聞き慣れない音が聴こえた。地面が揺れるような音が遠くから近づいてきて、それは目と鼻の先にあるボロボロ屋敷の前で止まったようだった。
僕が花弁の間からそっと顔を出して音の発信源を見てみると、機械でできた人用の乗り物が一台止まっていた。そして何やら話声と共に、人が何人か降りてくるのが見えた。
草むらの間から見えたのは、大きい人が2人と、小さいのが1人だった。
その3人の後ろを宙に浮いた何かがついてきていた。
小さい目をよく凝らして見てみると、宙に浮いているそれは、木の箱やら、金属でできた四角いものだった。それは人の掌くらいの大きさのものだったが、この屋敷にもそれよりずっと大きいサイズで似たようなものがいくつか、放置されているのを僕は以前、見たことがあった。
「浮いてるのは、魔法を使っているのか?それにしても、あの浮いてるものは、この屋敷のものよりもずっと小さいな」
僕は花粉団子を食いつつ、興味が沸いたその3人の姿を遠くから追った。3人は屋敷の前でがやがやと騒いだ。どうも、文句を言っているらしかった。気になった僕はさらに近づいて彼らを観察した。会話の内容から、3人の内、大きい二人は男性と女性らしく、小さい方は女性らしかった。それから3人は屋敷の玄関まで近づいてきて、その小さい方の女性は両腕にものを抱えつつ、口でもごもごと何か唱えると、玄関のドアノブが勝手に開くのを僕は見た。
そして屋敷に入った小さい女性の後を、浮いたものを引き連れた大きい二人が続いて入って行った。
「魔法使いの一家が、越してきたのかぁ」
僕はそう言い、溜息をついた。静かな僕の生活が終わりを告げるのを予感した。
庭に生えた花や植物が刈られてしまうかもしれない。明日には引っ越しかなと僕は思った。そんなことを考えていた時、僕の目線近くあった窓が急にバンと開いた。
「リフォーム業者が来るのって、夜なんでしょ?それまで何してればいいのよ」
小さい方の女性の顔が、開けた窓の入り口にあった。女性の声が間近で聴こえたので、僕はちょっとどきっとし、「あぶないあぶない、見つかるとこだった」と自分の言葉で小さく、ぼやいた。
その次の瞬間、その女性は僕の方をじろっと、見た。
「登校は4日後なんだから、焦ることないじゃないの。ゆっくりしたら?ほら、庭の花でも見て。静かでいいとこよ」
遠くから別の女性の声が響いた。それはどうやら僕の近くにいる女性に向けられたものだったらしく、目の前にいる女性は間髪入れず、それに返事をした。
「静かだけど、虫はいる、みたいね。暇つぶしに話でもすればいいのかな?」
女性の目はやはり虫である僕を直視したままだったので、僕はまるで自分に話しかけられているように感じ、さらに胸をどきっとさせた。
何より、目の前にいる女性は虫の僕にも分かるくらい、美しい顔立ちをしていた。僕は青い甲殻が赤くなる前にと、その場からすぐに、逃げるように飛び去った。後には女性の「あれ」という小さい声だけが残されたが、それは誰に向けられたものなのか、その時の正常ではない僕には分からなかった。
翌日になっても、僕はまだ、この屋敷の庭にいた。
すぐにここから引っ越そうかと思っていたのだが、もう少し、屋敷に引っ越してきた連中を観察してみたいという気持ちが強くなったのだ。なのでこの日、僕はほぼ一日中、外から屋敷の中を観察していた。
昨日のこと、僕が女性の目の前から消えて数時間後、ボロボロだった屋敷はいきなり綺麗になり、朝方になってそれを見た僕は、驚いた。それはやはり魔法の力なのだろうが、昨日の浮いていたものといい、人は様々な魔法を使うのだな、と感心したものだ。
そして僕が一番、観察したい対象は、3人の内、一番小さい女性だった。
ここ12時間ほど観察した結果分かったのは、引っ越してきたのは3人家族で、親二人と、子が一人。子であるその女性は、人でいう16歳で、エリスという名前だということと、いつもぼーっとした顔をしていることだった。
エリスは、怒っているのか、悲しんでいるのか、嬉しがっているのか、感情が読めない顔をしていた。そして、よくエリスは窓を開けて外を眺めつつ、癖のように溜息をつくことが多いことも分かった。その捉えどころがない様子が、僕にはどうにも、気にかかった。
「エリス、これから、庭の雑草を燃やしちゃうけど、一緒にやる?」
僕がエリスを観察していると、彼女のいる部屋に、一階から母親と思える人の声が聞こえてきた。エリスはというと、窓を開けて、頬杖をつきつつ、やはり溜息をついていたところだった。
「今ちょっと心が疲れてるから、魔法、無理」
エリスはけだるそうに、一階にいる母に少し大きめの返事をした。彼女の目線は母親でも、僕でもなく、遠くの景色を見ているように、斜め上を飛んでいた僕には見えた。
「あぁ、庭の花、なくなると困るなぁ」
僕は小さい声で誰もいない空間に向けて、ぼやいた。庭には少し特殊な花も咲いていて、その花からしか味わえない蜜があった。あれが刈られるのは困るな、と僕は独りごとのつもりで苦情を言ったのだが、その僕へちらっとだけ目線を運んだ目の前のエリスは、また少し大きな声で声を出した。
「お母さん。花だけは、燃やさないで」
そう言ったエリスの目はやはり、僕を見ておらず、窓の外の遠いどこかへ向けられていた。しかし、花がなくなっては困ると言った、僕の言葉はなぜかエリスに届いているように僕には感じた。それが魔法によるものなのか、はたまた偶然なのか、僕にはそれを確かめる勇気がなく、カタイ僕の口は動かず、ただカタイ身体についた丸い目をエリスへ向ける以外にできることはなかった。
時が過ぎ、エリスがこの屋敷に来てから、4日が経った。
朝早く、彼女の部屋に行った僕は、いつもは空いている彼女の部屋の窓が閉まっているのを見た。
そして、聞き耳を立てても、中から物音は一切、しなかった。彼女は朝から屋敷にいなかった。エリスがいないことで、僕は心の中に寂しさを感じた。その寂しさの原因に、僕は薄々、気づいていた。
「何を考えてるんだ、あれは人だ。それに、あの娘はまだ、16歳だぞ。僕の方がよっぽど大人だ。いや、大虫か」
その言葉は自分を納得させるために言っているものだと、僕は心の奥では気づいていた。虫と人では、種族も違う、身体の大きさも、言葉も、何もかも。住む世界が違う、というのはこういう時に使う言葉だろうな、と僕は思った。
しかし、エリスがいなくなった今日、僕は独りだった時のように気楽に一日を過ごせる自信がなかった。そしてその通りのような一日を、僕は過ごした。
僕はその日を、ぼーっとした頭で行く先も決めずにふわふわと飛び、腹が減った時にあった花の蜜をただ舐めるだけに終わった。エリスが今日、どこで何をしているのか僕は知らなかったが、それがとにかく、気になった。しかし気になったところで、僕は何もできないただの虫だ。
「僕が人だったら、どうだっただろうな?」
僕は自分でもなぜそんなことを考えているのか分からないことを考えた。そんなことを考えながら、エリスのために、色とりどりの花を摘み、小さい花束を作った。そして、夕方、彼女が帰宅する前に、彼女がいる二階の窓際に、それをそっと置いた。
翌日、それはエリス達が来てから5日目のことだ。
起きたばかりの僕が朝一番に、エリスの部屋の窓際を見に行くと、昨日置いた花束がなくなっているのが見えた。それを見て僕は、ちょっと嬉しくなった。エリスは今日も朝からいないのかと思ったら、部屋の中からは物音がし、どうやら今日はいるようだった。少し聞き耳を立ててみると、エリスと母親のちょっと大きい声が交互に響いた。
しばらくすると、エリスが窓際に近づいてくるのが分かったので、僕は飛んで窓際から離れた。それから、部屋の窓が開くと、彼女は僕が良く知る溜息が癖の、いつものエリスがそこにいた。いや、いつもより、ちょっと暗い雰囲気に、僕は感じた。その姿に僕は、どうも居た堪れない気持ちになった。
「人は嫌い。学校も。いつも誰かがどっかで陰口言って、笑ってる。私はなんで人に生まれたんだろ?」
窓際で頬杖をつきながら、エリスは誰に話しているのか分からない口調でそう言った。その目は虚ろで、空の彼方を見るように遠くを見ていた。
彼女はもしかしたら、僕に話しかけているのかもしれないと、僕は思った。
周囲には僕以外、誰もいない、虫一匹すら。
今まで観察した結果から、エリスが魔法使いであることを僕は確信していた。僕は、彼女は特殊な魔法で僕の言葉を聞き取っていたのかもしれないなと思うと、軽々しく彼女の返事に言葉を返すことがなぜか、憚られた。しかし、もし僕に話しかけてきたのであれば、全くの無視を決め込むのはさすがに人でなし、そもそも人ではないが、だろうなと思い、彼女へ向かって、僕は一言だけ、軽くつぶやいた。
「僕も虫に生まれなかった方がよかったよ」
僕がそうつぶやいた後、無表情だったエリスの顔には少しだけ光が差し、彼女はふっと笑った。エリスが笑った時、彼女の目はやはり遠くを見たままだった。
しかし、その目は、いつものような色に戻っていた。それを見て僕のカタイ顔も少し、綻んだ。それから僕は飛びながら、彼女の頭上から少し彼女を観察をしていたが、それ以降、エリスの口からさらに言葉が続くことはなかった。
エリスは次の日も、その次の日も、丸一日、部屋にいた。
僕はエリスがまた暗くならないように、毎日、花を摘んでは窓際に添えた。エリスが窓を開けた時は、僕も少しだけ近づいて彼女がしゃべることを聞いたり、たまにそれに反応して独り言のようにつぶやいたりした。しかし、僕と彼女が直接話したことは、まだなかった。
魔法使い一家が引っ越してきて、10日が経過した日。
この日、僕が朝早く彼女の元を訪れると、花を置きにいく窓際に、小さな器が置かれていた。
その器は僕の身体よりちょっと大きい皿で、その中には嗅いだことのない蜜が溜まっていた。いつも僕が花を置く場所にあるので、僕のためにエリスが用意したものだろう、と僕は勝手にそう決めつけた。とにかく、早く食べないと他の虫が食べに来てしまうので、それが僕のためのものなのかどうかはさて置き、我先にとそれ舐めた。その蜜は今まで舐めたことがないような、濃厚で芳醇なものだった。
「こんな蜜は食べたことないな」
「『ブルースプリング』っていう青い花の蜜なんだって。ここらへんの特産だってさ」
すぐ近くでエリスの声がしたので、僕はぎょっとした。
僕から30センチもしないところに、彼女の顔があった。僕は彼女がいつの間にか近づいてきていることさえ気づかないほど、蜜に夢中になっていたのだ。あまりに近いエリスとの距離にぼくはたじろぎ、すぐに飛び、1mは後退した。もちろん、彼女の顔は見ずにだ。
「意外に、シャイなのね」
エリスはにやにやしつつ、僕の方を見ないでそう言った。やはり彼女は僕という存在に気付いていることは間違いないと僕は思った。僕の声は彼女には届いているのだろう。
そう確信すると、どうもまともに口を開けなくなってしまう情けない僕がいた。20歳以上も年齢差があるにも関わらず、どちらが大人なのか分からないな、と僕は自虐的になった。
「ごちそうさま」
小さくそう言った僕は、エリスの顔を見ずに、踵を返し、その場から飛び去った。
とてもではないが、これ以上、彼女の顔を見ることができなかった。
その勇気がなかった。僕は虫だが、彼女への自分の気持ちにとうに気付いていた。だからこそ、それを彼女に気づかれたくなかった。どちらにしろ、僕らは種族も違うし、身体の大きさも違う。言葉が通じることが、共通点になっただけの関係だ。この関係がこれ以上、先に進むことはないことを僕は分かっていた。
早いもので、エリスが屋敷に来てから12日が経過していた。
毎日のように、彼女の部屋の窓際には蜜が入った皿が置かれており、僕は足繫くそれをごちそうになりに行っていた。僕がそれを食べる時、窓は開いているのに、彼女がいない時もあった。いるかと思ったら、次の瞬間にはいなくなっていたり、いないかと思ったら、実はいたりもする。僕にとってエリスは、ふわふわとした存在の、神出鬼没な魔法使いだった。
そして、今日もまた、エリスは朝からいつものように、窓を開けて何を考えているか分からないその表情で外を見ていた。
僕がそんな彼女をいつものように観察していたら、唐突に、彼女の部屋のドアがいきなり開いた。ドアの隙間から除いたのは彼女の母親の顔だった。
「エリス。また学校に行かなくなるようなら、別の進路を考えなさい。植物や虫としゃべってばっかりいないで!」
「はいはい、分かってます」
怒声とも聞こえる母親の声とは対照的に、エリスの声は冷ややかだった。それから母親はすぐに部屋のドアを閉めた。後に残ったのは、エリスの溜息だけだった。
「虫はいいよね。学校に行かなくていいから」
溜息の合間に、エリスはつぶやくようにそう言った。それは彼女の斜め上を飛ぶ僕へ向けられたものではなく、本当の独り言のようだった。だが、僕はどうにも、それに対して言いたい気持ちを抑えられず、独り言を装うように、つぶやいた。
「虫だって悩みがあるんだよ。人と同じだ。大変だけど、生きてる。毎日、鳥から逃げたり、死ぬような思いをしてるんだ」
それが聴こえたのか、エリスはやはり真っ直ぐ伸ばした目線は変えず、ふっと小さく笑った。
それから彼女は小さい声で「虫に人生相談するとは」と本当に小さい声でつぶやくと、何か考え込んだような表情をして、そのまま固まった。そして5分ほどした後、
「死ぬわけじゃなし、ちゃんと進路ってのを、考えてみるか」
と言いつつ、部屋の中へ戻って行った。窓は開いたままだったが、僕は彼女が何かにやる気を見出したようだったので、ちょっと構わないほうがいいなと思い、いつもの蜜巡回に戻ることにした。
それから3日後になると、いつも溜息をついていたエリスが、溜息をやめた。
いつものように窓を開け、顔を出した彼女の顔には、いつもにはない、どこか前向きな明るさがあった。
「色々調べたら、この近くの専門の高校に、私と同じような力を持つ人がいるの。その人は、森の植物と話すことができるみたいで、専門の研究をしてるらしいわ。私、その人と同じ高校に行ってみることにする」
高校というのは、前に聞いたところでは、彼女が今在籍している上校のさらに先の進路のようで、色々な専門のことを学ぶ学校のことらしかった。どうやら彼女は今の上校は行かないことにしたようだが、高校に行くという目標ができたらしかった。
「勉強はオンラインですることにしたわ。まあ、あなたにはどうでもいい話題でしょうけど」
エリスはやはり目線を僕に合わせず、遠くを見てそう言った。彼女がいう『あなた』とは、おそらく彼女の斜め上を飛んでいる僕のことだろうなと僕は思った。
しかし、僕にとって彼女のことは、どうでもよいわけではなかった。僕には毎日、蜜以上に考えることができてしまっていた。それも自分より20歳以上も年下の、別種族の人のことをだ。
「おめでとう」
僕は小さく、そう言って、飛び去るのが関の山だった。どうにも、気の利いた台詞が浮かばなかった。彼女を前にすると、頭の回転率が5割は落ちる気がした。いや、おそらく気のせいではなかっただろう。
しかしどうにも、それだけでは彼女に想いが伝わらないと思った僕は、彼女の元を去った後、色々飛び回って、キレイな花を摘み、それで花飾りのリングを作った。
と言っても、僕が作れるほどの小さい花飾りなので、それは彼女にしてみれば薬指にはまるかどうかくらいの大きさでしかないだろうものだったが。
再び、花リングを持って彼女の部屋を訪れると、窓は開いていたが、エリスはいなかった。最近、こういうことが多かったので、僕は特に気にせず、いつもの窓際にそのリングを置いて帰ろうとしたが、ふとそれを思い留まった。
「どっかの虫に持って行かれたりしたら、嫌だな」
僕はせっかく窓が開いているので、エリスの部屋の中に入って、目立つところにそれを置いていこうと、思い立った。今まで彼女の部屋に入ったことはなかったが、彼女がイナイ今の内なら、いいだろう。
僕はそろーっと飛びつつ窓から彼女の部屋に入り、リングを置く場所を見繕った。気付かない場所に置いても、意味がない。絶対に彼女でも目に付く、ベッドの枕元に置くことにした。僕はゆっくりと枕に飛び降りると、そっと花のリングを置いた。
「今考えたら、指輪をプレゼントするって、やりすぎたかな。プロポーズするみたいで」
そう考えたら、僕は急に恥ずかしくなったが、今更辞めるのも気が引けたので、そのまま帰ることにした。そもそも、先日、彼女が言っていた通り、僕はシャイ過ぎるのだ。これしきの事を恥ずかしいと思うなら、しなければいいのだ。僕は少しだけでも、自分の奥手さを克服しようと思った。
「どうせ今、彼女はいないんだ。僕よ、練習だと思って、言いたいことを言って行け。
ああええと、僕は虫だけど、その、何ていうか、あなたが、好き、かもしれません」
そこまで言った僕は、自分は独り言で何を言っているんだろうと、急に恥ずかしくなり、また青い甲殻が赤くなりそうだなと思った。
恥ずかしさを誤魔化すように、勢いよく羽を動かして、僕は窓から外に飛び出した。
僕はそのまま、勢いで、猛スピードで宛てもなく、飛んだ。
頭の中では、柄にもないことをしてしまったという後悔だけが残った。彼女はあのリングを見て、どう思うのだろう?やはり自分の奥手さは直らなそうだと僕が思い立ったあたりで、少し冷静さを取り戻し、飛ぶスピードを緩めた。
周囲を見ると、あまり来たことがない山の崖っぷちにいた。
そこにはあたり一面に青い花が咲いていて、丁度その時、日光があたり、その青い花が一斉に赤く変色するのが僕の目に映った。僕にはその光景が、まるで彼女を見た時の僕のように見えた。あの高揚感は決して悪いものではなく、味気ない毎日を送る僕にとって、生きる意味と言ってもいいくらいのものになっていた。
「青いだけじゃなくて、たまには赤くなるのも、いいのかもしれないな」
僕はその青い花、それは後で聞いた話では前に飲んだ蜜の花、『ブルースプリング』という名前だったらしい。その花の群生を見つつ、その時の僕は、ぼやっと、そう思った。
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