ミドリのオトが聴こえる
まじかの
第1話 ミドリのオトが聴こえる
中庭の真ん中で、あたしは突然、立ち止まった。
あたしの土気色のショートヘアが、一瞬遅れて、同じように、止まった。
あたしと一緒に歩いていた同級生の2人は、あたしが止まったので、遅れてそれに続いた。
その2人に全く気遣いしないかのように、あたしは遠くを見ながら、声を出した。
「聞こえる。何か話してるみたい」
それを聞いた同級生の一人、カセイは口から、はあ、と息を漏らした。
今まで何度となく見た光景に飽き飽きしたのだろう。
「また、出たな、不思議ちゃんが」
「やめなさいよ。ミオ、大丈夫?」
もう1人の同級生、カグラがあたしに言った。カグラはあたしに駆け寄ると、肩に優しく触れた。
あたしの中には、尚も声が聞こえていたが、二人にこれ以上心配をかけるのはいけないと思い、嘘をつくことにした。
「もう大丈夫、聞こえなくなったみたい。ごめんね、いつも」
そのあたしにカセイが返事をした。
「ミオ、俺も精霊魔法が強いから分かるけど、この中庭には幽霊なんかいないぞ。何を聞いたんだ?まじで何かの病気なんじゃないの?」
それに対してあたしは目をうつ伏せて、小さく、そうかも、とだけ答えた。カセイの次に溜息をもらしたのはあたしだったが、それは心の中の世界だけに留めておくことにした。
それからあたしたちは、次の講義のために教室へ移動した。
あたしが『それ』が聞こえるようになったのは、6歳くらいの時からだ。
森や、公園、道を歩いている時など、あたしにはそれが聞こえた。
それ、は
「元気か?」
と言う時もあれば、
「こっちくんなよ」
と毒を吐く時もあり、
「水くれない?」
と要求してくる時もある。
とにかく、他の人には聞こえない声が聞こえるのだ。
これはカセイが言うように、幽霊の声ではなかった。
精霊魔法、この魔法の世界でこの力が強い人は、精神に干渉することができる。人ではない、霊の類と話すことも可能だ。どうやら、あたしも精霊魔法は強いらしいが、他に精霊魔法が強い人には、あたしが聞こえるあの声は聞こえない。
結局、今まで、この声の正体は分からず仕舞だ。
あたしは、本気で自分が何かの病気なのかと疑い始めてきていた。
精神的なものなのかもしれない。
あたしは昔から、この声のせいで突然立ち止まったり、急に何かと会話したりするので、『不思議ちゃん』というアダナがついてしまっていた。それが元でちょっとしたイジメにあったこともあった。
元から、あたしは人との会話が下手で、なおかつ変な行動を取るため、友達が少なかった。カセイとカグラを除いたら、いないも同然だった。
この日も、友人に申し訳ないという気持ちを抱いたまま、時間だけが過ぎていった。
それから夕方になり、講義が終わると、あたしはゼミへ行った。
あたしが通っている魔法専門の上校のゼミでは、植物に含まれる魔法の研究を主に行っている。
夕方、先生にあらかじめ呼び出されていたので、呼び出し時間通りゼミの研究室へ行くと、ゼミの研究員ほぼ全員が揃っていた。
そんな中、先生が大きな箱を持って、研究室へ入ってきた。
「みんな、集まってもらって悪いな。
実は北の森でマジックダケを2株、捕獲したんだ。3日後、このマジックダケを解体して、魔素を取り出して解析してみようと思う。
忙しいところ悪いけど、3日間、交代でこのマジックダケの世話を頼む」
そう言って先生は、箱から密閉された大きなビーカーを取り出した。
そのビーカーには手のひら大の大きさの、茶色いマジックダケが2株、『立って』いた。
あたしはそれを見るのは初めてだったので、うわ、と声を漏らしてしまっていた。
マジックダケは一般的なキノコに手足と頭が生えた姿で、なんと目や口、耳まであり、それは人のようにワキワキと動き、ビーカーの中をゆっくり歩いていた。
他の研究生もマジックダケの姿を見て、小さい悲鳴を上げた。
「うわ、きもーい」
「これ、生きてるんですか?」
マジックダケは目をぎょろぎょろ動かして、あたしたちの方をビーカー越しに見ているようでもあった。
「このキノコは、生きているけど、知恵や意識はないんだ。
安心してくれ。
これは、動く植物だと思ってくれていい。
今日から、1日に3回、霧吹きを3回くらいずつかけて、ビーカー内の湿度を保ってくれ。夜はキノコも動かなくなるから、みんなは寝ていいよ」
1匹のマジックダケは先生の言葉の最後あたりで、あたしと目があった。
そのマジックダケは口を動かして、何かしゃべったように見え、その途端、あたしには軽い耳鳴りがした。
あたしが眉間にしわを寄せるやいなや、先生の言葉が飛んだ。
「じゃあ、みんなよろしくな。今日は解散!」
その後作られた当番表では、あたしは、2日目にあたっていた。
それから1日過ぎ、あたしの当番の日がやってきた。
ゼミの研究室の端っこにある箱を開けると、ビーカーの中にいる2匹のマジックダケはあたしをじーっと見上げた。
それを見たあたしは思わず、少し震えた。とても意思が無いようには見えなかったのだ。
そしてビーカーを机の上に持ち上げ、口元の栓を開けると、すぐに声がした。
声はビーカーの中から、聞こえた。
それは昔からよく聞こえる、あの脳に直接呼びかけてくるような声に近かった。
「ここ、どこなの?」
「あなた、聞こえる?」
その声はいつものようなぼやっとしてものではなく、あたしの目の前からはっきりとしたオトとして聴こえた。
あたしはきゃあと叫び、思わずビーカーを突き飛ばしてしまった。
ビーカーはそのまま机から落ち、がしゃんと大きな音を立て、割れた。
そしてビーカーの中にいた2株のマジックダケは少しの間を置き、むくっと起き上がった。
「ちょっと何するの。痛い」
「あなた、声、分かる?」
あたしはそのキノコを魔物だと思い、身体が震え、助けを呼ぼうと声を出そうとしたが、恐怖からか声は出ず、代わりにあたしの脳にはキノコたちの意識が直接、流れてきた。
(わたし、あなた攻撃しない)
(わたしたち、怖い存在、違う)
その声はなぜか妙な説得力を持って、あたしの中に流れてきた。
理由は分からなかったが、あたしの身体の震えは止まっていた。
「今、何をしたの?」
あたしの声にも、震えはなかった。
「あなた、精霊魔法、すごく強い、だから共感」
「あなたに直接、わたしたちの意思、送った。ダケ」
あたしはそれを聞いて、先生の言葉を思い出していた。そして、咄嗟に疑問に思ったその質問を口にしていた。
「あなたたちって、もしかして意識とか、意思があるの?」
「ある。人、知らないダケ」
「わたしたち、心もある」
それを聞いて、あたしは愕然とした。
みんなが植物だと思っていたキノコには人のような心もあるのだ。そしてそれはおそらく、あたししか知らない。
「わたしたちに人、何するの?」
「なんでここ、連れてきた?」
あたしが黙っていると、マジックダケはあたしが質問されたくないことを聞いてきた。
あたしはマジックダケ達の無垢な瞳を直視できず、目を反らしながら、咄嗟に嘘をついた。
「今、あたたたちがいた森をちょっと手入れしていて、ここに移動してもらっているだけだよ。
明日の夜には帰れるから、大丈夫……」
「ふうん」
あたしの嘘はあたしの心臓に針を刺した。
心がズキン、と痛んだ。
マジックダケはあたしの説明に納得したのか、それ以上、何も言わなくなった。
あたしは割れたビーカーの代わりを用意して、「この中で休んでね」と2匹のマジックダケ達を中へ促した。
マジックダケ達はそれに素直に従い、のそのそとビーカーに入ってくれた。
そして、彼らとはその後、会話はなかった。
深夜になるとマジックダケ達は眠ったので、あたしも隣の部屋の研究室のソファで眠ることにした。
しかし、心の中に沸いたわだかまりは、どんどん、大きくなっていった。
(このまま、あのキノコ達をここに置いてていいの?嘘までついて……
まるで見殺しじゃない……
人の実験なんかのために、あの子たちを犠牲にしていいの……?)
そうしている内に眠気が襲ってきたので、あたしは隣の部屋に向かって小さく、「ごめんね」と囁き、目を閉じた。
マジックダケが研究室に来て3日目の朝。
あたしは次の当番が来る前に、マジックダケが入ったビーカーを研究室の外へ持ち出していた。
あたしはそのビーカーを誰もいない中庭に置くと、栓を抜いた。
中にはまだ眠そうなマジックダケ達が横になっていた。
あたしはマジックダケ達が寝ぼけた目をこするのを見て、自分も目をこすった。
あたしの目はちょっとあつぼったくなっていた。
昨日の夜、あたしは結局、一睡もできていなかった。
あたしは、朝まで、マジックダケを騙したことを悔やんで過ごしていた。
「ごめんね、昨日あたし、嘘ついたの」
あたしは少し大きな声でマジックダケ達に頭を下げた。
マジックダケ達はまだ寝ぼけていたのか、少しの間、黙っていたが、やがて片割れが口を開いた。
「知ってるよ」
それを聞いてあたしは顔を上げ、え、と言い、マジックダケの言葉は尚も続いた。
「わたしたち、森の精霊だから、心分かる。
あなた嘘ついたの、知ってた」
「でもあなた、ほんとは嘘つきたくない、それも知ってた。
だからわたしたち、大人しくした」
それを聞いたあたしは、声を大きく、叫んだ。
「そんな!じゃ、自分達が後で殺されるってことも知っていたってこと!?」
あたしの言葉に、少しの間を置いて、片割れのマジックダケが小さく答えた。
「知ってたよ」
「なんで抵抗しないの!?死んじゃうんだよ?」
あたしはビーカーを両手で強く掴み、まるで人と話すようにキノコに大きな声で言った。
マジックダケ達はそのあたしの言葉に、どことなく悲しそうな表情をすると、静かな声で話し始めた。
「わたしたち、弱い。人は、強い」
「わたしたち、自然。いつも人には敵わない。抵抗、意味ない」
それを聞いたあたしは、声が出なかった。
人として、人の側にいる存在として、彼らにかける言葉がなかった。
あたしはあたたたちの味方だと言いたかったが、自分も今まで、どれだけの森や木や草を、踏みつけて生きていたのだろうか?
それを思うと、彼らにかける言葉はなかったし、彼らの味方だなどと軽々しく言えなかった。
「ごめんね。
人は自分達の利益のために、ひどいことをするの。
相手に心があるかどうかなんて、関係なしに、ひどいことをする。
たぶん誰もあなたたちに心があることを知らないけど、心があると知っても、同じことをするかもしれない。
人は、そういう心が黒い生き物なの。
あたしもその一人……」
そう言ったあたしに、マジックダケの片割れが「そうじゃない」と言ったので、あたしは、え?と反応した。
「あなた、生まれてからずっと、心、透明な人。
他の人と、ちょっと違う。
人より、わたしたち、精霊に近い。
だからあなた、あたしたちミドリのオト、聴こえる」
そう言ったマジックダケの声をあたしは、彼らの入ったビーカーごと自分の自転車の方へ運びながら、聞いた。
そして、ビーカーを自転車のカゴに置くと、
「ありがと」
と言い、自転車にまたがり、
ペダルを踏んだ。
「あたし、昔から色んな声が聞こえて嫌になってたけど、今日は感謝してる。
あたし、人とはあまり仲良くできないけど、代わりにあなたたちとは仲良くなれるのかもね」
そう言って、あたしの自転車は風を切った。
自転車が向かう先には、ミドリに包まれた北の山がそびえていた。
ミドリのオトが聴こえる まじかの @majikano
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