抗う男竜彦
むっしゅたそ
タツヒコフライハイ
エアギターをしながら納豆をロックンロールに貪る男が一人。名をタツヒコと言う。手はエアギターをしているので箸は使わない。椅子は椅子として使用されておらず、片足の踏み台とし、ロックンローラーのようにヘッドバンギングしながら机の上にある納豆をまるでハトのようについばんでいく。十分程経ち、机の上には空の納豆パックが残った。タツヒコはそれをしっかり咀嚼して胃に落とした後、満面の笑みを作った。
「テレビの前の皆! 納豆は体に良いよ!」
そんなことを言っているが、彼はTVとは無縁な存在であった。いや、日本でヒキコモリが社会問題になり、彼等がTVの話題に上がり始めたからには、タツヒコも無縁だと言い切れまい。
「納豆に米は合わねえ」
そんな非日本人的なことを言いながら、上半身裸の肉体を誇示しながら自分の部屋に歩いて行った。確かに腹筋は四つに割れている。そこだけ見ると、マッチョな人間に思えるが、体全体を見渡すと、それがまさに錯覚であることに気がつく。全体的に線が細い彼の肉体は、筋肉量が多いのではなく、脂肪がトリガラのように少ないから、腹筋が割れているのだ。そのゲッソリとした貧相な体は昆虫を彷彿とさせる。
「米を食わねえからこんなにマッチョになれたぜえ」
タツヒコにとって、仕上がった肉体の基準は、腹筋が割れているか否かであり、そ の他の部分にはまるで目が届いていない様子であった。そもそも炭水化物を取らなければ、肉体がエネルギー不足を訴え、筋肉を膨張させようとしないのである。食生活から見ると、順当な体型であった。
彼は部屋に入ると、ジョッキの中の液体を一気に喉に落とし、「かぁぁぁっ」と言った。もしこれがワイルド・ターキーならば、彼はワイルドな男であったのだが、彼が飲んだのは
水である。
「音楽ッのッ、時間だあああああああああああああッ!」
タツヒコの部屋には大型スピーカーが置かれている、それは二つあり、部屋の左右に配置されている。大きさは一メートル程で、一目するだけで高価なものであると伺える。
タツヒコは大ボリュームでへヴィメタルを流し始めた。重低音とギターの音が狭い部屋中に反響する。タツヒコはその音を聞きながら、不精に齎された長い髪の毛を錯乱させながら、オリジナル・ダンスを始める。人間になにもダンスの知識を与えずに、適当に音楽に沿って体を動かせたなら、このような動きになるのではないか? そう思わずにはいられない奇怪な踊りであった。まるで呪いのようだ。
ズンズンズン、と重低音が響くとき、彼は満面の笑みを浮かべ、前転もどきを慣行する。前転もどきとは、前転に失敗した人が、足からではなく背中からビタンと床に落ちるあの現象のことである。
「ごふっ」と、タツヒコはボディブローを受けたボクサーのように、少しひるむが、それに負けじと言葉を紡ぐ。
「やっぱりピオニャアの音はサイコ―だぜえ!」
ピオニャアというのは、きっとスピーカーのメーカーのことを言っているのだろう。確かにスピーカーを見ると、アルファベットで「Pioneer」と書いてある。本当はパイオニアと読むことを、彼は、知らない。
タイピングばかりやっている人間は、英語のアルファベットも、極めてローマ字に近い読み方をしてしまうものなのだろうか?
タツヒコがヒキコモリとしての充実した生活を送るようになったのは、篭り始めて三年経ってからである。一年目は、初期特有の罪悪感やら無気力感に押しつぶされそうになっていた。しかし人間とは良く出来たもので、余りにプレッシャーを与え続けると、防衛本能で自己を合理化して食い止める。タツヒコはそんな新人類の一人なのである。
「音楽鑑賞は終わりだあああああああッ!」
彼は上半身裸のままおもむろに玄関の扉を開けて、深夜二時の町へ裸足で飛び出す。この行為は、彼に背徳感にも似た快感を与えるのだ。
「ふははひれ伏せい!」
大声でそう言いながら、人気の少なそうな所を闊歩する。以前は人気の多い所でこれを慣行し、職質を食らい、俯きながら「……無職っす」と言って国家権力の前に逆に自分がひれ伏す大惨事を招いたのだ。
自問自答ほど精神衛生上良くないのは彼の良く知るところである。故にタツヒコは、自分が何者で、なんのために生きていて、どのように死んで行くか、意図して考えていない。それらの思考が無駄であることに気が付き、一年間のトレーニングで今のような状態を長時間キープできるようになったのだ。
タツヒコは格闘技観戦が好きな男であった。毎年大晦日になれば、テレビで格闘技の番組を見ていたのだが、K―1が韓国に買収され、プライドの運営者がヤクザとつるんでいたから、その大きな二番組が潰れてしまった。数少ない愉悦の一つが減った傷は埋めがたく、実に埋めがたく、人通りの少ない場所で上半身裸のトリガラな肉体の男が虚空にパンチを繰り出す大惨事に至った。
彼の出すパンチは鋭く、速く、最短距離で対象物を正確に、そして確実に破壊せしめる威力を秘めている――と彼は考えていた。
実の所は酔っ払いがジタバタしている程度にしか見えないが、彼はそう思っていない。
「今の俺は最強だぜ……アーネスト・ホーストにだって勝てるぜ」
本当にホーストと闘ったら二秒で失神KOされることを、彼は知らない。知らない方が幸福であることは、彼は知っている。
「空あああああああああああも、飛べるはずううううううううううう!」
彼は叫んだ。そしてその場でまるで鳥のように羽ばたいた。鳥が飛べて鳥ガラが飛べない道理はない。けれども、タツヒコが飛べる筈がない。
「畜生ッ! これが人間のッ限界かッ!」
タツヒコはそう言って、自動販売機をキックした。脛を壮絶に打ちつけると、自動販売機が光り始めた。脛の激痛でタツヒコはゴロゴロとその場で転げまわった。しばらく転がったあと、自動販売機の光と音に気がついた。光に慣れていないタツヒコの眼には、自動販売機がバグでアタリを出した光が、まるで心霊現象のように映った。
「うわっ……、く、来るな……俺はまだ、生きてる、辛うじて、生きてるッから!」
タツヒコは腰を抜かしたまま這うように自販機から後退して、暫らく距離を取ったら、後ろを向いて家に走り出した。
自動販売機は、「当たりです、当たりです」と言いながら、ジュースをガタンガタンと吐き出していた。この自動販売機のプログラムを組んだ人間の首が飛ぶことを、彼は知らない。そして、その男が自らの父親であることすら、彼は知らない。
意気揚々と出かけただけに、彼が部屋に逃げ帰った時の悲壮感は、想像を絶するものだった。無力感、恐怖心それらがミックスされて、彼は行き場のない想いに心を支配されていた。
「もう……死んで……やる……」
タツヒコの眼が三白眼になり、口もとは覚悟に結ばれた。普段全く開けることのない窓を彼はハードボイルドに開き、そこに両手を付き、震えていた。
行けッ行けっ! もう一人の彼が、タツヒコを押す。くうううううううううう!
「フライハーイ!」
タツヒコはそう叫んで、目を閉じた。しかし目を閉じると余計怖くなったので、彼は再び目を開けた。
考えろ、考えるんだ。どちらにせよ俺には今後、ろくな老後は待っていないんだよ。そもそも老後まで生きれる筈がねえんだ。食い物が尽き、医療費がなくなったとしても、生活保護を受け取れない凡例が沢山あるじゃあないか。俺は、そんな老後、御免こうむる、反吐が出る!
強く自分に言い聞かせて、タツヒコは自分の頭をげんこつでガンガン殴った。少しでも自分を殴って、頭をぼうっとさせる必要があったのかもしれない。しかし彼はその効果を計算によって導いたのではなかった。タツヒコは更に、自らの首を自分でしめて、爪を立てた。そして手を握ったまま、首から引き抜いた。彼の首に切り傷が出来て、それがツメの痕であることがよく分かる。今だ!
「フライハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!」
タツヒコはなんと、窓から本当に身を投げてしまった。タツヒコは自分の肉体が空中で静止したような錯覚に襲われる。
そういえば、
小さい頃は、
サッカーができて、
人気者だったなぁ、
ああ、
これが、
走馬灯って奴か……
一瞬の間を置いて、乾いた音が響いた。
闇に紛れたタツヒコの肉体は、どの程度出血しているか、原形をとどめているか、確認するすべはない。
だが、泣くような声が、落下地点から聞こえてくる。
「ここ……、ここ……一階じゃん……」
――そう、だが人生は続くのだ。
抗う男竜彦 むっしゅたそ @mussyutaso
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