第7話 やっと気づいたアレクサンダー

 ロザモンドはアグネスにどこか似ている―― 初対面の印象が、今でも強く心に残っている。なにかを必死で耐えているよう悲しげな表情。


 私の愛する妹アグネスは、スペイニ国の王妃となり、滅多に顔を見られなくなった。その寂しさを埋めるように、私はロザモンドに接してきた。


 彼女はベックルズ侯爵の姪で、少し前に侯爵家に引き取られた年頃の娘だ。初めて彼女に会ったときから、アグネスにしてあげたいと思ったことを、ロザモンドにしてあげた。父親の再婚で辛い思いをしたロザモンドの心を癒やし幸せにしてやりたかった。


 しかし、最近の彼女の態度には違和感を覚える。以前は私の目を真っ直ぐに見つめ、快活に笑顔を向けてくれていたのに、今では私を避けるように視線を外し、口数も少ない。彼女のその振る舞いが、気がつけば私の心を重くしていた。


「……嫌われてしまったのだろうか」


 誰にともなく呟いた言葉が、胸の中で冷たく響いた。


 そんな私を見かねたのか、母上――皇太后は、ある日、私に叱咤を浴びせてきた。


「アレクサンダー、お前は本当に女心に鈍いのね!  ロザモンド嬢がどうして最近冷たくなったのか、まるで分かっていないんでしょう?」


「はぁ……まるでわかりませんね。アグネスの代わりに、とても可愛がっていたのに……」

 私が眉をひそめると、母上は溜息をついて首を振った。


「ロザモンドはね、あなたに恋をしているのよ。それなのに、アレクサンダーときたら、アグネスの面影をロザモンドに重ねてばかり……妹が可愛いのはわかります。ですが、もうアグネスは人妻なのですよ? いい加減、卒業なさい」


 その言葉は、雷に打たれたような衝撃だった。恋――ロザモンドが私に?  いや、そんなことがあり得るのか?  確かに彼女は美しい娘だが、私は彼女を女性として見たことがない。ただ、妹のように思い慈しんでいただけだ。




 翌日、どうしても気持ちを確かめずにはいられなかった私は、ロザモンドを呼び出した。ベックルズ侯爵家から送られてきた彼女が皇宮のサロンに姿を見せたとき、その琥珀色の瞳はどこか怯えたように揺れていた。


「ロザモンド嬢、最近、私を避けているようだが……何か理由があるのかい?」


 彼女は一瞬ためらった後、意を決したように口を開いた。


「……陛下に嫌われてしまうのが怖いのです」


「なぜそんなことを言う?」


「陛下にとって、私はただの妹代わりにすぎません。それ以上の存在ではないのでしょう? ですから、叔父様には他国に嫁ぎたい、と申し出ました。アグネス皇女様の身代わりに過ぎない私が、陛下に恋するなんて浅ましいにも程がありますので」


 その言葉に、私は言葉を失った。彼女がこんなにも思い詰めていたとは――。


「確かに、私はこれまでロザモンドを妹のように見てきた。しかし、わざわざ他国に嫁がなくても」

「いずれ陛下が皇妃様をお迎えになる日が来るでしょう。その時、この国にいる限り、私はそれを間近で見届けることになります。それが、私にはあまりにも辛いのです」


 目頭を押さえるロザモンドは綺麗なカーテシーをして、その場を立ち去った。それからロザモンドが皇宮に遊びにくることはなくなった。


 


 あの日から、どうも毎日がうまくいかない。朝、目覚めても、何かが欠けている気がしてならない。執務に集中しようとしても、頭の片隅で妙な虚無感がこびりついている。理由はわかっているつもりだった。ロザモンドに会えなくなったからだ。ただ、それ以上に何かがあるような気がして、自分でも整理がつかない。


「まるで、大切な家族を失ったようだ」

 ふと口にした言葉が、自分でも引っかかった。家族? 確かに、私にとってロザモンドは妹のような存在だった。あの無邪気な笑顔、素直に心情を語る姿、時折見せる強がり——どれも私の心を和ませてくれた。だからこそ、彼女の告白を聞いたときには、どう応えればいいのか分からなかった。ロザモンドを恋愛対象になる女性として見ていなかったからだ。あの時、彼女の目に宿っていた切なさを思い出すたび、胸が重たくなる。


 けれど、それ以上に苦しいのは、この空虚な感覚だ。彼女が遠ざかっただけで、これほどまでに日常が味気なくなるなんて思いもしなかった。今まで楽しかったことが楽しくない。何を食べても味がしないし、誰と話しても心が動かない。


 ――なぜだろう。私はただ彼女が可哀想だから気にしていただけだったはずだ。かつてのアグネスのように傷ついた心を癒やせればと思っていた。だが、それだけならこんなにも落ち込まない。


 


 ベックルズ侯爵が皇宮を訪れた日、私はいつになく落ち着かない心を抱えていた。彼が語り出したのは、ロザモンドの縁談話だった。


「本人の希望なのですよ。このローマムア帝国の貴族と結婚し、近くに住んでほしいのですがね。姪が異国に嫁ぐなど、心情的には承服しかねますが……」


「どのような相手だ?」


「フリートウッド王国のマーブ・ウィットブレッド伯爵です。美しい若者で、評判も上々。姑もおらず、安心して任せられる相手です。ただ、可愛い姪を遠くにやることだけが心苦しいのです」


 彼の言葉を聞くたびに胸がざわついた。ロザモンドの幸せを願うべきだという理性と、どこかに生まれた得体の知れない感情が私の中でせめぎ合う。


「ウィットブレッド伯爵を一度招こう。ロザモンド嬢の未来がかかっている。どのような男か直接確かめねばなるまい」


 そう答えながらも、心の奥底には奇妙な苛立ちが渦巻いていた。彼女が他国の貴族と結ばれる――それがこれほど耐えがたいことだとは、自分でも予想していなかった。


 会えなくなって以来、私は彼女の不在を日々強く意識するようになっていた。かつてのように無邪気に笑いかけてくれる姿が見えない生活は、どこか空虚だった。私が彼女を思うのは、ただ妹のような愛情からではないのか? だが、彼女の名前を聞くたび、心のどこかが焦げ付くように熱くなる。


 ベックルズ侯爵が帰ろうとした瞬間、庭園に咲く赤いバラを眺め、私はようやく気づいた。この感情は明らかに、妹に対するそれではないと。


「いや、待て。ウィットブレッド伯爵には、この見合いは流れたと伝えろ」


「え? ですが、本人の希望です。この国にいれば病気になりかねないと言って、泣いて頼むほどでした」


「……それは私のせいだ。だが、その原因を取り除くのもこの私だ。ロザモンド嬢は私が皇妃としてもらい受ける。近日中に、赤いバラを携えて行くと、ロザモンド嬢に伝えておけ」


 自分の宣言に自分で驚きながらも、その決意は揺るがなかった。彼女が私の最愛だと気づいた以上、手放すわけにはいかない。


 数日後、赤いバラを抱えた私はベックルズ侯爵家の門をくぐった。緊張で乾く喉を押さえつけながら扉が開くと、そこにロザモンドの姿があった。


「ロザモンド……」


 私がその名を呼ぶと、彼女は一瞬目を見開き、それから涙に潤んだ瞳で微笑んだ。


「陛下……」


 彼女はゆっくりと一歩近づいてきた。その瞬間、私の胸の奥にあった虚しさが、彼女の存在で満たされていくのを感じた。


「ロザモンド、君を異国に行かせるつもりはない。この手で、君を守ることを誓う。どうか、私の隣にいてほしい」


 赤いバラを差し出すと、彼女はその手を震わせながら受け取った。そして小さな声で答えた。


「私の幸せは、陛下のそばにあります」


 彼女の微笑みを見た瞬間、すべての迷いは消えた。その笑顔を守り抜くためならば、私はどんな苦難にも立ち向かうだろう――その決意を胸に、彼女の手をそっと取ったのだった。



 完

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アレクサンダーの恋(私はいらない子スピンオフ作品) 青空一夏 @sachimaru

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