ラジオの波に浸る

奈良ひさぎ

ラジオの波に浸る

 車を日常的に運転するようになってから、ラジオを聞く機会が増えた。平日よりは土日に運転することがほとんどなので、必然的に土日の番組しか分からないわけだが、土日に休みの人たちに向けて、比較的キャッチーな番組構成になっているのではと思う。ここで言うキャッチーとは、俳優や芸能人にそれほど詳しくない人でも名前が分かるような人をパーソナリティに起用している、という意味である。例えば、『武井壮・とにかく明るい安村 THE WORLD CLASS』という番組がある。極端な例かもしれないが、少なくとも名前は知っている人が多い二人だろう。


 映像にある程度頼ることのできるテレビと違って、ラジオは音声のみで情報をリスナーに届けなければならないから、必然的にその内容には工夫が凝らされる。パーソナリティに特徴的な人物を起用するというのも一つだし、運転中に聞き流すのでも何となく内容が頭に残るようになっている。どういう仕組みでそうなっているのかは、専門家でない私には分からないが、百年近くの歴史がありながら、ラジオとはなかなか奥深いし、まだまだ掘り下げがいがあるといつも思わされる。

 そんなラジオを聞くこと自体を趣味にしたいと、私は常々思っている。テレビがもはやオールドメディアになってしまって久しいと私は感じるのだが、それ以上の歴史があるラジオはどういうわけかそうでもない。むしろどこか新しい風さえ感じる。そんなラジオを日常的に聞くのが趣味だというと、なかなか文化的なひとだ、と好印象を抱いてもらえるのではないだろうか。……などという、本末転倒な話は抜きにしても、ラジオを聞くことを大切にしたいと思っている。私個人的には、オールナイトニッポンを何とかして継続視聴してみたいと思っているが、しかしradikoで聞くという行為が全く続かない。radikoに登録する、毎週土曜か日曜にチェックする、他のことをしている最中に「よし聞くか」と思い立つ。というように、ラジオ番組を聞くまでにしないといけない能動的な行動が多すぎるのだ。対して車の中で聞くのであれば、運転中に無音が寂しいからとFMラジオモードにすれば、あとは勝手に耳に入ってきてくれる。この手軽さも、重要なのではないかと思う。


 ラジオを聞き始めたのは、何も最近の話ではない。一番最初のきっかけは、AMラジオでやっているNHKの『基礎英語』『ラジオ英会話』である。学校の授業で扱う教材だったので真面目に聞き始めたのだが、当時はAMラジオの聞きづらさに苦労したものだ。そこから携帯を持っていなかった私は、特にお目当ての番組なくラジオを聞き流すことが習慣になった。


 携帯を持っていなかった私が次に興味を示したのは、音楽だった。当時にしては随分容量の大きいウォークマンを買ってもらった私は、当然、CDの曲を取り込んでいろいろ聞くことで音楽を楽しみ始めた。今となってはそれで満足していたのが懐かしい。そしてそのウォークマンに搭載されていたFMラジオ機能に気づいてから、すっかりその虜になったのである。


 聞き心地の良いラジオ番組はいくつかあるが、中でも私の青春を彩ったと言っても過言ではないものがある。それが、『SCHOOL OF LOCK!』だ。平日夜は何となく、この番組を聞き流していたのが昨日のことのように思い出される。

 好きなアーティストはこの番組でコーナーを持っていたサカナクション、flumpool、クリープハイプ、SEKAI NO OWARI。特にセカオワは出会っていなければ今の「奈良ひさぎ」の作風はあり得なかったと断言できるほど、影響を受けている。『RPG』『プレゼント』といった比較的キャッチーな曲よりも、『青い太陽』『幻の命』『虹色の戦争』『ANTI-HERO』などの初期にリリースされたシリアス寄りの曲が好きだと言えば、伝わるだろうか。

 また普段ドラマを全く見ない私が川口春奈やのん、乃木坂46といった名前を多少知っているのも、この番組のおかげと言ってよい。


 各芸能人が日替わりでコーナーを担当する『SCHOOL OF LOCK!』だが、そのメインはあくまで「生放送教室」、すなわちゲストを呼んで話をしたり、リスナーの学生たちからのお便りを話題にするものだ。そこでは、私が知らなかった「中高生の日常」を垣間見ることができた。つまり、私立の中高一貫校ではない、大多数の生徒が通う公立の中高がどんな場所で、どんな授業が行われていて、どんな毎日を過ごしているのか。そんな「当たり前」の情報を仕入れる、貴重な場として私は活用していたように思う。私が身を置いていた場所は間違いなく居心地が良かったが、同時にそこはあまりに特殊で、逆に大多数の人がどんな様子なのか知りたがっているのかもしれない。


 成長するにつれ、私の貴重品はウォークマンからパソコン、そしてスマホへ変わり、いつしか能動的にラジオを聞くことはなくなってしまった。しかし、ラジオによく慣れ親しんでいたあの時の思い出が消えることはない。どれだけ年を取っても、当時聞いていたラジオそのものが、私という人間を構成し続けるのだろう。

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