第十一話 嵐の前触れ

世間は盆休みを控え、夏休み中盤に差し掛かろうかという熱さが未だ続く日々。


日中に比べればまだ涼しいと言える早朝6時、僕は靴紐を結びながら月末の全国大会のことを思い浮かべる。


仮ではあるがスタメンに選ばれて2ヵ月。


スタメンに選ばれた部員は試合形式の練習を繰り返し、実際の試合同様にフルタイムでも動けるように鍛えてきた。


体格の差はあれど、それを補って余りうる瞬発力と持久力で先輩達に喰らいつき一部では凌駕している。


恐らくこのままのメンバーで大会には出場するんだろうとは思う。


だからこのタイミングでつまらない怪我なんてしないように細心の注意を払う。


「龍也」


履き慣れたランニングシューズの紐を結び直している僕の背中に意外な人の声が投げ掛けられた。


「詩姉?」


いつもならまだベッドの中にいるはずの姉の詩音が階段の上から降りてくる。


「どうしたの?いつもならまだ寝てるのに…。あ、起こしちゃった?」


「………」


次の日に何も予定が無ければ夏休み中は昼近くまで寝ている詩音の安眠を妨げたのかと思い、申し訳なさそうにそう言ったが彼女の顔は変わらず普段見ることが無い真剣な表情をしている。


「…アンタの状況、どうなの?」


低い声でそう問うてきたので顔に出ていたのかとここ数日間の事を思い出すが、思い当たる節はなかった。


だけど長年の姉弟として過ごしてきたことと、それ…私物の盗みが起こった時に話していたから気に掛けていたんだろう。


「…変化なし。飽きもせず僕の物を盗っていってるよ」


務めてなんでもないように言うが、詩音の顔色は晴れない。


「…」


「大丈夫だよ詩姉。人目を盗んでやってるような小心者だろうから、大したことにはならないよ。それに大会がもうすぐなんだから、相手もこれ以上過激なことする暇なんてないって」


「このまま自分が耐えてれば、そのうち立ち消えになるんじゃないか。…なんて思ってない?」


その言葉に僕の軽口が止まる。


僕の眼が一瞬見開いたのを見逃さなかった詩音の目が釣り上がる。


「何もせずにほったらかしにしておいてイジメが無くなるわけないでしょう。何もしなかったら味を占めてエスカレートするか、別の相手にターゲットを映して今度はそっちをイジメるか、そのどっちかよ」


呆れたようにそう吐き捨てる…いや、実際呆れていたのだろう。


もう1か月以上、物が無くなる状態が続いているが一向に収まる気配が無い。


証拠集めで下手を打ったと思った時もあり、それで相手が警戒して矛を収めると思ったりもしたがそんなこともなく今日まで変わらない状況が続いている。


「物を盗む瞬間に踏み込んでとっちめるべきよ。現行犯なら言い逃れなんて出来ないだろうしね」


「…でも時期が悪いよ。月末には全国大会があるんだ。このタイミングで大きな問題になったら、スタメンに選ばれた先輩たちのメンタル乱すことになる」


「それだけのことをしたというのをちょっかい出してるやつに自覚させるべきよ。お前の行いのせいでバスケ部全体が迷惑被ったぞ、ってね」


イジメをしている奴が、自分からイジメの罪の重さを自覚するなんて無理なんだから、と吐き捨てるように言う。


その通りだと思う。思うけども……本当に今それをやっていいのか、とも思う。


今のタイミングで犯人を引きずり出してしまえば、もうあの人は男バスには居られないだろう。


そして卒業までの長い間を陰湿なイジメをしていた犯人として、後ろ指を指されながら学校生活を送ることになるかもしれないと思うと、どうしても踏み切れない。


……詩音からの言葉が途絶えたことに気が付き、視線を向けると腕組をしながら半目でこちらを見据えていた。


自分の考えを読まれないように視線を外しながら答える。


「…何も用意してないわけじゃないよ。一応、材料は揃えてる。もしその時が来たら、公表してきっちり分からせるさ」


立ち上がり、シューズと足にずれがないかを見る。


踵を数回床で叩き、足首を曲げたりして問題ないのを確認してドアノブに手を掛ける。


「龍也」


玄関を潜ろうとした背中に幾分強い声が投げかけられる。


振り返った先の詩音の顔は普段学校内で見る、凛々しい顔をしている。


「いざという時は、生徒会として動くわ。だから、アンタは好きなように動きなさい。…いいわね」


口の端に笑みを浮かべながら、詩音は僕の目を見てそういった。


「ありがとう姉さん。…心強いよ」


それだけを言い、玄関を出た。







「おそーい、ってどうしたの?」


既に軽く柔軟を終え、走り出せる状態で待っていた凛絵が僕の顔を見てそう聞いてくる。


何かが変わったわけじゃないけども、気持ちは楽になっていたのが表情や態度に出ていたのかもしれない。


「…なんでもないよ。さ、行こう」


何でもないようにそう言った僕に、彼女は怪訝な表情をした。


少し僕の顔を凝視した後、「ま、いっか」という顔をしながら凛絵は僕の横に並んで走り出した。









既に日は傾き、練習中に体育館を満たしていた熱気が徐々に薄まっていく中、今度は熱気とは別の張り詰めた空気が体育館に満ち初めていた。


男子バスケットボール部、女子バスケットボール部、共に練習は既に終わり、今は合同ミーティングとして称してホワイトボードに書き出され月末に迫った夏の全国大会に向けての確認を行っている。


男女ともにバスケ部員全員が一様に緊張した顔を顧問に向けている。


もし、スタメンの変更があるとすれば今日のミーティングがタイミング的に最後だと思う。


盆休みを除けば2週間も無いが、オーバーワーク覚悟で詰み込めば何とか大会までには調整は間に合う筈。


もっとも、これまでの練習内容から見れば変更は無いはず…。そう思い周囲に目を配る。


スタメンに選ばれた先輩部員たちは一様にこれまでの練習の成果に裏打ちされた自信のある表情をしている。


スタメンに選ばれなかった先輩たちは一抹の望みを掛けているのか、緊張した表情の中にも期待するような感情が見え隠れしている。


無論僕も先輩方と同じように、1年生でスタメンに選ばれた故に自信を持った表情で顧問の杉林先生を見ているんだけども…すぐ隣にいる人物が発している気配のせいで非常に落ち着かない。


横目でちらっと見たけど、彼女は拳を強く握り締め、握り締めたことによる腕の震えを抑えるためにもう片方の手が肘の当たりをこれまた強く抑え込み、目は鋭く顧問を射抜き、口を真一文字に引き絞め時折堪えきれなくなったように吐息を漏らしている。


普段の明るい快活な態度なんて微塵もない。


一字一句逃さず集中して聞いているんだろうけど……人相が悪すぎる。


ため息を小さく吐きながら手を伸ばす。


―――…キュ―――


「ッ!(ギロッ!)」


……なんで手握っただけで睨まれたのかな?


…あぁ、何も言わずいきなり手を握ったらそりゃ怒るか。


赤い顔で僕を睨みつけている凛絵に小声で話しかける。


「(少し落ち着きなって。凛ちゃんなら大丈夫、外されるなんて無いよ)」


「(~~ッ!わ、わかってるよ!)」


小声で言い返し勢いよく前を向いた拍子にトレードマークのポニーテールが鼻先を掠め、爽やかさと甘い柑橘類に似た香りにドキッとする。


髪を降ろしても肩を少し超えるくらいまでの長さしかなかった小学生の頃と違い、今では背中の真ん中ほどまで伸ばされた髪が艶やかな光を放っている。


まだお洒落に全く興味がない頃は手櫛で軽く整え無造作に束ねるだけだったのに、いつの間にかトリートメントで髪を労わり櫛もしっかりと通して元からあった美しさに更に磨きがかかっていた。


小学校までのやんちゃな女の子とは違う、お洒落を覚え始めた女の子になっていた。


(凛ちゃんも年相応の女の子になったんだな…)


昔は滝のような汗を流しても気にせずバスケを続けていたのに、なんて場違いことを思っている間にもミーティングは進んでいきスタメンの最終確認へと移っていた。







「スタメン発表から約2ヵ月、今日までお前達の練習内容全てに目を通してきた。全力で練習に取り組み、2ヵ月前の自分とは明確に技量の差が出ているのを実感していると思う。我々もそれを考慮した上で、全国大会でのスタメン、ベンチスタートのメンバーを選んだ」


「これが最終決定だ。選ばれなかった1年、2年は試合から自分に何が足らなかったのかを考え、来年こそはスタメンに選ばれるように精進しろ。…それと3年は全員出場だ。よかったな、去年のように選ばれなかった奴を後で慰める事は無くなったぞ」


顧問の生暖かい目を受け、3年生の先輩方は一様に安堵した表情をする。


何の話だと思った疑問に答えるように周りから小声で話が聞こえてくる。


「ヒソヒソ(あー、去年のスタメン最終発表の後は酷かったよなー。膝着いちゃってた先輩も居たし)」


「ヒソヒソ(そうそう。小野先輩とか表情無くなっちゃってたし、杉野先輩は号泣しながら体育館出てっちゃったし…去年は阿鼻叫喚だったなぁ……)」


そこ彼処でため息と遠い目をした先輩の姿が目に付く。


今年卒業した先輩達は数が多かったから、3年生でもスタメン・ベンチメンバーから外れる先輩たちが多かったと聞いていたけどまさかそんなことが起こってたなんて…。


(でも気持ちは分かるな…)


クラブチームの方でも公式戦の試合のスタメン発表で選ばれなかったときは、自分も同じような状態だったのを覚えている。


選ばれなかった憤りをその後の練習で鬱憤を晴らそうとしたが、荒れた心は体にも表れた。


力任せの強引なドリブルに精彩を欠いたシュート、敵を抜くことも出来ず弾かれるボールで一層苛立ちが募った。


そんな僕を、自分もスタメンに選ばれなかったのに凛絵は諫(いさ)めてくれた。






――――――――――――――――――――――――――――――――






ガコンッ―――



ボールがリングに弾かれる鈍い音がする。


あらぬ方向に行ったボールを追いかけ、もう一度スリーポイントシュートのラインからシュートを撃つ。



ガコンッ―――



さっきと寸分変わらずリングに弾かれボールが転がっていく。


シュートが入らない度にイラつきが増していく。


自分のシュートを弾くゴールリングを睨んでいると、後ろから誰かがボールを弾ませながら近寄って来ている。


「………」


振り返ると困ったような笑みを浮かべる凛絵がそこに居た。


無言で差し出されたボールを受け取り、再びゴールリングに向き合う。



タンッ…タンッ…タンッ…



数度弾ませてリズムを取る。



タンッ…タンッ…タンッ…



放つシュートの軌跡を頭の中で思い描き、今度こそはと感覚を研ぎ澄ましていく。



タンッ…タンッ………………………………?



床で跳ねたボールは手に戻ってこなかった。


何が、と思いボールがあった方を向いてみれば、数舜前まで僕が撃つ気だったボールを構えた凛絵の姿があった。


「フッ!」


唖然とした僕を他所に、凛絵は落ち着いた態度でシュートを放つ。


彼女の手を離れたボールは綺麗な山なりの軌道を描き、ゴールリングに触れることなく輪の中を潜り、ゴールネットの音を響かせる。


「…隙だらけだったね、たっちゃん♪」


シュートを撃った態勢のまま、悪戯が成功したと言わんばかりに笑みを浮かべながら僕にそう言った。


ボールを取りに行った後姿を見ながら、言われた意味を理解し始めた僕は収まっていたイラつきが再びこみ上げてくるのが分かった。


「凛ちゃ「たっちゃん、1on1しよっか」」


僕の言葉に被せるように彼女が口を開く。


"なんで"、そう悪態をつこうとしたところにボールが投げ渡され出鼻を挫かれる。


僕からおよそ2m、ゴールリングとの間で待ち構えるように腕を広げている。


突然の言葉に何を、と思ったが彼女の顔を見て1on1を受けた。


不敵な笑みを浮かべていた凛絵とボールを取り合う時間は不思議と心が落ち着いた。


スタメンに選ばれなかったことも、シュートやドリブルがうまく行かなったことも、小さいことと思えるくらいに凛絵との1on1の方が記憶に残った。


そこからは休憩時間いっぱいまで遊び倒し、凛絵とともに無心でボールを取り合った。


言葉ではなく行動で凛絵は僕の心を静めてくれた。



――――――――――――――――――――――――――――――――



「まずパワーフォワード!3年、浅間!」


昔を思い出している間に選抜メンバーの発表が始まっていた。


意識をコーチに戻す。


2か月前と同様に、各ポジションを任される生徒の名前が続々と読み上げられていき、安堵と落胆の声が漏れ聞こえる。


今のところ既に発表されたスタメン通りにメンバーが読み上げられているが自分のポジション、シューティングガードはまだ発表されていない。


これまでの練習でベストを尽くしてきた。


先輩方の動きに喰らいつき、付いて行けてたつもりだ。


それでも…という不安がある。



―――…キュ―――



不意に手が温かい感触に包まれた。


何事かと顔を向ければ、凛絵の手が僕の手を包み込んでいる。


微笑を称え、凛絵の顔が近づく。


「(大丈夫だよ、たっちゃん。たっちゃんなら外されるなんて無いよ)」


さっき、僕が言ったのと同じ言葉を投げかけてくれた。


その言葉にドキッとして何か言葉を返そうとしたとき。



「……シューティングガード!…1年、飛鳥井!!」



自分の名前が呼ばれた。


「(~~~~~~っ!)」


声は出さないが満面の笑みで凛絵は喜びを表現してくれる。


ほらね、とでも言うように。


2人揃っての全国大会スターティングメンバー選出。


それを喜ぶ凛絵の表情は、僕の心に焼き付いた。








その後、女バスの方でもスタメンの最終確認が発表され、無事に凛絵はスタメンのメンバーに選ばれた。


僕ら2人は無事に選ばれた事に喜び合い、試合に向けて新たに気を引き締めていた。


その喜びに反発するかのように再び燻り始めた悪意に気付かないまま。











「……ふざけんじゃねえぞ…1年のくせにっ」












「ああそれと試合ユニフォームは一度クリーニングに出す。帰る際にマネージャーに預けるように。以上だ」


その言葉を最後に男女合同ミーティングは終わりを告げ、男バス部長の近江先輩が号令を掛けて散会となった。


満足げな顔、そして不満げな顔をする面々の顔を見ながら


「たっちゃーん!一緒に帰ろー!着替えるまで待っててねー!」


こっちが返事する前にあっという間に更衣室に消えた凛絵の姿に苦笑しつつ僕も更衣室に足を向けようとしたとき、怖気を振るうような視線を感じた。


呼吸を整えながらゆっくりと振り返り、その姿を確認する。


更衣室が空くまで時間をつぶしている10名近い男バス・女バス部員がその場におり、不自然に思われない程度に見回しその顔を確認する。




(嗚呼、やっぱりあんたでしたか……)




僕と視線が合う寸前、その人物は視線を外したがその動作は不自然過ぎた。


一緒に駄弁ってた男バス部員たちからも不思議がられるくらいには。


一抹の望みは絶たれ、男バスが荒れるのはもう避けられないと思った。




そして次週の朝、女バスの部室の、のロッカーから出てきた物で僕の腹は決まった。


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夢を成し遂げた者と捨てた者 さべーじ@らびっと @Zweit

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