アオの中にイる
金沢出流
アオの中にイる
どうやら遮光カーテンを閉め忘れてしまったようで、奥にあるもういちまいの断熱効果のあるという青色のカーテンからはかすかに光が漏れている。
その光る青でもってボクは目覚めた。
時計を見やると時刻は12時37分。
眠りおちるまえ、シャットダウンし忘れたパソコンにはおそらくくだらない内容であろう文章がちかちかと残っている。ボクはそれらを一瞥し、その文章すべてを削除して、パソコンを落とした。
スマートスピーカーに声をかけ、照明を灯しランダムに音楽を流すよう指示する。
偶然の音楽は蒼のワルツだった。映画の主題歌だ。玲瓏な唄声が部屋を満たす。
その映画ではたしか、北米メキシコの海にしか存しない魚の群れを海に潜り直にみるという夢を持ったダイビングショップに勤める大学生と、人魚のように海を泳ぐなどという現実にはけして叶わぬ転寝の夢をみる、ひきこもりがちで祖母からは夜の散歩しか許されていない車椅子の、つまり脚に障害を持つヒロインとの恋愛模様を描いたアニメ映画の、その主題歌である。
「健常者にはわからん」
ボクはなんとなく呟いた。あの映画でヒロインが主人公に放った台詞である。
スツールに座り、もらいもののラフロイグセレクトをウイスキー用のストレートグラスに注いでそれをひとくち呑んだ。
かすかに磯の香りがする。
干したグラスをもって台所へ向かってそれをシンクに置いた。それから薬缶を用いて湯を沸かす。
グラスを洗わないとな、とおもいながらもどうにもめんどうで、そんなことだから手持ち無沙汰になってなんとはなく部屋に戻りカーテンを開け放った。
雲がない。
眩しさに瞼を軽く下ろす。
晴天の青い空が広がっている。
その向こうには薄鈍色の横浜ランドマークタワーがみえる。
ボクにはそれらがきもちのいい天気にみえた。
窓を開け放ってベランダに出る。
ふと寒さに震える。
あんまりに晴天だったものだから冬だということを失念していたらしい。
「健常者にはわからん」
ボクはまた呟いた。
部屋に戻って、ふだんそう使うことのないLAMYの万年筆をもってきて、デスクの上の手帳に書いた。
『けんじょうしゃにはわからん』
インクがつまっていたものだからなかなか上手く書くことができなくてページはぐちゃぐちゃだ。ボクはいちばんうまく書けたその言葉の上に青色のマーカーを引いた。インクの文字が霞んだ。
台所の方から湯が沸いた気配がして、すこし贅沢をしてもいいかな、とまたももらいものの茶葉で紅茶を淹れる。
たしか、エロスという名のついた茶葉だ。
おもえば、かの映画の田辺聖子著である原作小説はフランス的な、バタイユ的エロティシズムを描いた作品だった。
ボクは茶の蒸れるのを待ちながら、青に染まって滲んだ先ほど自身の書いた言葉を見つ、ただ時が過ぎるのを待った。
やがて、花弁を開いたばかりの美しい花のような薫りがして、ボクはそのある種の麝香になんだかやるせない気持ちになって、その紅茶を啜って味わい、それから深い呼吸をし、青の空を見やる。
アオの中にイる 金沢出流 @KANZAWA-izuru
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