4.悪戯好きな神さま

 瞼をそっと持ち上げると、眉尻を下げたユヅルの顔が飛び込んできた。

 ふわふわとした薄茶の髪が風に揺られ、首元に巻いた臙脂色のマフラーの片裾が右肩から胸元に垂れ下がっている。


「タケさん、はやく行こう?」


 ユヅルが俺の腕の裾をくいっと小さく引っ張る。歩き出したユヅルの後ろを言われるがままについて行った。


 階段をゆっくりと下りながら見渡すと、澄明な空の下に極彩色の景色が一面に広がっていて、がやがやと賑々しい音が鼓膜を揺らした。石畳は犇めき合った人影に隠れてしまっている。

 ふと左に視界を移すと、常香炉の白煙を浴びる大勢の人の姿や、手に持った御神籤を広げ一喜一憂する男女の姿が見えた。

 

 本堂に向かって、参拝客が長蛇の列を作っている。


 ああ、そうだ。そうだった。

 俺はユヅルと初詣をしに浅草に来たんだ。


 年が明けてお節を食べながらユヅルと一緒にテレビを見ていると、浅草から中継をしていて。人混みに辟易しながらもユヅルが前のめりになっているから、たまには良いかとユヅルを誘った。


「……行ってみるか?」

「うん!」


 電車に揺られ、一時間弱。

 隙間だらけの西武線とは違い、銀座線は朝の通勤時間帯みたいにぎゅうぎゅう詰めだった。浅草に着き、想像以上の人混みに怖気付いていると、


「おもちゃ箱みたいに賑やかだね」


 なんて、ユヅルが楽しげに口元を緩ませるから、心にのしかかっていた重石は瞬きの間に消えていった。


「んー暖かくて甘くて美味しい」


 ほんのりと色付いた人形焼や、芋羊羹と粒あんがぎっしり詰まったどら焼き。俺が煎餅を食べる傍ら、ユヅルは次々と腹の中に甘いスイーツを収めていく。見ていて気持ちの良い食べっぷりに小さく笑みを溢し、ゆっくりと仲見世通りを抜けた。


 そして本堂に向かう長蛇の列に並び、賽銭箱に五円玉を投げ入れた。目を瞑りながら手を合わせ祈りを捧げていると、急に気が遠くなって――。


「――タケさん、大丈夫?」


 賽銭箱の前から捌けて御神籤の列にユヅルと並んでいると、ユヅルの瞳が真っ直ぐに俺を映し出す。


 ああ、何やってるんだ俺は。ユヅルに心配を掛けて。


 ぼんやりとした頭の中から煙を追い払うように深く息を吐く。そしてユヅルを見遣り、安心させるように目元を緩め、口を開いた。


「……実はさ、参拝中に不思議な夢を見たんだ」

「夢?」


 ユヅルが瞬きをして小首を傾げ、俺は軽く顎を引く。


「ああ。目が覚めたら、俺の隣にはポメラニアンがいて」

「えっ」

「戸惑っていると実家の部屋に連れていかれて、そして再び目を覚ますと、今度はゴールデンレトリバーがいた。しまいには絢子まで出てきてさ、俺が七夕の日に連れて帰ったのは、犬のユヅルだって言うんだ……」


 吐き出すと、ふわふわと浮いていた意識がやっと地に着いたような気がした。


「……変な夢だよな」


 俺が微苦笑を浮かべると、ユヅルが「変じゃないよ!」と強くかぶりを振った。


「だって、俺も同じ夢を見たんだ。俺はタケさんと違って犬になっていて、でも、タケさんは俺に気付いてくれなくて……。だから俺、ポメラニアンなのが悪いのかなって。タケさんの好きなゴールデンレトリバーになれば、タケさん気付いてくれるかなってそう思って……」


 ユヅルが少し俯いて、下唇をわずかに噛む。


「でも、タケさん俺に気付いてくれないから。だから俺悲しくて、早くこんな夢覚めて欲しいって……。いつものタケさんに逢いたいって、必死に出口を探したんだ」


 その言葉に、床に落ちた布団に鼻先を潜り込ませる『ユヅル』の姿が過った。何かを必死に探す、その仕草が。


 ――ああ、そうか。

 お前も俺に逢いたいと、そう思っていてくれたのか。


「でもタケさんは……、俺に気が付いてくれていたんだよね。タケさんが神さまに向かって必死に願ってくれたから。だから俺たち、帰って来れたんじゃないかな。……犬になっていた時は、神さま何でこんな意地悪するのって悲しかったけど」


 ユヅルが「でも」と顔を上げて、顔いっぱいに笑う。


「今は悲しくないよ? だって神さまは、姿形が変わっても大丈夫なんだって教えてくれたから。だから俺、今とっても嬉しいんだ」

「……ユヅル」

「ねえタケさん。もしかすると神さまは、俺たちを試したのかもしれないね」


 列が進み、ユヅルと一緒に足を踏み出す。


「だって俺、神さまに祈ったんだ」  


 一歩、また一歩。そして――、


「タケさんと、ずっと一緒にいれますようにって」


 ユヅルの言葉に息を呑んだ。だって、俺も同じだったから。


 ――明日も明後日も、ユヅルと一緒に過ごせますように。


 手を合わせながら、神さまにそう願ったんだ。


「……ははっ意地悪な神さまだな」


 肩の力が抜ける。笑い混じりに言うと、ユヅルが「ほんとだね」と笑った。


 そうこうしている内に御神籤を引く番がやって来て、六角形の銀筒を振って下に向けた。すると、『七』と赤字で描かれた棒が現れて、隣を見ると、目をまあるくしたユヅルの手に、『七』と描かれた棒があった。


 『七』と『七』。それは、ユヅルと出逢った日を示唆しているようで――。


「すごい偶然だな……」


 俺が呆気に取られながら言うと、ユヅルも「本当だね……」と呟くように言う。そして、「神さまの贈り物かな」と無邪気に笑った。


 ――神さまは悪戯好きで、時に意地悪だ。


 願いとは裏腹に試すようなことをして……。でも、こんな小粋なことをされたら流石に怒る気にはなれなかった。


 俺の隣で、ユヅルが嬉しそうに笑っているから。


「次、タケさんの番だよ!」


 早々に戸棚を引き御神籤を手にしたユヅルが頬を上気させ、爛とした瞳を俺に向ける。見ると、ユヅルは御神籤をひっくり返し胸元に抱いていた


 早く御神籤の結果を見たいだろうに俺を待ってくれているユヅルのその気持ちが嬉しくて、心にじんわりと温もりが広がっていく。


 棒から手を離す。すると、銀筒に吸い込まれていった棒が、からん、と歌をうたう。賽銭箱に願いを投げたような、希望の歌を。


 御神籤には、一体どんな言葉が書かれているのだろうか。悪戯好きな神さまのことだから、もしかしたら大凶かもしれない。


 でも、ちっとも怖くなんてない。だってこれから先何があったって、ユヅルと一緒なら乗り越えられる筈だから。


 ふたりでいれば――、きっと大丈夫なんだ。


「せーの!」


 ユヅルが掛け声を放ち、御神籤を見せあう――その瞬間、澄明な空から鳥の声が降り注いだ。


 祝福を歌うような、涼やかな声が。

 

 見上げると、二羽の鳥が連なって羽ばたいていた。

 風に逆らいながらも、真っ直ぐに前へ。


 果てない空へどこまでも。


 ――きみの隣で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢の中で逢いましょう 槙野 光 @makino_hikari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ