雪の妖精
赤坂英二
雪の妖精
ここ数年、よく見てきた夢がある。
最初に見たのはまだ十代の学生の頃だった。
初めてそこに入ったときは驚いた。
そこは森の中で、雪が積もっていた。
夢の中なのに寒く森をさまよい歩いているのだ。
森に生えている木々、これはおよそ日本のものではない。
きっとあそこは異国の地。
寒さに震えながらあてもなく歩いていくと、一軒の建物がある。
木材で作られたログハウス、入り口のドアに看板がある。
文字は読めなかった。異国の地の文字だから。
どんな店かもわからなかったが、とにかく暖を取りたかったから戸惑うことなく扉を開けた。
「ごめん下さい」
そっと室内へ顔だけいれて覗き込んだ。
中は暖かった、それに優しく明るかった。
ろうそくの火だった。壁にろうそくが掛けられている。
他にも壁には絵が掛けられていて、おしゃれでかわいい内装だった。
「いらっしゃいませ」
声が私を呼んだ。
女性の声だ。優しく、穏やか、品がある。
私は声の方を見た。
「!」
カウンターの向こうに彼女はいた。
白いほどの綺麗な金髪を緩く編んで、深い蒼い瞳に白い肌。
長身で細身の体に合ったロングドレス。
きれいな女性、本当にきれいだった。
歳は私よりも少し上、彼女がこちらを見て微笑んでいた。
「……」
彼女の目を見たまま動けない私に彼女は笑った。
「そんなところで立っていたら部屋が冷えてしまうわ。こちらへどうぞ」
女性は自分の前の椅子へ手を向けた。
「はい」
私は言われるがままゆっくりとカウンターへ、彼女へ近づいていく。そして椅子に座った。
暖炉の中で木が燃えている。
暖かい。
「旅の方かしら。この辺りでは珍しい格好をしているのね」
私から見れば彼女の服装が珍しい。
「ここは何なんですか?」
「ここは素敵な場所、かしら」
そう言って彼女はウフフと口元に手を添えて笑った。
不思議と言葉は通じた。
「何か飲む?」
「温かいものはありますか?」
そう私が言うと彼女はまた笑って、
「もちろん」
そう言って準備を始めた。
「どうぞ」
出されたのは飲み物というよりもスープだった。
「え?」
キョトンとする私に彼女は微笑みながら答える。
「随分疲れた顔をしているわ。温めて栄養も取ってね」
スープからはゆらゆらと湯気が上っている。
野菜が多く入ったスープ。
私はスプーンで一口すすった。
「美味しい」
優しい味、素材の味が活きている味。スープが私の体を中から温めていってくれるのがわかる。
「お口に合った?」
彼女は少し不安そうに訊いてくる。
「はい」
私はコクリと頷く。
「良かった」
彼女は目の前でニコリと笑ってくれた。
「随分吹雪がひどくなってきたわね」
窓の外を眺めながら彼女は言う。
「一晩外を歩いていたら雪だるまになっていたかもね」
「そんなもんじゃすまないです」
「お客さんは何人くらい来るんですか?」
外は街灯一つない森の中、人はどれくらいくるのか気になった。
「今夜はあなただけかしら」
「そうなんですか」
子どもながら暮らしていけるのか不安になった。
「だからたくさん話してね」
麗しい彼女に言われるとすごく照れ臭かったが、それでも悪い気はしなかった。
彼女とはそこでいろいろな話をした。
自分の暮らしている世界のこと、彼女は何でも聞いてくれた。
楽しかった。
落ち着いた彼女の性格に甘えてたくさん話してしまう。
まるで姉のようだと思った。
いつもなにか時間が経っていた。
少し窓の外が明るくなっている。
「そろそろ帰らないと」
何となくそう思った。
だから席を立った。
「そう、また来てね」
彼女は小さく手を振ってくれた。
私が店の外へ出ると、朝日が森にさしていた。雪が朝日に照らされて輝いている。
「美しい」
景色をそのように感じたことなどなかった、それが初めての光景だった。
感動すると、そこで私は夢が覚めた。
目が覚めると部屋の布団の中だった。
「……」
はっきりと覚えている。
雪の寒さも。
暖炉の暖かさも。
スープの味も。
彼女の笑顔も。
随分不思議な夢を見たと初めての時は思った。
再び行けた時も、彼女とはいろいろな話をした。
「この壁の絵はすべてこの辺りの景色なんですか?」
「えぇ。この近くにはこれがあるわ」
彼女は壁の一番大きな絵を指した。
大きく切り立った崖のような景色。
「フィヨルドっていうの」
フィヨルド、ここは北欧の地域ということなのだろうか。
二回目は彼女の住む国の話をよく聞いてしまった。
それからも私は同じ夢を見た。
春でも夏でも秋でも冬でも、いつ行ってもそこは雪の森の中だった。
そしていつでも彼女は迎え入れてくれた。
どのようなタイミングであそこへ行けるのかは分からない。
いつしか眠るのも楽しみになった。
ある時、私が初めてできた恋人に振られたと泣き話をすれば、ホットココアを出してくれた。
温かい甘さが身に染みて、涙してしまった。
彼女は黙って話を聞いてくれた。
目が覚めるまで。
またある時は、学校を卒業したと言ったら喜んでくれた。
その時はお手製のシチューでもてなしをしてくれた。
彼女にこれから別の学校で新しいことを学ぶと伝えたら応援してくれた。
とにかく彼女との時間は幸せだった。
成人したと報告したときにはお祝いにホットウイスキーを出してくれた。
「初めて飲む酒です」
「どうかしら」
クイっと飲むとカっと体が熱くなるのを感じる。
独特な香りが口の中に残る。
「んん……」
しかし味は美味しいと思った。
「おいしいです」
「良かった」
彼女は微笑む。
その後彼女が出してくれたサーモンの小料理も美味しかった。
その後現実でホットウイスキーを飲んだら、むせてしまい飲めなかった。
味もあの時とは全く違う、ただの毒に感じた。
友人には「いきなりそんな酒飲むから」と笑われた。
そのことを彼女に伝えれば、
「愛情が入っているからかもね」
などとからかわれた。
今度実際に北欧へ旅行に行こうと思っている。
彼女のオススメしてくれたフィヨルドというものを見に行こうと思う。
彼女とはそこでしか会ったことはない。
私と彼女との間に、身体的な接触は一度もない。
恋愛感情とは違う。
彼女には安らぎを感じる。
しかし彼女と過ごしたあの時間ほど、熱い夜を私は知らない。
いつか行けなくなるその日まで私は彼女と会うのを楽しみにしている。
雪の妖精 赤坂英二 @akasakaeiji_dada
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます