第一章 色の家出と色捕り取り君 その3

 この博士の発明した色捕り取り君は瞬く間に有名になり、みんながこぞって魚の色を取り始めた。海にいる魚を捕獲するため、大きな海中探査機が作られ、みんな一様に海に潜って行った。そのためいままで発見されなかったカラフルな魚が幾つも発見され、テレビの向こう側ではニュースキャスターが連日嬉しそうに報告していた。


 魚が捕られるたび、カラフルな魚が発見されるたび、町は色とりどりになっていった。しかし、そこは魚からとった色。全てが元通りというわけにはいかなかった。


「助手よ、聞いてくれ」


 博士は研究室に入って来るなり叫んだ。片手には一枚の紙、もう片方の手には空のように真っ青な林檎を持っている。その青い林檎をかじりながら一枚の紙を助手に突きつけた。

 コントローラマイクロチップを実験用の基板に取り付けようとしていた助手は、心底迷惑そうに眉を寄せ顔を上げた。


「人が作業している時に、なんです?」

「だって、だって……ん? 助手はいま何をやっているのかな?」

「水中カメラで、三百六十度カメラを動かせるものを開発中です。音も集積しつつ、遠隔操作が可能な。まあ、ドローンですね。水の中で動く。カメラをどうやって固定するかが問題で。アームを可動式にしようか……、まてよ、海中の浮力を利用して……」


 助手はうつむいてブツブツと言い始めた。

「そ、そんなことよりも、この紙だよ。紙」

「ああっ!」


 助手は持っていた工具を放りだして、頭をかきむしると叫んだ。


「部下が集中しているときに邪魔するなんて、あんた本当に上司のクズだな! もう、わかりましたよ。なんですか?」


 助手はため息を吐き、おでこの半分まである短い前髪を撫でつけると、博士の手から紙を半ばひったくるようにして奪い、読んだ。


「なになに、貴殿の要望の助手に関して。条件が難しく見つけることまた難しく、フムフム、また、さらには貴殿の仕事の推進力となりうる人材は甚だ希にて……」

「新しい助手だよ。この前の研究が上手くいったから新しい助手を雇ってくれって希望したら、こんな紙を渡されて。日本語なのに理解出来ないんだ」


 どんな研究員を希望したか、助手にはすぐにわかった。


「あのですね、博士。博士の好みの女性、つまり美人の研究員ですが……」

「あ、私は可愛い方が好みだ。そうだな、芸能人だと……」

「その可愛い研究員、博士の研究理論も理解出来て、なおかつ自分の研究もちゃんとできる女性は探せば、そりゃいるでしょう」


 博士の目が真夏の太陽のように輝きだした。でも、と助手は続ける。


「でも、それらの仕事をこなしながら経費の管理をしたり、清掃員に土下座に近い形で掃除を頼んだり、博士のケツをひっぱたいて仕事をさせる事が出来る人なんて、いるわけないでしょう?」

「え? ケツ……? えっ、もしかしてここの仕事の推進力ってケツのこと?」


「ケツをひっぱたいて、です」

 助手は丁寧に訂正した。


「ひどいっ!」


 博士はかじっていた林檎を落とすと、わっと泣き出した。大げさに泣きだしたわりに涙は長く続かず、顔を上げると助手を睨みつける。


「出てってやる。こんなとこ。私はとんかつの寺田屋とか、海辺のファミレスとかに行くからな、探すんじゃないぞ」

「家出ですね。わかりました。一週間ぐらい帰ってこないでください」

「え? 一週間も?」


 博士が呆然と呟き、それを聞くと助手は唇を歪め忌々しそうな表情を作ると、小さく舌打ちした。


「三日ぐらいはお願いします」

「三日だな。よし、絶対に探すんじゃないぞ。もう、こんなとこ戻ってこないからな。たっぷり後悔するがいい」


 喫茶店アジールにも行っているかも、と告げて、博士はそそくさと研究所を飛び出した。

 博士は色とりどりになった街並みを見て、苦々しく呟く。

 街に色を取り戻してやったのに、みんな私の偉大さをわかっていない。女性からの電話もわんさかとかかってくるかと思っていたのにそれも一切無い。それが博士の不満の種だった。


 唇を尖らせブウブウと変な音を出しながら通りを歩く。そんな博士に近づいてくる女性なんているはずもなく、人々は怯えた顔で博士を避けた。

 たのもう、と言いながらとんかつの寺田屋の看板をくぐる。お昼もすぎた時間なので、お店は比較的空いていた。博士はいつも座るカウンターの席に着くと、とんかつを頼んだ。でてきたとんかつを見て博士は目を丸くする。とんかつが可愛らしいピンクだったのだ。


「店主よ、とんかつがピンクなんだが……」

「仕方ないですよ。昨今の色不足で。普通に揚げているんですがね。赤い卵とか、真っ白なパン粉とか使っているとどうしてもそうなるんです。でも、仕方ないでしょう。とんかつの色にこだわっているような状態じゃないので。ま、大切なのは味ですよ」


 それもそうだな、と博士はとんかつをぱくりと口に入れる。さくっとした衣に柔らかい肉、確かにとんかつの味だった。目を閉じればなんともないさともしゃもしゃと食べていると、後ろのテーブル席にいる親子の会話が聞こえてきた。


「ママ、このエビフライ緑だよ。まずそう、イヤだぁ」

「仕方ないでしょ、我慢して食べなさい」


 でも美味しくなさそう、と女の子が小さく言ったのを博士は聞き逃さなかった。

 母親の方はそれとは別に、口紅の色が変なのばかりだとぐちぐちこぼしていた。博士は親子のグチを聞きながら食べていると、なんだか自分が責められているような気になってきた。いつもだったら最後までぺろりと食べられるとんかつも、だんだん胃の奥に重くのしかかってくる。結局半分食べたところで外にでた。気分を変えようとブラブラ歩き始める。


 ああ、葉っぱもいろんな色になってなんてステキな街並みになったんだろう、と自分の仕事に満足し周りを見まわしてみるが、でも聞こえてくるのはグチばかり。「変な顔色になった」「ジュースがヘドロみたい」「水が透明じゃない、おかしい!」


 そんな声ばかり聞こえる。博士は次第に街を歩くのがイヤになって、近くの公園で一息つくことにした。ベンチでぼぉ、と木漏れ日を見ていると、その前を子供達が元気よく駆け抜けていく。子供達の服も顔もいろんな色がついている。その子らをぼんやり眺めていると、博士の目の前で一番後ろを走っていた男の子が勢いよく転んだ。

 博士は慌てて泣いている子供に近づく。立ち上がらせ傷口にハンカチを巻いてやろうとしたが、流れる血を見て博士はギョッとした。


 膝小僧から流れている血の色。肌から出てきた瞬間は赤いのだが、その赤がやがてすうっと灰色に変化していく、博士は震える手で流れている血を拭いハンカチを巻いてやり、気をつけるんだよと男の子に言い残すと色虫眼鏡をボケットから取り出した。


 色虫眼鏡を覗き込んで辺りをキョロキョロ見回すと、赤い色の玉が公園の入り口のところにいてボンボン跳ね飛んでいた。ボンボン跳ね飛びながら公園を出ていく。

 博士も逃すまいと、色虫眼鏡を覗き込んだまま赤い色の玉を追いかける。


 ウギャウギャと叫ぶ博士。


 ボンボン、ボンボン、はね飛びながら進む赤い色。


 やがて赤い色の玉は近くの海に着いた。赤い色は速度を落とさず、海に行くと次々に飛び込んでいってしまった。

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