第一章 色の家出と色捕り取り君 その2

 博士は、まず色が失われた範囲を調べ始めた。どうやら色が失われた範囲は人間の生活圏を中心としているようだった。陸地、海の浅瀬、などもそうだ。


 本当に人間の住んでいる地域に色がないのか調べるため、小さな色でも見つけられる色虫眼鏡を発明した。これは粒子の配列から色を分析して人間の目にも見えるようにする機械なのでどんな薄く小さい範囲の色だとしても見つけることができた。

 博士はそれを手に取って、フギャ、フギャと変な声を出しながら研究室から飛び出して行った。助手が背後で止める声がしたが気にしなかった。


 そして腰をかがめ、色虫眼鏡で町の隅々まで見回してみる。

 虫眼鏡を手にしながら腰をかがめ、しかもフギャ、フギャと変な声を出している博士を、周りの人々は怯えた目で眺めていた。


 博士の色虫眼鏡を持ってしても街中で色を見つけることはできなかった。

 しかし、海の方へ行くと沖の方は色が残っている。これは裸眼でもちゃんと色を確認できた。はて、どういうことだ、と博士が考えていると浅瀬にやってきた魚が目についた。その魚にはちゃんと色があった。驚いて見ていると、魚は博士の視線に気がついたのか、ピュッと身を翻して沖の方へと泳いで行った。 


 博士は全てわかったと、ニヤリと笑うと叫んだ。


「よし、これで世界に色を取り戻せるぞ!」


 研究室に戻るとキーボードを叩き続け、数日後には魚から色を獲る技術を発明した。設計に合わせて機械を調達し、製作に取りかかる。天才と謳われた博士とあって、一週間とたたずにそれはできた。


「それで……このフィルムをどうするんですか?」


 助手はイスに座り、足を組んで、手に持っていた透明なフィルムをくにゃくにゃ曲げた。博士が新発明だと自慢していたものを奪い取ったのだ。

 なにも意地悪でやったわけではない。博士は新発明のものを手にすると、興奮して叫び続けるクセがあったのだ。ご近所迷惑にならないよう、博士をすみやかに殴りつけ、その手からもぎ取ったのだ。


「そ、それは魚の色を転写出来るものなんだ。そして、それをシールのようにいろんな所に貼り付ければ、世界に色が戻るんだ。名前はそうだな……色捕いろとり君にしよう」


 博士は研究室の一番奥にあるソファにうなだれるように座りこみ、殴られた頬をさすりながら言った。


「この灰色になった世界は、光学反射スペクトルが画一的になってしまったのが原因だ。魚はまだ色が保持されていることに鑑みると、多様な反射スペクトルはまだ残っている。だから薄膜フィルムに反射物質を転写出来るようレドックス触媒反応酵素を使い、エレクトロクロミズムを起こして……」

「はいはい、もう実験始めちゃっていいですか? この魚たちそうなんでしょう?」


 助手は研究室の真ん中にあるパイプテーブルの隣にあるものを指さした。そこには大きな水槽がツールワゴンの一番上に置かれていた。中には色とりどりの魚が何匹も泳いでいる。博士がうなずいたのを見て、助手はテーブルの周りに置かれていたパイプイスを片付け、部屋の隅にあるロッカーから白衣を取り出して袖を通した。


「助手もいつも白衣を着ればいいのに」


 博士は唇を尖らせて舌足らずな口調で言った。博士は実は子供っぽい口調なのだが、自分を偉く見せたいためか時代劇のような古めかしい語調で話す。だが結局はハリボテで、気を抜けばたどたどしい口調に戻るのだ。


「いやですよ。暑苦しいし、普段着ていても意味がないです」


 助手は言いながら窓の外を見た。施設の中は冷房が聞いているとはいえ、外は真夏の暑さだ。とても着る気にはならない。むしろ博士がなぜ、日本のジメジメした暑い夏にもそれも外出する際にも、白衣を着ているのか理解に苦しんだ。それを聞くと、


「科学者たるもの、いつだって白衣を着ていなければならない。助手にはその自覚が足りん」

 と腕を振りまわし、お代官様のような口調で、責めるように言った。


「それはどうも」

 助手に冷ややかに応じられて博士は肩を落としたが、すぐに気を取り直して、ステンレス製のトレイを取り出し、ここに魚を一匹のせるよう言った。助手はオレンジ色の小さな魚を難なくつかむと、トレイに乗せる。


「捕まえるの上手いじゃないか」

「漁師の息子ですから」


 博士はなるほどとうなずきながら、魚の世話は助手に任せちゃえと企んでいた。

 博士は助手からフィルムを返してもらい、ヒェッフーとわけのわからないことを叫びながらフィルムを魚に貼り付け、この実験用に光量を強くしたペンライトを取りだした。光を放つペンの先をフィルムにこすりつけると、たちまちオレンジの色がフィルムについてくる。


「なんか、魚拓みたいですね……」


 魚拓と違うのは魚の形だけではなくて、色も獲れてしまうところだ。その肝心の魚は片面が灰色になってしまい、トレイの上でささやかな抵抗なのかピクピクと動いている。


「もう片方も色をとって、水槽に帰してあげるから大丈夫だよ」


 博士は魚をひっくり返し、色をとりながら言った。魚が完全に灰色になると助手はそっと、魚を水槽に戻してやる。


「色を捕られた魚たちはどうなるんですか?」

「ちゃんと海に戻してやるよ。自然に優しいキャッチ・アンド・リリース。どうだ」

「優しいって、どこがですか。外見が変わって明らかに他の仲間から敬遠されていますよ」


 助手が指さした先には、仲間に入れないでいる小さな魚が寂しそうに泳いでいた。

「大丈夫だって、みんな色を取るんだから。最後は同じになるんだよ」


 ユッピー、ユッピーと叫びながら博士はもう一枚フィルムをつかむ。助手は博士を叱るのをあきらめ、ため息を吐くと赤い魚を捕まえた。

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