熱はアツいうちに打て!!
磊(コイシ)りえい
第一章 色の家出と色捕り取り君 その1
第一章 色の家出と
世界から色が失われてしまった。空も大地も草も花も、もちろん人も灰色になってしまったのだ。でも色が消えてしまっただけなので、日常生活に問題はなかった。ニワトリはタマゴを産むし、野菜は育つ。電気、ガス、水道だって使える。太陽も白っぽい灰色だがちゃんとあるし、日が沈めば夜になる。
それでも人々は不満だった。人々は口々にこう言った。「食べ物が美味しくなさそう」「赤ペンで採点できない」「せっかくキレイな洋服だったのに……」「花の色がなくなってつまんない」「子供の顔色が悪いわ」「絵が描けないじゃないか!」こう言っては口々に嘆いていた。
「これはイカン。私がなんとかしないと」
デスクの下に潜り込み、体を丸めて小さなタブレットでネットニュースを見ていた博士は、突然こう言うと、勇ましく立ち上がろうとした。だがその瞬間、ガッ、と鈍い音がして博士は頭を抱えて、再びうずくまる。
デスクの下にいたまま立ち上がろうとしたので、頭のてっぺんを盛大に打ち付けたのだ。目に涙を浮かべなから、もじゃもじゃ頭をさする。巨大化した丸い髪が一部へこんだ。ヨロヨロと白衣の裾を踏みつけながらデスクから這いだすと、マグカップを手にした助手と目が合った。もっとも博士の目はもじゃもじゃの髪の毛に隠れているので、助手の方は目があったことはわからない。それでもなんとなく不快なものを感じて助手は太い眉をよせ、露骨に侮蔑の視線をなげる。
「なにか、言いたそうだね」
「確かにツッコミたいところは沢山あります」
助手はそう言うと、切れ長の目を博士から自分のコンピューターに向けコーヒーをすすった。
「あ、コーヒーいいな。私のも淹れてくれ」
「仕事していない人がなに言っているんですか。自分で淹れてください」
ピシャリと言われて博士はしょげながら、お湯を沸かすために部屋の隅にあるコンロに向かった。お湯が沸くまでの間に、手動のコーヒーミルで豆をガリガリと砕いていく。豆が砕かれる振動に合わせて、博士の頬や髪もプル、プル、と震える。コーヒーミルのあちこちには、コーヒーの粉がこびりついていた。それを博士も助手もキレイにしようとはしない。
博士は腕をブルブルさせながら、重たいやかんを持ち、よろけながらコーヒーの粉が入っているフィルターにお湯を注ぎ込む。茶色い液体がコーヒーサーバーに落ちるのを眺めながら、本当は助手が淹れたコーヒーの方が美味しいのに、とブツブツ文句を言った。
その瞬間、博士は閃いた、と叫び自分のおでこをぴしゃりと叩くと、大急ぎで自分のコンピューターの前に座る。全く必要ないのに白衣を着こんだままパソコンを立ち上げ、新しい研究項目を付け加えた。
『助手のS成分抽出方法。まずは血中にあると思われるS成分、すなわちサディストのことだが』
「博士、身のある研究してくださいね。一年間で発明しなきゃいけない製品の数があるんですから。それをこなさないと予算が出ないんですよ」
助手の声に博士の手が固まり、恐る恐る助手の方を見る。助手がいるのは誰も使っていないデスクを三つはさんだ、四つ目のデスクで一番出入り口に近い所だ。そこで助手は自分のコンピューターと向かい合っている。めったに白衣を着ない助手は、元は紺色の今は灰色になってしまったポロシャツを着ていて、肌も灰色だが、それ以外は普通の青年だ。その青年がパソコンをいじっているようにしか見えない。それでも博士には助手から発せられるどす黒い空気を感じて、もじゃもじゃ頭をブルブル震わせた。
わ、わかっているよ、と呟き、いまの項目を消すと新しい言葉を入力した。
『色の再生。もしくは作成について』
博士はキーボードを叩きながら、この問題をどうしようかと悩んだ。
「しかし博士が世間を騒がせているニュースを解決するために、開発研究するなんて珍しいですね」
「バカモンッ。私がなにかを解決するために貴重な頭脳を使うか」
「はぁ?」
このときに始めて助手は顔を上げて博士の方を見た。
「よく言うだろう。熱はアツいうちに打て、て」
「へ?」
助手はなにを言いたいのかわからず、戸惑ったように博士を見た。
「だ、か、ら。熱はアツいうちに打て、だっ」
博士は握りしめた手を広げて助手に見せた。まるでそこに正解があるかのように。
「いえ……博士。それを言うなら、鉄は熱いうちに……」
助手の訂正を博士は最後まで聞かず遮った。
「それでだ。その熱をアツいうちに打てば、何物でものないものが、まだふにゃふにゃの状態から打ち付ければ、いろんなものができる。今回のことだったら色のないふにゃふにゃの世界に色が戻って来るだろう。スマートに。エレガントにっ。そうしたら皆は私に感謝する。世間は私のことで持ちきりだ。どれだけ私が優秀で、素晴らしい人物か。ステキな男か」
助手は最後まで聞くのをやめて、またコンピューターの画面と向き合った。耳栓でも買うかな、と呟きながら。そんな助手の様子には気がつかず、博士は立ち上がりながら続ける。
「そしたら、だっ。女性は私に注目するに違いない。私はモテモテだ。いいか、世の女性たちは私の愛を得ようと先を競って争うのだ。どうだ、羨ましいだろっ」
片足をイスに乗せ、助手に指を突きつけたが、助手は無言でキーボードを打っている。博士はあきらめず、ふん、ふん、と指をふってみたが、部屋の中にはキーボードを打つ音しか響いてこない。
博士は肩をおとしてイスに座りなおし、コンピューターの画面と向き合う。
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