第15話 今こそが最も良いタイミング
※ダーヴィデ視点
それは……エステルの独り言だった。
——まさか、私と同じ思いを抱いていたなんて……。
嬉しい思いに駆られ、彼女に自分の思いの丈を伝えると、一瞬エステルの顔が輝き、感動の涙を浮かべてくれた。しかし、次の瞬間にはとても悲しい表情に変わる。
「再会するのが遅すぎたようですわ。私は離婚したばかりで、子供もおりますの。殿下はこれから臣籍に降り、公爵位を賜ると伺っています。どうか、素敵な令嬢と幸せになってくださいませ」
諦めに満ちた声で、彼女は私たちの関係が発展しないことを告げた。
「確かに、もっと早く再会できていたら良かったと思う。しかし、今でも十分間に合うと私は信じているよ。むしろ、今こそが最も良いタイミングなのではないかな?」
私には、幼い頃の初恋を忘れることはできない。そして、今このタイミングで再会できたのは、離婚したばかりで傷ついた彼女を支えるためだと確信した。
「愛している女性の子供は、血が繋がっていなくても、私の子供だ。一緒に愛をもって育てよう。まだ幼いうちなら、私を父親として受け入れてくれるだろう」
私はエステルにそう言いながら、手を差し出した。その手を取ってくれるように祈りながら。
※視点変わります。
ダーヴィデ殿下が私に手を差し出す。その手に思わず自分の手を重ねた。ぱぁーっと顔を輝かせたダーヴィデ殿下の微笑みは、昔庭園で助けてくれた少年のものと同じだった。
数日後、宮廷で国王陛下に拝謁した。ダーヴィデ様――手を重ね合わせた時から、そう呼ぶようにと言われた――は早速国王陛下に私たちのことを話してくださったようだ。
「ダーヴィデ、お前の決断は理解した。これからはギアリー公爵として、エステル嬢とその子を守ることに尽力するがよい。お前ならば、その責務を全うできると信じているぞ。実に良い縁だと思う」
「陛下の御心に深く感謝申し上げます。必ずやその信頼に応える所存です」
陛下の言葉に、ダーヴィデ様はひざまずいて応じた。
「エステル嬢、これからの人生を共に歩む相手としてダーヴィデを選んでくれたこと、喜ばしく思う。互いに支え合い、新たな家族を築きなさい。私はそなたたちを祝福しよう」
私も国王陛下からお声をかけられ、直接祝福の言葉までいただいたのだった。
その後、ダーヴィデ様はマグレガー公爵領の隣地を賜り、ギアリー公爵となった。それからは、毎日のようにマグレガー公爵家を訪問し、私の父と母の信頼を勝ち取った。
私は側妃様に認めてほしくて王宮に出向き、側妃様にご挨拶申し上げたのだが、反応は冷たいものだった。
「マグレガー公爵家のエステル嬢とダーヴィデの身分は釣り合っていると思います。ですが、エステル嬢は一度結婚し、子供もいる身でしょう? ダーヴィデは初婚で、第二王子なのですよ。いくら陛下が認めたとしても、あの子が可哀想です」
厳しい口調で拒絶されたが、母親としてはもっともな意見だと思う。どんな理由にせよ離婚歴のある子持ちの女は、大事な息子の妻には相応しくないのだ。
ダーヴィデ様に側妃様から言われた言葉を伝えると、私のために怒ってくださった。
「父上が許してくださったのだから、エステル嬢と結婚するのに、本来は母上の許可などいらない。エステルにそんなことを言うなんて許せないよ……すまない。嫌な思いをさせたね。もう母上のところへは行かなくていいからね」
シュンとした表情で謝ってくださるダーヴィデ様が可愛い。私を守ってくれるダーヴィデ様だからこそ、私は彼のお母様――側妃様と仲良くしたかった。
「ううん、いいのよ。母親の気持ちは私もセドリックの親だからわかるもの。息子には条件の良い嫁を迎えさせて、幸せになってほしいのよ。純粋な親心よ。もう一回だけ、セドリックも連れてダーヴィデ様と一緒に会いに行くわ。それでダメなら、仲良くするのは諦めるわ」
また別な日、セドリックを連れて側妃様のサロンに足を踏み入れた。隣にはダーヴィデ様がいて、その腕にはセドリックが抱かれている。側妃様は驚きの表情でダーヴィデ様とセドリックを見比べていた。私の子供が水色の髪と瞳を持つとは、思ってもいなかったらしい。私は恥を忍んで、ザカライアと結婚するに至った経緯を説明した――つまり、人違いで結婚したということを。
その間、セドリックはふわりと揺れる水色の髪を陽光に輝かせ、澄んだ同じ色の瞳で周囲を見回していた。次の瞬間、セドリックは側妃様に向かって声を張り上げた。
「ばぁばっ!」
部屋が一瞬静まり返る。セドリックが両手を伸ばし、側妃様に向かってにっこりと笑っている。その笑顔は無邪気そのもので、見る者の心を溶かすような温かさを持っていた。
「今……今なんて言いましたの?」
側妃様の表情が驚きで揺らぐ。
「失礼しました、側妃様。不敬なことを……」
私は慌てて口を挟む。
「不敬? 何を言っていますの!」
側妃様はセドリックに近づき、その瞳を覗き込んだ。その水色の輝きに引き寄せられるように、彼女は息を飲む。
「ダーヴィデの幼い頃とそっくり……髪も瞳も……顔立ちまでも……なんとまあ……」
セドリックが再び手を伸ばし、小さな指で側妃様の手をつかむ。その仕草に心を撃ち抜かれたのか、側妃様の表情が一気に柔らかくなった。
「……私の孫ですわ」
静かな声が、しかし確信を持って響いた。
「こんなにも愛らしい子が、私の目の前にいるのですもの。血が繋がっていなくとも、この子は私の可愛い孫です。不幸な人違いで結婚してしまったエステル嬢は、少し遠回りして本来の道に戻っただけよ。まぁまぁ、なんと可愛いこと」
驚いたようにダーヴィデ様と私が目を見交わす中、側妃様はセドリックを抱き上げた。セドリックは満面の笑みを浮かべながら、側妃様の頬に小さな手を押し付ける。
「早く結婚なさい、ダーヴィデはこの子の父親になるべきですよ。そして、この子に弟や妹をつくってあげなさいね。賑やかな家庭ができることでしょうね。エステル嬢、私は応援しますわ」
側妃様がセドリックを抱きしめながら柔らかく微笑むその姿に、私の胸はじんと熱くなった。帰りの馬車で私はセドリックを抱きながら、ダーヴィデ様の隣に座っていた。セドリックはダーヴィデ様に手を伸ばし、今度は「ぱぁぱぁーー」と呟いた。
「なに! エステル、今の言葉を聞いたかい? 私のことを早速父親と認めたようだ。なんという賢い子だ。うんうん、私が君の父親だからな」
愛おしげにセドリックを抱き上げるダーヴィデ様の瞳は、優しさと幸福に満ちていた。
「……今こそが最も良いタイミングなのではないかな?」
かつての彼の言葉は、まったくそのとおりだと思う。これまでの道のりは決して平坦ではなかったけれど、今、この瞬間が私たちにとって最高の未来への出発点なのだ。
「ダーヴィデ様、これからよろしくお願いしますね」
「ああ、君とセドリック、そしてこれから生まれる家族すべてを、私は命を懸けて守るよ」
新たな家族の未来を描きながら、私たちは穏やかに微笑み合ったのだった。
完
旦那様、私はあなたに愛されていると思っていました。でも…… 青空一夏 @sachimaru
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