クラゲ

かどの かゆた

クラゲ

 曇り空の下、砂浜に打ち上げられたクラゲを見ていた。

 横たわる半透明の身体は、波で揺れてかすかに動くが、もう命はない。

 もし、ここで人が死んでいたら、僕は少なからずショックを受けるだろう。魚の亡骸だって、良い気分はしない。枯れた植物すら、うすく嫌悪感がある。

 それに比べて、クラゲはなんて、すがすがしいのだろう。


「僕は、クラゲになって死にたい」


 ばかばかしいことだが、本気でそう思った。

 こんなふうに命とか血とか、性とか、そういうグロテスクなものの感じられない存在になって、そうして死んでゆけたなら、どんなに良いだろう。

 海中をたよりなくさまよい、波の気まぐれで弾き出されて、砂浜でかぴかぴに乾く。そういう残酷さを語ろうとしない、いさぎよさ。


「死なないでくださいよ」


 流木に腰かけた彼女は、冷たい潮風に身震いした。

 これは、僕の友達に振られた彼女の傷心旅行だった。知り合いで免許を持っているのが僕だけだったので、白羽の矢が立ったらしい。

 楽しい旅行ではないので、他に人は呼ばず、二人きり。

 彼女は僕のことを何だと思っているのだろうか。一応、僕の方が年は上なのだが、だからこそ舐められている感がある。


「帰ろうか」


 海は到着する前、車窓から見えた時がピークだった。泳げもしないし、近くで海の幸が食べられる場所でもない。

 実際、着いてからは僕の方が海を見ていて、彼女は座ってぼーっとしている様子だった。


「やだなぁ」


 彼女は手で顔を覆って、首を振った。


「何が嫌なんだよ」


「帰りたくない」


「小学生か」


 遠くで、鳥の鳴き声がした。甲高く、耳障りだった。


「なんで、あんな人好きになっちゃったんだろう」


 彼女が言った言葉はまさに、僕が思っていることでもあった。

 どうして僕は、この子を好きになったんだろう。

 惚れなければ。

 生きていなければ。

 クラゲであれば。

 せめて、僕があの、女癖の悪い男の友達でなければ。

 いろいろな仮定が頭をめぐって、その間、波は一定のリズムを繰り返していた。


「こんな面倒くさい女、誰も本気で好きになんてならないですよね」


 女性との関わりが薄い僕でも、それが否定待ちの言葉なのは流石に分かった。

 でも、どう否定してやれば良いのか分からなかった。彼女は本当に面倒くさかったし、僕の友達は彼女に本気ではなかった。

 反例は一つ。

 僕は彼女が好きだ。多分、本気で。


「先輩はなんで、私を海に連れてってくれたんですか?」


「へ?」


 おかしい、と思った。

 だって、前後の話につながりがない。「誰も私を好きにならない。それで、今回の傷心旅行に付き合ってくれた理由は?」訳の分からない会話だ。

 彼女は上目遣いで僕を見ていた。その瞳は黒くて艶があり、ぬいぐるみのようなわざとらしさがある。

 そこでようやく、僕は彼女の期待を感じ取った。


「海に連れて行ったのは、それは……」


 慎重に言葉を選びながら、僕は彼女を汚らわしいと思った。

 慎みがない。見境がない。目の前にエサが転がっていたから、とりあえず拾って食う意地汚さ。

 でも、全然嫌じゃなかった。

 惚れた弱みではない。

 彼女はクラゲだった。

 僕のきざな台詞を聞いて、初恋の乙女みたいに透明な笑みを浮かべる彼女は、この上なくすがすがしかった。

 

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クラゲ かどの かゆた @kudamonogayu01

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