第5話 雪解け
「…………『悪い子、みーつけた』っ!」
「ふぇ――?」
女性の声と肩の振動に、コトは顔を上げる。
肩越しに振り返るコトが見たのは。
「『泣いている悪い子はぁ……ブラックサンタが連れてくぞ』~‼」
黒色のサンタ帽子とサングラス。
肩に着くぐらいだった髪は、いつの間にか腰まで伸びている。
コトより10歳ほど年上の成人女性が、低い声を出しながら見下ろしていた。
「…………おねえ、ちゃん?」
「『そんな名前ではない』っ! 『我は伝説のブラックサンタである』‼」
ブレッブレのキャラ設定は、確かにコトの実姉――ヒバリと同じだ。
……しかし、結婚して県外にいるはずの姉が、どうしてここに?
帰省は聞いていたとはいえ、あまりに急だ。
「元々時間はちょっと遅めに伝えててね?
『どうせなら』って思って、1本早い便で帰ってきちゃった」
ブラックサンタは諦めたらしい。
涙の引っ込んだコトの頬に、姉の手が触れる。
「そうしたら愛しの妹が泣きじゃくってんだもん、びっくりしたよ~?
ユーキ……私の『夫さん』には、先に家に荷物持ってってもらった」
「ユーキさん、かわいそう」
「いいのっ、どうせ元気有り余ってるし!
それに…………」
姉は一度、言葉を止めた。
真剣な目をして、コトの顔を挟んだまま覗き込む。
「コトを泣かせた奴に、一発ぶちかまさないと。
……どうしたの? 誰かにイヤなこと言われた?」
姉は相変わらず気が強く――いつだって優しい。
まっすぐな姉にうながされて、コトは精一杯、自分の言葉を探した。
「お、にいちゃん……今日、おかしくて。
こっそり追いかけたら……わたしが作ったお守り、お店のレジに置いてて……。
いらなく、なったのかなって思ったら――」
「『おにいちゃん』ってトビだよね?」
「かんちがいかも知れないし……でも苦しくなって、」
また泣きそうになるコトに、姉は笑って見せる。
「ここに、文明の利器ことスマホがあります。
色々な事ができますよ~? 例えば……」
芝居がかった仕草で取り出したスマホを、姉は数回タップした。
「女を泣かした弟、呼びつけたりとかね?」
***
「――さて、説明してもらいましょう」
商店街のフードコートで、姉はそう宣言した。
前に座っているのは、先程呼び出された兄。コトは何となく視線を合わせづらくて、隣の姉を見る。
「……ヒバリ姉さん、何でここに」
「んなことどーでもいい。
今1番やらなきゃいけないのは、アンタのバカ行動を説明すること」
「行動? それに説明って……」
兄の視線がこちらに向いているのを感じる。
「アンタがコトのお守り、売り飛ばそうとした件よ」
「…………は?」
甲高い声が上がった。
姉は上手く話せないコトに代わって、事情を説明する。
朝から様子がおかしかったこと。
こっそり後をつけたこと。
ヒーローショーで見つけたこと。
雑貨屋でお守りをレジに置き、店員と話していたこと。
こういう時、姉は公平だ。
どうして自分は怒っているのか、きちんと言葉にして話してくれる。それも客観的に。
話を聞き終えた兄は――、
「…………弁解させて下さい」
そう言って、手を挙げた。
「あれは売ろうとしたんじゃなくて、似た生地のフェルト探してもらってたんだ」
「似た生地? ……なぜ?」
「あれ付けてると弓の調子が良くて」
「だからもう一つ作ろうとした、と?」
姉の放ったその予想に、首を振る。
「作ろうとしたんだけど――贈り物に」
「じゃあ……あの変な封筒は、何?」
コトは思わずそう聞いた。
『変な封筒』――カウンターに置いてあった、茶色の封筒である。
「ヒーローショーは、アルバイトなんでしょ?
だからお金が欲しいんじゃないかって……」
「封筒?
…………トビ、怪しげな薬とかじゃないわよね」
「違うって!」
兄は慌てた様子で、リュックに手を突っ込んだ。
出てきた茶封筒をひっくり返す。
「見てもらってたのはこれなんだ……!」
コロンと出てきたのは、細長いヒモだった。
……いや、ヒモにしては細すぎだろうか? 先には赤と白の輪が付いていて、黄土色の毛がほつれている。
姉はそれを一目見て、眉をひそめた。
「これ、弓道の弦よね? しかも切れてるし……っ!」
言葉の途中で何かに気づき、息をのむ。
丸まった弦をつまみ上げ、姉はこう言った。
「…………安産弦。
ごめんコト――10%ぐらい、私のせいだわ」
「ふぇ……?」
「9割俺か……まあそりゃそうだ」
「ご利益のあるフェルト使って、これ入れる巾着袋作ろうとしたのよ。
贈ろうとした相手がお姉ちゃん」
眉を下げたその顔は、姉が本当に申し訳なく思っている証拠だ。
……その言葉の意味が分かって、コトは目を見開く。
「私ね――お腹に、赤ちゃんがいるの。
ってかちょっと待って……トビ、もしかしてコトは……」
「母さん達とも相談中で……どうやって伝えるべきか話し合い中、だった。
今全部話されたけど」
眉を下げるよく似た顔で、兄もこちらを見る。
「バイトしてたのはその……出産祝い、何か買えるかと思って。
パン屋の風船バイトもしてた」
「風船って……着ぐるみの⁈」
コトははたと気づき、真後ろを振り返る。
「――ごめんねえコトちゃん。
内緒にしてって頼まれて……!」
パン屋の女主人はそう言って、こちらに手を合わせた。
そういえば、とコトは今朝を思い出す。
……商店街で声をかけてきた人々は、兄に『内緒にして』とは頼まれていない。
しかし、姉の妊娠自体は知っていたのではないだろうか?
――小松菜、ほうれん草、カツオにレバー。
考えてみればどれも健康に良いものばかりだ。
それに魚屋に至っては『お祝い』と言っていたような気もする。
――公園で会ったリクヤも、考えてみれば何故あそこにいたのか。
バイト中の誰かに安産弦を届けに来たのなら、つじつまも合う。
「ごめん、コト……不安にさせたし、色々」
「私も責任あるわ……いっそ帰ってから直接、みんなに報告しときゃ――」
「…………ふん」
姉兄が顔を上げて、目を丸くする。
拗ねていることを自覚しながら、コトは頬を膨らませてみせた。
「…………ひどい、わたしだけ仲間外れ」
「ちっ、違うんだコト! いや違くないか!
本当は今日のご飯の時に説明する気で……‼」
「許してコトちゃ~ん‼
私もちゃんと会って説明しとけば、泣かせずに済んだのにぃ――!
お姉ちゃんのおバカぁっ‼」
……ああ。
自分の口元は今、緩んでいないだろうか。
声は嬉しげになっていないか。
心が飛び跳ねそうなこと、バレていないか。
「じゃあ…………いっぱい、甘やかして貰わなきゃ」
兄と姉の甘やかし方、学ばせてもらおう。
そうして生まれてきた子を、思いっきり可愛がってやるのだ。
――かつてふたりが、コトにそうしてくれたように。
「……!
うん、任せて! すごく可愛い洋服買ってあげるっ‼
お金はあるわ、好きなもの買いなさい!」
「俺は…………え、どうしよ。
ゲームカセットあげるとか……?」
一瞬の静寂。
「――それでもいいもん」
姉が眉を吊り上げる。
「……おいトビ、アンタに女心ってのは無い訳?」
「待ってくれ……そうだおばさん!
最近新作のパン出ましたよね!」
「『おばさん』ですってぇ……‼」
何だか寒さが増した気がした。
「まずいこれ墓穴を掘ったぁっ!」
震える兄と、説教をする姉。
それらを眺めるコトの鼻に、冷たい何かが乗っかった。
ふたりも気づいたらしく、空を見上げる。
「あれっ……⁈」
「あんれ……‼」
「うわあ……!」
灰色の雲がちぎれて、合間から青色が覗く。
温かい光が、コト達を包むように照らした。
「「「晴れた!」」」
図らずも重なり、顔を見合わせてしまう。
「……ふふっ」
花がほころぶような笑い声は、商店街に響き渡った。
しんしん、ナゾは凱旋す 秋雨みぞれ @Akisame-mizore
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