第8話
高校に入ってからも、その状況はほとんど変わらなかった。古市皐月という邪悪を看破できなかったことに、三宅は自分の見る目を信じられなくなっていた。千紗都と仲良のいい美亜子を例外として、クラスの生徒たちにも気を張っている。
ただ、傷ついた人間を助けたいと思えるのは、千紗都の影響かもしれなかった。意気消沈している鮎川の力になれればと思うが、結局、自分にできることが思い浮かばない。忌避感から当て擦るように神代を非難したが、自分も大して変わらないかもしれない。
ヒーターに差し出していた指先はすっかり熱くなっていた。部屋も快適な温度になっている。
三宅はヒーターの前から立ち上がると、リビングの一角の小さな机に置かれている、パソコンに向かった。ふと、リビングの窓から見た外の景色は、日が落ちきってすっかり暗くなっている。塀越しに隣家からの暖色の灯りが見えた。
室内の時計を見ると、十七時を回っている。思いのほか長い時間、ヒーターの前で物思いに耽ってしまったようだ。
十八時にはパートを終えた麻美が帰宅し、同じころに部活を終えた由貴も帰ってくるため、三宅はその前には終わらせておきたいことがあった。
椅子に座ってデスクトップパソコンを立ち上げると、インターネット検索サイトを開く。少し考えてから、『黒 女 夢』というワードで検索をかけた。表示された結果を見ると、夢占いや女性が出てくる夢の象徴的意味、といったページが並んだ。検索ワードが漠然としすぎていて、思うような結果が得られない。
ふと、今朝の男子生徒たちの会話が頭に浮かんだ。
細田というインフルエンサーが何やらネット上で夢の話をしたという。キーワードに細田、と追加すると、今度は手応えがあった。一瞬ためらってから、ページを開いた。
三宅が見つけたのは、短文投稿型のSNSで細田が投稿しているページだった。アカウント名が本名だったのは幸いといえる。投稿された文章は短かった。
「【速報】話題のアレ、ついに見てしまう。黒い女の夢。黒いワンピース(うろおぼえ)を着た女が立って泣いてる。南国バカンスの夢はどこいった? これ、マジのやつです」
投稿には百をゆうに超える返信がついていた。最初の方は茶化したような返信が多くみられたが、新しい返信になるにつれ細田を心配する声が増え、ニュースを見てやってきた、などという野次馬のものも混じって膨大な量になっていた。
三宅の胸にむかむかするものが込み上げ、返信をスクロールする手を止める。
この細田というアカウントが、ニュースで報じられていた被害者と同一人物かどうかは確信が持てない。だが、意識不明の状態にある人間かもしれない相手を嘲る軽薄な声たちが、見るに堪えなかった。中学時代のクラスメイトと同じだ。退屈な日常の中で、人は常に娯楽と刺激を求め簡単に理性を喪失する。倫理を外れる。
脳科学の本で見た内容が頭をよぎった。報酬を予感させるドーパミンが、人を更なる情報の海へと駆り立てているのだという。ドーパミンが放出されるレバーをラットに操作させる実験は衝撃的だった。ラットは自らの足が焼け焦げるまで電流の網の上を歩き、ドーパミンを求めてレバーを押し続けたという……。
人間もラットと変わらない、と思う。欲望に身を委ねて刺激を探索し、あまつさえ自らが刺激の発信源となって自己を誇大する。
三宅はそんな欲望に塗れたSNSが嫌いだった。
とはいえ、できるだけの確認はしておきたかった。細田のアカウントの投稿履歴を見てみると、黒い女の夢以降も数件の投稿がある。しかし昨日の午後十一時頃からは、ぷっつりと投稿が途切れていた。履歴を見る限り細田は日中も頻繁に投稿する傾向があり、二週間ほど遡ってみても、今日のように朝から夜にかけて投稿が全く無い日は見当たらなかった。
三宅は腕を組んで、パソコンを眺めた。状況だけ見れば、細田がニュースの人物と同一である可能性は高いが、盛大な悪ふざけという可能性も捨てきれない。これでは、細田が見た夢に関する話をどれだけ信じるべきか判断できない。
三宅は、細田が黒い女の夢について投稿したページに戻った。投稿に紐づけられているタグワードから、他の人間の関連投稿を探るためだ。
黒い女、というタグワードを探ると、関連投稿が多数ヒットした。だがやはり、どれが信じるに足る情報かを見分けるは難しかった。中には「クロ美」や「クロ子」などというファンアートのような物まで存在している。これらの投稿は、妙齢の女性から幼い少女のような外見までさまざまで、往々にして作者のフェティッシュが盛り込まれており辟易した。
投稿を古い順に並び変えてみる。
これも男子生徒たちの受け売りだった。話題になってからの投稿が注目度にあやかった真偽不明なものばかりでも、初期の投稿にはそうした作為はないはずだ。
古い投稿をざっと見ていると、三宅の胸には安堵が広がり始めていた。
投稿の多くは『黒い服を着た女が立って泣いている』というものだったからだ。三宅の記憶では、女というよりは少女という感想を抱いたし、服までは覚えていないが、少女は立っておらずしゃがんでいたことは間違いない。加えて、泣いていた、という内容は関連する投稿のほぼすべてに見受けられるが、三宅が見た夢では少女は泣いていたと断言できる状態ではなかった。その点でも、自分の見た夢は別物だと感じた。
三宅は長く息を吐いた。
調べてみれば、怖れるようなものでは無かった。クラスメイトのよもやま話を真に受けてしまった自分が恥ずかしかった。真剣な顔で美亜子にまで相談してしまって、節操のないことをしたと思う。美亜子が帰宅する時間を狙ってもう一度相談するつもりでいたから、そんなことをしなくて本当によかった。
パソコンに表示されている時間を見ると、まもなく一八時だった。そろそろ二人が帰ってくる頃だ。三宅はパソコンの電源を落として、立ち上がった。
玄関の方から、声が聞こえた。誰かが帰ってきたようだ。
とんとんとん、と廊下を歩く音が聞こえたかと思うと、廊下に繋がる扉が開いて、リビングに麻美が慌ただしく入ってきた。両手に買い物袋を提げている。
「ただいま! 買い物してたら遅くなっちゃった。暖房、入れておいてくれたのね」
おかえり、と返す。買い物の品の分別を手伝おうと近づくと、麻美の顔が心なしか蒼白なことに気が付いた。
買い物袋から食材を取り出していた麻美が、顔を上げて雄一を見た。
「そうそう、雄一! 千紗都ちゃん、何かあったの?」
「え? 知らないけど……」
ぞくり、と心臓を冷たい指で撫でられたような心地がした。温かいはずの室内に、冷気が流れ込んできたような悪寒が走る。
「そう? さっき偶然、千紗都ちゃんのお母さんと会ったのよ。慌てて家から出てきたみたいでね。千紗都ちゃんが病院に運ばれたって、学校から連絡が来たんだって!」
ズボンのポケットで振動を始めた携帯電話の存在は、三宅の頭の中から消え失せていた。
視野が周囲から狭まり、溶暗していくのを感じた。
ユメニオチル @Orenge_ST
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