──……20XX年6月上旬。


 今年で27歳になる私、寺井鈴てらいすずは約20年振りに祖父母が住んでいる小さな田舎町に来ていた。

 駅のホームまで迎えに来てくれていた祖父母は、私の姿を見るなり「鈴ちゃん大きくなったねえ」と嬉しそうに微笑んだ。

 ……20年も前の事だ、祖父母の顔すら覚えていない私からしたら何とも言えない気持ちになる。

 だが、目の前で微笑んでくれている二人を見ているとそんな事を気にする必要はないのだろう、と思った。


「久しぶりおばあちゃん、おじいちゃん。わざわざ迎えに来てくれてありがとう」

 そう言って私も二人に微笑み返した。


 それを聞いた祖母が「気にしなくていいのよ、鈴ちゃんの顔を早く見たかったから」と。声の抑揚からして相当楽しみにしてくれていたのだろう。

 祖父も「ばあさん数日前から鈴が来るってそわそわしてたんだよ、そりゃあもう楽しみで楽しみで……」「おじいさんも同じだったじゃない」祖父の言葉に祖母が軽く言い返すと、事実だったのか祖父は気まずそうに頭を掻いた。

 そんな二人のやり取りを微笑ましく見詰める私は、来てよかった、と心の底から思った。


 ……しかし、この地に来てから何処か引っ掛かりを覚えていた。

──……何か、何か大事な事を忘れている気がする。

 ただ、余りにも曖昧なもので、それ以上は何一つ思い出せそうにもなかった。

 何かを忘れている、という事だけしか……

「鈴ちゃん、どうしたの? 具合いでも悪いかい? 」

 急に俯いて黙り込む私を祖母が心配そうな顔して覗き込んで来た。

「ううん、何でもない。大丈夫。ありがとうおばあちゃん」

 なるべく心配かけさせまいと微笑んで返すと、祖母も安心したようにほっと表情を綻ばせる。


 

「それじゃあ、そろそろお家に帰りましょうか」

「……うん! お世話になります」

 祖父の運転で、約20年振りに祖父母の家に向かった。



 *


「来た、か……」

 手足を枷鎖で縛られた一人の少年。

 ジャラジャラと音を立てながら、ゆっくりと立ち上がり何も無い天井を仰ぐ。

 仮面で顔が隠れている為表情は分からない。


「……君は」

 そう言いかけて、口を噤んだ。

何故こうなったのか、どうしたら元に戻れるのか。いつになったら君が来てくれるのか……──。


「いや、きっと君は思い出すよ。だって……」


 


 窓を開けて、吹き抜ける風を感じながら私は穏やかな気持ちでいた。

 昔────20年前に来た時と同じ空気が透き通っていて、呼吸をするだけで浄化されていく気がする。

 過去に来ていた時私はどう過ごしていたのか、思考を巡らせるも何も思い出せないがきっと、そこまで思い出になるような記憶では無いのだろう。

 20年も足を運ぶことがなかったこの地に今回来たのは、療養が主な理由だ。


 私生活もままならないまま、ギリギリの精神状態でロクに休めず仕事に明け暮れていたら、唐突に今まで張り詰めていた糸、みたいなのがプチりと切れてしまって、理由は分からない、分からないが、自分の中にあるものが少しづつ壊れていくのを感じた。


 それを心配した両親が、祖父母に相談したらしく、そうして今に至る訳であるが────。



 今でも何故祖父母が、この地に私を誘ってくれたのか疑問に思っている節はある。

 この20年近く交流があったのならまだ分からなくもないが、私は祖父母と会うこともなければ連絡さえ取り合っていなかったのだから当然だろう。

 母は、たまに連絡取っていたみたいだけど……。

「……」

 ……考えるだけ無意味だろうし何より私を心配して言ってくれたのだろうから、そうやって疑問に思って「何で?」と疑ってしまうのは余りにも失礼な行為だ。

 ふぅ、と息を吐くと私は車の外の光景に目をやった。

「あ……」

 言葉を失った。

「こんな田舎でも綺麗でしょう?」

 目の前の通り過ぎていく景色に驚嘆し呆気にとられている私を祖母が優しく見つめながら微笑んだ。


 緑が広がって、都会だとありえない光景。

 視界いっぱいに広がる緑。とても質素で何もない所なのだが、謎の安心感がある。

 心なしか空気も違う気がする。

 息を吸うだけで、心が洗われるような────。


 

「いらっしゃい鈴ちゃん。鈴ちゃんもこの家の一員になったのよ。遠慮しないで思う存分羽を伸ばしてね」

「うん、ありがとうおばあちゃん。おじいちゃんおばあちゃん、お世話になります」

「ばあさんと二人だけというのも寂しかったからねえ」

 祖父母の家に着いた。

 昔に来たことあるとは言っても殆ど記憶にない。だがとても懐かしい気持ちになった

 二人は明るく私を歓迎してくれて今日からしばらくお世話になるこの地に感謝する。

 いつまでこの地に滞在しようか、というのはまだハッキリと決めていないがこの分なら大丈夫だろう。

 余りにも居心地が悪かったら、なるべく早めに帰ろうと思っていただけにこんなにも落ち着く居場所が出来た事に少し嬉しく思う。




 とりあえず、私の部屋を用意してくれていたとの事で案内して貰い夕飯までに持ってきた荷物などを片付けてしまおうとキャリーケースに手を掛けた。

「……?」

 ふ、と誰かの視線を感じた私は窓の外に目をやるが誰もいない。

「気のせいかな……」

 祖父か祖母なら声を掛けてくれるだろうし、勘違いだろうか。気にしたら負けだと言い聞かせ、軽く頭を左右に振るとよし、と気を引き締めて片付けを再開させたのだった。


* 


 ────……懐かしい夢を。


 私は何となく、そう何となくだが彼が人間では無いのかもしれないと思っていた。

 それでもそんな事はどうでも良くて。

 最後まで彼の素顔を見る事が叶わなかったけれど、……いや素顔どころか名前すらも知らなかったんだ。

「────……っ」

 ただ、幼い私は幼いなりに彼を一人にしてはいけないんだと。

それ以前に、何も教えてくれない彼の傍に居たいと私自身強く願ってしまったから。

「────……あのさ」

 思い出せない。何も。

 そもそも記憶に残るほど多く会話をしたのだろうか? 何より“彼”とは……?


「──い、──して」

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九夏狐 言葉 @ray01x

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