第3話 縋り付くように

タリラリラン♪タリラリラーン♪


部屋に響くアラームの音。眠りの浅い私は直ぐ目が覚める。


何のメロディかは知らないし、考えたこともない。

当たり前の日常が今日も始まる。

そう思っていた。


「おはようございます」


起き抜けのボヤケた眼で捉えた彼は、昨晩から寸分も違わぬ場所に鎮座していた。


「ずっと、そこに座ってたんですか?」

私は唖然としながら訊ねる。


「いえいえ。お言葉に甘えて湯浴みをさせていただき、幾時か横になりましたよ」


脳が覚醒し始め、昨晩のできごとが蘇る。

彼は釈迦。昨晩、私が拾った、仏陀を名乗る男。

道端の街灯の下に座っていた彼を家に招いた。


「祇園精舎。思い出します、あの美しき依拠を」


彼は何を言っているのだろう?

何かを染み染みと思い出しているようだ。


「あなた、お名前は?」


ああ、そうか。名乗っていなかった。

「私は、神谷ひばりです」


「ひばりさん。昨晩は寄る辺もない私に、宿を提供いただいたこと、陳謝いたします」

釈迦が顔を上げて、私を真っ直ぐに見つめる。


昨日言わないでいてくれた言葉を紡ぎ始める。

「アルコールは抜けましたか?」


私はしょぼくれた声で応答する。

「はい」


釈迦は、できるだけ優しい声で表情で、語りかける。

「自分を丁寧に扱ってください」


そして、それ以上は何も言わない。

言いたいことは多分分かる。


少し間が空いて、釈迦が席から立ち上がる。

「それでは、私はお暇いたしますね」


いつからだろう。

玄関に向かって歩き出す背中を見送るのが怖くなったのは。


6年前に就職で上京してきた。

初めての一人暮らしが心配だと、父が一緒に探してくれたマンションで暮らす。

オートロックじゃないと駄目とか、本当に面倒臭かった。


憧れだった広告代理店に勤めて、毎日遅くまで続く残業。

毎日一緒に愚痴った同期は、日に日に辞めていく。


何となくで始めた恋愛マッチングアプリ。

優しくて格好いい、紳士な男性。

付き合い始めると皆変わってしまう。


いや、メッキが剥がれているだけ。

それでも繰り返している。


私を見てほしい。

一人にしないでほしい。


私を救ってほしい。


縋り付くように、叫んでいた。

「私は、どうやったら幸せになれますか?」


釈迦の足が止まる。

振り返って、私の前に立つ。

「一つ説法をしましょう。おかけなさい」


促されてダイニングテーブルの椅子に座ろうとする私に、釈迦は一言添える。


「その前に、温かいご飯を食べましょう」


〜続〜

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拾ったヒモは、釈迦だった。 Φ(ファイ) @gotapanna

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