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 そんな無謀な考えに辿り着いた時、どこかで雪の塊が地面に落ちた音が静寂を破った。

<何?>

 音の出所が分からず探っていると、また、今度は裏門のすぐ脇、塀の上部の瓦に乗った雪が立て続けにバサバサと落ちた。

 もしや──

 

<不審者?>


 思い当たった姫沙夜キサヤは、恐怖に身を強張らせて、声をあげて誰かを呼ぶことすら出来ずに様子を伺う。


 が。

 次の瞬間、塀の上に現れた人影に、彼女は目を瞬いた。

 頭まで覆った濃茶の外套の下から覗く瞳が、覚えのある黄金きん色だったからだ。


レキ……様?」


 呼ばれた靂は答えず、塀の瓦に手を掛けて身体を持ち上げると、今度はそこに足を乗せ、初めて出会った時に木から身軽に飛び降りたように、難なく庭の内に降り立った。


 靂は足元についた雪を払いながら、「手薄な警護だな」と呟く。外套を首元まで下ろすと、さらりと白銀髪がこぼれた。

 そこにいるのは、間違いなく愛しい許嫁だ。


「……どうし、て?」


 靂は呆気にとられている姫沙夜の立つ縁側に歩み寄ると、眉根を寄せて口を開いた。

「父上から一方的に婚約を破棄したと聞いて、私の意見はおろか文を出そうとするも受け入れられず……埒があかぬゆえ、隙をみて直接来た」

 さらりと言ってのけたが、その声には微かな怒気が混じっている。

 それにしても、こんな場所から塀を越えてくるなど、なんと大胆な。普段の物静かな彼からは、想像のつかない行動だ。

 驚きの冷めやらぬ姫沙夜の動揺など気にもかけぬ様子で、靂は彼女の菫色の瞳を真っ向から見つめた。


「私は、お前を離す気などない。婚約の破棄は認めない」


 静かながら揺るぎない声音に、姫沙夜は、胸の奥に熱が灯るのを感じた。だが、どう言葉にしていいのか分からない。どの言葉も、この感情には追いつかない気がした。


「それだけ、言いにきた」


 固まったままの姫沙夜を置いて、靂が身を翻す。と、そこでやっと、姫沙夜の思考が動いた。

「あのっ」

 慌てて軒下に置いていた履き物に足を入れて、庭に降りた。

 振り返った靂の外套を、姫沙夜は本当に無意識に掴んだ。掴んでから、ハッとして引こうとした手を──靂の手がしっかりと包んだ。

「靂……様」

 視線が合ったのは一瞬で、そのまま抱き込まれる。姫沙夜はまた、こみ上げる思いに潰れそうになりながら必死に言葉を探すも、やはり鼓動が高まるばかりでどうにもならない。


<熱い>

 背に回された靂の腕から感じる、その熱に浮かされそうになる。


「私には、お前だけだ」

 思わず見上げた姫沙夜の頬に、靂の指が触れた。

 また、視線が重なる。それが合図のように、二人は自然に、唇を重ね合わせた。


<ああ>

 

 姫沙夜は、心の奥に沈んだ重い澱みが掻き消えていくのを感じた。それはみるみるうちに明るい光を纏い、凍えそうだった感情に熱を与えて呼び覚ましていく。


 これからの自分たちに、明るい未来が待ち受けている保証などない。それでも──

 

 遠くから微かに、喧騒が聞こえる。

 祭りの灯りは、ここでは見えない。けれど靂こそが、姫沙夜の灯りなのだ。


<この温もりがあれば、越えていける>

 どんなに昏い夜も。


「あまり長居をして、気づかれても面倒だからな」

 靂は、姫沙夜の両肩に手を置いて優しくその身を離すと、諭すように言った。

「このままにはしない。また、必ず会いに来る」

 迷いのない靂の眼差しと言葉を受け、姫沙夜は「はい」としっかり頷いた。



 裏門を開けて靂を送り出すと、姫沙夜はその姿が木々の向こうに見えなくなるまでずっと見守った。

 冬の寒さよりもずっと温かな希望を、胸に抱いて。



(了)

 

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冬灯火 香月 優希 @YukiKazuki

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