第3話 二人きりのクリスマスイブ

 近くの自販機でそれぞれあったかいコーヒーと紅茶を買うと、わたしたちは近くの公園の中へと入っていった。

 大粒の雪が、公園の中に転々と続く街灯の淡い光に照らされ、ひらひらと舞い降りる。

 音もなく雪が降り積もる様は、なんだか別世界にでも来たみたい。


 少し階段をのぼって小高い丘の上にある東屋に着くと、わたしたちは荷物をおろした。

 幸い大きく張り出した屋根のおかげで、テーブルやベンチは無事みたい。

 それに、すぐ近くの街灯が東屋の中をぼんやりと照らしてくれていて、二人でささやかなパーティーをするには十分な場所に思えた。


「ははっ。栞、雪だるまみたいになってるぞ」

 スーパーから五分くらいの道のりだったけど、目深にかぶったフードにまでしっかり雪が積もってしまった。

「そういう奏だって」


 二人して体中の雪をパンパンと払うと、向かいあってベンチに腰かけた。


「すげーいいニオイ」

 ビニール袋の中に積み上げられたフライドチキンのパックのうちの一つを取り出すと、奏がさっそく鼻をひくつかせる。


「でも、そんなにもらってどうするの? 一人じゃさすがに食べきれないでしょ」

「残ったら、冷凍でもしとこっかなって。いつかの非常食用に」

「そっかあ。なんか奏、ちゃんと一人で生活してるんだね」

 わたしがしみじみと言うと、

「ま、バンドの稼ぎなんて、ほとんどないに等しいからさ。このバイトに、だいぶ助けられてるよ」

 そんなことを言いながらパックを開けると、さっそくひとつ目のチキンに手を伸ばす。

「お、まだあったかいぞ、これ」

 奏が、目を輝かせながら、大きな骨付きチキンにかぶりつく。

「ほら、栞も冷めないうちに、早く食えって」

「うん。いただきます。……あ、これ、おいしい!」

「へへっ、だろ?」

 奏がドヤ顔をする。

「そのへんのファストフード店のにだって負けてないよな」

「うん、負けてない、負けてない。じゃあ、こっちも食べよ。奏、昔よく言ってたよね。ワンホール全部一人で食べたいって」

「いやー、あの頃は若かったなー」

「ちょっと、おじいちゃんみたいなこと言わないでよっ! ……って、そうだ、フォークないじゃん」

「あー……チキンは素手でいけても、ケーキはさすがにキツいよな」

「だよねー。どうしよう」

「ま、家に帰ってから食えば?」

「こんなにあるのに!? 一人じゃ食べきれないよ」


 仮に食べきれたとしても、しばらく怖くて体重計に乗れなくなってしまう。


「うーん……あ、じゃあさ、明日スタジオ入る予定なんだけど。そんとき、それ持って遊びに来いよ」

「へ!? いやいや、練習の邪魔するわけにいかないし。だって、奏だけじゃなくて、他のメンバーも来るんでしょ?」

「いや……実はさ、近々メインボーカルのやつが抜けることになって、正直困ってんだよね」

「え、ボーカル? それ、すごい大変じゃない?」


 むしろ、バンド存続の危機と言ってもいいくらいだ。

 動画投稿サイトで奏のバンドの動画を見たことがあるけど、小柄な女の子なのに、すごい声量で、ぐいっと歌の世界に引き込まれたっけ。

 ひょっとして、もっと人気のバンドに引き抜かれた……とか?


「だろ? だからさ、スタジオ練っていっても、実際は『これからどうしよう』って話がメインになると思うんだよね」

「だったら、なおさらだよ。わたしがそんな大事な話し合いの邪魔をするわけにいかないし」

「だからっ……栞、そのために東京来たんだろ? バイトしながら大学通うため、だけじゃないよな?」

 奏が、いつになく真剣な眼差しでわたしの目をじっと見つめてくる。


 そう……だけど。


「……でも、最近全然歌えてないんだよね。だって、さすがにワンルームのアパートで大声で歌うわけにいかないし、東京で一人カラオケする勇気もまだないし……」

 もごもごと口の中で言い訳する。


 あんなに『もう夢を見るのはやめよう』って思ったはずなのに。

 だけど、諦めきれなかったから、今ここにいる。 


 一年地元の大学に通ったものの、一度諦めたはずの歌の道がどうしても諦めきれなくて、必ず大学は卒業するって両親と約束して、東京の大学を受け直して、奏より一年遅れで上京……した。

 大学に通いながらバイトして……結局諦めきれないっていう思いが心の中でくすぶりながらも、実際はなにもできずにいる。


 まっすぐに音楽の道を目指す奏が、まぶしすぎるよ。


『だって、奏はサラブレッドだから』って、本人が一番みんなに言われたくないことを考えてしまう自分が、本当にイヤになる。


 奏の家は、お父さんは世界的なギタリスト、お母さんはプロ歌手の音楽一家。

 だけど奏が小四のとき、お父さんが海外ツアー中に事故で亡くなって、そのときにお母さんも歌手を引退して、地方の県に住むわたしんちの向かいに引っ越してきたんだ。


 歌手にずっと憧れていたわたしは、奏のお母さんに歌の基礎を教えてもらったの。

 といっても、基本は好きな歌を好きなように歌うだけだったけど。


「その『好き』って気持ちが一番大事なのよ」

 って何度も何度も言ってくれた。


 だからわたしは、歌のことがもっともっと好きになっていったの。


 高校卒業と同時にお父さんと同じ夢を追って上京した奏への、「本当は大学くらい出てほしかったんだけどね」っていう奏のお母さんのぼやきを何度か聞いたけど、奏の夢を全力で応援しているってことくらい、わたしでも知っている。


 だからきっと、自分にできることがあればなんでもしてあげたいって思っているはずなのに、奏のお母さんは黙って奏のことをずっと見守っているんだ。


 親の名前は絶対に出さない、俺自身の力を絶対に認めさせてやるんだっていう強い決意を抱いて、奏が上京を決めたから。


 そんな奏と自分を比べるたびに、中途半端な自分がイヤになる。


 大学を辞めてまで、せっかくここまで来たのに。

 結局あと一歩が踏み出せないまま。

 このままじゃダメだってことくらいわかってる。

 けど……。


「もうさ、わたしは普通に大学出て、普通に就職して、普通に誰かの奥さんになって、それで、人生終わっちゃうんだよ、きっと。そういう普通の人生を送るの」

 無理やり奏に向かって笑って見せる。

「いや、普通に結婚するのって難しくね? だって俺、まだ彼女すらいたこと……」

 そう言いながら、チラッとわたしのことを見る。


「あーそっか、そういうことか。大学でいい人見つけたんだろ。なんだよー、友だちはいないけど、彼氏はいるってオチか。いつか俺にも紹介してくれよな。あー、でもヘンに俺らの仲を勘繰られてもだし。っつーか、こんなとこにいる場合じゃなくね? ほら、早く彼氏に連絡して、二人でケーキ食べれば……」

「だから、そんな人いないってば。もし本当にいたら、こんなとこまでついてこないし」

 なんだかおかしなテンションでまくし立てる奏の話に、途中で無理やり口を挟む。

「あー……だよな。なんか、逆にごめん」

「そんなふうに謝られると、逆に傷つくんですけど」

 叱られた犬みたいにしゅんとする奏に向かって、口を尖らせて見せる。

「重ね重ねごめん」


 その後、しばらくの間わたしと奏の間に微妙な沈黙が落ちた。


「……雪、ちょっと弱くなってきたみたいだし、そろそろ帰るか」

「うん、そう……くしゅんっ!」

「ほら、結構寒いし、お互い独り身で風邪ひいたらヤバいしな」

「そうだよね」

「ま、バイト行ったらまた会えるってわかったわけだし。とりあえず、これからもよろしくな。仕事仲間として」

「うん。……仕事仲間として」


 自分で言っておきながら、チクッと胸がうずく。


 本当にそれでいいの?


 手早く片付けをはじめた奏の手元を、しばらくの間黙って見つめる。


 もう帰る気満々だよ?

 後悔……しない?


「あのさっ、やっぱり……明日、行ってもいい? 久々に奏のギター、間近で聴いてみたいし。……そうそう! WINDY……奏のバンドの動画見たよ。バラードもいいけど、やっぱりわたしはポップなやつが好きだなー。……あ、もちろん明日じゃなくても、いつでもいいんだけどさ」

 なんとか奏をつなぎとめたくて、必死に言葉を紡ぐ。

「ポップなやつって、ひょっとしてSunny Days? 俺もあれ、一番気に入ってるんだよね。今聴くには、ちょっと季節外れだけどさ」

「そうそう、それそれ! すんごい奏っぽいなーって。……あの曲があったから、わたし、受験勉強がんばれたんだよね」

 思わず握りしめる手にきゅっと力が入る。


 そう……わたしは昔から奏の奏でる音楽が大好きだった。

 奏が楽しそうに奏でるギターの音も、「はじめて自分で作曲したんだ」って言って、恥ずかしそうに聞かせてくれたあの曲も。

 なんていうか……たとえるなら……恋してる、みたいな?

 人間の男の子への恋心はいまいちよくわからないけど。


 うん。きっとわたしは、奏の音楽に恋してるんだ。


「じゃあさ、やっぱ明日来いよ」

「…………」


 なんか、奏にもう一度言わせたみたいになっちゃってない?

 ダメだなあ。

 いっつも受け身で。


 高校のときだってそうだ。

 奏に無理やり軽音部に引きずり込まれて、結局三年間、奏のバンドでボーカルをやらせてもらって。


 でも心の中ではいつだって、

『わたしにはどうせムリだってわかってる』

『わたしみたいな普通の子には、夢を見る権利すら存在しないんだ』

 なんて言い訳ばかりしてた。


 自分が傷つかないように、逃げ道を自分であらかじめ作っていたんだ。


 ねえ。いつだってそんなんだから、届かないんじゃないの?

 いいかげんそのことに気付かないと、きっと後悔するよ?


「あのさっ、奏」

「うん?」

「……わたしのこと、やっぱりボーカルの候補に入れてもらえないかなあ。も、もちろん他にもボーカルの候補がいるだろうから、そしたらちゃんとオーディション受けるから。わたし……やっぱり奏と一緒に夢を追いかけたい。だからっ……お願いします」

 そう言うと、わたしは奏に向かってがばっと頭を下げた。


 言った。

 やっと言えた。

 東京に旅立つ奏の背中にかけそびれたことを何度となく後悔した言葉が、やっと言えた。


 手も足も震えが止まらないけど、もう一度同じ後悔はしたくないから。


「わたし、やっぱり大好きなの!」

「…………」


 反応が、ない。


 不安に駆られ、おそるおそる顔をあげると、顔をほんのり赤く染めた奏が立ち尽くしていた。


 なんで?


「……ち、ちょっと待って! い、今のは愛の告白とかじゃなくて、奏の作る音楽が大好きってことだからね!?」

「……ははっ、だよな! びっくりするような言い方すんなよな。ったく」

 うしろ頭をかきながら、恥ずかしそうに奏が言う。

「でも……うん、栞にそう言ってもらえて、すげーうれしい。あ、そうだ」

 そう言いながら、奏がスマホケースの中からなにかを取りだした。


「これ。栞に預けとくからさ。明日、ちゃんと返しに来いよ」

 奏に拳を突きつけられ、両手を揃えて奏の拳の下に差し出すと、手の上に小さな『なにか』がコロンと落とされた。

「ちょ……これって、奏の大切な……」


 お父さんの形見のギターピックだ。

 御守り代わりに、いつも肌身離さず持ち歩いてるって言ってたよね?


「こんな大事なもの、預かれないよ!」

 慌てて突き返そうとするわたしの手からするりと逃げる奏。

「ダメ。明日じゃなきゃ受け取らない」

「そんなあ……」

 情けない声を出すわたしを見て、奏がくくっと笑う。

「だから、絶対来いよ」

「……うん、わかった。絶対返しに行くよ」


 その後、テーブルの上をぱぱっと片付けると、二人並んで帰路につく。

 公園に来たときとはなんだか違うドキドキが収まらない。


 やっと夢に一歩踏み出せた。

 それだけのことなのに、こんなに興奮が収まらないなんて。


 隣を歩く奏をそっと見上げると、一年半でぐんと大人っぽくなった横顔がある。


 運命なんて信じないってずっと思ってたけど。

 今日の奏との再会は、わたしにとって運命だったんだって思いたい。


 ——そして、わたしが好きなのは奏の奏でる音楽だけじゃないって気づくのは、まだ先のお話。




(了)

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君の音に恋してる 西出あや @24aya

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