トラックの怪 赤馬市七怪談
@Iyomuimusasa
第1話 一つのトラック
橙の光に包まれた、交差点。
その、斜め横の、曲がり角にあるビルのオフィス。
まだサイレンは聞こえず、
スプリンクラーの水が散るが、体は濡れもせず、冷たくもない。
散乱した、窓ガラスと、フロントガラス、それから、サイドミラーの破片。
中には、人の骨や肉も混ざってるだろう。
真っ赤な血と、信号の光の中。
目の前には、全方位の窓を朱い手形に囲まれた、トラックの運転手の姿があった。
………俺が、殺した、相手だった。
自分の手で、人の命を奪ったのに、目の前に重傷の死体があるのに、恐怖や後悔は、痺れたように、凪いだままだ。
いや、それも当然か。
本来なら、恐怖どころか、この思考も、殺意も、もうあるはずがないものだ。
私は……俺は、このトラックに殺された。
この、運転手に轢かれたのだから。
たった1分で、私はこうも変わってしまった。
本当に、数十秒前までは、私も普通の人間だったのだ。
夜の歩道は退屈だ。
朝はまだ明るく、木だとか、人だとか、見るものはあるが、夜は暗く、街灯だとか、窓明かりしか見えないし、すれ違う人だって、昼とは違って、暗くて見えない。
それでもビル壁とか石畳だとか、見るものはあるが、それこそ見飽きて退屈なものしかない。
かといって歩道じゃなければ気分が上がるかというとそうでもなく。
横断歩道の待ち時間は、信号なんて似たようなものばっかだから余計に退屈だし、車道なんかはそれこそコンクリートばかりで見るものなんてないだろう。
もっとも、それで壁やら他の車やらを、確認ではなくよそ見するようなら、それは運転手失格だろうが。
かといって自転車なら良いかという話でもない。
自転車では電車に乗れないし、結局車道を走るのは飽きすぎる……
などと考えごとをしても、一向に信号は赤のまま。
どうせ車通りなんてないんだし、もっと早くに切り替わってくれないかと、朝も先ほどの交差点でも思ったことを繰り返す。
ふと、道の方が明るくなった。
どこかの窓から、部屋の明かりが出てきたとかではない。
マナー違反のハイビームを灯して、迷惑な車が走っていた。
さっさと通り過ぎないかとそちらを見ると、目の前にトラックが迫っていた。
混乱もない。怒りもない。
意思は曖昧で、けれど意識は鮮明だった。
やるべきことはわかっている。
横断歩道を、横に向き直る。
街灯、信号、あのトラックの逃げ去った先。
ごお、という音がして、風が流れていく。街灯も街路樹も、次々と後ろへ流れていく。
ひとつ、ふたつ、いくつかの交差点を越えて、あのトラックが見えてきた。
黄色の信号の前で、一瞬減速した。が、そのまま、赤になる前に走り抜けた。
忌々しいことだ。
追いつく前に、信号は赤へ変わった。
この赤を、あいつにも纏わせ、振らせてやる。
白線が、ひとつ、ふたつ、みっつ。
車道を飛翔し、トラックへ追いつく。
とうとう、その荷台へ追いついた。
金属質のコンテナ、のようなもの。本当の名なんてどうでもいい。こいつが、トラックの最後尾だ。
その角を、手で握る。
ガタンと揺れるが、まだ止まらない。
傾けて落とすには、腕力が足りない。できることは、底の角を握りつぶし、少し不安定にする程度だ。
だがそれでも、角が浮いても設置面が多すぎる。荷台は、まだ落ちない。
忌々しい。
仕方なく、荷台はそのまま、その横に手をつけて、這うように、運転席へ近づいていく。
トラックは、まだ走り続けている。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
橙の信号の下を走り抜けて、とうとう真っ赤な交差点に行き当たった。
走り続けたトラックが、減速する。
止まる。
そんなことは、許さない。
お前は、このまま地獄まで駆け抜けなくては。
バン、と窓を叩いた。サイドガラス。運転席の横の扉。
それだけで、サイドガラスだけでなく、フロントガラスも、サイドミラーも、全てが真っ赤に染まる。
幾つも重なった、血の手形。
とたん、弾かれたように車は加速した。
突然アクセルを踏み込んだトラックは、蛇行したまま全速力で、交差点の斜め先、曲がり角にある全面ガラスの建物へ。
ガシャン、と橙の街灯と、黄色の窓明かりと、赤の信号の中で、一つのトラックの、運転席が、血液に濡れた。
トラックの怪 赤馬市七怪談 @Iyomuimusasa
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