後編

 雪に残った足跡をたどりしばらく歩くと湯気が見えて来た。


 その手前には小屋が二つ建っており、どうやら脱衣所のようだ。


 私はさっそく中に入り、湯浴み着に着替えた。


 ふむ、混よ、ではなく若者との交流とあっては何を話そうか。


 やはり、私が今まで経験してきた秘境温泉について語るのがよいだろうな。

 しかし、どのエピソードがよいか……。


 とある孤島にあった七色に光る温泉がよいか、いやいや、龍が住む谷を抜けた先にある温泉がよいか……。


 む、悩んでいたら寒くなって来たぞ。

 建物の中とは言え、湯浴み着では流石に寒い。

 

 ここで悩んでいても冷えるだけだ。

 それに、実際に会ってから決めてもよかろう。

 なんならどちらも話してもよいしな。


 うむ。そうと決まれば早く温泉に向かわねばな。


 私は脱衣場を出ると湯煙ゆけむりへと向かっていった。


 段々と近づくにつれ、その先に人影のようなものが見えて来た。


 ふぅむ、やはりこの寒さだ。


 様子を見に行った後で、温まってから戻ろうと考えるのは必然であるな。


 では、混、ではなく、若者との交流をしに、いざいかん!



 温泉に近づくと、段々と人影がはっきりとしてきた。

 そこにいたのは……


「ゴブ?」


 ……ふむ。

 私としたことが、こ、ではなく、若者との交流に積極的になりすぎて幻想げんそうを見てしまったらしいな。


 話は変わるが、子供のころというのは無性むしょうに石を投げたくなる時があるだろう。

 かく言う私もそうであった。


 どのくらいかというと、あまりに石を投げすぎて投擲とうてきスキルが出てきたほどだ。

 それが母にバレた時は、しばらく石投げ禁止! と怒られたものだ。


 しかし、たまには童心どうしんに返って石を投げてみる、というのもいいだろう。

 丁度よく、目の前にはこぶし大の石が落ちているしな。



 さて、石を投げる場所であるが。目の前には見えないはずの人影げんそうがある。

 では、それに向って石を投げるとしよう。


 振りかぶって、どっせーい!


「ゴブ!?」


 おお、見事にゴブ、ではなく人影げんそうの頭に当たったぞ!

 なんだかすっきりしたな。 

 さて、すっきりしたことだし温泉に入ろうか。


 ややっ!?

 温泉の中でゴブリンがのぼせているぞぉ?

 

 さすがに魔物と一緒に入るのは遠慮願いたいので、上に引き上げておくか。

 どっせーい! っと。


 さて、これでやっと温泉に……。

 ……ゴブリンが入っていたからか、温泉が汚れている。


 やれやれ、また一仕事やらなくてはいけないか。


 秘境温泉ライターをやっていると、見つけた温泉が汚れている、なんてことは良くあるのだ。


 そんな時はまずお湯の湧き出る場所を確認。

 次に、結界魔法でその場所を塞ぐ。 

 お湯を止めたところで、湯舟ゆぶねにあるお湯を水魔法で操り外へ排出。

 一度結界魔法を解除しお湯を入れる。

 再度同じことを繰り返し、空になった湯舟にクリーンの魔法を発動。

 最後に湯舟にお湯が満ちれば一丁上がりである。


 ふっふっふっ。

 秘境温泉ライターである私にかかれは、この程度のことは楽勝である。


 さて、ある程度お湯が入ったことだし、念願の温泉に入るとしようかね。


 ……あ゛ぁ゛~、いぎがえるぅ~。


 流石は魔力が多く溶け込んだ温泉だ。

 今までの疲れが、お湯に溶け出すようにしてなくなっていった。


 これは、いい記事が書けそうであるな。


 しばらく温泉を堪能していると、雪を踏みしめる音が聞こえて来た。

 ……そういえば、ここに来るまでに宿屋の娘を見かけなかったな。


 もしや、この足音の主は!

 私は足音のした方向に目を向けると、そこには宿屋の……


「おや? 娘から聞いて来てみましたが、ゴブリンはいませんし、お湯も濁ってはいませんね」


 主人がいた。

 ……まあ、そんなことだろうと思っていたさ。


 宿屋の主人が言うには、娘が温泉に入ろうと近づくと、ゴブリンが入浴しているのを確認。

 すぐに脱衣所に引き返して服を着ると、急いで宿屋の主人へ報告に戻ったという。


 つまり、私が脱衣所でのんびりしている時にすれ違ったということだろう。


 ……もう二三回、石を投げておけばよかった。


 おっと、思考がそれてしまった。


 宿屋の主人はゴブリンを温泉から引きずり出す武器と、温泉を清掃するための道具を持って来た、というわけだったみたいだ。


「ご主人、それなら安心してほしい。見ての通り湯舟は綺麗にしておいたし、ここにいたゴブリンはそこに放り投げておいたよ」


 私が放り投げておいたゴブリンを指さすと、宿屋の主人はすぐに様子を見に行った。


 ちなみに娘は温泉に入れず身体が冷えてしまったとのことで、今は宿で温まっているそうだ。


 宿屋の主人はゴブリンをロープで縛り戻って来た。


「お客人。まずは温泉を綺麗にしてもらい感謝する。それと、もしよろしければこのゴブリンをゆずってはくれぬだろうか? 代わりに、今晩の宿代は無料にするという条件でな」


 む? 口調が少し丁寧になった気がするな。

 それにしても、冒険者ギルドに持って行っても二束三文にしかならぬゴブリンを宿代を無料にしてまで欲するとは、どいうことであろうか?


 考えてもわからないが、宿代が無料になるのであれば譲らない理由はないな。

 

「もちろん構わないが、利用方法を聞いてもいいかね?」


「ふむ……。いや、今夜をお楽しみにしていてくれ。その時に提供できるはずだ」


 提供?


 そういえば、温泉に卵をつけておくことでおいしいゆで卵ができるが。

 ……いやいや、まさかな。



 宿屋の主人がゴブリンを持って帰ってからも、しばらく温泉を堪能たんのうした。


 十分に満足したところで宿屋に戻ると、宿屋の主人が


「おお、お客人。あのゴブリンのおかげで今日はいい獲物が手に入ったよ。今晩の食事に出すから楽しみにしておいてくれ。それと、その時に娘がお礼を言いたいそうだ。獲物の件と、温泉を綺麗にしてくれたことでな」


 と言ってきた。


 そういうことか。

 温泉に浸かったゴブリンは、他の魔物にとってはご馳走ちそうということなのだろう。

 それに、その時に宿屋の娘がお礼を言いに来ると。

 

 それならば、秘境温泉ライターとして温泉のよさを存分に説いてみようではないか。

 そして明日の朝は混浴、ごほんごほん、ここの温泉のよさについて語り合おうと提案するのだ!


 さて、そうと決まれば今晩が楽しみであるな。



 宿屋の主人から夕食の準備が整ったとのことで、食堂に向かうとそこには、


「おう! あんたが温泉を綺麗にしてくれたんだってな! それに、あのゴブリンのおかげでマーダーグリズリーを仕留められたぞ! ありがとな!」


 筋肉隆々りゅうりゅうな女性が立っていた。

 しかも今、あのマーダーグリズリーを仕留めたと言っていたような……。


「娘に先に言われてしまいましたな。本日は、お客人のおかげで娘がマーダーグリズリーを仕留めることができました。ささやかなお礼ではありますが、マーダーグリズリーのステーキを用意させていただきました」


 か、彼女が宿屋の娘であったか。

 しかもマーダーグリズリーを……。


「それとな。そのステーキはあたしが焼いたんだ! じっくり味わってくれよな!」


 そう言われステーキをよく見てみたが、とてもおいしそうに見える。

 肉にナイフを入れると驚くほど柔らかく、スッと切れた。


 一切れ口に運んでみると、柔らかくもジューシーで、それでいて噛むほどに旨味が出てきた。


「こ、これはうまい」


「そうか! それはよかったぜ!」


 その後も彼女との会話が弾んだ。


 私が秘境温泉の話をすれば、よいリアクションを見せてくれ、あちらの話には大いに笑わせてもらった。

 しかも温泉の話をした時には、明日の朝一緒に入ろうぜ! なんて約束までしてしまった。


 思っていたのとは違い……、いいや、当初の予定通りここの温泉の良さを語るとしますか。

 当初の予定通りね。


 そして次の日、彼女にここの温泉の魅力を存分に語ることができた。

 彼女もこの温泉を気に入っているらしく、大変感動してもらえた。

 うむ、秘境温泉ライター冥利に尽きるというものだ。


 それにしても、鍛え上げられた人の肉体美というのはすごいものであったな。

 ……私も少し鍛えてみますかね。


 最初はどうなることかと思った今回の秘境温泉への旅、最終的には大満足で終えることができた。


 さてさて、次の秘境温泉ではどんな出来事が待っているのだろうか。

 今から楽しみである。

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秘境温泉ライターのとある一日 やとり @night_bird

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