第二章 月明かりの夜に、君と
第二章
第二章 月明かりの夜に、君と
各々が、家族との別れを惜しんでいるとき。(フェリクス先生も、シュザンヌのために見送りに来てくれていた)
死霊の国。一人の、黒いフロックコートに身を包んだ紳士のような男……が、もう一人の化け物の前にたたずんで、跪いていた。
「メフィストフェレスよ、分かっておるな」と、その化け物……死霊たちの王、サタンが言った。その姿は、異形の姿というより、黒い影のようにも見えた。
「また、一人……いや、複数か。この死霊の国に来ようとする者たちがおる。その者たちに、祝福を送ってやるといい」
「かしこまりました、大魔王・サタン様」と、メフィストフェレスと呼ばれた紳士のような男が、そう答えた。
「では、すぐに……」と言って、メフィストフェレスは、姿を消した。
それを見て、サタンはうっすらとほほ笑む。
「さて、お次は誰かな……これで、今日で、10組目だからな……」
「それじゃあ、行ってきます!」と、シュザンヌは叔母さんをはじめ、見送りに来てくれた人たちに挨拶をして、旅立つところだった。
シュザンヌ・クロード・ノエリア、そしてカルロスとハンス。二組は、メルバーンの国を出てから、少しの間は一緒に行き、その後別れてそれぞれの進路に進む予定になっていた。
見送りに来てくれた人たちに手を振りながら、一行は街を後にした。
「いよいよね」と、シュザンヌがハンスに話しかける。
「ああ、そうだな」と、ハンス。
5人は、街の中をまずは馬車で進んだ。馬車で進めるのは、メルバーンと他の国との国境付近までであった。
二組の馬車……先頭を走る馬車には、シュザンヌとハンスが、そして二番目を走る馬車には、カルロスとクロード、そしてノエリアが乗っていた。シュザンヌとハンスを二人きりにしてあげたのは、せめてもの、3人からの配慮だった。旅の間、約数か月間は、二人はおそらく会えなくなる。その前に、二人の最後の時間を作ってあげようとのことだった。
「さて、と……」と、ハンスはリュックサックから、羊皮紙の地図を取り出した。
それは、この世界アラシュアの大まかな国の位置を記したものだった。
「気を付けて行くんだぞ、シュザンヌ」と、ハンスが地図を人差し指でトントン、とたたきながら言う。
「よく言うわ。ハンス、あなたこそ心配よ!」と、シュザンヌがやり返す。
「へ?俺が?」
「そうよ、死霊の国は、雪原の国リラのどこかに入口があるって噂で聞いたことあるけど、そもそもリラの国の人は、メルバーンをはじめ南の国の人にはあまり好意を抱いてないって聞いたわよ。大丈夫なの?それに、リラに行くまでには、あのエンテ山脈を越えないといけないのよ?獣に襲われでもしたら、どうするの……」
「母親見みたいなこと言うなよ、シュザンヌ」と、ハンスがお手上げ、とばかりに両手を上げる。
「わーってるって。大丈夫、俺だけだったら正直ヤバいかもだけど、カルロスがいるだろ」
「まあ、そうだけど……」
「それに、月明かりの夜には、ちゃんと通信するってのも、忘れてないからな」
「よかった」ここにきて、やっとシュザンヌがほっとしたように笑顔になった。
その顔をじっと見つめ、ハンスは、思わずシュザンヌに身をかがめた。
「キスしてもいい?」と、少し緊張したようなハンスがそっと言う。
「別に、いいわよ」
二人は、しばらくの間、キスをしていた。その後、ハンスがシュザンヌをぎゅっと抱きしめる。
「しばらく会えないもんな」
「そうね」
「これがこの世の別れにならないように、俺も頑張るよ。カルロスとの特訓の成果、見せてやる」
「そうね」
「お前には言ってなかったけど。俺、少しずつ、魔法の扱い方ってもんが、分かってきたんだぜ。それにな……」
と言って、ハンスは懐から、例の銃を取り出した。
「これ……カルロスから用心棒としてもらったんだ」
「一般用の銃じゃない。ハンス、あなた銃の扱い方、知ってたっけ?」
「父さんが一つ持ってたから、使い方ぐらいは知ってる」
「そう……」
「クロードのやつは、魔法銃を持ってるんだろ?当然。エリートだもんな。なんにせよ、クロードがいるなら、俺としては安心してお前を旅に送り出せる」
「私も、クロードがいるだけで、心強いわよ」
「そうだな」
「ねえ、ハンス……」
と、しばしの沈黙の後、シュザンヌが切り出した。
「どした?」
「……前から聞きたかったの。トリステスなんて、厄介な病気を持つ私を、どうして結婚相手に、選んでくれたのか、って。本当に、私なんかで、いいの?ハンスなら、相手はいくらでも見つかるだろうに……」
「バカ言ってんじゃねーよ、この野郎」
と言って、ハンスがシュザンヌを再度抱きしめた。
「俺は、お前が昔から好きだったし、お前以外とは、結婚する気はなかったって、前にも言っただろ。トリステスがどうとかこうとか、そんなの関係なく、お前が好きなんだよ」
「ハンス……」シュザンヌの目から少し涙が零れ落ちる。
「あ?なんで泣くんだよ?ったく……」
「ハンス、私も、あなたが好き。あなたが私に言ってくれた“愛してる”の言葉以上に、あなたのこと、私も愛してるから」
「ありがと」
「だから、約束して。死霊の国に行くまでにも、危険なこといっぱいあるだろうけど、無茶だけはしないって。本当に危険だと判断したら、引き返すって」
「わかった。約束するから……」
シュザンヌには、その言葉が嘘であることは分かっていた。ハンスは、無茶をすることを厭わない性格であろうと思われた。
一行の計画では、馬車で夕方まで移動したのち、途中の街、レスタで馬車から降り、宿屋に泊まることになっていた。そして、次の日は、宿屋から、二組に分かれ、北の砂漠の国に向かうクロード組と、西のエンテ山脈に向かうハンス組に別れることになっていた。
つまり、シュザンヌとハンスが二人きりで一緒に過ごせるのは、この馬車で過ごすのが最後、というわけであったが……
15時頃になって、馬車が急に止まった。森の中の小道を進んでいた時だった。
「なんだ、なんだ?」と言って、ハンスが、シュザンヌに馬車の中に残っているように言って、馬車から降りて様子を見た。
同じく、後ろの馬車から、クロードとカルロスが出てきているところだった。ノエリアは、馬車の中で待機しているのだろう。
「おい、クロード、これはいったい……」と、ハンスが言いかけた途端。
今まで晴れていた空が真っ暗になり、そよ風が、暴風のような吹き荒れる風に変わった。ゴウゴウ、とうなるような風の音がする。
「なんか雰囲気悪いな……」と、ハンス。
「義兄さん、気を付けて。これは、人間業じゃない」
「魔法か?」と、カルロスが思わず身構えるポーズをとった。
「違う、これは魔法でもない……」とクロードが言いながら、小さく呪文を唱え、右手から、光の剣……魔法の剣を作り出した。左手には、魔法銃を握っている。
「これはこれは、ご一行様ご到着、ということで」と、空のどこからか、不気味な声が鳴り響いた。少し高飛車な声だ。
「誰だ!」と、カルロスが暴風に負けないように叫ぶ。
「愚かなる人間風情に名乗る名前などない、が……」と言って、ハンスの背後に、黒いフロックコートとシルクハットをかぶった、紳士風情の男が一人、立っていた。
ハンスが思わず振り返る。
「動くな!」と、ハンスを守るためにも、クロードが魔法銃を男に突き付ける。
その紳士のような男は普通ではなかった。まず、やや長髪の髪は紫色をしており、いで立ちこそ人間に近いが、口からは牙が2本、生えている。目は血走ったように赤かった。
白目の部分が真っ黒で、その中の瞳が、真っ赤に燃えている。
「あいにく、俺は人間じゃないぜ」と、カルロスが、魔法銃を男に突き付けた。
「ほう……私としたことが、見逃しましたか。あなたは、よく見れば、エルフではないですか。なんでこんなところまで。それも、人間風情と一緒とは、驚き、驚き」
「お前には関係ないがな」
「いいえ、関係ありますとも」と、男が不敵に笑う。
「エルフがいることに免じて、名乗ってあげましょう。私はメフィストフェレス。死霊の国のわが君主、ルシファー様に仕える悪魔です」
「続けな」と、顎をくいっと回して、クロードが言う。相変わらず、魔法の銃でピタリとメフィストフェレスの急所部分を狙っている。
「聞けば、皆様ご一行は、愚かにも、我が死霊の国においでになり、クエストの必須アイテムである“シー・サーペイントのうろこ”を狙っておられるとか……」
そう言って、メフィストフェレスがくすっと笑う。
「それで、こうしてご挨拶に参ったというわけです」
「挨拶っつーか、クエストの挑戦者の見定め、または力量をはかりにきた、違うか?」と、ハンスが問う。
「ほう……人間でも、その程度の頭脳はあるのか」と、メフィストフェレス。
「なめんじゃねえ!これでも、その“うろこ”を手に入れるためなら、なんだってするって決めたんだよ!それより、お前の目的を教えろ!」
そう言って、ハンスは父の作った剣をリュックから取り出し、メフィストフェレスに突き付ける。
「まったく……。どいつもこいつも、私を脅せばいいと思って……。あなたたち3人ごときに、相手になるような私ではありませんよ?」
「チッ……」と、クロ―ドが舌打ちをする。悔しいが、メフィストフェレスの余裕の態度からは、圧倒的な実力差が見受けられた。クロードは、まだ少ない方ではあるが戦闘の経験もあり、その勘が、「こいつは強い」とクロードに告げていた。
「ハンス、何叫んでるの?ねぇ……」と、馬車の扉を半開きにし、シュザンヌがひょっこりと顔を出す。つい、外の様子が気になったのだ。
そこには、一人の牙の生えた悪魔と対峙する、3人の緊迫した姿があった。
「っ……」突然のことに、シュザンヌは息をのむ。
「バカ、馬車の中に戻れ!お前は出て来るな、シュザンヌ……」とハンスが言いかける。
その様子を見て、メフィストフェレスがにやりと笑う。
「あなた、誰?」と、シュザンヌが思わずそう言う。
「先ほど、“お前の目的はなんだ”と私に問いましたね、少年」とメフィストフェレスが、シュザンヌの問いを無視し、ハンスに言う。
ハンスは、金縛りにあったように動けない。はっとして自分の周りにまとわりつく、白い霧状のような物体――もやのようなもの――に気づく。金縛りは、気のせいではない。この白い物体が、ハンスを縛り、動きを封じているのだ。ぎりぎりと縛りあげ……ハンスの手から、剣がガシャンと音を立てて地面に落ちる。
「義兄さん!」と、クロードが横目でハンスを見る。クロードとカルロスの方は、この白いもやに縛られる一瞬前に、魔法でシールド(盾)をはり、もやを跳ね返していた。しかし、その動作をするために、メフィストフェレスを狙っていた魔法銃の手を、降ろさざるを得なかった。
「な……んだ……コレ……」と、ハンスがその白いもやに反抗するように、必死に抵抗する。
「死生術……名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。我々死霊の国に住まう者が、冥界より死した魂を呼び出し、亡霊としてこの世に蘇らせて操っている、ゴーストですよ。それより、あなたの問いに答えてあげましょう、少年」
「俺……は少年……じゃない、もう…大人だっ……」と、ハンスが必死に言う。
「あなた方は、トリステスを持つ誰かを救うため、このクエストを受けたはず。そのトリステスの持ち主は、誰かを、教えてほしいのです」
「誰が教えるか!」と、態勢を立て直し、白い光をぼうっと光らせて白い亡霊のもやを近づかせないようにしたクロードが言う。片手で光をともし、もう片方の手で、再び魔法の銃を構える。しかし、時すでに遅し、メフィストフェレスは瞬間移動をして、銃の当たらない角度の場所へ、的確に動く。
シュザンヌははっとした。あの白い光は、魔法使いがともす普通の光じゃない。フェリクス先生が教えてくれた、死霊の国で使えるという“心の灯りでともす火”だ。クロードはすでにその術を(当然ではあるが)知っていて、使いこなしているのだ。
カルロスも、その術を知っているのか、同じような光をともしていた。おかげで、二人の近くに亡霊は寄ってきていない。
「――ということは、あなたではなさそうですね。魔法使いだから、一瞬あなたがトリステスの持ち主かと思ったが」と、メフィストフェレスがクロードに言う。
クロードがまた舌打ちをする。へまをしてしまった、と気づく。
「ましてや、このハンスという少年でもない。失礼、少年ではなく、大人か……。魔法使いなら、この程度のもや、簡単に外せるだろうし」
「ミトラ、ミトラス、グレイン……アルデバラン!」と言って、シュザンヌがハンスに駆け寄った。力量がはるか上の、クロードやカルロスならば、呪文を省略して魔法を使えるが、そこまで魔法の力量がないシュザンヌは、魔法を使うのに、こうしてわざわざ詠唱する必要があった。
シュザンヌの魔法が発動し、また、シュザンヌがその光でハンスの周りの亡霊に攻撃をしたため、ハンスを縛っていた亡霊たちは、唸り声のような音を上げて、一時撤退する。
「ほう、ここにも魔法使いが一人……」と、メフィストフェレスが、ペットを見るような目でシュザンヌを観察する。
「シュザンヌ、いいから義兄さんの言いつけを守って、馬車の中で待ってるんだ!」とクロードが、バレるのを承知で、それでもシュザンヌの安全を最優先してそう叫ぶ。
「でも……!」と、ハンスを助け起こして、シュザンヌが言う。
「君か……!」と、メフィストフェレスが手を口に当てて、嬉しそうに言う。
見れば、魔法を使った、シュザンヌの右手の甲に、トリステスが赤く光っていた。
「しかも、そのトリステスは……」と、メフィストフェレスが少し驚いた顔をする。
「シュザンヌに、手ぇ出すな!」と、ハンスがシュザンヌの前に両手を広げて立ちはだかる。
「死霊の国に行くのは、俺とあのエルフだ。こいつは行かない。関係ない!」
「どうやら、そうでもない」とメフィストフェレス。
「追手と見張りをつけるのは、ハンス君とエルフの旅だけでなく、このお嬢さんの旅にもつける必要がありそうだな……。興味深い。実に興味深いよ。これは、サタン様もお喜びになる……いい素材になりそうだ」
「何を勝手に言ってやがる!」と、ハンスが剣でメフィストフェレスに切りかかるが、ひらりとかわされる。
その隙をついて、カルロスが魔法弾を撃ち、クロードが魔法の剣で別の角度から切りかかるが、それらを、華麗なステップで、メフィストフェレスはかわしていく。
「くそっ……こいつ……」と、クロードが切りかかりながら悪態をつく。亡霊を近づけさせないために灯りをともしつつ戦うので、なかなか本領が発揮できないのだ。
次第に3人は息があがってきたが、メフィストフェレスはそもそも人間でもないし、余裕の表情だ。
「今は、お前たちと戦っているときではない。いずれ、分かる。それに、このお嬢さんにも、死霊の国に、来てもらうことになるだろう。いずれ、分からせてやる……」
と言って、メフィストフェレスは、クロードの最後の切りかかりをよけ、(この切りかかりはメフィストフェレスの頬にかすり傷を負わせたようだった)、シルクハットをとって一礼し、霧のように次第に姿が消えていった。メフィストフェレスに付き従うように、さまよっていた亡霊たちも、嫌な轟音をたてて、空間にできた黒い穴に吸い込まれて消えていった。
切りかかる対象を失ったクロードが、勢い余ってよろける。それを、カルロスが受け止める。
「シュザンヌ……」と、ハンスがやや暗い顔で言う。
「どうして出てきたんだ?それに、トリステスがバレること承知で、どうして魔法を使った――?」
「ごめん、ハンス」と、シュザンヌは顔を真っ赤にして素直に謝った。
「私、魔法を使うとトリステスが出るの、いつものことだから、すっかり忘れてて。ごめんなさい」
「私たちだけならまだしも、シュザンヌにまで奴の追手が行くかもしれない……」と、カルロスが落ち込み気味に言う。
「一緒にいたのに何もできなかった、私の責任だ」
「あなたは悪くない、俺も同罪だ」と、クロード。
「クロード、カルロス、奴は……メフィストフェレスと名乗った、奴は何者だ?」と、ハンスが言う。
「死霊の国は、悪魔を束ねる王、サタンが治めていると聞いているが、その配下の者たちの中でも、メフィストフェレスは”最悪の奴だ“と、エルフの中では言われている。敵に回してはならない、とな」と、カルロス。
「どう最悪なのかと言うと、奴は死生術(モルス・ルディス)の一流の使い手らしい。亡霊を使いまわし、生と死の間をさまよう悪魔だ」と、クロードが補足する。
「死生術……」と、シュザンヌがつぶやく。幼い頃、両親が読んでくれたおとぎ話の中に、出てきた悪役の使う術だろう。後になって、フェリクス先生から勧められた本の中にも登場したから、シュザンヌは大方は知っていた。存在は知っていたものの、実際にその死生術が使われたのを見たのは、初めてだった。
メフィストフェレスレスは、亡霊を呼び出し、それを操ってハンスを縛った。あの術が、死生術の一部なのだろう。
「奴は、おそらく本来の力の20分の1も出していないだろう」と、カルロスが分析した。
「小手調べだな……。正直、俺一人では、太刀打ちできるかどうか、怪しいかもな。誰かとチームでも組まないと。まあ、今回は、奴は戦う気はなさそうに見えたがな」と、クロード。
「シュザンヌ、今からあなたに大事なことを伝える。それから、ノエリアにも言っておいた方がいい……」と言って、カルロスが馬車に残してきたノエリアの方を見やった。
よく耳を澄ませば、ノエリアの乗っている馬車の戸を、内側から「ドン、ドン」と叩く音がしていた。ノエリアが、内側から叩いているのだろう。
「すまない、ノエリアが出てこないように、魔法で外から鍵をかけたのをすっかり忘れていた」と、クロードが走って馬車の方へ駆けていく。
シュザンヌが苦笑いをする。
しばらくして、クロードがノエリアと一緒にやってきた。
「もう、何も閉じ込めなくたって!」と、ノエリアが少々興奮して叫ぶ。
「ごめん、ごめん、ノエリア」と、クロードが謝る。
「だって、鍵かけとかないと、ノエリア、絶対に出てくると思ってな」
「だからって、あれはないわよ!」
「ごめんってば」
「それより、馬車の外で、あれだけの時間、何があったのか、教えてよ……」
4人は、ノエリアに、先ほどあった事件……死霊の国からの使者、メフィストフェレスが突然やってきたことを簡単に説明した。
「そう……死霊の国から、来たって……。今回のクエスト参加者全員と、そのメフィストフェレスって人、会っておくつもりなのかしら」
「たぶんな。一応、顔ぶれは見ておこうという魂胆らしい」と、クロード。
「それで、先ほどの続きだが」と、カルロス。
「シュザンヌ、ノエリア、それから、クロード。私の不甲斐なさのせいだが……私とハンスだけでなく、おそらく、クロード組にも、これから死霊の国からの追手や監視者が、旅の道中、襲ってくると思われることを、事前に伝えておく」
「……」クロード組の3人は、思わず沈黙する。
「そういえば、メフィストフェレスの奴、言ってたわね、最後に……私も、いずれは死霊の国に来ることになるって……」と、沈黙を破って、シュザンヌが言う。
「お前は、行かない」と、ハンスがきっぱりと言った。
「最悪でも、クロードにだけ加勢に来てもらう。お前を危険にさらすのは嫌だ」
「あら、でも、私、一応あなたより魔法は使えるのよ?」と、シュザンヌがハンスに言い返す。
「……」ハンスには、返す言葉もない。
「でも、あなたに今よりもっと魔法力さえあれば――あなたも十分、剣術と合わせて死霊の国でも戦えるようになるって、私は思ってる。だから……本当は宿屋でするつもりだったけど、今、みんなの前で、私、あなたにプレゼントしたいものがあるの」と、シュザンヌが寂しそうに笑う。
「え?プレゼント?」ハンスには、意味が分からない。
シュザンヌが、クロードと目を合わせる。クロードが、うん、と頷く。
「義兄さんは、トリステスにあんまり詳しくないけど。俺から説明しよう。実は、トリステスを持つ者は、死期が迫ると、手の甲のトリステスの印が、赤く光るとき、その印が痛み始めるんだ。その痛みが強くなればなるほど、死期が迫っているという証らしい……」
その義弟の言葉に、ハンスは言葉を失う。
「シュザンヌから、この前の手紙で、教えてもらってた。最近、印が少し痛み出したと。痛みはまだ我慢できるほどの弱さだが、いずれ段々強くなり、やがては痛みのせいで魔法が使えなくなるかもしれない、死んだ父さんと母さんのように……と、シュザンヌは、手紙の中に同封していた、他人には読めない魔法がかかったメモに、書いて、俺に教えてくれた」と、クロードが落ち着いて言う。
「そうなの」と、シュザンヌがクロードの言葉を引き継ぐ。
「2~3週間ほど前からかな。クロード以外には、ルミア叔母さんにすら、言ってないけど。トリステスについての本で調べたら、どうも、私の寿命はあと2~3年ぐらいみたい」
「そんな!」と、ハンスが絶句する。
「そう。私の父さんと母さんは、私が幼い頃、30代で死んだ。どうも、二人の両方からトリステスを受け継いだ私は、その浸食作用が、二人より強くて、二人よりも寿命が短いみたいなの。だから、今17歳だけど、私は、20歳前後で、死んでしまうかもしれない……」
「そんなバカな……。そんなのって……」と、ハンスが絶望する。
「最後まで聞いて、ハンス。まだ、希望はあるわ。旅は1年もかからないだろうし、旅が終わって、式をあなたがまだ挙げる気があるなら、結婚して、それで子供ができても、私が今回ドラゴンのクエストをクリアできれば、子供の命は助かる。私は死ぬけど、あなたは子供と生きてほしい」
「違う」と、ハンス。
「それは、俺が望んでることじゃない。俺は、子供ともいたいけど、何より、シュザンヌ、お前と生きたいんだ。お前がいなくて、子供と俺だけ残されても、何になるって言うんだ?それに、俺は、死霊の国のクエストを、絶対にクリアする。それが罠だとしてもな。絶対に、クリアする。そうすれば、お前の命も助かる。それで万事OKだ……」
「そのために、義兄さんたちがクエストを完了できる確率を高めるために」と、クロードが引き継ぐ。
「俺はシュザンヌにある提案をしたんです。彼女の魔法力の一部を、義兄さんにあげたらどうかって。正直、ドラゴンのクエストなら、俺がついていっているから、それでクリアできるだろうし。ドラゴンのクエストは、万が一義兄さんたちがクエストを完了できなかった時の”一種の保険“としてクリアしておいて、死霊の国のクエストの方はそちらで、俺としても、成功してほしいしね」
「……だけど、シュザンヌから魔法力の一部をもらうって?そんな魔法、聞いたことないぞ」
「確かに、自身の魔法力を誰かにあげる術は、存在しない。ただ一つの例外……トリステス保有者が、自らの意志であげる場合をのぞいてな」と、カルロス。
「トリステスを持つ人は、死ぬ前に限り、その魔法力を、好きなだけ他者に分けることができるのよ」と、シュザンヌ。
「実は、私の死んだ母さんは、死ぬ前に、私に魔法力をすべてくれたの。ちなみに、父さんは、魔法力をすべて親戚のクロードにあげたわ。彼の将来を見越してね」
ハンスがクロードを見やる。クロードが静かにうなずく。
「だから、私は人より魔法力が多いし、クロードも魔法力に恵まれて、それで出世したようなもの、なのよ。もちろん、クロードが出世したのは、彼が努力したからだけどね」
「そうだったのか……」と、ハンス。
「だから、私が、今、ここで、私の魔法力の半分を、ハンス、あなたにあげるわ。それが、あなたとカルロスの行く、クエストの成功率を高めるだろうし、それに、さっきみたいに死霊が襲ってきたとき、その束縛を逃れる術ぐらい知ってなきゃ、あなたも困るだろうし」と、シュザンヌがハンスに言う。
「本当にいいのか、シュザンヌ?」
「いいのよ。半分あげても、私にはまだ大分残るから。ドラゴンのクエストを完了するのに、クロードを手助けするぐらいだったら、それで十分事足りるって、この一週間で、クロードと相談したのよ」
「……すまない、シュザンヌ。だが、そのプレゼント、俺は受け取る。じゃねえと、俺はいつまでも強くなれないし、あのメフィストフェレスをはじめ、死霊の国の奴らをこてんぱんにできねえしな!」
と、意気込むハンスの横で、カルロスは手を顎にあてて、少し考えていた。メフィストフェレスの様子と言動から、そもそもの、この“シー・サーペイントのうろこを入手し、その代わりにトリステスを治す”……というクエスト自体が、怪しく思えてきたのだった。だが、あえてそのことは言わなかった。
「決まりね」と、シュザンヌがほほ笑む。
「トリステスを持つ者からの魔力の受け渡しは、シュザンヌ本人と、その監督者代理として、俺も行う。やり方は、文献をもとに、俺とシュザンヌで調べた。彼女が、自ら、魔法力をハンス義兄さんに渡す」と、クロードが宣言した。
「アルカナワンド!」と言って、シュザンヌが、空中から、太い杖か棒のような“ワンド”を取り出した。クロードたちが、魔法の剣を作り出したように、彼女は、占い魔法者がよく使う、”ワンド“……つまり、太い杖をよく好んで使った。
「ちょっと待ってて」と言って、彼女は、その、やや透明に輝く白いワンドで、地面に魔法陣を書き始めた。ワンドの長さはかなり長く、彼女の背の高さをやや超えている。
クロードが旅行カバンから本を取り出した。
「見なくていいのか?」と、クロードが魔法陣のページをめくる。
「それはもう覚えたの」と言って、シュザンヌが魔法陣の続きを書き続ける。
「そうだったな。この魔法陣、占い魔法の分野とちょっとかぶるんだったな」
「うん」と言って、彼女は2~3分でその魔法陣を書き終えた。かなり大きい魔法陣で、大人数人は余裕で入れる大きさだ。
「さ、この魔法陣の中に入って、ハンス。これは、いつもとはちょっと違う魔法陣だから、少し注意点があって……」
「お前が使う魔法陣のことなら、多少は知ってるつもりだぞ、シュザンヌ。惑星の力を借りて、願いに応じて使う魔法陣だろ?」
「今回は、それだけじゃないの。惑星の力を借りて、悪魔も呼び出すの」と、シュザンヌが少し冷や汗を流して言った。
「“悪魔”っておい……。メフィストフェレスの奴らとも関係のあるやつらじゃねえか。大丈夫なのか?」と、ハンス。
「そもそも、“魔法を渡す”という行為自体が、本来やってはいけないもの、つまり“禁忌”のものであるし、”トリステス“という物自体が、”災い“のようなものだからね。悪魔の力を借りることになるわ」
「だから、見張り人兼監督代理として、俺が見張るわけです、義兄さん」と、クロードが腕組みをしてウィンクする。
「悪魔は、油断してると、魔法の初心者の心を食らい、その者の意識を乗っ取る。そして、コントロールしてしまう。そうならないように、な」
「あら、クロード、私が初心者っていうわけね?」と、シュザンヌ。
「そういうわけじゃないけど。ただ、悪魔ってのは、さっきも言ったけど、油断ならない相手であってだな……」
「嘘よ、冗談。私の力じゃ、まだまだ足りないことぐらい、分かってるわ、クロード。見張り、よろしくね」と、シュザンヌがほほ笑む。
「はいはい……」と、クロード。
「本当に、大丈夫なのか?」と、ハンスが言いながら、魔法陣の中に入り、シュザンヌと向き合う形に立つ。
「悪魔を呼び出すのは私は初めてだけど、クロードは何回か経験あるらしいし。大丈夫よ、きっと」
「そうか、クロード、わりぃがよろしく頼む」
「わかってます、義兄さん!」そう言って、クロードは手で空中に魔法陣を描いた。どうやら、彼のような熟達した魔術師は、その行為によって、悪魔からの、意識を奪う技から、身を守るらしい。
「火星の1の護符に加え、ナベリウスの紋章を書いておいたから、これで悪魔ナベリウスが召喚される。クロード、始めましょうか」と、シュザンヌ。
「わかった」
「東の監視人の名において、われ東の門を開かん」と、シュザンヌが文言を言い始める。
クロードが油断なく二人を見守っている。
長い文言のあと、シュザンヌが地面に突き刺すようにして置いているワンドに力をこめ、自身の魔力を込めた。それにより、ワンドから地面に彼女の魔力が伝わり、魔法陣が怪しく赤色に光る。火星の魔法陣なので、赤色に光ったのだ。
続いて、クロードが文言を軽く唱え、
「我は、汝、悪魔侯爵ナベリウスを呼び起こさん。至高の名にかけて、われ汝に命ず」
少し嫌そうにクロードが言い終わると、その瞬間、空中から黒い塊のようなものが現れ、続いて悪魔――ナベリウス侯爵が――その身を現した。黒い鶴の姿をしている。だが、ハンスには、なぜかその姿の背後に、恐ろしい“二つの目”を見たような気がして、寒気がした。
「本当は悪魔なんて、呼び出したくないんだがな」と、ポツリとクロードが苦笑いして言う。
「貴様か、我を呼び出さんとしたものは……」と、ナベリウスのしわがれた低い声が響く。
「あなたを呼び出したのは、私よ」と、シュザンヌが言う。
「貴様が、この魔法陣を書いたのか」
「ええ、そう」
「貴様の目的を言え」
「私は、この通り、トリステスを受け継ぐもの。文献によれば、私は彼――ハンスに、魔力の半分を与えることができる。その命を、あなたに任ずるわ」
「褒賞はなんだ。何を我に差し出すつもりだ、小娘」
「褒賞ならちゃんとあるわよ。文献によれば、魔力の半分を渡すには、寿命の5分の1をあなたに差し出せばいいのよね?要は、私の生命エネルギーの、5分の1を」
「よかろう」と、ナベリウスが満足そうににやっと笑う。
「ちょっと待て」と、ハンス。
「シュザンヌ、そんな話、聞いてない。お前の寿命がさらに減ったら……」
「ハンス、私の寿命はあと2~3年。その5分の1なら、減ってもたいして変わらないわ」
「けど……」ハンスは若干悔しそうだ。
「ナベリウス、これで交渉成立。いいわね?」
「よかろう」
シュザンヌはワンドを消すと、その光る魔法陣の上にかざすように右手を差し出し、トリステスを光らせた。(と言っても、魔法を使うと勝手に光るのだが)
そして、彼女が目を閉じる。
「義兄さん、右手を、彼女の手の上に掲げて」と、ハンスが指示する。
「くっ……」と言いながら、ハンスが右手をシュザンヌの手の上に重ね、彼も目を閉じる。
「ナベリウス、俺が見張ってるから、余計な小細工はできないことは分かっておけ。いいな、この交渉は、公正に行われるものだ」と、クロードが真剣な顔で言う。手には、魔法の剣を出し、悪魔に、“いつでも俺はお前を殺せる”ということを、示していた。
「小僧めが。そんなこと、百も承知。俺はただ、愚かなる人間の生命エネルギーがもらえれば、それでいい」と、苦々しそうにナベリウスが言う。
その後のことは、ハンスはあまり覚えていない。ただ、赤い光に包まれ、悪魔が何か呪文を唱え始め、シュザンヌが顔を多少ひきつらせたのを見た。その後、ハンスの体の中に、赤く光るシュザンヌのトリステスから、彼女の魔法力が流れ込んでくるのが、感じられた。ハンスは思わず「うわぁぁぁぁ」と叫んだ。体中が熱かった。
儀式は、2~3分で終わった。気が付けば、ナベリウスは消え去り、クロードが、地面にしゃがみこむシュザンヌの肩に手をかけ、「大丈夫か、シュザンヌ」と声をかけているのを、ハンスは間近に見たのだった。
「ナベリウスは、ちゃんと仕事をしてくれたわ。私の体の中から、魔力が半分なくなったこの感覚……間違いない」と、シュザンヌが息を切らしながら笑う。
ハンスは、はっとして自分の体を意識した。今までにないこの感覚……体の中に、もう一つの力……そう、間違いなく”魔力“があるのを、実感した。
「安心して、ハンス。この方法でも、トリステスはうつらないから。あなたがトリステスにかかることはない」
「……シュザンヌ」と、ハンス。
「シュザンヌ、あなた体調は大丈夫なの?顔が真っ青よ」と、ノエリアがシュザンヌに声をかける。
「魔力を半分渡したのだから当然と言えば当然だな」と、カルロスが言った。
「それにしても、シュザンヌ、あなたの寿命がまさかそんなに短かったとは。私の見立てでは、30歳までは生きられると思っていたのに」
「トリステスのことについては、まだ未知の部分が多いからな。それより、カルロス、あなたは、シュザンヌのトリステスについて、何か隠しているように思えるが」と、クロードが冷静に言った。
「……さすが、クロード殿」と、カルロスが軽く笑う。
「あなたがシュザンヌのトリステスについて、重大な何かを隠しているのなら……先日、ハンスの家で二人で話した、あの秘密のことを、公言することもありうるかもしれません」
「これはこれは。……しかし、本当に、私は、シュザンヌのトリステスについては、何もあなた方にお知らせするべき情報は、持っていませんよ。少なくとも、今言うことではない」
「……そうですか、まあ、いいですよ」と、クロードが肩をすくめた。
「それより、今後のことだな。ハンスは、これで少なくとも一人前の魔法使いに近い量の魔法力を得られることになった。それを全部使いこなせるかは未知数だが、死霊の国で役立つ魔法ぐらいなら、私の方で旅の道中教えられるだろう」と、カルロスがハンスを見てほほ笑む。
「ありがとう、カルロス」ハンスがカルロスと握手をする。
「シュザンヌ、俺がぜってぇクエストをクリアして、お前の命を助けるからな。そしたら、二人で笑って楽しく暮らそうぜ」
「うん、そうね、ハンス」そう言って、シュザンヌが立ち上がる。
「それじゃ、お互い馬車に戻って、レスタの街に向かうとしましょう。義兄さんはカルロスと今度は乗ってください。俺はシュザンヌと、ノエリアと乗ります。お互い、旅に向けて、話し合うことがあるでしょうから」
「わかった、クロード。色々とサンキューな」と、ハンス。
こうして、一行は旅を続けた。
レスタの街に着いたのは夕方であった。一行は町の中を進み、宿屋に泊まることにした。
宿屋のホールで夕食を取りながら、シュザンヌは馬車内でのクロードの説明を思い出していた。
これから進む砂漠の国ハシントだが、どうもそこの砂漠は、一般的に想像される“砂砂漠”ではなく、“礫砂漠”というものらしい、とのことだった。砂利を敷き詰めたような砂漠のことだ。しかも、今の冬の季節は、この礫砂漠も、大分気温が下がるらしい、とのことだった。
「シュザンヌ、明日はいよいよハンスとお別れね」と、ノエリアがスパゲッティを食べながら言った。
「え、ええ、そうね……」
「ちゃんとお別れ、言わなきゃね」
「ええ、そうね。でも、大丈夫よ、ロロを預けてるから。たまになら、話もできるはず」
当のロロとステファンは、宿屋の主人からもらったペットフードを、おいしそうに食べている。
「それより、ハシントは寒いんですってね。防寒対策、もっとしてくればよかったわ」
と、ノエリア。
「その点は問題ないんじゃない?クロードがいてくれるし。準備の時、コート以外防寒対策は特にいらない、あとは俺がいるから大丈夫、ってクロード言ってたし」
「そうね、彼を信じましょう」と、ノエリア。
「シュザンヌ、ちゃんとメシは食っとけよ。明日から、過酷な旅が始まるんだからな」と、ハンス。
「どうもありがとう。でも、クロードがいるから、そんなに過酷になるとは思えないけど」
「俺のところは過酷になりそうだぜ?カルロスが、俺に魔法の特訓をしてくれるらしいから」
「ついてこれるかな?」と、カルロスが冗談交じりに言う。
「も、もちろん……多分……」と、ハンス。心なしか、顔が少し青い。
「シュザンヌの魔力もある。義兄さんなら、大丈夫ですよ。魔法ってのは、魔力そのものと、鍛錬があれば、自然と結果はついてくるものです。あとは練習と実践あるのみですよ」
「サンキュー、クロード」ハンスがハンバーグを食べる。
シュザンヌは、内心ハンスが魔法をどれだけ使いこなせるようになるか、不安でもいた。カルロスというエルフがついていてくれるから、ハンスの命の危険はそんなにないだろうが、それでも心配であった。なんといっても、ハンスは魔法に関しては初心者なのだから。
一行は、食事ののち、解散することにした。部屋は、女性組と、男性組に別れた。
「部屋が空いてて助かりましたね……」とクロードがハンスにそっと言った。
確かに、ホールのにぎわい方を見れば、部屋が空いていたのはラッキーと言える。
「ロロ、おいで」とハンスがロロを肩にのせた。
「こいつ、かわいいな。俺に懐いてくれるかな」
「早速、懐いてるように見えますよ、義兄さん」
「そだな」
「じゃあ、また明日の朝ね、ハンス」とシュザンヌがハンスに手を振って、ノエリアと共に部屋へ入って行った。
「じゃあな」と、ハンスも手を振り返す。
部屋は広くもなく、狭くもなかった。シュザンヌとノエリアは、ランプに灯りをともし、とりあえず荷物を部屋に置いた。
二人はいくつかの世間話をした後、ベッドで眠りについた。
「ハンスのこと心配なの、シュザンヌ?」
シュザンヌがなかなか寝付けず、寝返りを打っているのを見て、ノエリアが言った。
「う、うん、まあ……。ハンス、無茶しないといいけど……」
「そうね。でも、あのエルフのカルロスさんって人が、そこは見張っててくれるんじゃない?」
「……だといいけど」
「それより、あなた、今日は魔力の半分もハンスにあげたんだから、明日に備えて早く寝た方がいいよ。あの悪魔、イマイチ信用できないし……」
「そうね。あの悪魔が何か悪さしてないといいけど」
魔力を半分あげたことを思い出すと、シュザンヌも自然と眠気が出てきた。ほどなく、彼女は眠りに落ちた。
窓から差し込む月明かりに照らされて、カーバンクルのステファンが、みゃあと鳴いていた。
次の日の朝。シュザンヌが起きると、空はどんよりの曇り空だった。
朝食を済ませ、一行は宿屋を後にした。
「ここで一旦お別れだな」と、カルロス。
クロード組は馬車で北へ向かい、ハシントへなるべく馬車で行けるだけ進み、ハンス組は、馬車で西へ進んで、エンテ山脈のふもとの街へ向かうことになっていた。
時は12月12日であった。二組のパーティーは、お互い荷物をもって、向き合う形となった。
「義兄さん、シュザンヌとノエリアのことは俺に任せてください」と、クロードが旅行鞄を抱えて言った。
「ありがとな、クロード。今度会うときは、シュザンヌのことは俺が自分で守れるぐらい、特訓して強くなって見せるから」
「ハンス、シュザンヌのことなら、私もシュザンヌのそばにいるから」と、ノエリア。
「サンキュー、ノエリア。感謝するよ。お前はシュザンヌの一番の親友だからな」
「そうね」
「シュザンヌ……」と、ハンスがシュザンヌの方を向く。
「俺、強くなるから。そして、死霊の国にたどり着いて、クエストをクリアして、そんでもってお前をエルフの医者だか王女様のところだか知らんが、とにかくそんなところに連れて行くからな!」
「ありがとう、ハンス」
その後、2、3の言葉を交わしたのち、
「ハンス、これ……」と、シュザンヌがポケットからあるものを取り出した。ルーン文字で作ったお守りだ。
「一応、持っててほしいの」
「……ルーンか。ありがとうな、シュザンヌ」と、ハンスがそれを受け取る。
「よし、そろそろお互い準備も整ったし、行くか」と、カルロスが言ったので、一行はついに離散することとなった。
お互いが、それぞれ手配してあった馬車に乗りこんだ。3人と2人なので、馬車の中は窮屈には感じられなかった。
馬車が動き出した。ハンスとシュザンヌ――お互いの乗り込んだ馬車が、別の方向へと離れていく。
思わず馬車の窓を開け、シュザンヌはあいにくの天気の空を見上げた。
嫌な予感もした。
「ハンスにこの先危険なこととかないといいけど……」そう、心の中でつぶやくしかなかった。
聖なる二人のトリステス ~月明りの夜、君と~ 榊原 梦子 @fdsjka687
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