第二話 中谷宇吉郎さん

雪+エッセイなので中谷なかや宇吉郎うきちろうさんについて書きます。小学校の教科書?に結晶の話が載っていたことを憶えています。


中谷さんは明治33年(1900年)生まれの物理学者、随筆家です。北海道大学の教授で世界で初となる人工雪の製作に成功しました。弟は考古学者だそうです。


中谷さんは石川県の現在の加賀市で生まれ育ちました。子供の時に父親を失いましたが、勉強して現在の小松高等学校や東京帝国大学に進んだそうです。大学2年の時に関東大震災に遭ったりもしましたが卒業して寺田寅彦に師事し理化学研究所に入りました。27才の頃、綾という女性と結婚し翌年にはイギリスに留学しました。悲しいのは同じ年に日本に残した綾さんをジフテリアで亡くされたことです。


1932年頃から雪の結晶の研究を始め、1936年に人工雪の製作に世界で初めて成功しました。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残しました。


1943年、北大に低温科学研究所が設立されると中谷さんはその主任研究員となりました。戦争(41~45年)の暗い時期を越え、彼はその後急速に発展した人工降雨・降雪研究の分野の日本の権威となります。また1946年にはニセコ山麓で農業物理研究所を発足させ所長に就任します。


1948年には科学映画『霜の華』、『大雪山の雪』を完成させ、この時のスタッフと共に中谷研究室プロダクション(岩波映画製作所の前身)を設立しました。


1952年、アメリカ合衆国イリノイ州の雪氷永久凍土研究所の客員研究員となり渡米。1957年からはグリーンランドに出向いて氷冠の研究も行いました。


中谷さんは科学を一般の人々に伝えるためにエッセイをよく書かれました。

「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残したことでも知られています。

余談ですが、個人的な意見としては、今の世の中、科学映画や科学関係のエッセイがもっと多くてもいいのではないかと思います。もちろんフィクションもいいのですがノンフィクションとしての科学も感動することを知って欲しいのです。


『日本百名山』で有名な深田久弥は同郷(加賀市)で幼稚園、小学校、大学での後輩になります(びっくりしました。石川すごいですね)。


中谷さんは「必ず出来るという確信を持って何時までも根気よくやっていれば、殆ど不可能のように思われたことでも、遂には必ず出来る」という言葉が有名だそうです。なにか私達、作家志望者にも響く言葉かなと思いました。


中谷さんは雪の結晶をよく観察しました。氷の核として様々な材料を用いて実験を行い、ついにウサギの毛の先端で人工的な雪の結晶を作ったそうです。


中谷さんの功績を称えた六角形の石碑は,今も北海道大学のキャンパス内に静かに置かれているそうです。



  ―― 了 ――


 *Wikipediaを参考にしました

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