イブの夜、空から彼女が降ってきた

秋作

12月24日に開店するお店

 街はいつになく賑やかだった。

 大手デパートの前には巨大なツリーが立ち、街はクリスマスムード一色だ。

 そんなシーズンではあるけれど、今日は格別に街が賑やかなような気がする。


「はいはいー、クリスマスケーキをご予約の方はこちらにお並びください」


 ケーキ屋の方から聞こえてきたその声に、俺はようやく今日がイブであることを思い出す。

 ケーキか……子供の時以来、食べていなかったな。

  その時、胸ポケットのスマホが鳴った。

 ディスプレイに映る見慣れた番号に俺はうんざりする。

 また父親からだ。

 いい加減かけてくるなと言ったのに、全く聞きやしない。まぁ、昔から自己中心的な人間だったからな。年を取ってもそれは変わらないのだろう。

 しばらくして、コールは鳴りやんだ。

 俺はひとつ溜め息をつく。

 商店街のアーケードを抜け、しばらく歩くと今度は桜の並木道が続く。

 春は花見客で賑わう場所だが、冬は驚く程人通りなく寒々しい道だ。

 そんな静かな道に、突然悲鳴に近い声が頭上から聞こえてきた……ん? 頭上から? ?


「ちょっと! 危ない! どいて、どいてぇぇ!」


 俺はぎょっとして、空を見上げた。

 星が煌めくクリスマスイブの夜。

 その女性は、突然空から降ってきた。

 俺はとっさに空から降ってきた彼女を抱き留めて、そのまま尻餅をついて仰向けに倒れてしまった。


 ドサッ……!!


「ごめんなさい、ごめんなさい。今日のトナカイ機嫌が悪くって。それにあたしも運転に慣れていないから、振り落とされちゃったの。やっぱりトコットで街を回れば良かった」


 トコット……ああ、車のことか。

 だがトナカイというのは――――いや、その前に。


「いい加減、俺から離れてくれない?」

「へ?」


 女性はハッと顔を上げ、顔を真っ赤にした。

 俺の腹の上に座り込んだ体勢になっていることに気づかず、両手を握り必死になって捲し立てていたのだから。

 人気の無い公園の道だから良かったものの、今の状態はなかなか恥ずかしいものがある。

 

「きゃー! あたしったら、人をクッションみたいに……ごめんなさい! お怪我はありませんか?」

「ないけど……謝る前にどいてくれないかな?」


 慌てて女性は俺から立ち上がり、手を差し伸べた。

 俺は遠慮無くその手を取って立ち上がる。

 立ってみると女性は思ったよりも小柄だった。大きな茶色の目が、まっすぐこちらを見詰めている……ハッキリ言おう。超絶可愛い娘だ。


「どうも有り難うございます。あなたのおかげで、怪我をしないで済みました」

「怪我がなくて何よりだよ。だけど、どうして空から落ちてきたんだ?」


 映画じゃあるまいし、普通、空から人が落ちてくることはない。

 何かの事故や事件で高い場所から落ちてくる可能性はあるが、周りに高い木や建物はないし……。

 

「実はトナカイに振り落とされたんですよ。あたし、トナカイ免許の取りたてで、運転になれなくて。しかもカン太にルン太の機嫌も悪いし」

「カン太? ルン太?」

「トナカイの名前です」

「…………」


 にこにこと邪気のない笑顔で答える女性。

 俺は、どうも変わった人間に関わってしまったらしい。

 トナカイ免許って……冗談も休み休みにして欲しいもんだ。


「じゃあ、俺帰るから」

 

 あまり深くは関わるまい、と思いつつ、帰ろうとした俺を女性は慌てて呼び止めた。


「待ってください! もう帰っちゃうんですか!?」

「……ああ、帰るけど」

「もうちょっとお話しません?」

「俺と君は初対面だろう? 知らない人間とこれ以上、こんな寒い路上の上で話したくはないよ」


 俺はそう断ってから、足早にここから立ち去ることにした。

 ところが女性は俺の前に回り込み、少し焦った口調で再び呼び止めてきた。


「待ってくださいってば! 直ぐ近くに行きつけのカフェがあるんです。さっき助けてくれた御礼がどうしてもしたいのです」

「……」


 彼女の目はとても真剣だった。

 助けてくれた御礼か……確かに反対の立場だったら俺もなにかしらの形で御礼はしたいと思うだろうな。

 俺がそんなことを考えていたら、彼女は先立って歩き始めた。

 

「さぁ! 行きましょう」

「お、おい! 俺は行くとは言っていないぞ!?」


 *↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟


 結局、俺は女性と共に、五分程歩いた場所にあるCHRISという名のカフェに入ることになった。

 ドアを開くと最初に陽気なジングルベルのBGMが聞こえてくる……煉瓦造りの壁の至る所にクリスマスリース。それにインテリアの棚にはサンタクロースの時計があり、それを囲うように置かれたポインセチア。そして何よりも、お客を出迎えるように立っている大きなクリスマスツリー。

 店の天井ほどの高さがある。

 友人や恋人と談話をする若者もいれば、一人で窓を眺めている人物や老夫婦など、

 客層は様々だ。

 女性は店員の案内を待たずに席へ着き、メニュー表を広げる。そして俺の名前を呼ぼうと思ったのか、口を開きかけたが。


「えーと……お名前は」

藤沢進悟ふじさわしんご


 マフラーを外しながら、俺は彼女の向かいの席に着いた。


「藤沢さんは、ケーキは好きですか?」

「ああ、別に嫌いじゃない」

「どんなケーキが好きですか?」


 メニュー表から鼻から上の半分を出しながらこちらを見る女性。俺はふとその時、去年死んだ母親のことを思い出す。

 子供の頃、一度だけイチゴのショートケーキを作ってもらったことがあった。

 初めて食べたショートケーキは、まだスポンジがほのかに温く、クリームは冷たかった。 考えてみたらケーキといえば、母親が作ったあのケーキくらいしか食べていなかったかもしれない。


「イチゴのショートケーキ……」

「イチゴのショートケーキ、美味しいですよね」

「昔、母親が作ってくれたんだ」

「素敵なお母様ですね。ちょっと待ってください。多分、今丁度出来上がったトコですから」

「え……?」


 出来上がった?

 一体何が出来上がったんだ??


「お飲み物はコーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」

「コーヒー」

「了解」


 彼女はメニュー表を持って立ち上がると、カウンターの裏へ周り、厨房へ入っていった。

 何なんだ?

 彼女は此処の店の関係者なのか?

 もしかしてあの娘は、俺に此処でお茶を飲んで貰うために空から落ちてきた……?

 いや、いくら何でもそれは。

 そんなことを考えている内に、彼女はコーヒーとケーキのセットを運んできた。

 ケーキはイチゴのショートケーキだった。


「はい、おまちどおさま」

「……君は、ここの店の人だったのか?」

「ええ、姉がこのお店を経営しています。今はその姉もサンタの仕事で出張していますけど。店番は母に」


 サンタの仕事??

 ああ、サンタの衣装を着てバイトでもしているのか。

 目の前にケーキとコーヒーが置かれるのをじっと見詰めている横で、彼女が笑う。


「どうぞ、召し上がれ」

「あ……ああ」


 満面の笑顔で勧められるがままに、俺はショートケーキをフォークで食べやすい大きさに切ってから口に入れた。


「……」


 何だろうか。

 スポンジはほのかに温かく、冷たい生クリーム。それに新鮮な苺の味……どこか懐かしい味。まさか……いや違う。

 もう、二十年も前のことだ。

 母親が作ったケーキの味なんか覚えているわけがない。

 覚えているわけがないのに。

 


 去年、大学を卒業したと同時に亡くなった母。

 未婚で俺を生んで、誰の力も借りないで一人で俺を育てた人だった。

 ずっと働きづめで。

 クリスマスを祝ったのも、そう。四歳のクリスマスの時だけ。

 あの日は初めて母が手作りのケーキを作ってくれた。

 忘れられない思い出だ。

 俺は、あの時のクリスマスの日が本当に嬉しかったのだ。



 いつケーキを食べ終わったのか、分からなかった。

 夢から覚めたみたいに、俺は我に返って。

 向かいには、女性が座っていてじっとこちらを見詰めていた。


「ケーキのお代わり、いりますか?」


 尋ねる彼女に、俺は首を横に振る。

 この次に同じケーキを食べても、多分違う味だと言うことが分かっていたから。

 俺は、コーヒーを飲んでから彼女に尋ねる。


「ありがとう、いい一時だった。お代は?」


 内ポケットに手を入れ財布を取ろうとする俺に、彼女は首を横に振った。


「いいんですよ。これは助けてくれた御礼ですから」

「いや……でも」

「いいんです。藤沢さん、さっきよりもとてもイイ笑顔です。サンタクロースにとっては、それが代金でもあるのです」

「え……?」


 彼女は、どこか誇らしげな笑みを浮かべ、はっきりとした口調で俺に告げたのであった。


「あたしは、サンタクロースなんです」



 *↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟ 



 夢を見たのか。

 幻を見たのか。

 翌日、CHRISは休業の札を出していた。しかもその札にはこう書いてあった。



「来年のクリスマスイブに会いましょう」 と。



 それから三日後、空から女性が降ってきたエピソードは省いて、CHRISという店があることを同僚に話した。

 ところがカフェに詳しい筈の同僚は、そんな店は聞いたことがないという。

 不思議に思って店の名前を検索してみたものの、同じ名前の店はいくつかあったが全然場所も違うし、店の外観も違うものばかり。

 そして俺自身、もう一度同じ場所に行ったが、そこにはただの民家があるだけで、どう見ても店という佇まいではなかった。

 


 ――俺は本当に夢を見ていたのだろうか?


*↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟ 


 その店が、クリスマスイブの夜だけ、開店する店だと知ったのは、翌年のクリスマスであった。

 なんとなくCHRISがあった場所へ来てみると、あの店が開店していたのだ。

 俺が店の戸を開くと、サンタクロースの格好をした彼女が出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。藤沢さん、お待ちしていましたよ」


 彼女は俺のことを覚えていた。

 しかもすぐにあの時のショートケーキとコーヒーを出してくれた。

 そのケーキはやはり懐かしい味がした。

 その年のクリスマスも、彼女と何の気ない話をしながらケーキを食べコーヒーを飲んだ。

 仕事に追われて疲れていたが、お陰で何だか幸せな気持ちになれた。

 そして翌日にもう一度CHRISがあった場所に来てみると店は休業の札を出し、その次の日に訪れるとやはりただの民家になっていた。

 不思議に思いつつも、俺はクリスマスイブのたびにCHRISを訪れるようになった。

 あの居心地の良さが忘れられなくて。

 ずっと一人だったクリスマスイブも、ケーキを食べている時だけは幸せでいられる。

 いつの間にか、クリスマスにはカフェCHRISを訪れるのが恒例行事となっていた。

 ただ、本当に不思議で仕方が無いのは。

 最初の年は助けてくれた御礼、ということで納得していたが、次の年からはそうはいかないと思い、代金を払おうとした。

 しかし彼女はニコリと笑って「これはクリスマスプレゼントですから」と言って受け取らなかった。

 今年こそは代金を払うと言っても、彼女は首を横に振るばかり。

 だんだん俺は、彼女が本当にサンタクロースなのでは? と思えるようになった。


 

 そして俺が二十九歳になったクリスマスイブの夜。



 その日は雪が降っていた。

 そんな中、俺は全速力で走っていた。

 冗談ではなかった。

 どうしてこんな事になるのか分からなかった。

 いや……あの男が、俺の父親であると告げた時から、運命は否応なく俺を後継者争いの舞台へ引き込もうとしていたのかもしれない。

 後ろからは、「お待ち下さい」と叫ぶスーツを着た男達。

 お前達、いつから俺に敬語を使うようになったんだ!? つい最近まで、愛人の子供と見下していたくせに。

 あの男は俺を子供として認めていなかった。

 母は一度俺の将来を案じ、俺を連れて奴に認知を頼みに行ったことがあった。

 その時のあの男の言葉は忘れられない。


「だから、あの時堕ろせと言ったんだ」


 それが何だ? 

 正妻にも他の愛人にも、跡取りが出来なかった結果、今更になって父と名乗りだして。

 跡取りになれだなんて、冗談じゃない!

 俺達が貧しい生活で苦しんでいた時に、援助もしなかったくせに。

 俺は、嫌だ。

 あんな男の為に生きるのなんか。

 気づいたら、俺はCHRISのドアを勢いよく開いていた。

 そして、ドアを押さえつけるように、背中に凭れる。

 何度も肩で息をする俺に、彼女は驚いて俺の顔をのぞき込む。


「ど、どうしたんですか……? 藤沢さん」

「ごめん……っっ! 少し匿って欲しい」

「追われているの? 悪い人?」

「いや悪い人じゃない。店に危害を加えるような人間じゃないから大丈夫だ……でも俺にとっては大被害なんだ」


 何度も息をしながら、説明をする俺にカウンターから一人の美女が出てきた。

 俺よりも少し下ぐらいだろうか。

 背の高い、金髪のペリーショートがよく似合う。口の下にはほくろがあるのが特徴か。

 彼女は腰に右手を当てて、親指で背後の裏口を指して言った。


「早く行きな。此処に隠れたって直ぐに見つかる」


 俺よりも先に、頷いたのがサンタクロースの格好をした彼女であった。

 俺の手を引っ張り、裏口へ走る。


「カン太もルン太も今日は機嫌がいいよ!」

「うん! 姉さん、店番よろしく」


 金髪美女は歯を出して、俺達に向かって笑いかける。

 サンタクロースの格好をした彼女は頷いて、俺を引っ張り裏口を飛び出した。

 温かな部屋から再び寒い外へ。

 人気のない裏通り。

 雪が積もりだした白い道路。

 俺は、目の前にある信じられない光景に、声が出なかった。


 まず目に付いたのは天に向かって突き上げたような長い角だ。

 体長は二メートルはあるだろうか。

 動物園などで見たことがあったが、こんなに大きかっただろうか?

 馬でもないし、鹿でもない。

 紛れもないトナカイがそこにはいた。

 しかも二頭。

 そのトナカイの後ろには、赤いソリがあって。

 彼女は俺を引っ張り、迷うことなくソリに乗る。

 ソリの椅子にはちゃんとクッションが敷かれている。しかも席にしっかりと接着されている。

 俺も席につこうとした時、喫茶店の裏口からスーツを着た男達が飛び出してきた。


「お戻り下さい! 進悟様」

「あなたが居ないと我々は……」


 うまい汁を吸えなくなるのだろう?

 あの男にぶら下がって利権を得ていた連中だ。

 俺がソリの席につくと、彼女は手綱を引いてトナカイたちに声をかける。


「カン太、ルン太、今年も頼んだわよ!」


 

 風に乗った気分だった。

 トナカイが一気に走り出したと思った瞬間、ソリがふわりと宙に浮かんだ。

 そして信じれないようなスピードで空を駆け上がりはじめた。

 驚きながらも、下を見下ろすと俺の姿を探している男達の姿が小さく見えた。

 ん?

 俺がトナカイのソリに乗って空に飛んだ所を見ていたのなら、普通は空を見上げる筈なのに。


 トナカイは更に空を駆け上がる。

 街が無数の星のように見えた。

 俺は今になって初めて、彼女が本当にトナカイから落下したことを知った。

 あの時は俺が落ちてきた彼女を受け止められたくらいだから、大した高さを飛んでいなかったんだろうな。


「気持ちいいね、カン太、ルン太」


 トナカイに声をかける彼女の横顔を、俺はじっと見詰める。

 こうしてみると彼女は綺麗になった。

 最初は可愛い、という印象だったけど今は――



「もうっ! 藤沢さんったら。あたしの顔に何かついている?」

「え……いや、何も」


 思わず彼女の横顔に見とれていた。

 俺は内心焦りながら出来るだけ彼女の顔を見ないよう俯いた。


「ごめん……仕事中にやっかいなことに巻き込んで」

「いいんですよー。今年の藤沢さんのプレゼントは、トナカイ旅行ですから」

「……こんな街中で、トナカイを飛ばしていたらと騒ぎにならないか?」

「皆には今の私達は見えませんよ。藤沢さんを追いかけた人たちも、藤沢さんがソリに乗った瞬間、その場から消えたように見えたと思います」


 だから黒服の男達は、上を見ずに必死に周りを探していたのか。

 あまりの奇想天外なことに、なかなか頭がついていかない。

 

「このトナカイは皆には見えないんだろ? だったら何で俺には見えているんだ?」

「藤沢さんには素質があるからですよ」

「素質?」

「毎年、CHRISを見つけ出せるのは、素質があるからなんですよ」

「……」


 ずっとあの店がなかなか話題にならないのが不思議で仕方が無かった。クリスマスイブの夜しか開かない店として、SNSで話題になっても良いはずなのに。

 CHRISという店自体、俺だからたどり着いた店だというのか?


「でも、素質って何の素質なんだ?」

「サンタクロースの素質ですよ。あたしと藤沢さんが出会ったのも、偶然じゃなくて、もしかしたら運命だったのかもしれませんね」


 そんな綺麗な笑顔で『運命』と言われてドキッとしてしまう。

 俺は動揺する内心を落ち着かせるように一度咳払いをしてから言った。


「どう考えても、俺と出会ったのは偶然だろ?」

「そう、最初の出会いは偶然だったのかも知れない。でもね……あたしには分かっていた。あなたはプレゼントが必要な人だってことが」

「……?」

「それがサンタクロースになった、あたしの超能力なの! 凄いでしょ」


 雪まじりの風を気持ちよさそうに浴びながら、彼女は胸を張って言う。

 プレゼントって、あのケーキのことだよな。

 俺は一度も彼女に代金を支払ったことがなかった。

 サンタクロースの素質とか、運命の出会いとか、信じがたいワードが先ほどから飛び交っているけれど、空を飛ぶトナカイに乗っている今は、それをすんなり受け入れられた。


「……ああ、そうだな。凄いよ。君は本当に凄い」

「やだ、藤沢さんって、そんな風に笑うこともできたんですね」


 そんな風な笑顔がどんな風なのか、俺自身は分からないが、いつになく自然体で笑えたような気もする。

 いや、いつだって彼女の前では自然体でいられたのだ。

 彼女は茶色い大きな目でこちらをじっと見詰めていた。

 あんまし、じっと見られたら照れるのだが。


「あ、ごめんなさい。あたしったら」


 彼女は少し顔を赤くして、慌てて正面を見た。

 そんな仕草は、すっかり大人の女性になったにもかかわらず、まだまだ可愛らしかった。


「ずっと聞きたかったのに、何故か毎年聞きそびれていたな……君の名前」

「あら、あたしの名前はサンタクロースですよ」

「そうやって、毎年はぐらかすから、俺も聞きそびれたんだ」


 やや非難がましく言う俺に、彼女は軽く舌を出す。


「サンタクロースは本名を名乗れません。誰に聞かれてもサンタクロースって名乗ることになっているんです。だけど、こう真正面から聞かれたら、答えないワケにはいきませんね。藤沢さんには特別に教えます。あたしは、栗須雪野くりすゆきのです。今、降っている雪に、野原の野と書きます」

「雪野、か」

「イイ名前でしょ?」

「そうだな、いい名前だ。それに君の仕事も……」

「サンタクロースの仕事ですか?」

「ああ、一年間の嫌なことも、君に会うことですぐに忘れられた。また一年頑張れると思った……誰かの気持ちを幸せにするというのは、本当に凄いことなんだなって思えるよ」

「藤沢さん」

「俺みたいな人間でも、サンタクロースになれるのだろうか……誰かを幸せにする、そんなサンタクロースに」


 俺はソリから見渡せる無数の光を見渡しながら思うのだ。

 幼い俺のように寂しいクリスマスを迎えている子供は何人いるのだろう?

 俺は未だ良かった。

 毎年母は仕事で出かけていたが、六歳のクリスマスイブだけは、一緒に過ごせたから。その思い出があるだけでも、まだ幸せだ。

 けれども世の中にはそんな思い出すらない、子供が沢山居るような気がした。

 今だって聞こえる。

 寂しそうな子供の声が。


「藤沢さんなら100%サンタクロースになれますよ」

「……え」

「CHRISのお店に毎年入れるなんて、すごいサンタ力ですもの」

「サンタ力って……!?」

「あたしのお祖父ちゃん、サンタクロース連盟の会長ですから。今から藤沢さんがサンタクロースになれるようお願いしに行きましょう」

「え……!? サンタクロースってそんな簡単になれるものなのか」

「全然簡単じゃないですよ。選ばれた人しかなれませんから。でもCHRISが見える藤沢さんなら合格間違いなしです」


 彼女は、そう言ってトナカイの手綱を引いた。

 トナカイは、スピードを上げ駆け上がってゆく。

 あまりに急な展開に、俺はただ、ただ呆気にとられるしかなかった。

 そんな俺に雪乃はにっこり笑って言った。


「来年から一緒にサンタのお仕事がんばりましょう!」



 *↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟ 



 二年後。

 俺はトナカイに乗り、サンタクロースとして日本中の空を駆けめぐっていた。

 サンタクロースもいろいろあって定番の老人もいれば、老婆もいる。またバイクでプレゼントを配るサンタや、徒歩で地道に配るサンタもいた。


「サンタさん、どうもありがとう」


 俺がプレゼントを置いたら、ある子供は寝言でお礼を言ってくれる。

 がんばって起きた少年はクリスマスプレゼントを受け取り、満面の笑顔でお礼を言ってくれる。ただ、その少年も翌朝、目が覚めた時には、夢だと思うだろう。

 サンタクロースになってから不思議とプレゼントを必要としている人々の居所が分かるようになった。

 家族がいない子供、金銭的に恵まれない子供。

 また孤独に苦しむ大人、疲れ切って癒やしを求める大人にもプレゼントを配っていた。


 

 あれから、彼女の祖父である栗須大団氏に紹介された俺は、直ぐにサンタクロースとして認められた。しかも「是非、我が社へ来て欲しい」と握手ながらに誘われた。

 栗須氏が経営する会社は玩具メーカー『ダイダン』

 聞いたことがない社名だった。オフィスはブロックで作られたかのようなカラフルなビルディングで、流行ゲームから、昔ながらの玩具、雑貨や電化製品まで色々なものを取り扱っていた。

 雪野の祖父であり、ダイダンの社長である栗須大団氏は、まさしく絵本に出てくるようなサンタクロースのような風貌で、優しい笑顔が印象的だった。


「君がサンタクロースになってくれれば、雪野も喜ぶ。もう年に一度じゃなくて、君と毎日会えるわけだからね」

「お、おじいちゃん!! 余計な事言わないでよ」


 雪野は顔を真っ赤にして、祖父である大団氏の口を押さえていた。

 俺は今勤めている会社を退職し、ダイダンへ転職することになった。

 今勤めている会社は、父親の部下が待ち伏せをしている状態だった。大団氏はそんな俺の為に退職代行サービスも手続きもしてくれた。

 雪野もダイダンの社員として働いており、俺は彼女から仕事教わることになった。

 年に一回しか会えなかった彼女とは今、毎日会えるようになっている。


 

 現在は大団の社宅に住まわせてもらっている。父親の部下が待ち伏せしていない時を見計らい、住んでいたアパートから少しずつ荷物を持ちだした。

 大団氏の調べによると、父親は消えた俺の足取りを追っているようだった。

 もし居場所が見つかってしまったら、ダイダンにも迷惑をかけるかもしれない、と心配する俺に、大団氏はフォッフォと笑いながら応えた。


 ここなら絶対に見つかることはないよ、と。


 *↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟ 



 俺が前の会社を退社した後、社内ではこんな噂が立っていた。


「ねぇねぇ、知ってる? この街って時々神隠しに遭う人がいるみたいよ」

「何それ、怖いんですけど」

「この前辞めていった藤沢君も行方不明なんですって。受付にあの人の父親の関係者が来てあれこれ尋ねてきたんだよ。ずっと手を尽くして探しているみたいだけど、全然見つからないんだって」



 *↟⍋*↟*↟⍋*↟*↟⍋*↟ 


 

 サンタクロースとしてプレゼントを配り終えた後、俺は喫茶CHRISに立ち寄る。

 そこには、一足先にサンタクロースの仕事を終えた彼女が、ケーキを焼いて待ってくれていた。

 今年はあと一人、プレゼントを渡さなければいけない人がいた、

 毎年ケーキを作ってくれてありがとう……そんな感謝の気持ちと共に、俺は自分の気持ちを打ち明けたいと思っている。

 今まで、言おうと思っていて言えなかった気持ちを。

 

 サンタクロースである俺には、雪野が今何を一番に求めているか分かっている。

 彼女は待っているのだ。俺の告白を。


 CHRISへ着いたらまずは、プレゼントを渡そう。

 この花束と小さな箱に入ったネックレスに全ての気持ちを託してある。

 俺はCHRISの戸を開ける。

 笑顔で出迎えてくれた雪野に、俺は小さなプレゼントを差し出す。

 首を傾げる彼女に俺は緊張しながらも自分の気持ちを告げた。


「結婚を前提に俺と付き合ってください」



 彼女が目に涙を浮かべ頷いた時、クリスマスにちなんだ曲の前奏なのか、ステレオからベルの音が響いた。

 それは祝福のベルのようにも聞こえた。




                               END



 

 


  




 

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