第5話 急な里帰り
卒業式の翌日、スマホのメッセージで彩音ちゃんから相談の名目で、放課後に僕の家に行ってもいいですか、という申し出を断腸の思いで断り、羽田から新千歳を経て、札幌駅から富良野行きの特急列車の車中にいた。
暖かい東京に背を向けた理由は他でもない、昨日の卒業式の晩に、故郷である北海道は
父さんも母さんも共働きで、どうしても仕事を優先しなければならない事情があり、当面のスケジュールを空白で確定させている僕に白羽の矢が立てられたわけだ。
今回亡くなった大叔父さんは、爺ちゃんと婆ちゃんと大分折り合いが悪かったらしく、同じ町内に住んでいながら、ほとんど僕たちの一家とは付き合いがなかった。
彼について僕が覚えているのは、僕が小学4年生のとき、 祖父の葬儀に顔を出した時のことだけだ。
大人同士の険悪な空気などおかまいなしだった当時の僕は、大叔父さんに近寄っていって、一言二言、言葉を交わしたのではなかったかと思う。
婆ちゃん特に彼を毛嫌いしていたけれど、当時の僕はその時あまり悪くはない印象を彼に抱いたらしく、生意気にも婆ちゃんに反論めいたことも言ったのではなかったか。
結局僕は生きている彼と、死んでしまった彼に一回ずつ、それも今回の葬式でしか会うことがないのだ。
「……うん?」
別の思考で精読していた本から顔を上げ、外を眺めると、大慌てで大きなキャリーバッグを抱きながら階段を駆け上がる女性に目を引かれた。腕時計を見ると発車時刻はもう過ぎているけれど、果たして彼女は間に合うだろうか。
「ハァ……ハァ……あ、危なかった……!」
どうやら間に合った様だ。車掌さんが気を利かせてくれたのかな。
ここは東京と違い、道内の駅によっては1本でも列車に乗り遅れると割と早い時間からもう帰れま線に乗り換え必須だったりする。まあ、これが田舎ってやつだ。
ちなみに富良野行きの特急列車はこの一本だけなので、これに乗り遅れると鈍行列車を乗り継いで行くしかない。
僕がまだ道民だった頃、同居していた従妹が友人との札幌旅行の帰りにやらかして、半べそで帰ってきたときの事を思い出した。
目の前で紙くずと化した指定席特急券、快適なリクライニングシートからヘルニアになりそうなほど硬いボックスシート、その車中で過ごす友人との気まずいプラス2時間は察して余りある。
「えーと……」
なんとかメインルート上で踏みとどまった女性は、キャリーバッグを引きながら自分の席を捜す。
列車は満席に近いけれど、僕の隣は空いたままだったから、居住まいを正す。
切符の番号と座席の番号を見比べながら、やがて彼女は僕の目の前にやってきて、そして立ち止まる。
「ここ、いいですか?」
「どうぞ」
この列車は全部の車両が指定席だから、僕に尋ねる必要はないのだけれど、律儀な人だ。……時間にルーズなのがちょっと残念だけど。
「失礼します。あ、荷物上にあげちゃい――きゃっ」
バッグを持ち上げようとしたところで、列車が動き出したため、彼女は軽くバランスを崩してしまう。僕は咄嗟に身体を支えようと思ったけれど、相手は見知らぬ女性であり、例え善意であっても相手が嫌がれば、事案となってしまうのがこの世の常である。そうした枷もあって、結局僕は瞬時に行動に移すことが出来なかった。
幸い、彼女はすぐにバランスを取り戻したが、重たそうなバッグを女性のか細い腕で持ち上げるのは難儀しそうだ。
「上げますよ。横に倒しても大丈夫ですか?」
「えっ……す、すみません……お願いできますか?」
彼女は一瞬躊躇ったけれど、押し問答しても周りの迷惑になると思ったのか、素直に任せてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「お気になさらず」
僕が荷物を上げると、彼女は慇懃に頭を下げた。
僕としては彼女の礼は耳が痛い。彼女を支えるという最善の選択肢を持ち合わせておきながら、僕はあえて動かなかったのだ。
もしも彼女がそのままバランスを崩して転び、さらには重たそうなキャリーバッグの下敷きになって怪我でもしたら、きっと僕はこのことを生涯に渡って後悔していたことだろう。だから、代わりに荷物を上げたのは、そんな僕の後ろめたさを隠すための偽善に他ならない。
それでも……こうした偽善の積み重ねが、いつか僕を本物に。頭ではなく、心からの善意に変えてくれるといいのだけれど。
ギフテッドは恋愛が解けない がおー @popolocrois2100
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