第4話 私、まだ諦めてないです
「うん、二人ともすごく良い表情だったよ! 実にお似合いだね!」
「岩田さんもそう思いますか!?」
彩音ちゃんの破顔なんて滅多に見られるものじゃないけれど、今の僕にそれを悠長に眺める余裕はなかった。
「お似合いだそうですよ、千明先輩!」
「ソウダネ……」
全神経を集中して慣れない表情を作った二回の記念撮影によって僕の処理能力はパンク状態。そんな状況にもお構いなしとばかりに、智也と彩音ちゃんが僕との想い出話に花を咲かせていると、その事案は発生した。
「いやあ、まさか千明と彩音さんが――」
「はい?」
智也の放ったその一言で、和やかな空気が一瞬のうちに凍りつく。
「岩田さん。いま、なんと仰いましたか?」
「えっ……千明と彩音さんが付き合ってたって……」
「そう見えたのならうれし――……ごほん。いえ、そうではなくて、誰と誰が、と訊いているのです」
「千明と彩音さ――」
「彩音、さん?」
ドスの利いた低い声で彩音ちゃんは問うた。
顔は笑ってるけど、明らかに目に光がない。
「……いえ、藤原さんでした」
「そうですか。どうやら私の聞き間違いだった様で、安心しました」
「は、はい……」
気心知れた菩薩のような微笑みが、一瞬にして精神的般若に変わり、傍観者である僕までも血が逆流するような悪寒が走った。
「それから、誤解なきように言っておきますが、私と千明先輩は『まだ』付き合っておりません。そうですね? 千明先輩」
「……う、うん、僕達は『まだ』付き合ってないよ」
『まだ』という点をもの凄く強調してくるので、僕もそれに沿った言辞を心がけた。
「そ、そうだったんですか……まだ、お付き合いはされてないんですね、まだ……」
「はい、まだ、です」
彩音ちゃん、ちょっと怖いよ。
「え、えーと……じゃあこの写真データは藤原さんのSPの方にお渡ししておきますので、ボクはこれにて……」
「ちょ、僕を置いてかないで――って、はやっ!」
砂煙を立てて脱兎のごとく智也は逃げ出した。
そうしてこの場に残されたのは、僕と彩音ちゃんの二人だけ。
正直、かなり気まずい。
「千明先輩」
「な、なにかな……藤原さん」
「で・す・か・ら、彩音、ですっ! 千明先輩だけは、彩音と呼んでください!」
「いやだって、さっき智也に……」
明らかに下の名前で呼ばれるの嫌がってたし。
「当然じゃないですか。だってこの本には親しい男性以外に下の名前を――って、あっ!?」
その瞬間、彩音ちゃんの手から一冊の本がこぼれ落ちた。
ここ半年くらい彼女がいつも肌身離さず持っている本だけれど、ブックカバーに覆われて表題が見えないし、中身を訊いても教えてくれないので、少し気になっていた。
しかし何度も熟読したせいか、カバーはボロボロになり、落ちた拍子にそれが外れてしまう。
「み、見ないでくださいっ!」
「……『小学生でもわかる恋のバイブル! ~意中の相手を意識させる23の秘策~』……?」
「こ、これはっ、親しい友人から一時的に預かったもので……」
「半年以上前から……?」
「あ……うぅ……」
「は、はは……はははっ……」
「な、なんで笑うんですか……久しぶりに千明先輩の素の笑顔を見られたのは嬉しいですけどっ!」
「ご、ごめんっ、ははっ、だってさ……」
僕もずっと昔に、これとまったく同じものを読んだことがあるから。
「僕が中学二年生のとき、幼馴染みの子が毎日10回は読めって、僕にくれたモノと一緒なんだよね……ははっ……」
「…………」
そういえば、あの子は今頃どうしてるのかな。
5年前、北海道からここ東京に引っ越して来てからは一度も会ってないけれど。
あの頃の、周囲を見下してクソ生意気だった僕の歪んだ性質に大きなメスを入れてくれたのも、あの子だったような気がする。
「ははっ……ははは……」
「……………………」
「はははっ……って、彩音ちゃん……?」
一人思い出し笑いに耽っていると、彩音ちゃんの様子がおかしい。
またしても悪寒が……。
「……千明先輩。一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」
「うん……」
何故だろう。ここで回答や選択を間違えると、なにか取り返しのつかないことになりそうな予感がする。
僕の悪い方への思考は大抵が杞憂に終わることが多いのだけれど、今度ばかりは良い方への思考がまったく思い浮かばなかった。
「その本を贈った方は、女性ですか?」
「いや、男だよ」
「本当ですか?」
「うん」
僕は言い淀むことなく即答した。
ここでもし僕がまごついたり、『うん・はい・女性です』などと答えた場合、ありとあらゆる悪い未来が僕の脳内を駆け回ったからである。
基本的に僕は嘘やおべっかは言わない人間だけど、甘い嘘は時として苦い真実に勝るという格言を教えてくれた人がいて、免罪符とばかりにそれを利用させてもらった。
「……そうですか。ならいいのですが」
僕の回答に納得したのか、彩音ちゃんから漂う負のオーラは四散した。
よくなかった場合、いったいどうする気だったんだろう……。
「……ごほん。では、改めてご卒業おめでとうございます。千明先輩」
「うん、ありがとう」
「ちなみに先輩はいつ頃まで日本にいられるのですか?」
「入学は10月だけど……向こうの生活に慣れるまでの期間を考えると、まあ4月いっぱいまでが限度ってところかな」
そう、僕はイギリスのオックスフォード大学に進学することになっているけれど、入学は10月の二週目だから、まだ半年も先。
「では、5月に入るまでは気軽にお会いしても問題ない、ということですね?」
「えっ、あ、うん……お互いに予定が合えば、ね……」
ちなみに僕はこの先5月までの予定などまったくない。正直、どうやって時間を潰そうかと考えていたくらいだ。
しかしここは予防線を張っておいた方がいい、というのが最善と思考したので、僕は『気軽に』という文言を希釈しにかかる。
「そうですか……私はまだ生徒会長という役職に自信が持てなくて、前会長たる千明先輩に色々とご相談に乗っていただきたいと思っていたのですが、やはりご迷惑ですよね……」
彩音ちゃんは僕が見たこともないような悲しい顔で肩を落としてしまった。
……僕は馬鹿だ。深読みしすぎて彼女を傷つけてしまった。副会長として彩音ちゃんには今まで散々手伝ってもらっていたのに、これでは恩知らずにも程がある。
「……いや、そこは僕も気が回らなくてごめんね。そういうことならいくらでも予定作るからいつでも相談してよ」
「……本当にいいのですか?」
「……もちろん。何だったら渡英の時期を遅らせてもいいくらい頑張るつもりだよ」
一瞬間があったのは、否応にも巡る僕の思考の中で、『キケン』という言葉が耳鳴りのように響いたからであり、それを振り払うのに若干の手間が生じたためである。
「……言質は取りましたよ?」
「はっ? えっ?」
「ふふっ、今日は千明先輩の色々な表情が見られて、なんだか得した気分です」
「…………」
「私、まだ諦めてないんですからね?」
僕には正直、敵わないなと思った女性が2人いる。1人は僕の父さんの妹――いわゆる叔母である恭子さん。もう一人が例の幼馴染みの子。
「お手柔らかにお願いします」
「善処します♪」
そして今日、ここにもう一人が加わった瞬間だった。
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