雪のシュバシコウ 後編
どのくらい時間がたっただろう。
フォルトゥナが気がついたら、天幕の布天井が真上に見えた。
がばと身を起こすと、横に兄が横たわっていた。右足に添え木をしている他は、大きな怪我はしていないように見える。眠っているようだ。
そこは壁には布が張り巡らされ、どうやら仮設天幕の中らしかった。フォルトゥナと兄は、簡易の低い寝台に寝かされていた。
「起きたか、嬢ちゃん」
フォルトゥナの視界に、黒ひげの男が入って来た。
「お腹は空いていないか」
男の目尻には、笑うとしわが寄る。
「おにいちゃんは」
フォルトゥナの肩を黒ひげの男は、やさしく叩いた。
「薬が効いて眠っているんだ。じき、目を覚ます。大丈夫だ」
フォルトゥナは心から、ほっとした。
「炊き出し天幕に行くといい。あたたかなスゥプがあるよ」
それには「行かない」と、フォルトゥナは首を振った。兄を置いて行く気はなかった。
「おにいちゃんは、おじさんが見ている。じょうちゃんが、まず食べて、それから、おじさんと、おにいちゃんの看病を代わろう」
それはそうだと思えたので、フォルトゥナは従うことにした。
天幕の出入り口になっている布をめくって外へ出ると、寒かった。フォルトゥナは空を見上げた。灰色の低い空から、こまかな雪が舞っていた。雪は地面の色を、うすく隠しはじめている。
炊き出し天幕は白い蒸気があがっていたから、すぐにわかった。
「嬢ちゃん」
フォルトゥナは兵士の一人に声を掛けられ、天幕に招き入れられた。
「この子は?」
「高台の家の子だ。兄と妹」
「――そうか。ほら、お食べ」
兵士は、フォルトゥナを手近な簡易テーブルの簡易椅子に座らせて、目の前にスゥプの椀を置いた。フォルトゥナは、やっと自分の空腹に気がついて、ふぅふぅと、椀のスゥプを冷ましながら、すすった。
しばらくすると、炊き出し天幕の入り口が騒がしくなった。
「公子、こちらへ」という声が聞こえ、天幕の布をめくって入って来たのは、あの銀の髪の少年だった。あのときは気がつかなかったけれど、瞳も銀色だ。少年は、簡易テーブルのそばの簡易椅子に腰かけた。
フォルトゥナは、少年に渡した雪のシュバシコウの卵のことを思い出した。「卵は?」と、話しかけに行った。近づくフォルトゥナを兵士が
「ここにある」
そして、胸元から卵を出した。雪のシュバシコウの卵は、外からの圧力には岩のように固い。
「
その卵をフォルトゥナは、じっと見つめた。ラベンダー色の瞳が、かすかに濃くなる。
「かえると思う。まだ生きてる」
フォルトゥナは、少年に卵を
「わかるのか」
少年の問いに、フォルトゥナはうなずく。
「雪のシュバシコウは、しあわせを運んでくるの」
フォルトゥナは、大人たちに聞かされていたことを少年に伝えた。
「しあわせ」
少年の目に否定の色が浮かんだが、それ以上は言わずに、卵を
それから、フォルトゥナはスゥプの続きを飲み干して、満足した。身体があたたまったフォルトゥナは椅子に座ったまま、うつらうつらしはじめた。
「――遭難者は天幕か」
「はい。歩けるものは、明日にでも、――村の修道院へ移します」
「遭難者は、そこに任せられるか」
「はい。そのように」
「被害はガレムス村だけか」
「各地に伝令を走らせているところです」
そんな声が、切れ切れに聞こえた。
そして、フォルトゥナが目覚めたとき、またしても天幕の布天井が見えた。誰かが、眠ったフォルトゥナを抱えて連れて来たのだろうか。
「フォル」
フォルトゥナは、あたたかな視線を感じた。今度、フォルトゥナを覗き込んでいたのは、兄だった。
「フォル」
兄は、もう一度フォルトゥナを呼んだ。
「おにいちゃん」
久々に兄の声を聞いたフォルトゥナはうれしくて飛び上がり、その首にかじりついた。「う」と、うめかれて、兄は怪我をしていたと気がついて、あわてて
天幕の中には、何人かの人が横たわっていた。
「村の人だよ」
兄が教えてくれた。
「歩ける人は、隣村の修道院へ行った。ぼくは、まだ、ここにいろって。フォルもだよ」
「うちには帰れないの?」
「壊れちゃったろ」
「おとうさんとおかあさん、帰って来た?」
「……兵士さんが探してくれてる」
兄は言いよどんだ。
「兵士さん、いっぱい、いるね」
「国境近くの山岳訓練場に行く途中だったそうだ。ガレフス村の近くを移動中だったんだ。それで駆けつけてくれた」
「兵士さん、動けなくなってたら、すぽってしてくれた」
「うん?」
「雪のシュバシコウの卵が。ぎんのかみで、ぎんの目の子が来て」
フォルトゥナは懸命に説明した。
「銀の髪で銀の目。それは、きっとメルドルフの公子さまだ。公子さまが、雪のシュバシコウが旋回しているのを遠目で見て、『あそこに何か、あるんじゃないか』と精鋭を向けてくれたそうだよ。黒ひげの人が教えてくれた。本来なら、ぼくらの家辺りは、最優先じゃなかったって」
兄はフォルトゥナを見つめて、それから、抱きしめた。
「無事でよかった。フォル」
「おにいちゃんこそっ」
フォルトゥナは、何だかわからないけど涙があふれてきた。
それから、3日ほど、フォルトゥナと兄は仮設天幕で暮らした。公国からの救援部隊と兵士は交代したようだ。兄は、「メルドルフの公子の部隊は出立してしまったみたいだね。お礼を言いたかったな」と、とても名残惜しそうだった。
街道が続いている空に、白い鳥影が飛んでいるのが見えた。おそらく、その下あたりに公子の部隊がいるのではないか。
――卵がかえりますように。
そう、フォルトゥナは願った。
〈つづく?〉
いとしのリヒテンシュタインさま 2 雪 ミコト楚良 @mm_sora_mm
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