いとしのリヒテンシュタインさま 2 雪

ミコト楚良

雪のシュバシコウ  前編

 ベルヘェン山脈の裾野に点在する村は石壁に囲まれ、木組みの家が立ち並ぶ。葡萄畑に囲まれた箱庭のようだ。

 そんな村のひとつ、ガレムス村が土石流に襲われたのは、いつもと同じに思えた朝だった。冬の訪れを前に山の放牧地から牛たちは、ふもとの村へと帰ったばかりで、この年、はじめての雪が降った。 

 地鳴りのあと、一気に土石流が押し寄せた。


 フォルトゥナは気がついたら、兄と薄暗い空間に取り残されていた。

 柱がかしいで出来た空間に、二人は倒れていた。

「フォル?」

 暗がりの中で、兄の手袋の手がフォルトゥナを探し当てた。

「おにいちゃん」

 フォルトゥナも手袋の手で握り返した。

 二人は出かけるためにと着込んでいたのが、さいわいした。


 葡萄作りを生業なりわいにしていたエスト家は、広い畑を望んで山肌を開墾かいこんをしており、ガレムス村の中心部からは離れて高台にあった。それで、ガレムス村を直撃した土石流からは外れた。といっても、家屋は崩れた。土砂に押されるのか、時々、木がきしむ音がした。


「ここから出なきゃ」

 兄の声がした。

「フォル、動けるかい」

「ん」

 フォルトゥナは兄の手袋の手を、自分も手袋の手で、ぎゅっと握り返した。

「じゃ、あっちが明るいの見える?」

「ん」

「フォルなら、すり抜けて出られそうだ。お行き」

「……おにいちゃん」

 フォルトゥナは兄の腕を引っ張った。

「おにいちゃんは動けない」

 右脚が崩れた壁にはさまれていた。暗がりの中で兄の手が妹の手を、やさしく握った。

「村に行って、最初に出会った大人に助けてって言うんだ」

「……おにいちゃん」

 泣き出しそうな妹の手を、兄はふりはらった。

「行くんだよ」


 フォルトゥナは、薄明かりの方へとって行った。子供一人がすりぬけられる瓦礫がれきの隙間があった。そこから、外へ出た。着込んでいたことが、さいわいした。コートは、どこかにひっかけ、ズボンも泥まみれになったが、フォルトゥナ自身は怪我ひとつしていない。

 フォルトゥナは地面にひざをついたまま、半身を起こした。そこから見る風景は、覚えているものではなかった。

 山のふもとに、あるはずの村は、なくなっていた。

(どこか、ちがう世界に来ちゃった)

 フォルトゥナは泣きそうになった。それを、ぐっとこらえた。


 ――大人を見つけるんだ。

 エスト家の舘から村へ行く道をたどる。道は土砂にはばまれて、途中でなくなった。街道へ続く道が、もう1本ある。フォルトゥナは、その道をひとりで歩いたことがなかったので、行くのをためらった。


KATAKATAKATAカタカタカタ……」

 道の先、上空で、鳴き声というよりも物音のような声がした。

 フォルトゥナが、そのラベンダー色の瞳で見上げると、くちばしと足が赤く白い羽の大鳥が旋回していた。


(雪のシュバシコウ)

 

 この鳥は鳴くのはひなのときだけ。大人になると鳴かない。くちばしを激しく開閉して叩き合わせて出す、カタカタカタという音が鳴き声の替わりだ。

 彼らは、冬の到来に合わせてやってくる。

 つがいは、尖塔の先などに巣を作る。

 その雪のシュバシコウは旋回し、地面へ急降下することを繰り返していた。泥の中に何かあるのか。

 フォルトゥナは泥の山を登ることにした。

 足元がやわらかいところがあった。くるぶしまでのブーツが泥に、ずぶりと沈んだ。材木の上を革のブーツの底で踏んで、たしかめてから進んだ。


KATAKATAKATAカタカタカタ……」

 雪のシュバシコウは、何度も一カ所に降り立とうとしていた。その理由を、フォルトゥナは理解した。木組みの家が壊れた残骸の中に、壊れかけた巣があった。シュバシコウの巣は幼児が両手を広げたぐらいの大きさがあるものだが、今は見る影もなかった。かろうじて巣とわかったのは卵がひとつ、残っていたからだ。

 フォルトゥナには巣の卵へたどりつき、足元に気をつけながら右手を伸ばした。あと少しで届かない。材木をよけながら、フォルトゥナは巣の中へ足を踏み入れた。卵を両手ですくいあげることができたが、自身の体重で、ずぶずぶと足元が沈み身動きが取れなくなった。

 皮のブーツは、しっかりと足首を留めてあったから、脱げない。


 「KATAKATAKATAカタカタカタ……!」

 雪のシュバシコウが、ひときわ高く音をたてた。

「誰か、いるかっ。生きていれば答えろっ!」

 声が聞こえたのは、そのときだ。


「助けてっ」

 フォルトゥナは叫んだ。

「助けて!」


 泥の土手の向こうから、ひょいと小さな影が現れた。逆光のために最初にわかったのは、少年が銀の髪だということだった。

「大丈夫か」

 そう言って、少年はフォルトゥナに手を伸ばしてきた。フォルトゥナはうなずいて、「これ」と、まず、雪のシュバシコウの卵を両手で差し出した。

「……それより」

 少年はとまどったようだが、フォルトゥナが真剣な表情で卵を差し出して来るので、卵を受け取った。それから、「来てくれっ。子供がいるっ」とあげた声に、兵士がやってきた。「手を伸ばせ。つかまれ」と兵士はフォルトゥナに声をかけた。フォルトゥナが、その腕につかまると、ずぽっと泥から引き揚げてくれた。

「おにいちゃんがいるのっ。家の中に」

 懸命にフォルトゥナは、自分の家の方角を指した。

「行こう」

 銀の髪の少年が、先頭に立った。フォルトゥナを助け上げてくれた兵士は、そのままフォルトゥナを抱えたまま、少年に続いた。あとに、数人の兵士も続く。


 半壊したエスト家の舘が見えて来ると、気がせいたフォルトゥナは、兵士の腕から飛び降りた。

「おにいちゃん!」

 壊れた家に向かって叫んだ。

「この家屋の中か?」

 少年に聞かれ、フォルトゥナはうなずく。

「材木をよけなければならぬな」


「ここから入れるの!」

 フォルトゥナは、自分が這い出て来た家屋の隙間へしゃがんだ。

「おい! やめろ」

 四つん這いになって隙間へ入って行こうとしたフォルトゥナの足首を、少年は掴んだ。

「はなしてっ」

 フォルトゥナは、少年を足で思い切りった。

「じゃじゃ馬!」

 少年は悪態をついて、フォルトゥナの上着をつかんだ。その少年を、兵士が羽交い絞めする。

「若っ、おやめくださいっ」

 その隙に、フォルトゥナは少年の手から逃げた。

「行くんなら、暖炉石だんろいしを持っていけ」

 少年はフォルトゥナに黒い丸っこいつややかな石をよこした。ほのかに暖かい。

「耐えろよ」


 フォルトゥナは、その石を袖の中に突っ込んで、身を屈めて倒壊した家屋をくぐった。

 「おにいちゃん」

 かすれた声で兄を呼んだ。

 返事がない。かしいだ柱、崩れた壁の隙間から、ぼんやり光が差し込んで、横たわっている兄の手袋の手が見えた気がした。フォルトゥナが握りしめると、しばらくして弱く握り返された。その兄の手に、少年から渡された黒っぽい丸い石をのせた。

 その暖炉石だんろいしは、このような冬ならば身体からだを暖めたり、鼓動を調ととのえることができる石だった。


 外の気配に耳を澄ませていたが、そのうちフォルトゥナのまぶたは重くなった。

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