【04】攻略/告白

 壁の輪郭が、上端から徐々に薄れて消えてゆく。

 その上を耕一のもとに帰るため跳び越えていた悪役令嬢ヴィラネスミレイは──しかし途中で足をもつれさせ、迷宮の一角に転落していた。


 力を振り絞って立ち上がる彼女の、衣装コスチュームも銀髪も、みるみる元の姿に戻っていく。どうやら異世界むこうがわとの繋がりが切れたらしい。

 同時に、それまで使っていた強大な力の反動が、帰宅部系女子である美黎に容赦なく襲いかかっていた。


 薬指から、指輪が煙のように蒸発していった。

 全身が引き千切られるような痛み、動かない手足。そして霞んでゆく視界の先には、緑色の小柄な人影がいくつか見えた。


 ゴブリンだ。奴らは弱者の匂いに敏感だ。


 魔物は、迷宮が完全消滅するまでは存在できる。それまでに通常は三十分から一時間は掛かる。最後の瞬間まで、彼らは人間を狩るのだ。

 そして今の彼女に、抵抗する力はわずかも残されていない。


 ──ごめんね耕一くん。伝えたかったこと、聞けそうにない。


 意識が薄れて、前のめりに倒れ込む彼女を……横合いから駆け寄った誰かの腕が抱きとめる。そしてそのまま、ぎゅっと抱きしめられていた。


「ごめんなさい! でも抱擁このほうが治癒力が高いはずだから……」


 聞きなれた声が耳をくすぐる。並んで歩いていたとき、手が一瞬触れただけでめちゃくちゃに謝られたのを思い出す。森谷耕一はそういう少年だった。……そういうところが、好きだった。

 かすんだ視界に、柔らかな薄緑色の光が見えて、抱きしめられた全身に体温とは別種の優しい温もりが流れ込んでくる。──激痛が、嘘のように消えてゆく。


「どうして、ここに……?」

「ええと……みなさんが、追いかけないと駄目だって言ってくれて……」


 周囲から「きみがウジウジしてるから」「まったく女心が分かってない」とか聞こえてきた。耕一と一緒にいた、彼が助けた人々が、背中を押してくれたらしい。

 すごく嬉しかった、けどダンジョン内はまだ魔物が徘徊していて危な……ってそうだゴブリンは!?


 我に返って目を開くと、自分を抱きしめる耕一の肩越しの景色のなかを、ものすごい勢いで緑色の塊──ゴブリンがふっ飛んでいき、地面を何度かバウンドしながら転がって、やがて動かなくなった。


「……え……?」


 抱きしめられたまま後方に首を巡らせると、あの母親に抱かれていた幼い少女が、蒼い光に包まれた拳を真っすぐ突き出して満面の笑顔を向けてくれた。

 周囲には他にも数体のゴブリンが、情けなくのびて・・・いる。

 後方ではその母親が、腕組みして誇らしげに頷いている。


「あの子が、拳撃士グラップラーに覚醒したんだ。たぶん、阿久津さんの姿が刺激になったのかも」

「そ……そうなんだ……」


 耕一は苦笑を浮かべながら、ゆっくりと体を離す。

 痛みはもうなかった。疲労感はあるけど、支えられなくとも一人で立てるだけの体力は戻っている。


「もしかして……阿久津さんが、ボスを?」

「うん」

「すごいね」

「ううん。力を貸りただけだから」


 彼の言葉で、今も異世界に存在する悪役令嬢としての自分ミレイに思いを馳せる。遺してきた記憶のなかの完璧な攻略プランを使って、どうか皇太子と幸せになってほしい。


「……それじゃあ……阿久津さん。約束通り、伝えたかったこと……今ここでもいいかな」

「……えっ、ここで……?」


 不意打ちに、美黎はゴクリと唾を呑み込んだ。……なぜか、周囲からも同じ音が幾つか聞こえた気がする。

 目を向けると、全員が不自然にこちらに背を向けて、何か話したり口笛を吹いたりしている。わざとらしさに、ちょっと噴き出してしまう。


「ええと、その……僕と……」

「……はい」

「お……お……」

「お……?」


 そして彼は、必死で想いを絞り出した。


「おでかけ、しませんか!? ふっ二人でっ、古本市にでも!!」


「…………え?」


 それが想像していたよりもだいぶ手前・・の言葉だったから、美黎は思わず固まってしまう。だって「お」で始まるなら「おつきあい」だと思うじゃない……。

 二人の間に、沈黙が流れる。そこにトコトコ歩み寄るのは例の幼い少女。


「そこは『けっこんしてください』だよね」

「えっ!? けっ!?」


 彼女が腕組みしながら口にしたまさかのフレーズに、唖然とする美黎。しかし幸いというべきか、耕一の真っ赤に染まった耳にその言葉は届かなかったようだ。


「……それはそれでさすがに早い……かな……」

「わたし、ユウヤくんとハヤトくんと、あとマサトくんからも言われたよ?」

「もっ……モテモテなんだね……」

「えへへ!」


 軽い敗北感をおぼえつつ視線を戻すと、彼は両目と両手をギュッと閉じたままで彼女の返事を待ってくれていた。その一途な姿がひどく愛おしく思えて、鼓動がひとつ、大きく高鳴る。

 少し想像しただけでもわかる。彼と二人で巡る古本市は、めちゃくちゃ楽しいに決まっていた。

 もしかしたら、そこで今度こそ告白してくれるかも知れないし。

 いいや、何ならこっちからしてしまおう。


「……うん。おでかけ、しましょ」


 おおおおお……と周囲から歓声が上がる。次の瞬間には、なぜか背広のおじさんが彼と抱き合って喜んでいた。

 さっきまで、そこはわたしの席だったのに……おじさんに嫉妬心が芽生えてしまった美黎は、横から耕一の手をそっと握ってみる。


「阿久津さん……?」


 驚いた顔で彼女を見た彼は、遠慮がちに、でもしっかり手を握り返していた。



 ──この日。地球上から全てのダンジョンが消滅し、奥手な少年と少女の距離も、少しだけ縮まった。

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異世界帰りJKは現代ダンジョンを最速で攻略する。 クサバノカゲ @kusaba

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