青く美しい花には……(四)

「ええと……オル先生は本当は人間ではなくて……?」

「うん」

「そちらの方は妹さん、と……?」

「うん」


 裏通りに座り込んだまま、俺とオル先生は言葉を交わした。


 二人組の男に襲われた俺を助けてくれた青髪の美女が去ってから小一時間。美女はオル先生の白猫を連れて戻ってきた。

 ピクリとも動かなかったオル先生が目を開けた瞬間、俺は安堵とともに号泣したが、驚愕の事実を告げられて涙はあっさり引っ込んでしまった。


「オル先生は元々は花で、魂がその猫の中にあって、人間の体は猫の中の魂とリンクして動いている、と……」

「そうそう、さすがレスター、理解が早いね」

「先生が言ったことを繰り返しただけで、理解したとは一言も言ってないんですが……」


 オル先生は普段通りの穏やかな笑顔で、僕の頭を撫でた。


「びっくりさせちゃってごめんね」


 その途端、オル先生が倒れた時の恐怖が蘇って、じわりと目が潤んだ。

 だって、本当に死んでしまったかと思ったんだ。


「それにしてもロズが来るなんて思わなかったよ。どうしてこの国に?」


 オル先生は後ろを振り返り、長い青髪の美女を見上げた。先刻、動かなくなったオル先生を連れて行こうとした大男を華麗な回し蹴りでした張本人である。


 ロザリスという花の名をもつその女性は、まるで不可能の象徴とされる幻の青いロザリスが人間になったような美貌の持ち主だ。ただ、その右目は黒い眼帯に覆われ、形の良い唇は骨董人形のようにぴくりとも笑わない。

 濃紺のサファイアのような左目が、冷たくオル先生を見下ろしている。


「あなたの異変を先生が感知した。マリー姉様ねえさまが近くまで来たけれど、鳥の姿では目立ちすぎて人の国に降りられない。だから比較的近くにいた私を姉様が呼びに来た」


 鳥のさえずりのような美しい声音で、およそ人らしくない機械的な回答が返ってきた。ギョッとする僕と対照的に、オル先生は全く気に留めていない。


「そっか、マリーは音速以上のスピードで飛べるからね。とにかく助かったよ、ありがとう」

「それよりなぜあなたが『先生』と呼ばれているのですか」

「あー……えっと、特に深い意味はないよ。レスターが呼びやすいみたいで。ねっ?」


 オル先生に振られて俺はコクコクと頷く。氷のような青い目が僕を睥睨へいげいしたが、すぐにそっぽを向いてしまった。確かに二人とも美人だけれど、顔も性格も似ていない。


 ロザリスさんは辺りを警戒している。その右手に握られているものに、俺の目は釘付けになった。


「あの、それ拳銃ですよね……?」


 本で見たことがある。この大陸の南のほう、魔法使いがいない地方で開発された、極めて殺傷能力の高い遠隔攻撃用の武器だ。魔法使いが多い大陸北西部では普及していないが、魔法使いの専売特許である遠隔での魔法攻撃を凌ぐのではないかと警戒されている――という話だ。


「もしかして、先生をさらった人を……」


 俺がおそるおそる尋ねると、オル先生は冗談を言うように手をパタパタと振った。


「殺してないよ。ま、体スレスレに五発くらい撃ちこまれたから、しばらく立ち直れないだろうけどね」

「そ、そうですか……」


 美しい花には棘がある、ということわざが頭をよぎった。


「さあ、とりあえずこの国を出よう。猫を狙っているのがあの研究者だけとは限らないからね」



◇◇◇



 俺たちは寄り道せずにまっすぐ王都を出て、国を囲む壁に開いた関所を抜けた。入国時に手続きをしてくれた兵士が、やはり気だるそうに出国手続きをしてくれた。


 国を出てすぐ、草原を走る街道沿いに巨木がある。その木の上で夕陽に照らされた黄金の塊に、俺は目を奪われた。


「わっ! 金色のわし……!?」


 この世のものとは思えない美しい鳥が、琥珀色の瞳でこちらを見つめていた。人の頭より二回りも大きな金色の鳥など、話に聞いたことも図鑑で見たこともない。

 その鳥は人の腕より長い両翼を羽ばたかせ、驚いたことにこちらへ近づき地面に降り立った。すると――


「マリー姉様ッ!!!」


 青髪の美女が大きな鷲にひしと抱きつく光景に、俺は自分の耳と目を疑った。あのクールな美女からハートマークが飛び散っている。


「ロズはマリーが大好きなんだ」


 オル先生には見慣れた景色なのか、のほほんと説明してくれた。そして美女に抱きかかえられた状態の鷲に近づいていく。


「ごめんねマリー、迷惑をかけたね」

「まったくですよ、オルオーレン。困った弟です」


 鳥が人の言葉を喋っている光景に、俺は開いた口が塞がらない。いや、さっき白猫がオル先生の声で喋った時も腰を抜かしそうになったけれど。


「器の方になにかあったら、人間の体が八つ裂きにされた時よりも大問題でしたよ」

「串刺しね?」

「どちらでも同じです。先生が心配されていましたよ」

「そうだね……今度帰ったら謝らなくちゃ」


 マリーと呼ばれた金色の鷲が、青髪の美女に抱きしめられたまま俺を見た。鋭い琥珀色の瞳に睨まれ、俺は少なからず緊張した。


「そちらはどなたです?」

「この子はレスター。カサンブール王国で出会ったんだけど、クーデターで家を失ってしまってね。この国で彼の親戚を探していたんだ」

「まったく、あなたは相変わらずですね……」


 オル先生は僕のほうへと振り返った。


「レスター、ごめんね。叔父さんを探している途中だったのに、こんなことになっちゃって」

「いえ、研究施設は半分くらい回りましたけど、それでも叔父の名を知っている人がいないということは、この国にはいないんだと思います」

「そうかなぁ……。どうする? 他の魔法大国も当たってみる?」

「それは……」


 まだ俺の叔父探しに付き合おうとしてくれていることに、感謝しなければならないのだろう。

 だけど俺は、本当は、叔父が見つからなければいいのにと思い始めていた。


 それなら俺は、オル先生の旅についていけるのではないか。


 俺が視線を泳がせていると、金色の鷲が首を傾げ、予想もしなかったことを口にした。


「その子は魔法使いの素質がありますね。先生なら面倒を見てくださるのでは?」


 先生――それはオル先生の先生だ。さしずめ俺にとっては大先生といったところか。トルステラ王国までの旅の間、オル先生から話を聞くたびに気になっていた人ではある。

 興味という名の興奮が、胸の奥で大きな気泡のように沸き上がる。

 しかしオル先生はその提案を一蹴した。


「それはできないよ」


 にこやかに放たれた一言に、やり場を失った期待が無数の細かい泡になって霧散する。

 どうしてそんなにハッキリと言い切るのだろう。俺にはそれが『拒絶』に思えてならなくて、何も言えなくなってしまった。


「とりあえず隣の国を目指そうか。ソルドール・キャットの研究をしている人がいないことを願って」

「はい……」


 鷹の琥珀色の目が俺をじっと見ていることに気づいていたが、目を合わせないうちにふいと逸らされてしまった。


「さて……ロズはどうします? 背中の本もそろそろいっぱいでしょうから、一緒に戻りますか?」

「いいのですか!? 喜んで姉様と一緒に帰りますっ!!」


 青髪の美女は濃紺の瞳をこれでもかとキラキラ輝かせた。この人、先ほど拳銃をギラつかせていた人と本当に同じ人だろうか。キャラが違いすぎないか。


「そうだマリー、ロズってば『下衆げす野郎』なんて言葉使うんだよ」

「あらあら、それはよくないですね」

「はいっ! ごめんなさい姉様!!」


 ……この不思議すぎるきょうだいには、いちいち突っ込んでいたら身がもたない。


 空が夕焼け色に染まる中、妙齢の女性が巨大な鳥に肩を掴まれて飛んでいくというシュールな光景を見送って、俺とオル先生は最寄りの国を目指して歩き出した。

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オルオーレンの花巡りの旅 夏野梅 @natsuume8

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