第3話 綾子と白鈴

 頭が痛い。

 この骸は誰だ。

 いや、私はこれを知っている。

 これは。

「お父さん。見てしまったのね」

「白鈴」

 私は女を見ずに答える。

これは白鈴だ。そしてお前も白鈴だ」

 女がフフッと笑う。

「お父さん。やっと思い出したの?そう私は白鈴よ」

「……いや、お前は綾子だ」

「お父さん。酷いわ。お父さんがその名前を使うなと言ったじゃない。そしてお父さんが私の名前を白鈴にしたじゃない」

 綾子はベッドに横たわる白鈴の横に座ると、その白い小さな骨を撫でた。

 そうだ。綾子の言う通りだ。

 私が綾子に白鈴と名乗るように命令したのだ。

「全て思い出した?お父さん。貴方が何をしたのか?」

 そう。思い出した。ほんの不注意だったんだ。少し目を離した隙に白鈴はベランダから落ちて、そして死んでしまった。妻はその事を受け入れられず、精神をやみ家を出た。

 私もその事実を受け止められず。だから白鈴と同じくらいの歳だった綾子をさらった。


 一緒にいた山城貞治を殺して。


 山城貞治の所持品を奪い、そして綾子が逃げないように足を何度も折り、綾子と呼ぶことを禁じ、白鈴として狭い部屋の中で育ててきた。

 どうして忘れていたんだろう。いや。どうして忘れてしまうんだろう。

「お父さん。私はずっとお父さんが怖かった。お父さんの望む白鈴を演じなければならなかったから。でも最近私の事を忘れていたり、自分の事が分からなくなることが増えていった。私ね。認知症についてたくさん調べたの」

 綾子の言いたいことが分かった。私は認知症で記憶が曖昧になっていたのだ。だから自分の事も山城貞治の事も綾子の事も白鈴の事も何もかも霧がかかったようになっていたのだ。

「私を殺すのか?」

「そんな事しないわ。ねぇお父さん。お父さんいつから記憶がないと思っているの?」

「どう言うことだ?」

「お父さん。どうして足が痛いと思うの?何で口の中を火傷しているの?何で身体中傷だらけなの?」

 綾子がニタニタ笑いながら私に問いかけてくる。

「まさか、お前が私の足を折ったのか?わざと熱いお粥や食べられないご飯をだしているのか?」

 綾子は私の問いには答えず大声で笑っている。

「この化物め」

 綾子がギロッとした目で私を見下す。

「誰がこんな化物を造ったと思うの?さあ、お父さん。これからも私が介護してあげる。私いっぱい認知症の本を読んだのよ?心配しないで。ほらこのお水も飲みましょう」

 私は言い返す気力もなく、ただ言われたように化物から差し出された水を飲む。

 意識が遠くなる中、綾子の笑い声が遠くなっていく。


 ◇


 酷い頭痛と鼻を突く、何とも言えない臭いで目が覚めた。

 いつの間にか眠っていたらしい。重たい身体を起こそうとして、ふと違和感に気が付いた。

「……ここは何処だ」

 自分が寝ているベッドと、引き出しの付いた小さな机が一つあるだけの薄暗く、見覚えの無い部屋。


 記憶の迷路にとらわれた私はここから抜け出せない。

 私はこの化物と過ごしていくのだろうか。

 それを私が知る術はない。



 了


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明日の空 ろくろわ @sakiyomiroku

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