二条さんは○○されたい

田中鈴木

第1話

「何故こうして残されたのかは理解していますね」

「はい……」

 受験会場となっていた専門学校の教室には私と、女の子が一人。椅子に座りコートを脇に置いて俯くその子を前に、バインダー片手に立つ私は一つ溜め息を吐く。

 今日は午前中だけのバイトのはずだった。最近売り出し中の英語活用能力検定試験、略して英活。従来の英検とは違って、英語で書かれた雑多な資料の中から与えられた課題に必要な情報を拾い出し、英語で回答するという試験だ。より実践的な英語能力を測定できるという触れ込みで、推薦入試の選考基準にする学校も増えてきている。私はその受験者、ではなく、試験官のバイトだ。スーツを持っていさえすれば誰でもできる、クレーム対応も接客もほとんど無い、時間中時々巡回していればいいだけの割の良いバイト、のはずだった。

「ええと、二条葵さん、で間違いないですね」

 受験票を確認しながら聞くと、女の子、二条さんは小さく頷いた。受験票に記載された情報通りなら、都心の私立中学に通う中学二年生。ファンデ無しでもぷるぷるのお肌。つやつやの黒髪を三つ編みにまとめ、長い睫毛が揺れている。ブランドに興味がない私でも一目で分かるハイブランドのお洋服。この子の着ているセーターだけで、私が今身に付けているスーツ一式よりお高いはずだ。なんなら財布の中身を合わせても太刀打ちできない。これが格差社会ってやつか。

「では確認しますが」

 俯きっぱなしの二条さんが気まずくて、私も座った。ここからが本題。残業代出すからと言われて引き受けてしまった、面倒臭いお仕事の始まりだ。

「今日の自分の行動が、いわゆるカンニング、不正行為に当たることは分かりますね?」

 二条さんの肩がビクッと震え、そしてまた小さく頷いた。とりあえず第一段階クリア。ここで否認されると無駄なやり取りが増える。まあ、言い逃れのしようも無いくらい堂々としたカンニングだったんだけども。


 試験が始まって早々、二条さんはタブレットを取り出した。説明は必要ないと思うが、一応英活は紙ベースの資料を見てシャーペンまたは鉛筆で回答する形式だ。スマートフォンやタブレット、スマートウォッチの類は事前に電源を切るようアナウンスしている。あまりにも堂々と取り出すものだから、巡回していた私も一度スルーしかけた。横に立ってまじまじ見つめても隠そうともせず、ごく普通に検索している。部屋の主任試験官役のバイト男性に小声で伝えると、彼も一度彼女の所まで行き、困惑も露わに戻ってきた。

 私達二人で受験票と試験マニュアルを確認する。ひょっとしたら何らかのハンディキャップ対策で補助器具の使用が認められているのではと思ったが、さすがにネットに接続できるタブレットの使用は認められていない。そもそも特別対応の人は特別室での受験になる。マニュアル上、一般受験者とは混ざらないはずだ。想定していない事態に混乱しているうちに、他の受験者も彼女の行動に気付き始めた。訴えかけるような目で見てくる人達に「気にしないで自分の受験に集中して」と目と手振りで伝え、ボソボソ対応を協議する。不正行為を認めた場合は試験官二名以上で確認のうえ試験を中断、または受験を無効とするとマニュアルに記載されているが、具体的な基準は書かれていない。今すぐ彼女を試験会場から追い出すべきなのか、それとも試験終了まで待って対応すべきなのか。バイト二人で話し合っても結論は出ず、主任試験官のバイト氏が本部まで確認に向かうことになった。その間一人ぼっちで取り残された私の心労たるや。あからさまな不正が行われている中、受験者から向けられる無言の圧力に耐えているうちに、試験終了の時間が迫る。なにせ中学二年生が受験できる級だし、試験時間は一時間しか無いのだ。このまま終了時刻になったらどうしようと泣きそうなところで、主任試験官バイト氏は戻ってきた。時計を確認すると、厳かに試験終了を告げる。マニュアルに沿って回答用紙を回収する間も、受験者の「どーすんだよコレ」という容赦ない視線に晒された。その後、主任バイト氏が「次の受験番号の受験者はそのまま自席で待機してください」と宣告し、今に至るわけだ。

 私は後の対応を主任バイト氏に任せて帰りたかったが、女の子相手に男性試験官が一人で対応したら逆に訴えられかねない。状況を分かっている私が適任だと押し付けられ、残業代は時給が五割増しだという言葉についふらつき、こうして事情聴取をしている。なんかマニュアル上は不正行為に対する処分を決定するに際して、受験者から不服や異議申立てを受け付ける機会を設けなければいけないことになっているらしい。


「不正行為を行えばどうなるのか、理解していましたか?」

 そう問い掛けると、二条さんはさあっと頬を赤らめた。少し潤んだ目が、おずおずと私を見上げる。

「…………はい。あの、えっちなことになるんですよね?」

「……………………はい?」

 可憐な外見から放たれた、予想外の言葉に思考が固まった。なんて?

「ええと、申し訳ありません。少しよく聞こえなかったようで」

「これから、私、すごいことされちゃうんですよね?黙っていて欲しかったら分かっているね?って」

「うんちょっと待って?」

 目の前にいるのは、私立中学に通うどう見ても富裕層の女の子。二条さんにこんな知識を吹き込んだのはどこのどいつだ?

「どこでそんな話を聞いたの?」

「えっと、あの、マンガとか?」

 碌でもねえマンガ読んでるな?

「それで、えーと、分かったうえで何故カンニングを?」

「その、私、かわいいじゃないですか?」

「バカなの?」

 バカなの?あ、言葉に出ちゃった。いいやもう。とりあえず実際かわいいのは認めよう。自分でぬけぬけと口に出す神経は全くかわいくないけど。

「ごめんなさい、かわいいのとカンニングとが繋がらないんだけど」

「その、私、期待されちゃうんです」

「はあ」

「私ってかわいくて、家もお金持ちで。学校も保育園からずっと私立で。だから、周りも私に期待しちゃうっていうか」

「そっすか」

 一回しばいていいかコイツ?すっかり目の据わった私に構わず、二条さんは見た目だけは可憐に話し続ける。

「私、本当はあんまりお勉強もできなくて。でも、周りはきっとできるはずって思ってて。それで、今回英活も受けたんですけど」

「ああ、それで絶対合格しなきゃって焦りがあったと」

「え?」

「え?」

 二条さんがきょとんとした顔で首を傾げる。何?私何かおかしなこと言った?

「合格しちゃったら、周りはもっと期待するじゃないですか。やだなー」

「…………」

 二条さんはそんなことも分からないの?みたいな顔をする。手元のバインダーで引っ叩いたらいい音するんだろうな、コイツの頭。教室に響き渡る音を想像して、心を落ち着かせていく。

「……で?なんでタブレットを使ったのかな?」

「だから、今回の受験は失敗しなきゃいけなくて。でもただ落ちたら恥ずかしいじゃないですか。だからこうしてカンニングすれば」

「カンニングで落ちる方がよっぽど恥ずかしくない?」

「でも、これからひどいことされるんですよね?黙っていて欲しかったらーって」

「うん、そんなことしないから。いったんそこから離れてくれる?」

「え、されないんですか?」

「むしろどうしてされると思った?」

 目をまんまるにして驚く二条さんには悪いが、常識的なのは私の方だと思う。何だろう、この子には認知の歪みとか何かそういうのがあるの?

「仮にひどいことをされたとして、それと期待云々が繋がらないんだけど」

「え、だって。私かわいいじゃないですか」

「だから何だって?」

「かわいい私が不正で不合格になって、どうしてって聞いたら涙を浮かべて『あの日のことは思い出したくない』って言うんですよ?誰もそれ以上聞けないじゃないですか」

「うん?うん」

「そしたら周りも色々聞きにくくなって、期待するようなことも言えなくなるじゃないですか。成績悪くても『ああ、あの日のせいで』って思われるじゃないですか。だから」

「ごめん一度待って?」

 なんか思ってた以上に根深いな?つまり何か?この子は周りから期待されるのがプレッシャーで疲れ果ててしまって、それを終わらせられるなら乱暴されてもいいってとこまで追い詰められてる、ってこと?

 目の前の二条さんの顔は真剣だ。冗談とかごまかしとかで言っている感じではない。ちょっとバカ、というか、足りてな……独特、な所はあるけど、さすがに試験でタブレット使用が許されると思ってはいないだろう。そして、騙してどうにかしてやろうという感じでもない。本気で、言ってる?

「……一個、いいかな?」

「はい」

「そう思わせたいとして、ね?実際ひどいことされる必要はなくない?」

「え?」

「言うようにさ、泣きながら聞いてほしくないって言えばなかなか突っ込めないからさ。別に何もされてなくても、そう言えばいいじゃん」

「あ」

 二条さんは今気付いたって顔をした。何だろう、この子根本的に真面目なんだな。嘘をつけないんだ。一瞬嘘をつく知能がないとか思ってしまったけど、まあうん。

「ええと、今回の試験については不正行為があったものとして受験を無効とします。それはいいですね?」

「……はい」

「それ以上でも、それ以下でもありません。ひどいことはされません。いいですね?」

「はい」

 二条さんは素直に頷いた。とりあえず、私の仕事はここまで。後は試験無効についての同意書にサインを貰えば終わり。バインダーから同意書の用紙を取り出して、ボールペンを添えて差し出す。

「……それから」

「はい」

 我ながらおせっかいだと思う。思うけども。メモ用の付箋を出して、ボールペンでごりごり書き出していく。私のメアド、電話番号、SNSのID。名前と、通っている大学名。これでどれかしら繋がるだろう。

「これ、私の連絡先。バカなこと考える前に、一度連絡して」

「え?」

「何かできるかは分からないけど、相談くらいは乗るから。一人で突っ走らないこと。いい?」

「……ありがとう、ございます?」

 いまいち分かっていない顔で付箋を受け取った二条さんは、いまいち分かっていない顔のまま同意書にサインした。まあいいさ。どうせこれは私の自己満足だ。同意書を受け取り、バインダーに挟む。

「連絡すると、えっちなことされたり」

 言い終わるより先にバインダーが風を切り、軽そうな頭を引っ叩く。思っていた通りの、めちゃくちゃいい音が教室に響いた。

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