雨飲みの精

ベアりんぐ

雨飲みの精

 私はある日、森の中で不思議な生き物を見つけた。


 生き物……と言っても、私が見たことのあるどの生き物にも当てはまらない外見をしていた。皮膚が爛れていてところどころ黒ずみ、切り傷のような皮膚と皮膚の隙間からは、まるで溶岩に光っている血が覗ける。


 それを見つけたのは、森に雨が降った日だ。




*        *          *




 小さな小屋に射し込む太陽の光で、目を覚ます。空は晴れていて、白く大きな雲がいくつかふわふわと飛んでいる。使い古されたベッドから起き上がり、私は小屋の外に出た。それから何も考えず、森の中へと入っていく。


 私の朝はいつもそうだった。窓から入る外界の光によって目覚め、森を歩き、家事をしてから町へ行き、何かを食べて床に就く。特別なにかをするわけでは無くただ変わらない日々を過ごしていくだけ。


そこに疑問を持っていたわけでもなく、昔、誰かに言われた通り、ただ日常や人生はそのようなものなのだと思っていた。その言葉を信じて疑わなかった。


 だからその日も変わらず太陽の光で目覚め、小屋を出て森の中へと入っていった。


 その日の森は静謐に包まれており、晴れていたはずの空からシトシトと雨が降ってきた。木々が重なり重なり、その隙間をさらに草花が埋める。その下には枯れ木や土があって、そのどれもに色と雫が付いている。徐々に霧が濃くなってきて、まるで呼吸をしているみたいだった。


 目的もなく奥へ進んでいき、いつも折り返し地点として使っている池に着く。池は縦横おおよそ10メートルほどであり、そこだけは森天井が開けて空が覗ける。その日もそこでひと休みをしてから帰るつもりだった。けれど森の小道を抜けた先、見える池にはいつもと違う影があった。


 ……誰か、いる?


 思わず咄嗟に身を屈ませ、木陰に隠れる。いつもと違う影はどうやら生き物のようで、頭があって手足があって少しの乳房も……人間、なのか?


最初はそう疑問に思ってしまうほど、彼女は人間離れした容姿だったのだ。皮膚は爛れていて、衣服はなく、赤く長い髪は常に発火していて、ところどころ切り傷のようなものがある。その切り傷からは溶岩のように光る血が溢れている。


 すると突然、彼女がこちらを向いた。咄嗟に身を潜め、呼吸を止める。池のそばにいる彼女がこちらに声をかける。



「だれ?」



 当然その声に反応することも出来ず私は、木陰で震えていた。しかし彼女はなぜかこちらに近づいてくる。足音が、近づく。ゆっくりではあるが確かに、近づいている。それでも私は木陰でうずくまり、音を殺していた。


 やがて足音が私のすぐ近くで止まる。私はそれでもブルブル震えながらうずくまり、こうして人は死を迎えるのだなと逆に冷静になっていた。


しかしどれだけ待っても、何も起きなかった。ゆっくりと顔を上げると、こちらを覗き込む爛れた姿が。



「ヒッ!?」


「うわっ!……急に驚かせるなぁ」



 姿に反して声音はどこまでも優しい。両手を腰に乗せて目を見開く彼女の姿は、異形でありながらとても人間らしかった。



「あ、あなたこそ、誰?」


「ぼく?ぼくはベルリ。名前は男っぽいけど、これでも女だよ。君は?」


「……マルシィア」


「マルシィア、いい名前だね。……よろしくマリィ」


「マリィ?」


「友達は、ニックネームで呼ぶんだよ。ぼくのことはベルって呼んでくれ、マリィ」


「……よろしく、ベル」



 それから私たちは、池のそばに座ってお話をした。私はあまり話すのが得意ではなかったけれど、ベルは聞き上手だったし、なにより彼女の話はとても興味深いものだった。


 いわく、ここに来たのはつい最近のことらしく、追手から逃れるためにこの森へと入ったらしい。私は外界のことをほとんど知らないので認知していなかったが、彼女は『ホムラの民』と呼ばれる少数民族で、彼らの肌は火を司り操ることが出来るそうだ。


現在の彼女は負傷したことによってその力を制御出来ずにいるらしい。皮膚が酷く爛れていたのはそのためだった。1ヶ月ほどで治るらしい、とベルは笑いながら言っていた。


 そして……そんなベルを傷つけ追いかけ回していたのは、裏ギルドと呼ばれる組織から来た者たちだそうだ。なんでも『ホムラの民』の人体を使って業火を出すことの出来るアイテムを作るのだとか。恐ろしく嘘のような話ではあるが、話しているベルの顔が険しかったことから、嘘ではないのだ。


 しばらく話しているうちに私は、ベルを好ましく思うようになっていた。もっと話していたい、もっと親密でありたいと、誰かに思うことがこんなにも心踊るものであると、私は知らなかった。


だから私は去り際、ベルに訊いた。



「ねぇベル、明日も……ここにいる?」


「たぶんいるよ。この森は静かで隠れやすいし、燃えてしまうぼくの身体を癒やしてくれるから」


「――!じゃ、じゃあっ!」



 手に力が入る。しばらく声にならない声を出し、口をパクパクさせる。心臓はバクバクだ。ベルは少し首を傾げてこちらを見ている。その眼はまるで情熱の宝石だった。熱くあつく、私を狂わせる。



「またっ、明日!!」



 ようやく絞り出した声は情けなく響いたが、ベルからはハッキリと約束の文言が届いた。



「……うん、また明日っ!」



 そう言ってニッカリと笑う彼女はまるで、太陽そのものだった。




 それからは、日課の中にベルが入ってきた。その日から起きることがずっと楽になったし、寝るときに感じていた寒さも感じなくなった。淡くぼやけた毎日が、ビビットの紅一点によく照らされていた。


 ベルと話すたび、私の知識のなさに心底ガッカリしたものの、彼女は丁寧に外の世界のことを教えてくれた。知らない言葉、分からない意味に何度も想像を膨らませ、ベルの言う答えと照らし合わせて自己補完していく。


 そんな日々の中、私にはひとつ夢が出来た。



「私たち『ホムラの民』は、もともと海っていう場所の近くに住んでいたんだ」


「……うみ?」


「そう。海っていうのは、池よりももーっと大きな水の世界だよ!」


「そ、そんな場所が……」


「しかも驚くことに、海の水っていうのはしょっぱいんだ」


「水が、しょっぱい……?」


「不思議だよね。しかもそれは世界中にあるんだ!ぼくも知らないけど、きっと海をずっと進んでいけば見たこともない場所に辿り着くんじゃないかなぁ」


「……ベルは、行ってみたい?」


「……そうだねぇ。こんな身体じゃなかったらきっと行ってるかもね」


「そう……」



 このとき思った。私も、行きたいと。そのとき初めて夢を持った。誰かも忘れてしまった人が言った言葉に背いてみたくなった。


 ……今にして思えば、ベルが私を解き放った。それがたとえ誰かにとって悪いことであっても。




 ベルの傷が癒え、変わらない日々を過ごしていた時――


 決定的な事件が起こった。




*        *          *




 いつものように目覚め、その日はサンドイッチを作って森に出ようとしていた時……森がざわめく音がした。それはある予感へと変わり、私は森へと駆け出した。


 はやる気持ちを抑えながら森を駆けてゆく。あの池に近づいていくほど、悪い臭いが濃くなってゆく。……そんな臭いは、いつしか視覚に映った。



「ベル……!!」


「あ……マリィ!来ちゃダメ!!」



 池で見た光景。それは3人の暴漢が見たこともない網でベルを捕らえているものだった。ベルは抵抗したのか、癒えてきていた皮膚は元に戻り、ところどころから火が上がっている。草木はゆっくりと燃え、森が泣いていた。



「あん?何だこのガキ?」


「知らね。つーかとっとと連れてこうぜコイツ」


「これで俺たちも、業火の使い手になれて……そんでゆくゆくは裏ギルドで名を挙げられる……!!」



 男たちはこちらを気にすることもなく、ベルを連れて行こうとする。



「させないっ!!」



 ベルが赤を越え、青い炎を纏う。しかしそんな炎はすぐに消えてしまう。



「その網、すげぇだろ。なんでも炎を無効にするエンチャントがされてるらしいぜ、知らんけど」


「くっ……!」



 ベルはなす術なく、網の中で自身が焼いた皮膚の爛れを痛がる。私はただ足をすくませ、震えながらその場に突っ立っていた。男たちが私に近づく。



「コイツも連れてくか?」


「いや、こんなガキいらねぇだろ」


「でも見られちまったし、どうもこのベルとかいうガキと仲が良さそうだ。この場で始末するか連れてくかしたほうが良さそうだぜ?」


「……」



 2人がそう言い、もう1人のリーダー格と思われる人物が黙考している。私はとにかく、ベルを連れていって欲しくなくて……蚊の鳴くような声で、その意思を伝える。



「あ、あの……やめて、ください。ベルを、返して……!」



 そう言うと、男たちは大笑いした。



「なんだこのガキぃ〜?ションベンでもちびりそうな震えでなんか言ってるぜぇ〜!!」


「プ〜ッ!お友だちが連れ去られて、なぁんにも出来ず突っ立ってるだけのガキに何が出来んだよ〜!」


「……そこをどけ小娘。さもなくば命はないぞ」


「い……いや、です」


「マリィ逃げろ!ぼくのことはいいからっ!」



 男たちの言葉、ベルの叫び。私はどのようにすれば良いか分からなかった。けれどひとつ分かっていることがある。


 ベルは、行かせない。


 男たちがこちらに近づく。私は一歩も動かず、ジッとしている。やがてリーダー格の男がこちらに魔法陣を展開させる。



「めんどうだ。この場で始末する。……俺は忠告したからな」


「マリィ!!逃げろっ!!!」


「あらら〜あれじゃチリ一つ残んねえぜ!!」


「かわいそうになぁ〜!」



 目の前で怪しく光る魔法陣はやがて光量を上げ、私に命の危険を知らせる。けれど、そんなことはどうでも良かった。ただベルが無事で居てくれるのならば、それ以外はどうでも良い。



 

 お前は危害を加えてはならない――。


知っている。


 お前は動いてはならない――。


分かっている。


 お前は――


……うるさい。


 この世は決して――


うるさいっ!




 その言葉と同時に、によって放たれた樹木たちによってあっという間に暴漢3人を縛りあげた。



「な、なんだこれ!?」


「おいどうなってやがるっ!」


「なっ……ばか、な」



 男たちは足掻く。しかし私の樹木は決して離すことはない。


 樹木たちは男たちを取り囲み、縛りあげ、声すら遮断する。やがて苦痛の表情に歪んだ顔すらも見えなくなってゆく。私はただ必死に、言葉に抗っていた。



「い、いったいどうなって……」


「さよなら、自然に呪われた自分たちを恨んで……せめて養分となることを誇りに思いながら、死んで」



 ……樹木が元に戻ってゆく。そこに、3人の姿は欠片も残っていない。ベルは網の向こうで唖然としている。私は落ち着き払って腰にあるナイフで網をゆっくり切っていく。



「……マリィ、君は――」


「行こう、ベル」



 網をようやく切り、ベルは解放される。小さく「ありがとう」とだけ言う彼女の身体は傷ついている。もう少しだけ、時間が要りそうだ。



「傷を治して行こう、ベル」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!マリィ、君はいったい、何者なんだ……?」



 訊くベル。


 私は、答える。本当は怖いけど、伝えるべきだから。



「私は――」



…………


………


……



 

*        *         *




 ……そうして今に至る。私の横でベルは、元気な姿で歩いている。今は海に向かって少しずつ歩いている。


 あれから私は森を離れた。自身の夢に向かって、あの場所には犠牲になってもらった。少しばかり罪悪感はあれど……これは私の決定だ。初めて抱いた夢なのだ。他には代え難い……望みだ。



「ねぇマリィ」


「ん?どうしたのベル?」


「ぼく……今すごく、幸せだ」


「……ふふっ、私も」



 あの森は数年で枯れてしまうだろう。しかし、それ以上のものを手にしてしまった私には、もはやどうでも良いことだった。

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