隣の席の子が美容室で髪を切ってくれた

ウユウ ミツル

隣の席の子が美容室で髪を切ってくれた


「はあ、行きたくないなあ……」


 僕、中山亮太は美容室の前でそうこぼした。

 僕は小学校の頃から一人で読書、日直と先生の「二人組作って~」が大嫌い、という由緒正しき陰キャである。


 陰キャが嫌いなものは陽キャや目立つことだけではない。おしゃれもその中の一つだ。

 別になにしても変わらないだろうの精神でおしゃれから目を逸らし続けて十四年。見ての通りもっさりオタクの完成である。


 その中でも特に嫌いなのが散髪という行為だ。


「知らない人と一対一で触られる……知らない単語……かみ合わない会話……うっ」


 今までの苦い記憶がよみがえり、口の中に苦い味が広がる。本当に嫌いで仕方ないのだ。


 しかもほかのおしゃれとは違い、散髪はいつかは行かなければならない。

 母親にやってもらおうものならとんでもない事になることは目に見えている。


(避けてきたけど……今日はさすがに行かなきゃならないよなあ……)


「行くかあ……」


 腹を決め、鬱々とした気持ちのまま僕は美容院のドアを開けた。


 初めて行く美容院だが、やはり内装はきらびやかで自分には似合わないものであることは変わりなく。

 僕は所在なさげに受付の人が来るのを待った。


(せっかく近くの理髪店じゃない遠くの美容院に来たんだから、どうかあんまりしゃべりかけてこない人でありますように――)


「あれ? 亮太くん?」

「? 咲良さん?」


 僕が散髪の神(多分おしゃれ)に祈りを捧げていると、聞き覚えのある声が届いてきた。

 奥のバックヤードから出てきたのは、クラスで隣に座っている、川西咲良さんだ。


「もしかして、お客さん?」

「うん、そうだけど……って、まさか……」

「私のお父さんがやってる店へようこそ!」

「ええ……」

「今日は私が受付してるんだ~」


 なんと幸運(不幸?)なことに、ここは咲良さんの親が経営してるらしい。

 確かに明るくきれいな咲良さんにはお似合いな場所だけども、マジかあ……。


「それで、予約してる?」

「……予約……?」

「予約してないと、ここは受け付けてくれないよ~」



 …………。



「……帰ります。ごめんなさい」

「あー、待って待って!」


 僕が赤くなってぷるぷる震えながら帰ろうとすると、咲良さんは慌てて引き留めてきた。


「私で良ければ、散髪するよ?」

「え……」

「もちろんちゃんと習ってはいるし! でも資格はないから素人みたいなもんってことでタダでいいからさ! 遠くまで来てくれたんだから、気持ちよく帰ってほしいじゃん」

「……そういうことなら、お願いしていい?」

「うん、どんと任せて。大丈夫、モヒカンにしたりはしないから!」

「一気に不安になってきた……」


 なぜか同級生に散髪されることになっているが、まあいい。

 彼女はそれこそおしゃれだし、俺が普通に話せる数少ない人だ。散髪してくれる人としてはこれ以上ない人だろう。タダらしいし。


 ……ここに来て良かった。


「ほらほら、じゃあ座って。あ、鞄はこっちにね。メガネはここに置いて」

「うん……よいしょっと」


 寝るときと風呂以外はずっとつけている野暮ったいメガネを外して席に座る。

 いつもなら後ろに控える美容師の笑顔が怖いけど、咲良さんの笑顔ならホッとできる。



「じゃあ、まずは――」


(あ、そうか。どんな髪型にするかとか言わないと――)


「――ドライヤーだね」

「なんで!?」


 棚から大きなドライヤーを二つ持ち出した咲良さんに僕は叫んでしまった。

 ドライヤー!? 普通最後じゃない!? あとなんで二つ!?


「わかってないね」


 だが鏡に映る咲良さんは人差し指を立てて自慢げにする。


「ドライヤーを最初にやって髪についたホコリやゴミを取るんだよ。これで髪が整うの」

「あ、そうなんだ……」

「そうそう、じゃあやっていくよ」

「うん」

「はい、両耳の穴に二つ同時にドライヤーしますね~」

「髪についたホコリやゴミは!!?」


 僕の声もむなしく、咲良さんは二つドライヤーをもって耳を乾燥させ始めた。

 ブオオオオオ……と美容室特有の風量がものすごいドライヤーがうなる。

 うるさすぎて全くなにも聞こえないや。


「よし、これでなにも聞こえないね……うう、ううう……やったー! 亮太くんがうちに来た-! やったやったー!」


 このドライヤーいつまで続くんだろう。


「ああ、私がナンパで困ってたら震えながら助けてくれた亮太くん……あれからもいつも優しく勇気を出して助けてくれた……うう、好き……」


 あ、鏡の横に花が置いてある。何の花だろう。


「あー、亮太くん! メガネ外した姿も愛しいー! ちょっとドライヤーがうるさすぎて顔をしかめているのもかわいい! あ、やばい、よだれ出た!」


 それにしても咲良さんはきれいだなあ。とっても真剣な表情だ。


「もうこんな事は起きないかもしれない! やるぞ私! できるだけ亮太くんを堪能するぞ! ついでに亮太くんをかっこよくするぞ!」


 今日の晩ご飯はたしか筑前煮と焼き魚だっけ。咲良さんちは今日のおかずは何だろう。


「亮太くううううううん!!!! 好っきいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」


 カチッ。

 あ、ドライヤー終わった。

 やっと世界に音が戻ってきたのでホッとする。うるさかったなあ。


「はい、もういいよ。ごめんね」


 咲良さんが申し訳なさそうに顔をのぞき込んで来たので、苦笑いをする。


「あはは……まあ大丈夫だよ。これも髪のコンディションが良くなるやつなんでしょ?」

「うん。今ので私のコンディションは整ったよ」

「え、僕は?」


 あれ、僕の髪に関係なかったのこれ?

 その疑問が解消されることはなく、座っている椅子が持ち上がる。

 切るフェーズに来たらしい。


「じゃあ、髪型はどうします?」

「あ~……」


 髪型かあ。

 元々いろいろ調べてきてはいるのだが……どれもしっくりきていなかったしなあ。


(あ、そうだ)


 ちょうどいい、こう提案してみよう。


「じゃあ、お好みで」

「え、いいの?」

「うん、咲良さんがいいと思ったのでいいよ」

「……じゃあそのままでいいってことかあ」

「いやせめて切ってよ?」


 こんなもさもさ頭のままはイヤだよ?

 なんか咲良さん、今日はご機嫌だなあ。

 そう思いつつも、せっかくここまで来たのだから髪は切って帰りたい。

 どうせどこかで切ることになるのなら、彼女に切ってほしいし。


「とにかくお好みで切ってよ。文句は言わないからさ」


 僕がそうやって頼み込むと、咲良さんははさみを剣のように構えて「いざ、パラダイスへ!」といって切り始めた。

 意味がわからないが楽しそうなのでいいか。



「あ~お好みですね~。マジお好みです~、多分これからの人生で出会うことないくらいお好みです~♪」


(あ、結構ちゃんと切ってくれてる)


 今まで行っていた安い散髪屋と比べるのはまずいのだろうが、さすが習っているだけあって咲良さんの手つきはいつも行くところよりも丁寧で優しい。

 思わず眠たくなるような柔らかいタッチで俺の頭に触れている。


(なんか頭なでられてるようで恥ずかしいな……)


 不良から守ったときに咲良さんの頭を撫でたこともあるが、こうやって撫でられたのは初めてだ。


 僕に撫でられるのはイヤだろう、と思いつつ撫でていたが、こうやって優しくほぐすように触れば少なくとも不快ではないかもしれない。

 次に撫でたときは参考にしよう、と思いつつ僕はされるがままになった。


「はい、とりあえずサイドと後ろは終わりだね」

「ありがとう」

「トップはきますか~?」

「……?」


 き……って何だろう。

 切るとなにが違うんだろうか。わからない。


(うう……)


 こんな事聞くのは無知すぎて恥ずかしいけど、聞かないとわからない。

 僕は覚悟を決めて質問した。


「梳きってのは……どういう……」

「……? ……あ-! えー!?」


 僕の質問を受けて、すこしだけ考えた後――咲良さんは顔を真っ赤にした。

 え、そんな恥ずかしい質問だったの?

 彼女ははさみをシャキシャキと動かしながら、ニヤニヤして言った。


「……そ、その、好き・・ってのは今の私と同じ感じになることだね……。好いちゃうと……ちょっと歯止めがきかないっていうか……」

「どういうことなの!?」


 咲良さんと同じ髪型になると歯止めがきかなくなるって髪型版ドッペルゲンガーか何か!? 世の女性の何パーセントかバーサークするよねそれ!?


 ま、まあいい。どうあがいても咲良さんとは同じ髪型にならない。僕が狂ってしまうことはないのだ。


 今の髪型だとまだトップと呼ばれる部分がもさっとしている。梳くがそれを解消してくれるものかは知らないけど……ええいままよ。


「えっとじゃあ、よろしくお願いします。いてください」

「ほ、ホントに好いていいの? 病める時も健やかなるときも? 誓いますか?」

「散髪でそれほどの覚悟が必要なの!?」

「え?」

「え?」

「「……」」


 その後「あ、そういうことか」と言って何かを把握した咲良さんは勘違いを詫び、梳いてくれた。



 それからしばらくして――


「はい、これでどう?」

「お、おお……」


 そこにいたのは、清潔感のある爽やかなイケメン――とは全くならなかったが、とりあえず清潔感はある陰キャができあがっていた。


 咲良さんが後ろで鏡を持ってくれているのを見ても、重たかった襟足も刈り上げてあり首元が涼しいし、視界にかかっていた前髪もなくなり、世界が違って見える気もする。


「これがお好みでーす」

「ありがとう! なんかいいお好みだ!」

「できるだけ客観的に受ける見た目にしてみたよ。まあ簡単に言うと私が隣で見てて飽きなくて、メガネと前髪に隠れて見えないおめめが見たい時に見れて、いつまでも撫でていたい感じにしてみた」

「ほぼ主観で構成されてない?」

「私と違う感覚の人がいてもいいけど、そいつらは全員目が腐ってるからゴミね」

「多様性と無理解が両立する時代……」


 まあ、咲良さんがそれでいいならこれでいいか。

 俺がもう一度ありがとうと言うと、鏡を直してかけられていた布を取り払われる。

 立ち上がって鞄を取っていると、彼女は申し訳なさそうに俺に謝ってきた。


「本当は最後にシャンプーするんだけど……タオルで目が隠れてなにしてもいいってなったらそれこそ歯止めがきかないからね……実家の仕事場で淫行に走るわけには……」

「?」

「何でもないよ。じゃあ帰ったら早めにお風呂で髪を洗って、胸に手を当てて誰との将来を夢に見たいか考えて、明日の放課後に私を呼び出すと決意してくださいね~」

「注文の多い美容室だね……」


 妙に具体的な注文を聞いて苦笑する。

 服についた髪の毛を払い、僕は彼女の前に向き直った。



 さて、いつものように勇気を出すときだろう。


「でも、髪を洗う以外は今でいいかな」

「え?」

「――川西咲良さん。明日、放課後に体育館裏で待っててください。大事な話があります」

「……」


 明日話そうと思っていた事を今話す。

 今日千円カットじゃなくてわざわざ美容室に来たのはそのためなのだ。

 まさか大事な話の相手直々に切ってもらえるとは思わなかったが。

 彼女のほぼ主観的なお好みなのだから、一番ふさわしい髪型なはずだろう。


(明日が楽しみだ)


 清潔感のある陰キャになった僕はドアを開けながら、彼女に手を振った。


「また明日、ね?」

「……」


 呆然としている彼女をおいて、ドアを閉めた瞬間――中から大きな声が聞こえたのは、言うまでもないことだ。




「お母さあああああああああああん!!!!! 私も散髪してえええええええええ!!!!!」

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