小さな部隊のその先で

ひっちゃん

伝説の始まり?

 曇り切った真冬の空を切り取ったかのようなコードの余韻をたっぷりと聴かせ、少女はそっと弦に触れて音を止める。


 白色の蛍光灯が照らす無機質な部屋の中、艶やかな長い黒髪が美しいその少女は、子供から大人へと至る道中の繊細な感情を歌い上げた唇をキュッと引き結んで顔を上げる。大きな瞳にはこの機会に懸けるという強い意志と拭いきれない不安が同居し、複雑な色を浮かべて体面に座る男を見つめていた。


「――どう、でしょうか」


 少女の問いかけに、しかし男からの返答はない。腕組みをしじっと瞑目したまま、彼は何事かを考えているようだった。何ともいえない緊張感に、少女は身動ぎ一つできない。


 互いに無言のまま、息の詰まるような時間が十秒、十数秒と続く。やがて男が深いため息をつき、裁定が下される気配を感じ取った少女が息を呑んでぎゅっとアコースティックギターを抱きしめる。


 男は静かに瞼を開くと、椅子に深く座り直して、


「――ウチ、惣菜屋なんだけど、わかってる?」


 困惑に満ちた表情で、その一言を吐き出した。


 そう、今彼らがいるのはとある商店街に居を構える惣菜店、そのバックヤードだ。厨房の方からはピークの時間帯に合わせて彼の妻が下ごしらえをする音や稼働しているフライヤーが奏でる脂の弾けるような音が絶え間なく聞こえ、腹の空く良い匂いが漂ってきている。


 そんな一室で、男は今日、募集していたアルバイトに応募してきた女子高生と面接を行うことになっていた。情報誌を見たのか電話でアポを入れてきた彼女は非常に礼儀正しく、この時点で男はそれなりに好感を持っていた。


 ……いたのだが、現れた彼女はバイトの面接だというのになぜかギターケースを背負っており、こちらが何か言うより先に一曲奏で始めたのである。


 あまりにも自然な流れで歌い始めるものだから男も止める事ができず、またその堂々たる佇まいにあれ、もしかしてこっちがおかしい? などと混乱していたことから、少女への返答にたっぷり一分半ほどを要したのだった。


 そんな男に対して、


「はい、わかってます!」


「嘘だろおい……」


 少女はいたってまじめな表情で元気に返答する。その姿からはこちらをからかっているような雰囲気は全く感じられず、男は頭を抱えて困惑を深めるばかりだ。


「えっと……今日はバイトの面接のつもりだったんだけど、それは間違いないかな?」


「はい! バイトの面接も受けに来ました!」


「面接『も』……?」


 引っかかる言い方に男が聞き返せば、少女はシュンとした様子で語り始めた。


「私、見ての通りシンガーソングライターになりたいんです。それで、駅前で弾き語りとかもやってるんですけど、あんまり誰も止まってくれなくて……」


 いわゆるストリートライブというやつだが、それは難しいだろうと男は思った。現代人は常に時間に追われている。男が学生のころならいざ知らず、今の時代、見知らぬ人物の知らない歌にわざわざ足を止めて聞き入るような人物がどれほどいるだろうか。


 それでもそうやって行動を起こしているだけ立派だな、と男が思ったのもつかの間。


「でも、面接だったら絶対に人がいます! 少なくとも一人は私の歌を聴いてもらえる! それに気が付いた私は、いろんなバイトに応募しまくって弾き語りを披露しまくっているんです!」


「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない」


 この瞬間に、彼は目の前の少女への印象を「頭がぶっとんだやべーやつ」に下方修正した。


「あ、もちろんバイトもちゃんとします! 放課後は毎日お惣菜の歌でお客さんにアピールしますし、揚げ物の歌もいっぱい作ります!」


「いや、歌う前に店員としてちゃんと働いてほしいんだけど……ていうかお惣菜の歌とか揚げ物の歌って何……?」


 言葉に力を込める彼女からは、確かに歌に対する熱い情熱がひしひしと感じられた。……だが悲しいかな、男が求めているのは歌の情熱にあふれたやべーやつではなく、普通に接客ができるアルバイトなのである。


「……今回はご縁がなかったということで」


「ま、待ってください! せめて歌への感想だけでもー!」


 どこまでもずれた少女の感性に何ともいえない気持ちになりつつ、彼女との縁はここで切れたのだった。


 ……これが、半年ほど前の話である。


 そして、現在。


『それでは、今SNSでバズりにバズっている"歌うパン屋さん"にお邪魔したいと思います! こんにちはー!』


 男は唖然としてテレビの画面を凝視していた。


『かりかりもふもふメローンパン ♪ メローンパン♪ めろーんぱん♪ 愛情たっぷりの二面性が私をあなたに溺れさせるの♪』


 どこかで聞き覚えのある歌声、見覚えのある顔。


『――ありがとうございますー! 素敵な歌を披露してくださったこちらの方が、女子高生とパン屋さんの店員と、そしてシンガーソングライターという三足の草鞋を履いて活動されている鶴見 つるみ さきさんです! よろしくお願いしますー!』


『よろしくお願いします!』


 レポーターに紹介されて弾けんばかりの笑顔を見せている少女。その少女こそ、半年前に男が不採用とした、バイトの面接でいきなり歌い出した『頭のぶっとんだやべーやつ』だったのだ。


『鶴見さんはもともと路上ライブを中心に活動されていたんですよね? どうしてパン屋さんで歌うということになったんですか?』


『はい、実は私、路上ライブでは全然誰にも聞いてもらえなくて、誰かに聞いてほしすぎていろんなバイトの面接で歌いまくってたんです。そしたらここの店長さんが"鶴見さん面白いね"って採用してくれて、せっかくならお店のパンの歌作って寄ってまで言ってくれて! 嬉しすぎて全種類分作って歌ってたら、店長さんの娘さんが歌ってる私をSNSに投稿してくれてて、そしたらすっごい広がったんです! 店長さんあやめちゃんありがとー!』


『なるほど、地道な努力が報われたんですね! あ、店長さんと娘さんもこちらに手を振ってくれてます!


 男は慌てて使い慣れていないSNSで検索をかける。するとこの番組の件もバズっているようで、すぐに様々なリアクションを見ることができた。


«歌うまっ!?»


«歌もだけど顔もめっちゃ綺麗じゃない?»


«曲聞いてきたけどどれも本気でそのパンのこと考えて作ったんやなってわかる力の入れように草しか生えない»


«こんな子が路上ライブで埋もれてたなんてマ?»


«店長さんの慧眼に震える»


«てか店長さんも綺麗な方やね»


«娘ちゃんめっちゃ喜んでてほっこり»


«てぇてぇ来る?»


『さて、鶴見さんがSNSでバズって以降、お店も大忙しということで――』


 レポートは続いていたが、最早男の耳にはそれ以上何も入ってはいなかった。


 もし、もしもあの時彼女を追い返していなければ、バズっていたのは自分の店だったかもしれない。楽し気に揚げ物の歌を歌う彼女がバズって、一気に売り上げが伸びていたかもしれない。


 そう考えてしまった男の胸に去来する感情は、ただ一つ。


「――採用してればよかったああああああああああああああああああああああっ!!!」


 この日、ここら一帯の様々な店で似たような叫び声があちらこちらから聞こえたという噂があるが、真偽は定かではない。


 そしてここから、鶴見 咲のぶっとびシンガーソングライター伝説が幕を開けるのだが、それはまた別の話である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな部隊のその先で ひっちゃん @hichan0714

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画