タイムマシンには程遠い
ながる
第1話 日本語でOK
「……あたっ」
後頭部に感じた衝撃と、地面を転がっていく丸い物体に「もうっ」と頬を膨らませる。手を伸ばしてそれも拾い上げ、ビニール袋の中に突っ込んだ。
文句を言っても誰がいるわけでもない。
友達はみんなテスト勉強だとそれぞれ散っていった。カラオケボックスで勉強会をするからと私も誘われたのだけど、私の理解度はみんなに追いつけないので家でやるからと断った。
だというのに、こうしてひとりどんぐりを拾っているのはどうしてかと言うと……
「現実逃避である」
声に出してみても虚しい。
いつからかなぁ。数字が苦手になったのは。
小学生のうちは、むしろ得意だったような気がするのに。
テスト用紙から数字が浮き上がって、数式を囲んで踊っている幻覚が見える。というか、そういう落書きをして時間を潰してしまうほど数学のテストは時間が余る。呆れを通り越して落書きにお情けで1点くれる先生は優しいと思う。
小さく息をついて、とぼとぼと山を下り、麓の研究所に立ち寄る。
受付の
「
「え!? なんで知ってるんですか!?」
「
笑って、此村さんは自分の後ろを指差した。
「烏丸君きてるんですか?」
都会から来た転校生は余裕だな、などと思っていると、此村さんは首から下げている社員証と同じようなカードを差し出した。
「
あははー。と笑って誤魔化して、流れでカードを受け取ってしまう。
佐伯さんは科学者だし、確かに数学得意そうだよね。もしかして、すごくわかりやすく教えてもらえる可能性があるかも?
家に帰ってものらりくらりと勉強を避けそうだし、と、私はカードをカードリーダーにかざして研究所に入り込んだのだった。
カードに書いてある英数字の羅列と同じ部屋番号を探す。廊下に面した窓がないのでどこも同じように見えてしまうのだ。
目的の部屋を見つけて、ノックするべきかとちょっとだけ迷い、カードを渡されたのだから大丈夫なはずと、そのままカードをかざす。電子ロックの外れる音がしてドアが開いた。
いくつかの視線が注がれて、一瞬だけ足を踏み出すのを躊躇わせる。
手前の四人掛けのテーブルには烏丸、奥のいろんな装置のあるパソコンの前に佐伯さん、そして、すぐ横の壁に寄り掛かるようにして
「おぅ、女子高生。あんたも試験勉強か?」
耳から片方イヤホンを外して、風見さんはニッと笑った。
「えーと。私はどんぐりを届けに来たついでで……お仕事、ですか? お邪魔なら帰ります」
風見さんが過去に渡る時、連絡のためにイヤホンをつける。準備中なのかと訊けば、彼は手にしたスマホをこちらに向けた。
懐メロの曲名がプレイリストに並んでいる。
「たまにゃあ暇な日もあるってもんさ」
そう言って外したイヤホンをまた耳に突っ込んだ。
用務員の仕事も暇だったのか、あえて暇にしたのか……深く考えるのはよそう。
背中の鞄を下ろせば、烏丸が笑いかけてくる。アイドル張りのイケメンの笑顔はファンが見れば泣いて喜びそうだが、生憎私の趣味ではない。
「
「余裕じゃなくて、やってもわからないから諦めというか」
「え」
今度は憐みの視線が集中する。ええい。うっとおしい!!
「どこがわからないの?」
「どこというか……」
へらっと笑った私に、烏丸は自分の解いていた問題集を差し出してきた。
そこには三角の図形と英語が書いてある。
数学なのに、英語が!
いや、弁明しておくと、数学以外の教科は平均くらいできてるから、英語の意味が解らないわけではない。サイン、コサイン、タンジェント、と読むのは解っている。
なんの興味なのか、佐伯さんもこちらにやってきた。
ひょいと問題を一瞥してぼそりと言う。
「θ=π/3,π」
最初、何を言っているのかわからなかった。
「……えっ。答えですか? 答えだけ言われてもわからないんですけど!」
佐伯さんは首を傾げている。
「このままだと解けないから、三角関数を合成しちゃうんだよ。ここをね、こうやって……」
問題集の反対側から丸で囲んだりして烏丸が説明を始める。
サインでまとめて、全体からπ/6を引くと……まて。それはどこからやってきた?
なぜ当たり前に直角三角形が出てくる?
二人とも、人間の言葉でしゃべってる!?
数字と記号に混乱を極めていたら、風見さんが深々とため息をついた。
「佐伯、今度月ちゃん達を試しに渡らせるとか言ってたな? 学校のテストであんまり悪い点出すと、こっちのバイトのせいにされてまずいんじゃねーか?」
「……確かに。ちょっと本腰入れて教えた方がいいかもね」
そう言って佐伯さんは隣に座って、かなり真面目に講義してくれたんだけど……はい。ごめんなさい。微塵も解らなかった。たぶん、私と佐伯さんとではレベルが違いすぎるのだ。烏丸は佐伯さんの説明で「なるほど!」とか「そういう考え方が!」とか興奮気味に応じていたので、私と烏丸のレベルもたいがい違うと解ってしまう。
「うう。ごめんなさい。お時間を無駄にしてしまって……」
肩を落として謝罪していると、風見さんが佐伯さんを指先で退かせて隣に座った。
「俺も得意じゃなかったけど、女子高生は筋金入りだな。思い出しつつやれば、ちょうどいいか。佐伯、俺が彼女の赤点阻止出来たら、渡りのテスト、俺を同行させろよ」
「そんな危ないテストするわけないじゃない。君がついて行くのは大袈裟だと思うけど」
「この二人はイレギュラーだぞ? どんだけ予防線を張っても安心なんてことはねぇ」
「それもそうだけど。まあ、いいや。反対せずに協力してくれるなら願ったりだね」
どうせ無理な気がするなぁ、と情けない顔で風見さんを見上げれば、彼は目の前の問題集を閉じて烏丸に突っ返してしまった。
「問題はたぶん、もっと前の段階なんだよ」
それから、風見さんは真剣に小学校レベルの算数から確認を始めた。
自分でも驚いたのだけど、中学校くらいまでは意外とできていたことに気付く。なんとなくわからなくても出来てしまっていたところの理解が深まると、別の問題も解けるようになる。不思議だった。
テスト範囲までは辿り着けなかったのだけど、わからないと思っていた問題が「解けるかも」に変わるのは気持ちよかった。「解ける」とまで言い切れないのが、私なんだけどさ。
テストへの諦めはあったけれど、数学への向き合い方はちょっと変わった気がする。
家に帰って他の教科をざっとチェックしてから、私はたっぷりと眠ったのだった。
* * *
「風見さん、ずいぶん教え上手なんですね。いつもは「俺にはわからん!」なんて言ってるのに」
学生たちが帰ったあと、佐伯が意外そうに口にした。
「今はなぁ、文明の利器があるだろ。解ってるやつは解ってることを前提に話しやがるから、解んねえやつは余計混乱すんだよ。俺は解んねえことが解るからな」
自分のスマホをテーブルに置いて、とんとんと画面を指差す。
そこにはYO!TUBEの動画が表示されていた。
「ハムスターでもわかる基礎からの数学……」
タイトルを読み上げて、佐伯はちょっと呆れた顔をした。
「深山さんにいいカッコしたかったわけですか」
「そういうんじゃねえよ。一緒に渡るなら、信頼関係は必要だろ。少年の方はお前に尊敬の眼差し向けてたからいいとして、女子高生は何考えてるかよくわからんからな」
「なるほど? よくわかりませんが、赤点免れてくれるといいですね」
風見は半笑いの表情でスマホをポケットに突っ込んだ。
「……俺は「今回」とは言ってねぇからな」
目を見開いた佐伯の顔から視線を逸らして、風見は煙草に火をつけた。
* * *
そんなやり取りのことなど知らず、私が受けた数学の試験の結果は……ご想像通りでした。
知ってた!!
タイムマシンには程遠い・終
タイムマシンには程遠い ながる @nagal
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