吸血鬼と狼女

松川スズム

吸血鬼と狼女

 夜の帳が完全に下りきって、人々の往来が徐々に少なくなる頃、いつものように店を開く。 

 今はただ、古びた壁掛け時計が小さく時を刻む音だけが、店内の静寂に溶け込んでいた。

 開店してから数分後、チリン、と控えめなドアベルの音が店内に響き渡る。

 私は拭いていたカップを置き、客に笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは、マスター」


 今夜最初に訪れたのは、常連客であるシノ・ユキヒラさんだ。

 私はいつもシノさんと呼んでいる。 

 齢七十だと聞いてはいるが、年齢を感じさせないスタイルやお洒落な服装、赤いスカーフに赤いサングラスをかけているので、もっと若く見えるのは確かだ。


「いつものでよろしいですか?」

「ええ、お願い」


 シノさんがカウンター席に座ると同時に、コーヒー豆を挽き始める。

 いつもの手順を踏んだあと、カウンター上で真っ白のカップに濃い褐色のコーヒー注ぎ、彼女の目の前にそっと置いた。

 彼女はカップを手に取り、しばらく香りを楽しんだあと、ゆっくりとコーヒーを一口啜る。


「……今日も変わらず美味しいわねぇ」

「ありがとうございます。たまごサンドもすぐに作りますね」

「楽しみだねぇ」


 数分後、シノさんが毎回注文する、「厚焼きたまごサンド」を完成させ提供した。

 彼女はまるで食べ盛りの子どものように、サンドイッチにかぶりつき、幸せそうな顔をしながら咀嚼している。

 あまりにも美味しそうに食べてくれるので、ついついこちらも嬉しくなってしまう。


「断言するよ。ここのたまごサンドはこの町で一番うまい」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、料理人冥利に尽きますよ。そうだ、よければ新メニューの味見をしてもらえませんか? もちろん、料金はいりません」

「そうなのかい? でも、タダはいけないねぇ」

「いつものお礼なので気にしないでください」

「じゃあ、美味しかったらお金を払わせてもらうよ」


 穏やか雰囲気に浸っていると、突然頭に電流のようなものが走った。

 ……はぁ、またか。


「すみません、シノさん。今日はもう店仕舞いにします。新作はまたの機会に」

「……またこの街に異形が来たのかい? 毎度毎度、マスターも大変だね。気をつけなよ」

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」







 とある公園を訪れると、さっきよりも何者かの気配が濃くなる。

 どうやら今回の来客は一人じゃないようだ。

 深夜の公園は静まり返り、風の音さえほとんど聞こえない。

 月の光も少なく辺りは闇に覆われていて、不気味な雰囲気を醸し出している。


「がるるっ!」

「があっ!」


 次の刹那、静寂を切り裂いて獣のようなうなり声が公園内に響き渡る。

 目を凝らして見ると、公園の中央では二匹の男女の半獣人が激しい戦闘を繰り広げていた。

 男のほうは灰色の髪に褐色の肌、腹が見える白いトップスの上に丈が短い黒色のジャケットを着ていて、黒いボトムスには鎖のアクセサリーを身につけている。

 一方、女のほうは髪色と肌は男と同じで、へそが見える黒いトップスにホットパンツ、穴が空いた茶色のニーハイという服装だ。

 もしや、あいつらは狼人間の類いじゃないか?

 まったく、この町はまた面倒なやつらを迎え入れてしまったようだな。


「お前たち、こんなところで何をしている! ここは人間たちの領分だぞ! さっさと元いた場所に戻れ!」

「うるせぇぞ、人間! オレたちは今、命のやりとりをしてるんだよ!」

「そうだ、アタシは絶対にこいつを殺さないといけないんだ!」

「邪魔すんなら、てめぇから食い殺してやる!」


 男の半獣人は標的をこちらに切り替えて襲いかかってくる。

 しかし、その速度は私にとって速いとはいえず、難なくかわすことができた。

 即座にがら空きの胴体に膝を叩き込む。

 半獣人は腹を抱えたまま、後退りをした。


「ぐっ……!? てめぇ、人間じゃねぇな……? もしや、吸血鬼か!?」

「答える義理はない。これ以上続けるなら、殺していくぞ?」

「チッ、今のままじゃ分がわりぃ! 着物を着た吸血鬼……! てめぇの顔とにおい、覚えたからな……!」

「あ、おい、待て! うっ……!」


 男の半獣人は夜の闇に消えていった。

 もう完全に気配を消しているので、追っても徒労に終わるだろう。

 それよりも今は、目の前でうずくまっている女の半獣人の安否を確認せねば。


「おい、大丈夫か?」

「くそっ……! またやつを殺しきれな――」


 女の半獣人はそう言いかけて意識を失った。

 彼女の身体をよく見てみると、全身傷だらけで大量に出血をしている。

 どうやらかなり深刻な状態のようだ。


「仕方ない、いったん連れて帰って治療してやるか」

 

 意識のない彼女を抱きかかえ、そのまま喫茶店への帰路についた。


 




  

 翌日の夜、新メニューの再調整していると、二階にある客間からドタドタと走る音が聞こえてくる。

 そして、全身包帯だらけの半獣人が一階の喫茶スペースに姿を現した。

 今は昨日生えていた耳も尻尾もないので、見た目は普通の人間のようにも見える。


「てめぇ、よくもアタシの邪魔をしやがったな!」


 彼女は怒鳴り声を上げながら、カウンター越しに私の胸ぐらを掴んできた。

 その力は凄まじく、且つ身長差があまりなかったためか、両足が浮きそうになる。


「……なんでいきなり喧嘩腰なんだ? まずは礼を言うべきじゃないか?」

「あ……そ、そうだよな……。ア、アリガトウゴザイマス……」


 彼女はすぐに手を離し、深々と頭を下げる。

 一応、話のわかるやつのようだ。

 

「昨日、お前たちはなぜ同族で殺しあ――」

 

 そのとき、店内にグゥーという大きな音が鳴り響いた。

 その音の主は顔を赤くしながら、お腹をおさえている。


「あ、あはは、悪いな。最近ろくにメシを食ってなくてさ……」

「とりあえず、これを食え。話はそれからだ」


 私は完成させたカレードリアを提供する。

 彼女は「あんがと」と言ったあと、目の前のカウンター席に座り、脇目もふらずに一瞬でドリアを平らげた。


「……うまかったよ。だけどちょっとアタシには辛すぎたかな」

「忌憚のない意見に感謝する。食後にコーヒーでもいかがかな?」

「あいにく苦いのは苦手なんだ」

「ならばカフェオレはどうだ? 生クリームたっぷりだぞ?」

「じゃあ、それで頼む」

「暇だったら、そこにある新聞や雑誌を自由に読むといい」

「ありがとさん」


 店内にラウンジ音楽を流したあと、コーヒーの準備に取りかかる。

 一方、彼女は肘をついてあくびをしながら、新聞を一枚一枚ゆっくりとめくっていた。


「私の名はアデル。この喫茶店『ヴァンピール』の店主だ。どうして君はツクヨミシティに来たのかな?」

 

 数分後、完成したカフェオレを提供すると同時に自己紹介をした。

 ちょっといまさらな気もするがな。


「……エルゼだ。アタシは昨日の男を追ってここに来た。目的はやつをこの手で殺すことだ」

  

 彼女は受け取ったカフェオレを啜ったあと、白いヒゲを生やしながら返答する。

 見た目とは裏腹にかなり物騒なことを言っているが、気にしないことにしよう。


「心配しないでいい、目的を達成したらすぐにこの町から出ていくさ」

「……そうか」

「そうだ、訊きたいことがある。次の満月はいつ頃になるか知ってるか?」

「次の満月は二週間後だ」

「二週間か……」


 エルゼは呟きながら、ゆっくりと席を立つ。

 そのままふらふらと歩きながら、玄関のドアに手をかけた。


「世話になったな」

「待て、そんな状態で行くつもりなのか?」

「急いでるからな」

「私には止める義理もないが、これだけは言わせてくれ」

「なんだよ?」

「もし今夜あの男を見つけられず朝になったら、またここに来い。食事と寝る場所くらいは提供してやる」

「どういうつもりだ? もしかして、アタシに一目惚れでもしたのか?」

「ただのお節介さ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

「そうか、頭の隅に置いておくよ。じゃあな」

「またのお越しを」


 チリンチリンとドアベルの音が店内に響き渡る。

 少しだけ心配になったが、いつもどおりの日常を送ることにした。






 

「……すまん、今日も世話になる」


 エルゼは今日も喫茶店を訪ねてきた。

 これで一週間連続である。

 何事もなかったおかげなのか、全身に負っていた傷もすっかり癒えているようだ。

 その様子を見て、胸を撫で下ろす。


「おかえり、エルちゃん。今日も美味しいお菓子を持ってきたから一緒にどうだい?」

「おい、シノ。昼夜逆転生活は身体に悪いぞ。それはそうと、今日はどんな菓子なんだ?」


 この一週間でエルゼとシノさんの距離はかなり縮まった。

 やはり同性だからなのであろうか、もうお互い私よりも親密な呼び合いをしている。

 仲良くお菓子を食べながら雑談している二人に、気を利かせてコーヒーを提供した。


「サービスです」

「さすが太っ腹だね、マスターは」

「おいおいシノ~、こいつの腹は全然太くねぇぞ。むしろガリガリだ」

「あはは、それもそうだねぇ」

「だろだろ~? 今ならアタシの腹のほうが太いかもな~」

「おやおや、こんなに立派になって……。いったい誰の子かしらね~?」

「父親がいないのに子どもだけできちまったのか? お菓子だけにおかしいな、なんてな!」

「ふふっ、いいジョークだわ」


 「おかしいな」はこちらのセリフだ。

 この店でアルコールは取り扱っていないぞ。

 二人とも完全に深夜テンションになっている。

 だが、雰囲気に飲まれるな。

 私だけは正気を保たないといけない。

 

 そんな調子で二時間も茶番に付き合わされ、やっとシノさんが帰ることになった。

 正直、今日だけは東洋の妖怪のっぺらぼうになって、会話に入れない状態を強制的に作り出したかったところだ。


「それじゃ、また来るよ」

「またいつでもお越しください」

「おい、シノ。本当に送っていかなくても平気なのか?」

「大丈夫さ。今はお天道様も高いだろ? それに、こんな婆さんを好き好んで襲うやつなんていないさ」


 シノさんが帰ったあと、店内は静寂に包まれる。

 さっさと寝るとするか。

 今日は無駄に疲れたからな。


「……大丈夫かな、シノ」

「考えすぎだ。お前はさっさとね――」


 そう言いかけて、何者かの気配を感じ取る。

 この感覚は知っているぞ……。

 もしや、狼男か!?

 喫茶店から急いで飛び出し、曲がり角を曲がると、そこには血だらけのシノさんが倒れていた。

 近くのマンホールには大量の血痕がこびりついている。

 まさかやつは下水道に潜んで、機会をうかがっていたのか!?


「おい、どうしたんだよ、アデ――」

「エルゼ! この携帯電話ですぐに救急車を呼んでくれ! 私はやつを追う!」

「シ、シノ……!?」

「頼むぞ!」


 マンホールの蓋を外し、下水道内に突入する。

 中はひどいにおいで鼻がきかないが、夜目がきく私にとっては暗がりなど意味はない。


「出てこい、狼男! 狙うのなら私を直接狙え! この臆病者め!」

『そこまで激昂するとはな。やっぱりあのババアを狙って正解だったぜ』


 下水道内には、狼男の声だけが壁を反射して響き渡る。

 いくら周りを見回してもやつの姿は見つけられない。


「オレに構ってる暇があるのか? もうすぐ死ぬぞ、あのババアは」

「貴様覚えていろ! 必ずこの手で八つ裂きにしてくれる!」

「そうなるのはてめぇだバーカ! 完全体になれさえすれば、てめぇなんて目じゃねぇからな! あばよー!」


 完全に狼男の気配を見失った。

 この町の下水道は迷路のように入り組んでいる。

 こちらから探すのは悪手だろう。

 ここはいったん退いたほうがよさそうだな。 

 今はシノさんの安否確認が先だ。

 先ほど救急車が到着し、離れる音が聞こえてきたのは承知している。

 急いで下水道から出ると、シノさんが運ばれるであろうツクヨミ病院へと向かった。






 

 ツクヨミ病院での手術が無事に終わり、シノさんは一命を取り留めた。

 しかし、術後から六日経ったがまだ意識が戻らない。

 医者に理由を訊いてみると、年齢の影響もあると言われた。

 これ以上意識が戻らなかったら、また再検査をする必要があるらしい。


 面会時、穏やかな顔をして眠っている彼女が妙に印象的だった。

 今すぐにでも元気に飛び起きそうな顔色をしている一方で、彼女の周りに設置されている無機質な機械と、全身に付けられているさまざまな種類のチューブが、どれだけ大変な事態なのかを想起させる。


 今回起きたことは、すべて私の油断が招いた結果だ。

 エルゼの件は他人事だと思っていたが、今は完全に深入りしてしまっている。

 私は責任を取らないといけない。

 やつに復讐するのだ。


「ううっ、お願いだから起きてくれよ、シノ……」


 現在私たちは病院の屋上にあるベンチに座っている。

 泣いているエルゼの肩を優しく抱いて慰めながら、私はあの男について考えていた。

 そして、エルゼが泣き止んだタイミングで話を切り出す。


「エルゼ、私も君に協力したい。二人であの男に復讐しよう」


 さっきまでぐしゃぐしゃに泣いていたエルゼだが、その言葉を聞いた途端に表情が厳しくなる。

 彼女はベンチから勢いよく立ち上がり、私の顔を覗き込むようにしてにらみつけた。


「ダメだ。この件はアタシが自力で解決しないといけないんだよ」

「シノさんが傷つけられたんだ。もう君だけの問題じゃない」

「ダメなんだよ! もしアデルまで傷つけられたらアタシはもう……!」

「エルゼ……」


 エルゼは表情を崩し、また泣きそうになる。

 私のことをそこまで大切に思っていたのは意外だった。

 だが、ここで挫けていられない。

 あの狼男を始末するためには、どうしても彼女の協力は必須だ。


「わかった。だが、これだけは聞かせてくれないか? あの狼男と君の関係を」

「えっ……?」


 エルゼは困惑の表情を見せる。

 しばらく腕を組んで空を見上げ続けたあと、真剣な目つきでこちらの瞳をまっすぐに捉えた。


「まあ、話をするだけならいいか。アデルはもう大切な友達だしな……」

「ありがとう。感謝するよ」


 エルゼはまた私の隣に座った。

 彼女は肩を少しだけ私に預けながら語り始める。


「あの男の名前はロウガ。アタシの兄貴だ。といっても、血は半分しか繋がってない。ロウガの母上は純血だが、アタシのお袋は人間なんだ」

「……なんだと?」


 まさかエルゼが半狼だったとはな。

 どうりでほかの狼人間たちより独特のにおいが薄いわけだ。


「なぜ君は実の兄を殺そうとしてるんだ?」

「兄貴は……ロウガは狂ってしまったんだ。あの女の肉を食らったことでな」

「あの女……?」

「ロウガには妻がいたんだ。だけど、約一か月前病気で亡くなった。死に際にあの女はこんな遺言を残していったんだ。『私は死んだあとも、あなたの一部になりたいの。だから、私を食べて』とな」

「共食いだと……!? だけど、そんなことをしたら――」

「なんだ、知ってるのか。ならわかるだろう? 狼人間が共食いするとどうなるか……」


 狼人間同士が共食いをするとどうなるかはよく知っている。

 なんでも一定の量を摂取すると脳に異常をきたし、理性がなくなり、本能的な言動しかとれなくなってしまう病気になるらしい。

 しかも厄介なことに、その病気は死ぬまで一生治らないというのだ。

 ……ということは、今までのやつの言動はすべて本能的に行ってきたということか。

 ますます、放っておくことはできないな。


「待てよ? 今の説明と君がやつを殺す理由が繋がらないぞ? いったいどういうことだ?」

「簡単なことさ、一族の掟をロウガが破ったから、唯一の肉親であるアタシが処刑人として選ばれたんだよ」

「それはあまりにもむごすぎる! 君はそれでいいのか!?」

「共食いは最大の禁忌とされてきたからな。仕方ないさ」

「しかし――!」


 そのとき初めて気がついた。

 エルゼの身体が震えていることに。


「大丈夫か、エルゼ?」

「あ、あれ、おかしいな? ちょっと前までロウガを殺すことに迷いなんてなかったのに、今は怖くてたまらないんだ。改めて説明してみると、なんでアタシは兄貴を殺さなくちゃいけないんだ? 全部あの女のせいなのに……。嫌だよぉ、お兄ちゃんを殺すなんてしたくないよぉ……。でも、シノを傷つけたのはお兄ちゃんだし、やっぱり殺さないと……」


 エルゼの身体はガタガタと激しく震え出し、滂沱ぼうだの涙を流し始める。

 そんな彼女の姿を見て、私は優しく抱きしめることしかできなかった。

 大丈夫だ、私がなんとかしてみせる。

 こんなクソみたいな因果も全部だ。







 翌日の満月の夜。

 私とエルゼはツクヨミタワーの屋上へ向かうため、階段を上っていた。

 ツクヨミタワーは高い山の上にあり、この街で一番月に近い建造物である。

 完全体になるには濃度の高い月の光が必要らしいので、おそらくロウガはここにいるだろう。


「エルゼ、本当にいいんだな?」

「心配するな、もう迷わない。これ以上被害が出る前にアタシらでケリをつけよう」

「……わかった」

 

 私たちは何事もなく屋上に到着した。

 そこには、背丈が三メートル以上ある獣人が仁王立ちしている。

 おそらく、やつが完全体になったロウガだろう。

 辺りに漂う濃いにおいも、やつと一致する。


「遅かったな。オレはもうとっくの昔に仕上がってるぜ?」

「兄貴、まだ理性が残っているなら聞いてくれ! アタシと一緒に逃げないか!? 今ならまだ――!」

「残念だったな、オレは今てめぇを食い殺したくてたまらねぇぜ!」


 ロウガは一直線にこちらに突進してくる。

 交渉は決裂だな。

 もし、私一人だったら力及ばずに殺されていただろう。

 だが、今は彼女がいる。


 突進したロウガを同じく獣人になったエルゼが受け止めた。

 私は事前の計画どおり距離を取ったあと、手を銃の形にして構える。

 そして、指先から自身の血液を続々と発射した。


「なんだ、そのちんけな能力は?」


 無事、ロウガの身体に血液が着弾する。

 ……ここまでは順調だな。


「何よそ見してるんだ? アタシを忘れるなよ!」


 狼女として覚醒したエルゼは、ロウガの巨体をものともせずに殴り飛ばす。

 今の彼女は私をはるかに超えている。

 時間稼ぎにはもってこいだ。

 私は引き続き血液をロウガの身体に着弾させ、エルゼはそのままロウガと殴り合いを続けた。

 やはり、理性がないせいなのか私の能力を軽視しているようだ。


「てめぇら、調子に乗るなよ!」


 ロウガは尻尾を複数生やし、それを巨大化させ勢いよく叩きつける。

 私は回避できたが、エルゼがモロに食らってしまった。

 彼女は衝撃に耐えられなかったのか、獣人状態が解除されて、人型に戻ってしまう。

 続けてロウガは巨大な爪の生えた腕を彼女に振り下ろす。

 まずい、まだ時間が足りない!

 ならば、最終手段をとるしかないようだ!


「まずはてめぇから死ね、エルゼ!」

「お兄ちゃんに……殺されるなら……それも……いいかもね」

「ぐがっ……!? お、おにぃ……だと? なんで、僕は妹を殺そうと……?」


 私はその一瞬の隙を見逃さなかった。

 懐から凝縮された血液の入った小瓶を取り出し、栓を口で開け、中身を一気に飲み干す。

 すると、全身に力がみなぎってくるのを感じ取る。

 そして、ロウガとの距離を一瞬で詰め、血を纏った手刀で胴体を切りつけた。

 しかし、切り傷は浅く、薄皮一枚切っただけだ。


「ドーピングしても、その程度かよ! 雑魚はさっさと死ね!」


 ロウガの巨大化させた左こぶしが目と鼻の先まで迫る。

 それに対して、こちらも血を纏った右こぶしを繰り出した。

 互いのこぶしがかち合い、その衝撃がツクヨミタワー全体を震動させる。


「馬鹿な!? 吸血鬼がここまでのパワーを出せるはずがねぇ!? いったい、てめぇは何者だ!?」

「前も言っただろう。答える義理はないと」


 ロウガは驚いているが、こっちはいっぱいいっぱいだ。

 事実、繰り出したこぶしから肩口までの骨は粉砕骨折している。

 まだか……!

 まだ効いてこないのか……!?


「じゃあ、これはどうだ!」


 ロウガは天高くのぼるほどの超巨大な尻尾を出現させ、それを振り下ろす。

 さすがにあれを食らったらまずい!


「ぐふっ……!」


 次の瞬間、ロウガは膝をついていた。

 巨大な尻尾も消えている。

 どうやら、なんとか間に合ったようだな。


「か、身体が動かねぇ……? いったい、なぜだ……!?」

「私の血液はな、お前のような異形に対して強い毒性を発揮するんだよ」

「計画どおりだな、アデル。あとはアタシに任せてくれ」


 ふらふらとした足取りで、エルゼがロウガの前に立つ。

 どうやら、とどめを刺す気のようだ。


「ロウガ、あんたは同胞や罪のない人間を殺しすぎた。だから、肉親であるアタシが責任を取る。だけど、信じてくれ、さっきの一緒に逃げようって言ったことも嘘じゃないんだ」

「エル……ゼ」

「やはり、君に兄殺しはふさわしくないな」


 エルゼの腹にこぶしをめり込ませる。

 不意打ちを食らった彼女は、その場に力なく倒れ込んだ。


「アデル……なんで……?」

「エルゼ、君には清廉潔白なままでいてほしいんだ。汚れるのは私だけでいい」

「すまんな……吸血鬼。最後まで……迷惑をかけちまって」

「冥土の土産に私が何者か教えよう。私は吸血鬼ヴァンピールではない。半吸血鬼ダンピールのアデルだ」

「へっ……そうかよ。覚えたぜ、てめぇの名」

「地獄でまた会おう、ロウガ。そして、すまない、エルゼ」

「兄貴ィィィ!」


 私は最後の力を振り絞り、血を纏った手刀でロウガの首を躊躇なく切断した。

 泣き別れになった頭部と胴体は、石のように変化したあと、さらさらと砂となって消えていく。

 すると突然、目の前に翁のお面を被った老人のような人物が現れた。

 においからして、この人物も狼人間のようだ。


「ロウガは逝ったか。ご助力感謝する」

「長老!?」

「エルゼよ、お前は約束を反故にしたな。直接その手で殺す約束だったはずだ」

「も、申し訳ありません……」

「エルゼよ、お前を一族から追放する。どこへでも行くといい」

「……それが掟なら従います」

「ではご老人、彼女を私の眷属にしても構いませんか?」

「はぁ!?」

「……好きにするといい」


 老人は屋上から飛び降りて姿を眩ました。

 ……やっと、終わったな。

 しばらくエルゼとの諍いはあるかもしれないが、いつかは和解してみせよう。

 たとえ、長い時間が経とうとも……。

 私はその場に大の字で横になり、しばらく心地の良い月の光を身体中に浴び続けた。







「いやぁ~、やっとここに来れたよ。あんたたちには迷惑をかけたねぇ」


 ロウガ討伐後、シノさんは意識を取り戻した。

 約一か月間のリハビリを経て退院し、すぐに喫茶店ここを訪れたのである。

 もちろん、それまでにエルゼとも無事和解し、仲直りができた。

 壮絶な殴り合いと口喧嘩の末にな……。


「退院おめでとうございます。こちらこそ――」

「ごめん、シノ! 全部アタシのせいなんだ!」


 メイド服姿のエルゼは、泣きながらシノさんに謝罪をした。

 それから、その大きな身体で小柄なシノさんにハグをする。


「エルちゃんはかわいいねぇ。でも、ちょっと力が強すぎるよ、いてて……」

「ご、ごめん、シノ!」

「それはそうと、なんでエルちゃんはメイド服を着てるんだい?」

「彼女には住み込みで働いてもらうことにしたんだ」

「へぇ、そりゃどうしてだい?」

「今回の件でシノさんには多大な迷惑をかけた。お詫びとして、シノさん限定で食事代を永久無料にさせてもらう。その分かかるお金は、エルゼに身体で支払ってもらう契約を交わしたんだ」

「身体で支払うだって? なんだかいかがわしい関係のにおいがするねぇ」

「ア、アタシはまだそんなつもりはないぞ!」

「まだ? じゃあ、いつかはあるのかい?」

「そ、そういうわけじゃ――」

「ちょっと外の空気を吸ってくる。エルゼはシノさんと一緒に冷蔵庫にある特製ケーキでも食べててくれ」


 茶番を回避するためにいったん外に出る。

 すると、玄関の脇に手紙が置いてあることに気づいた。

 このにおい、まさか狼人間からの手紙か?

 手紙を開封して読んでみると、差出人はロウガの亡き妻の妹からだった。

 そこには謝罪の言葉と、とある衝撃的な内容が書かれていたのである。


 なんでも今回の事件の原因は長老にあるらしい。

 ロウガは一族で一番真面目で優秀な狼男であったが、その優秀さゆえに長老は反逆を危惧していたようだ。

 なんとかロウガを排除したかった長老は、病気がちな孫娘の一人を嫁がせた。

 そして、孫娘と共食いの共謀をして、ロウガを強制的に排除したというのだ。

 しかもそれだけでなく、ついでに忌み子であるエルゼの存在も抹消しようとしていたらしい。

 

 その吐き気を催すほどの内容に、思わず怒りが込み上げてくる。

 あの老害め、次に会ったら必ず八つ裂きにしてやるぞ……。

 不意にエルゼのことが心配になり、急いで店内に戻る。


「お、早かったな、アデ――」


 私は力いっぱいエルゼを抱きしめた。

 もうどこにも行かないように。


「エルゼ、君はいつまでもここにいていいんだ。いや、私のためにずっとここにいてくれないか?」

「お、おい、アデル!? まだシノがいるんだぞ!?」

「あらあら、邪魔者は帰ったほうがよさそうかしらね~?」

「いや、ここにいてくれ! じゃないと、アタシの心臓がもたない!」


 手紙の内容は墓まで持っていく。

 私はそう決意してエルゼを抱きしめ続けた。

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