ヘンタイアイドル

後藤文彦

ヘンタイアイドル





 外見に関わるジェンダー指数が最下位で国際社会からも動向が注目されていたN国において、外見差別禁止法が制定されようやく施行されたのは、二〇三〇年のことだった。美しい外見を商業活動を始めとする文明活動の中で露骨に利用する営為も典型的な差別の範疇として、ルッキズムという言葉で認知され問題視されるようになったのは二〇一〇年代頃のことである。以来、この差別が法的に禁止されるまでは比較的早かったと捉えるべきか、それでも実に二〇年の歳月を要したことになる。二〇三〇年当時、人々の外見に対する好みは、それまでに長年をかけて培われてきたルッキズムの嗜好に深く感化されていたため、外見に対する大衆の美的好みのばらつきは極めて狭く、一般大衆が性的魅力を喚起されるという意味で惹きつけられる外見というのは、ある特定範囲の狭い領域に限定されていた。簡単に言うと、体型については比較的長身で痩せ型、性的指向の対象が女性の人が好む女性は、胸の隆起や腰のくびれが強調された体型、性的指向の対象が男性の人が好む男性は、適度の筋肉質の体型であるが、体型に対する好みは、顔に対する好みに比べると比較的ばらつきは大きい方で、例えば肥満体型を好む人や胸の隆起のない女性を好む人なども、割合としては少ないながらも禁止法前の時代から一定数は存在していた。一方、顔に対する好みは体型に対する好みに比べると極めて狭い範囲に限定されていた。禁止法後に生まれた世代の人々が禁止法前のアニメを見ると、主人公の顔がどれも同じように見えるし、アイドルと言われる禁止法前のタレントたちの顔が、あまりに似すぎていて識別できなかったりということが起きる。映画やテレビといったメディアが登場してから数十年の間に、そうしたメディアに日常的に曝されながら育った禁止法前の人々は、メディアが理想的に美しい外見として演出・誘導している外見こそが心から手放しで美しく性的に魅力的だと感じるように根深く刷り込まれてしまっていた。この大衆の好む外見というのは、少なくとも顔に関して言えば、要は平均化された特徴のない外見とも言えるが、当時の大衆はこうした特徴のないことこそが特徴の顔のことを「整った顔」といった表現でもてはやした。そのため、禁止法前に育った世代の人々は、狭い範囲の微妙な違いを識別して過敏に反応する研ぎ澄まされた感覚が鍛えられており、禁止法後の世代には顔の識別が困難な「整った顔」の持ち主たち数十人からなるアイドルグループであっても、それぞれのメンバーを個性的な顔と認識し、似たような顔の他のメンバーではなく自分が「推す」特定のメンバーの外見に対して選択的に特異に恋愛感情や性的感受性が刺激されるように自分の好みを尖鋭化するファン集団が多発した。こうした人々は、自分たちの性的好みを幼少期からメディアを通して刷り込まれ、メディアからの刺激に刷り込まれた通りに反応して自分たちの「推す」アイドルのコンサートやグッズに惜しげもなく散財するように洗脳されているという意味では、アイドル産業の被害者と見ることもできる。というのも、禁止法前にアイドル産業が仕掛けたこうした性的好みを完全に刷り込まれて育った世代――いわゆる「ヘンタイ世代」にとって、禁止法後には自分たちの嗜好を満たす性的特徴が誇張された人物が登場するコンテンツがことごとく外見差別ものとして有料アダルトコンテンツ扱いとなってしまったため、アイドル歌手の動画程度のコンテンツであっても、外見差別コードに抵触する商品として購入することを余儀なくされた。この手の商品を購入しようとするヘンタイ世代は、禁止法後に育った若者たちから後ろ指を指されながら、身分証明証を提示して差別コードに抵触しない同ジャンルのコンテンツの三倍程度の費用を負担しなければならなかった。こうしたヘンタイ世代の需要に応えるコンテンツは「差別もの」とか「ヘンタイもの」と言われた。「ヘンタイ」という用語はN国語の「変態」に由来する。二〇一〇年代にN国からネット上に大量に発信されていたかわいい美顔の女の子の性的な漫画や動画コンテンツのことを指す隠語として使われるようになった言葉であるが、他の性的コンテンツとは明らかに差別化された意味合いを持っていた。強いて言えば、かわいさやぶりっ子さが強調されたキャラクターによる性的コンテンツとでも言おうか。こうした特徴は、ヘンタイ世代には明らかに性的な感性を直球で刺激する要素として機能するのだが、禁止法後に育った人々にとっては、自分たちが求めていないところに性的要素をしつこく追求したような明らかに気持ちの悪い、それこそ文字通り「変態っぽい」と感じさせるものであった。


 あるコンテンツの外見差別性を判断するにあたって、この「ヘンタイっぽさ」の判定が最も厄介であった。例えば不特定の登場人物が登場すべきドラマやアニメにおいて、若い美形の女性ばかりが登場しているといった具体的な人数等で数値化できる指標に関しては、検査員の主観によらず、誰が審査しても割と客観的な評価が可能である。あるいは肌の露出が体全体の何パーセントであるかとか、衣服を着た状態のシルエットと全裸状態のシルエットとの相関係数といったものも定量化しやすい。一方、「ヘンタイっぽさ」――強調されたかわいさやぶりっ子さ――の定量化はなかなか難しい。例えば、もし外見差別性の審査員が「ヘンタイっぽさ」を主観で判断しなければならないとしたら、いずれ審査員に禁止法後に育った世代も含まれるようになれば、ヘンタイ世代の審査員が芸術の範疇と判断したコンテンツに、禁止法後に育った審査員は、気持ち悪すぎて吐き気を催すといった事態も起きかねないのは想像に難くない。

 そもそも外見差別禁止法が制限しようとしていることの一つは、公共性の高いメディアコンテンツにおいて、登場人物の性的特徴のみをその人物の個性から切り離して誇張する「性のモノ化」と言われる扱い方だ。しかし、どのような扱い方がコンテンツ消費者にとって性的な符牒として機能するのかは、消費者が生まれ育った社会文化の中で刷り込まれてきた感性に依存する。つまるところ「性のモノ化」の判断は、消費者の性的好みを機械学習させたAIにより自動判定させるのが、最も客観的なやり方だし、禁止法制定時の二〇三〇年現在の技術で十分に実現できた。とはいえ当然のことながら、禁止法後に育った世代が若者の多くを占める二〇五〇年現在において、ヘンタイ世代と禁止法後に育った世代とでは、性的好みの特徴に明確な違いが現れる。簡単に言えば、ヘンタイ世代は性的好みの個人差が極めて小さく、大多数の人がメディアに刷り込まれた「ヘンタイっぽさ」にその演出意図通りに反応するのに対し、禁止法後の世代の性的好みはばらつきが大きく、大多数の人が性的に反応するような普遍的な性的特徴というものはなかなか抽出し難い。もちろん個人レベルであれば、特定の特徴に特異に反応する性的好みを持つ消費者は普通であるのだが、そうなるとコンテンツ登場人物の性的要素をどんなに抑制して扱ったとしても、誰かにとっては性的な符牒として機能するということはあり得る。では、どうすべきか。そもそも外見差別禁止法が抑制しようとしているのは、商業規模で性的な搾取構造が作られることだ。

 本来、人間には多様な可能性があり、それぞれが生まれ育つ社会環境の中で、その多様な可能性を発揮することが妨害されない社会の方が望ましいというのが、外見差別禁止法の基本的な意図なのだ。二〇五〇年代現在の一般大衆の性的好みをAIに機械学習させた場合、一定数以上の人が共有していることによってAIに学習されやすいのは、現在も生き残っているヘンタイ世代――いわゆるヘンタイじじい・ヘンタイばばあたちの好みであって、禁止法後に生まれた世代の多様化された好みは学習されにくい。とはいえ、AIにとっての学習しやすさと、商業メディアが利用しやすく搾取構造ができやすいこととは対応するから、基本的にAIの判定に従ってさえいれば、商業規模での搾取構造が生み出す外見差別を抑制できると考えられた。このような判断は、外見差別も差別の典型的な構造を備えているという社会的な認識がようやく広がった成果と見ることもできる。

 特定の性的好みが商業規模で大衆に深く刷り込まれている社会で、何らかのレベルでその消費対象になることが社会的に期待されている属性の人々――例えば禁止法前の社会における若い女性とか――は、他の属性の人々には要求されないレベルで外見を装飾することを要求されるなど、自己の可能性の開拓の中で、他の属性の人よりも時間的・経済的ハンディを課されている。例えば、女性のみに化粧をすることが社会通念として要求され、その社会通念に応えるには、化粧のために一定の経済的・時間的コストを払わなければならないといった性別属性に起因する不平等が生じる。こうしたコストを払うことを個人の自由な選択として拒否することは可能だが、禁止法前のN国やK国のような特に女性に対するルッキズムの浸透した社会では、社会通年から期待されている性別役割を拒否することは職業選択や恋愛対象の獲得において、思わぬ不利益を被りかねない。そうなると、そのようなハンディと格闘してまで自己の可能性を開拓するよりは、社会的に自分の属性に期待されている役割を利用できる限りは利用した上で社会に順応しようとするのも責められない選択だ。

 禁止法前の時代には、雇用機会の性差別が禁止された国であっても、女性には専業家計労働者の割合が多く、女性労働者の職種の中でも技術専門色の割合が低いのは、それが女性の生物学的特性だからであって、女性の自由な選択の結果なのだと長らく思い込まれてきた。しかし、外見差別禁止法に類する規制をいち早く導入した国々の実績によって、生物学的性差に基づく性別役割と思い込まれてきた性差の大部分が、実は社会的・商業的に刷り込まれた搾取構造に過ぎないことが次第に明らかとなり、外見差別も典型的な差別の一つに他ならないと認識されるようになったのだ。


 二〇三〇年に外見差別禁止法が制定されたN国では、既に他国で導入されていた外見差別コードの自動判定AIの技術を参考にして、その翌年にはN国独自のヘンタイコンテンツでも的確に判定するAI判定システムを構築した。AI判定システムが学習する大衆の性的好みは、必ずしもヘンタイ世代の性的好みに特化している訳ではなく、時代の性的好みの傾向が変われば原理的には変わり得るのだが、一定数以上が共有する好みでないと学習されにくいため、二十年程度はヘンタイ世代の性的好みが優勢であり続けた。AI判定システムがコンテンツから性的意図を読み取った程度を数値化した指標は性的演出意図指数――通称「ヘンタイ指数」――と呼ばれ、コンテンツのレーティングを判定する際の根拠とされた。


 ちなみに禁止法前の二〇二〇年代頃までの広告、映画やアニメの主要登場人物などのヘンタイ指数を二〇五〇年現在のAI判定システムで判定してみると、生成AIの使えなかった時代によくここまで高いほぼ最高値のヘンタイ指数を追求したものだと感心させられるものばかりで、二〇五〇年現在の生成AIによるアダルトコンテンツに全く引けを取らない。ただ、顔の特徴に限定して言うなら、禁止法前の人々が刷り込まれていた美しい顔というのは、禁止法後に育った人々からすると、あまりに特徴のない普通の顔すぎて拍子抜けしてしまう。簡単に言うと、男女ごとに平均顔から変動係数三パーセント程度の顔が、ヘンタイ世代の大衆が好む「きれいな顔」の条件だった。女の平均顔も男の平均顔もどちらも中性的な顔に近づくため、女の平均顔は、男の平均顔から変動係数五パーセントの範囲には入るし、男の平均顔は女の平均顔から変動係数五パーセントの範囲には入る。その意味で、ヘンタイ世代でジェンダーに囚われない人たちの平均的好みにとっては、男女を区別しない平均顔がより的確に好みのタイプを表すことになる。禁止法後に育った世代の感覚からすると、平均化された顔なんてどこにでもいるありふれた顔だとしか思わないのだが、ヘンタイ世代にとってはそうではないのだ。平均顔から変動係数三パーセント以内で平均顔に近い顔というのは、平均化に使われた全ての顔モデルのせいぜい数パーセントしか当てはまらないから、変動係数三パーセント以内を判別できるほどの研ぎ澄まされた感性を持ったヘンタイ世代にとっては、決してありふれた顔ではないのだ。その極めて平均そのものの顔を、禁止法後の世代はありふれた顔だとしか思わないし、ヘンタイ世代は貴重な整った顔だと思うということだ。さて、平均顔に近い顔の人というのは、現実に一定の割合で存在しているわけだから、メディアコンテンツの主人公がたまたま平均顔に近い人であってもそのこと自体が外見差別的と判断されるわけではない。一定期間に発表されるコンテンツの登場人物たちの外見のばらつき具合が現実のばらつき具合から乖離して、特定の外見ばかりが選択的に出現しているかどうかが数値化され、同一の作者や制作会社から偏った出現割合が認められた場合は、その作者や制作会社のある期間内の作品すべてが外見差別ものの指定を受けることになってしまうのだ。メディアにおける禁止法後の変化を大雑把に言うなら、アニメや映画の主人公がいつもきまって大衆の好む美しい顔ということはなくなったし、広告やポスターに使われるモデルも老若男女の様々な人物が使われるようになった。歌手は歌や踊りがうまいかどうかが評価されるようになり、顔や外見やかわいさといったものを誇張してアピール点にした時点ですぐに外見差別ものに類別された。


 二〇三〇年代から二〇四〇年代にかけて、人々の外見の好みはまだまだ禁止法前の時代の平均顔嗜好を引き摺っていたので、禁止法前の美顔アニメは十八禁のアダルトコンテンツの中でも、いわゆるヘンタイものとして特に人気が高かった。生成AIの使えなかった時代に、人間の性的妄想だけでここまで高いヘンタイ指数の美顔アニメばかりが大量に生み出されたことは驚異的とも言える。特にN国の古典アニメのヘンタイ指数の高さは群を抜いており、それらはポルノではないにもかかわらず、二〇一〇年代以降のN国のポルノアニメいわゆるヘンタイアニメにおいてキャラクターのかわいさやぶりっ子さを強調する手法の原点が、N国の古典アニメでは既に高い水準で体現されていることから、N国の古典アニメのように、キャラクターのかわいさやぶりっ子さを強調する手法のアニメを、ポルノかどうかにかかわらず、ヘンタイアニメと呼ぶようになったのた。

 一方、かわいさやぶりっ子さを強調した禁止法前のN国のアイドルグループによる歌やダンスのパフォーマンスを始めとして、N国に十年遅れて二〇四〇年に外見差別禁止法が制定されるまで、美顔アイドルのパフォーマンスがプロデュースされ続けたK国のアイドルコンテンツは、ヘンタイアイドルものと呼ばれ、十八禁のアダルトコンテンツとしては、ヘンタイアニメに劣らぬ人気があった。

 ヘンタイアイドルというのは、十代の美顔の女の子たちあるいは男の子たちばかりが集められたグループでかわいさやセクシーさを強調した衣装を着て、かわいさやセクシーさを強調したダンスを踊りながら歌う禁止法前の歌手グループのことで、特にN国やK国では、こうした露骨な美顔若年歌手グループが、それぞれの国で外見差別禁止法が制定される直前までプロデュースされ続けた。


 四十八人の十代の女の子供たちが保護された。二〇六〇年のことだ。この子供たちはスタジオビルと呼ばれるJ社の十階建てのビルに監禁され、このビル内のスタジオで、十代の子供によるリアルタイムの違法ヘンタイアイドルコンテンツの配信に従事させられていた。子供たちの身元は不明であり、該当する国民登録も検索できないことから、恐らく人身売買のような形で幼少期から監禁されていたものと推測される。

 この配信を行っていたのは、合法的なヘンタイアイドルコンテンツの配信で業界トップの売上を誇るJ社であるが、その膨大な資金をもとに実在の未成年ヘンタイアイドルとリアルタイムの交信ができる違法な裏サービスを整備していったものと思われる。もちろんJ社の裏サービスも最初から違法と明示して宣伝されているわけではなく、リアルタイムでヘンタイアイドルとチャットできているのは、「実際には生成AIが生成しているリアルタイムの動画なので、完全に合法的なコンテンツです」と表向きはそう謳いながら、裏では、「あのリアルさは実在アイドルかもしれない」という噂を流し、「もしかして」と期待する顧客を巧みに獲得していたのだ。

 噂によれば、裏サービスの主な内容はオンラインで実在のヘンタイアイドルと会話したりできるということらしいが、大口顧客が切望しているのは、自分が潜入捜査員やジャーナリストではなく口の固い純粋なヘンタイアイドルファンだという信頼を得て、J社の特別優待会員となることだった。噂が本当なら、特別優待会員になるとスタジオビル内に招待され、実在ヘンタイアイドルのリアルタイムのライブを鑑賞できるばかりか、特にJ社の信頼を得た特別優待会員はヘンタイアイドルとの握手会などリアルの交流会にまで参加できるらしい。特別優待会員がこうしたJ社の裏サービスを利用するために要求される費用は極めて法外な金額であり、バーチャルアイドルによる表向きの合法サービスに匹敵するJ社の主要な収入源となっていた。

 二〇三〇年の禁止法制定時に中年以上だった世代は、二〇六〇年代には高齢化し、あるいは既に死亡していたため、禁止法後のヘンタイコンテンツの需要を支えていたヘンタイ世代は、禁止法制定時に十代や二十代だった「若手世代」であったが、こうした世代もいずれは高齢化し、あるいは禁止法後の社会の新たな常識に感化されて嗜好が変化したりしていくため、ヘンタイコンテンツの需要が時代とともに縮小していくのは必然であった。そのような背景の中、J社は高齢富裕層の大口顧客に裏サービスを提供する大がかりな組織犯罪を計画的に実行していたのだ。

 大口顧客として特別優待会員になると、スタジオビル内のリアルタイムのライブに招待される。監禁の発覚は、ライブに招待された特別優待会員が、実在のヘンタイアイドルに対面できるという極秘の特権を誰かに話さずにはいられなくなり、ネットに情報を漏らしたことによる。当初は曖昧にぼかした情報しか漏らしていなかったのだが、SNS荒らしを装ったおとり捜査員から、そんなのはJ社がやらせで流しているデマ情報そのものだと馬鹿にされる度に、まんまとおとり捜査の煽りに引っかかって具体的な情報を漏らしていってしまったのだ。


「もう心配ないですよ」

小太りのムッさいおっさんたちが近寄ってきた。あれ、おばさんなのかも。というかすっぴんの肌のツヤからすると実は若いのか? それにしても顔の濃いブサイクなだっせえ奴らばっかだな。まあ、プロデューサーだのスタッフどもと同じ醜い人種ってことだな。


 あたしたちは病院に収容され、メイクを落とされて、血を取られたり、各種の検査をされた。


 それにしても医者も看護師たちも、どいつもこいつも小太りのノーメイクで、性別年齢不詳の顔の濃いブサイクばっかだ。外の世界ってこんな感じなのか。メイクを落とされてしまったとはいえ、洗練されたあたしたちの美しい外見に、奴らはさぞ緊張して接しているに違いない。なんだよ、でれでれして鼻の下 伸ばしやがって。


「今回 保護された被害者たちは、全員が顔も体型も極めて似通っているので、胸の名札の番号で識別し、採血や測定を重複しないように気をつけて下さい。あと、念のため気をつけてほしいことですが、この被害者たちは一様に痩せ細って手足が異様に細長く、それでいて胸やお尻はもっこり飛び出しているので、なかなかショッキングな外見でびっくりすると思いますが、くれぐれもそういう同情の目で見ているとは悟られないように、にこやかに接してあげて下さい。」


 今まで、栄養失調の子を始め色んなタイプの患者を見てきたし、患者がどんな外見をしていたって、ちょっとやそっとのことではショックを受けないだけのプロとしての自信はあったが、今回の監禁被害者たちの外見はさすがにショッキングだ。まず、クローン人間かと思うほど全員がほぼ同じ顔。長身で痩せているにもかかわらず、胸と尻が瘤のように隆起していて、それでいながら腰はくびれているという、まるでアリかハチかを思わせる昆虫のような体型だ。不自然なのは体型だけではない。部屋の中を移動するのにも小股内股で、手のひらを手首から外側に反らせて、まるでペンギンのようにぴょこぴょこと歩く。コップを持って水を飲むといった日常の動作がいちいちおかしい。あらゆる動作において、関節に不自然な角度を保つように強いているようで、見ているこちらがストレスを感じてしまう。腰のくびれを強調するためなのか、腕や足の動きも、常に関節とは逆向きの体の内側に湾曲するように力を入れているようだ。喋り方も異常だ。TKY方言系の共通語の範疇には入るが、意図的な舌足らずで子供っぽい感じを出そうとしているのか、時々 聞き取りが困難である。このあまりにも不自然な外見も不自然な体の動かし方も不自然な喋り方も、全ては禁止法前の女子アイドルを好むヘンタイ世代――いわゆるヘンタイじじいの好みを体現するために作られたものなのだ。あのおかしな動き方や喋り方は幼少期から訓練されたものなのだろうが、あのおかしな体型はどうやったのだろう?

 以前 怖いもの見たさから恐る恐る見たことがあるヘンタイアニメの主人公の痩せ細って腰のくびれた昆虫のような体型は、アニメだから可能なのだとばかり思っていたが、まさか現実に存在し得るとは。たまたまそういう体型の子を探し出してきたとしたって、四十八人も揃うというのは考えにくい。まさか子供たちに形成手術なんてやってないだろうな。こんな昆虫みたいな体にされるために。うっ、思わず吐き気が込み上げてきた。それにしてもヘンタイじじいどもは、ほんとにこんな昆虫みたいにされた子供たちを見て性的に興奮するってのか。キモすぎる。あいつら、ほんとのヘンタイだ!
























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