Bell of Destiny

トム

Bell of Destiny




 ――ごうごうと言う音が耳に響き渡り、ばきばきめきりと、木々の折れる音がする。世界は闇の中であるというのに、その場所だけは煌々と赤く染まり、紅蓮の炎は昇る龍が如く、その雄叫びを天上に向かい、咆哮している。熱が身を焼き、その熱気で起こる上昇気流のせいなのか、逆巻き、渦の中では人が紙切れのように喚くまもなく炭化して行く。


 ――あぁ、何故?! どうして我らがこんな目に?!


 庭には累々と下男や下女が倒れ伏し、そこかしこで呻き、小さな断末魔が聴こえてくる。


「お、おやかたさまぁ……」

「ひめさまぁ」

「こんな……」

「い、いやだぁ……」

「痛い、苦しい……」

「どうして我らが……」


 耳に聞こえるのは悔しさや、後悔、苦悶や悲しみの情達。


 そんな中、ただ一人血濡れ、足を引き摺るようにして、忙しなく首を巡らせる若い武者が一人。



「姫はどこだ!」


 幾本も火矢が放たれ、既に燃え盛る屋敷の中、悲鳴にも似た怒号が響き渡る。若武者の衣服は既に襤褸切れのようになっており、持った刀も半ばから折れ、血と肉片と油にまみれて唯のと化している。刀を持つ逆の腕は肘から先を失い、その傷口からは歩く度に夥しい血が流れていた。背には袈裟に切れ込みが入り、片足は歩く方向と逆を向いている。引摺り、血溜まりを造りながら、壁に寄りかかるよう歩む速度は遅々として、半歩進んで息も絶え絶えに。反してその形相は般若のように眼光鋭くぎょろりとさせ、盛る火の海をもろともしない。



 ――くそ! まさかあの者が裏切りの張本人だったとは! ぬかったわ! えぇい、まさか、まさか……。



 朦朧とする意識の中、頭の中で巡るのは、憎き謀反を起こした裏切り者の事。とうに城は陥落し、落ち延び、逃げて逃げた先。唯一の縁者を辿って隠れた、山奥の小さな屋敷。


 ここでとなって生涯を終えるつもりだった。


 戦に明け暮れた日々を捨て、夢と消えた我が主と悲願。せめて姫だけはもう苦しまれる事無きようと、総てを捨てて野に下ったのに。


 まさか、その縁者が主君を売った張本人だったとは。


 悔やんでも悔やみきれぬ! 恨んでも足りぬ! ……せめて、せめて一矢報いねばと、ふるっていさんでこの有様。悔しい……恨めしい。姫はさぞお辛い筈だ。ならば、せめて、せめて最期はお傍にて……。


 夜も深い真っ暗な山の中、轟々と大きな音を響かせながら火柱を吹き上げ、屋敷は火の海に没していく。バキバキと柱が崩れ、小さな畑や奥の林に延焼しながら、その火の勢いは衰えることなく、夜の闇を嫌うように赤々とその威容を見せつけていた。


 燃え盛る炎の中、壁を頼りに屋敷の中心部に向かっていると、やがて大きな大黒柱が見えてくる。それは屋敷の中心に在り、姫の寝所にもなっている場所だった。


「姫! 姫はおられるか?!」


 男は傷口から流れた血が目にも入っているのか、炎の勢いで目が開けられないのか、一寸先も見えぬ状態の中、ただただ、主君の忘れ形見である姫の姿を探している。


「……誠十郎?」


 けたたましく倒れてくる柱の音に、かき消されそうな細い声が、彼、木崎誠十郎きざきせいじゅうろうの耳にはっきりと聞き取れた。


「姫! 千代姫! 清十郎はここにございます!」


 その声を聞いた途端、彼は自分の怪我も忘れ、その身が転ぶのも厭わずに、声が聴こえた方へ正に身を投げだすと、二度と立ち上がることが叶わないと知りながら、さながら地を這う蛇のように体をくねらせ、必死に声の主に辿り着く。


「――姫様……っ!」


 にじり寄り、彼女の居た布団の側で、彼女を見上げた清十郎は息を呑む。炎の煽りを食らったのか、既にその長く綺麗だった髪は焼け、つぶらでいつも潤んでいた目は、爛れた皮膚に覆われている。息をするのも苦しいだろう、焼けて無くなった唇の向こうで、ひゅうひゅうと乾いた呼吸の音がする。


「あぁ、あぁぁぁぁぁ! 千代ちよ姫様! もう大丈夫ですぞ! 清十郎が参りました!」

「……ここはのです、それに暗くて何も見えないし、喉が、喉がすごく乾いて……」

「そうですな、ですが暫しの辛抱です。今は真夜中、暗いのは仕方在りませぬ。すぐに水差しを用意いたしますゆえ――」


 彼女の言葉に唇を噛み、身体を捩ろうとした途端。


「行かないで! ……分かっていますから。……焼き討たれたのでしょう」


 その言葉を聴き、今の今まで涙のひと粒も溢れなかった清十郎の瞳から、堰を切ったようにそれは溢れ、じゅうじゅうと焦げた皮膚から湯気を上げてなお、止まることなく流れ出す。


「……いかにも。此度の失態、申し開きもございませぬ」


 悔しさと苦しさ、その両方が入り混じったが、それでも低い声で絞り出す。


「……そう、家の者達は?」

「大方が屋敷の外で斬り捨てられております。残りの者もこの炎の中、既に……」

「……ごめんなさいね。最期の最期までこの様な事に付き合わせてしまって」

「何をおっしゃいますか! 我ら家臣が姫に尽くすは当然のこと!」 


 互いに死期を悟った二人、既に覚悟はできている。清十郎はここに来て、言ってはならぬ秘事ひめごとを、伝えることにした。


「……千代姫様、この期に及んで清十郎、お伝えしたいことがございます」

「なんですか?」


 既に屋敷中は炎と煙に包まれて、轟々と吹き荒ぶ熱風の中、既に目も見えぬ彼女の爛れた腕を取り、清十郎は思いの丈をぶつける。


「恐れながら……私は姫を好いております。事は、既に黄泉への道行のみ。答えが欲しいとは申しませぬ、ただ……ただ、何も告げずに死にゆくは、余りに無体でござります。ならばせめて、これから逝く高天原迄の道行を、露払いさせて欲しゅうございます」


 片腕を失い、片足も既にここまでの道中で千切れてしまった。身体の至る場所から吹き出していた血は既になく、意識ももう保っていられない。……だが、父の代からこの家の家臣として仕えたこの身、燃えて尽きてしまっても、産まれた頃から見守り続けた彼女のことを、最期の最期まで守り抜きたい。真っ黒で艷やかだった長い髪は見る影もなく、廻る火の手に焼かれた顔は、いつもお日様のように微笑んで可愛らしかった。そんな彼女に、天上の姫に自分が懸想など、在ってはならんと分かっているのに……。


「……はい。私も、私も清十郎の事、お慕いしております」


 まさか彼女からの返事が来るとは思わなかった清十郎。その紡がれた言葉に驚き、見上げると、火傷で動かすのも辛いはずの顔で表情を作り、あの可愛らしい笑顔をみせてくれる。


「ひめさま……」


 途端彼女はその体を傾がせ、倒れるように清十郎に覆いかぶさると、小さく、しかしはっきりと、その言葉を聴かせてくれる。


 

 ――其方そなたと私、たとえ身分に差があろうとも、慕う心に貴賤はない。今生で結ばれる事、叶わずとも。我が魂に刻まれた想い、幾年いくとせ幾星霜いくせいそう越えようと、いつか叶えてみせようぞ……。





 時は戦国、群雄割拠の熾烈な殺し合いの中、それはどこかの小さな国の、小さな小競り合いで、歴史に残る事もない。どこかの武将の姫と、その家臣の誰にも知られる事のない、秘めた願いと誓い。ただ願っただけ……。未だ年端も行かぬ元服したての小さな武士と、彼の仕えた武将の末娘の、小さな小さな恋のお話。



 然してその願い、盛る炎に巻き上げられて、煙とともに高く高く昇っていく。



~*~*~*~*~*~*~*~



 そこは一体どこなのか。


 誰も知ることのない場所で、沢山の歯車が回っている。小さな歯車は常に早く、大きな歯車はゆっくりと。それらは幾重にも重なり合って、高い場所にある大きな振り子を揺らしている。大きな大きな歯車がギギギと大きく軋みながら、やっと一歯分ずれると、振り子が一度大きく揺れて、遥か遠くで鐘の音がなる。


 カラーン……。


 そうしてやっと一巡り、総てはまた初めから。小さく動いた運命の歯車、そこに繋がったのはまだ小さい歯車。それらはまた回り始め、ゆっくり規則的に動き出す。



 ギギィ、カチャリ。




~*~*~*~*~*~*~*~




 ――其方と私、たとえ身分に差があろうとも、慕う心に貴賤はない。今生で結ばれる事、叶わずとも。我が魂に刻まれた想い、幾年、幾星霜越えようと、いつか叶えてみせようぞ……。


 ……その願い、必ず果たしてみせましょう。幾年、幾星霜越えようと、我の気持ちは――


 ――パコン!


「痛ってぇ!」

「「アハハハハハ」」

「痛てぇじゃない! 今は授業中ですよ、木崎くん」


 五月の陽気の中、国語教師の青葉千景あおばちかげの声をBGMに、ぼんやりと外の景色を見ていたら、そのまま気分良く寝落ちしてしまっていた。彼女の朗読は淀みなく、また抑揚が抑えられているのでものすごく心地良いのだ。……だから、俺は悪く無い……はず!


「いや、千景ちゃんの声がからついウトウトしただけで――」

「先生に『千景ちゃん』はないでしょ!」


 授業中に居眠りをしていた生徒を叱るはずが、彼の言葉のせいで変な問答に切り替わってしまい、そのおかしさに教室はまた笑いに包まれる。「もう! 良いからちゃんと起きて聞きなさい」と彼女がその場を去ると、隣の席の坂本がニヤニヤと声を掛けてくる。


「……確かに青葉ちゃんの声は良いよな。甲高くもなく、かと言って低いってわけでもなくて」

「だろ? あの抑えたトーンで耳元で囁かれたら……やべぇ!」

「うるさいです! しかも全部聞こえてますからね二人共!」


 結局、二人でお叱りを喰らい、プリントを職員室へ運ぶお役を頂いた。


 ――大都会の近隣に有る、所謂『都会田舎とかいなか』の県立高校。二年に彼、『木崎清太きさきせいた』は在籍していた。


「失礼しまぁす!」


 ひと声掛けてから、職員室のドアを開けると「お~、またお前らか? 今日は誰だ?」と入口付近に居た、ごつい体育教師の熊田が聞いてくる。坂本が「千景ちゃんですぅ」と軽薄に答えた途端、一つ向こうのシマになった机からヒョコリと頭を出した彼女が「坂本くん!」と真っ赤な顔で抗議してくるが、熊田は思わず「千景っちかぁ……」と何とも仕方ないなぁという顔をした。


 ――青葉『千景』……教育大学在学中の実習生であり、一週間前からここに赴任していた。


「はい、プリント。ここで良いですか

「……『青葉』先生でしょ! はい、良いです。二人共、授業中に居眠りや私語は、駄目ですからね」

「「了!」」

「……『解りました』でしょう……。次からはきちんとして――」

「千景ちゃん、この『幾星霜離越えよう』って」

「へ? きゃあ! ……な、なんでもありません!」


 彼女の机にプリントを置く際、チラと手帳に書かれたメモが目に入る。そこには『幾年、幾星霜越えようと、必ずまた――』といつも見る夢の文言が目に入った。……なぜこの言葉を? と一瞬思ったが、よくよく考えてみれば彼女は高校の国語教師なのだ。そんな文言は、小説か何かの一文かもしれないと、そのまま流した。


 よく見る夢の文言に似てはいるなと思ったが……。


◇  ◇  ◇  ◇



 教室に戻り、帰る準備をしようとバッグに荷物を詰めていると、不意に教室のドア付近から呼ばれた気がする。


「……?」


 が、そちらに視線を持っていっても誰も居ない。思い違いかと再び視線をバッグに向けた途端、今度は間違いなく、耳元でその声が響いた。



 ――やっと、やっと逢えましたね、清十郎。


 

 ビクリと肩が跳ね、慌てて首を回すが勿論、傍には誰も居ない。


「だれだ!?」


 思わず声を張り、教室に居た連中を見回すが、それに答えが返るわけもなく。ただ、変な目でこちらを見返すばかり。


「んだよ、急に大声だして」

「……あ、いやごめん」


 一緒に戻った坂本が、驚いた顔を見せながらそう言い、胡乱な表情をこちらに向ける。そうだ、考えてみればすぐ隣にはコイツが居たんだった。だからもし誰かが居れば当然コイツも気づくはずで……。急に大声を出したことを謝った。


「帰ろうぜ!]

「……あぁ」



~*~*~*~*~*~*~*~



 自宅へ戻り、部屋に入って制服のジャケットをベッドへ放り投げる。バッグは床に一旦置いて机に向かい、椅子に腰掛けた所で大きな溜息が溢れた。


「……一体何だったんだ? 大体俺の名前は『清十郎』じゃねぇし」


 あの後、俺は坂本と一緒に学校を出た。バス停までの道のりで「結局さっきのあれ、何だったんだ?」と聞かれたが、「あぁ、なんかまだ寝ぼけてたみたいだ」と適当に誤魔化したが、あまり納得はしていない様子だった。バス停で奴と別れ、そのまま駅に向かって歩く最中は、やはりと言うか当然、あの時の声が頭の中でずっと反芻していた。


「やっと逢えたって……誰にだよ『清十郎』って、俺じゃねぇし……あぁ! もう何なんだよ!」


 髪をかきむしり、ボサボサになった髪が目に入って鬱陶しかったが、何よりもっと肝心な部分で引っかかる事があった。


 ――あの声、いつか何処かで聴いたような気がするんだよな。


 両足を投げ出し、椅子の背にもたれかかって天井を見上げながら、朧気な記憶を辿ってみるが、どうにも思い出せない。目をつむり、暗転した視界の中、思考だけに集中していると、不意にあの文言が蘇る。


――其方と私、たとえ身分に差があろうとも、慕う心に貴賤はない――


「そうだ! 夢! あの夢の女の子の声!」



~*~*~*~*~*~*~*~



 やっと終わった書類を纏め、担当教師に出すためのレポートを書き始める。


「……えぇと、今日は二限目から授業で……」


 私物のノートパソコンを広げ、作業をつらつら打ち込んでいると、隣の席の本田先生が声を掛けてくれる。


「青葉さん、今日はどうだった?」

「え、あ、はい、まだまだ慣れなくて一杯一杯って感じです」


 二年のクラス担任でも有る本田先生。教師歴は既に二十年を超えていて、この高校に来てからもう十年になる大ベテランさんだ。旦那さんはどこかの研究所の研究員さんらしく、お子さんは中学生だったか。歓迎会の席で少し話を聞いた覚えがある。


「まぁ、初めての教育実習だもの、まずは雰囲気だけでも判ればいいのよ」

「……ありがとうございます、頑張ります」

「あまり気負わないでね、貴女にとっては年齢だって、そんなに離れている訳じゃないから」


 ……言われてそうだと思い出す。今私が受け持っているのは高校二年生の生徒たち、十七歳の未成年。とは言っても、私もまだ二十一。確かに大学に通い、試験を受けてこの実習課程に進んだが、年齢だけで言えばたった四歳程度の差でしか無い。男子生徒たちは既に私より大きいし、女子生徒だって少しの化粧をすれば、私より年上に見える人も居る。


 だが、彼ら彼女らはまだ『未成年』なのだ。十八歳になれば一応『成人』と言うことにはなるが、法の話なだけで実際は中途半端なものだ。違った意味で『成熟』した者達も当然居るだろうが、そこは一線を引かなければいけない。『個』は認め、『罪』は教え導いてやらねばならない。


 ……勿論、今の私にそんな大層な事はとてもじゃないが無理だと断言できるが。



 先生と二言三言話を交わしつつ、レポートを書き終わった所で「今日も大変だったわね、あの悪ガキたちにからかわれて」と不意ににこりと笑みを漏らしながら聴いてきた。


「……本当、困った彼らです。木崎くんは寝ちゃうし、何度言っても「名前」呼びするし」

「あら、良いじゃない。変に嫌われて『嫌がらせ』されるより、まだましよ」

「……やっぱり、そう言うの有るんでしょうか?」

「ない……とは残念だけど言えないわね。お互い『いい歳』だから、中学生みたいな直接的なものじゃなく、もっと嫌な――」


 そう言って本田先生は声音を少し暗くしてしまう。聞けば、何度かそう言う実習生も居たという。それが原因で、教師という職が嫌になり、実習途中で辞めていった者も……。


「……でもね、だからと言って、簡単に諦めても欲しくないのも本音なの……。教師って仕事は――」


 そんな話を始めてから小一時間、私はただ本田先生の熱量に圧倒されてしまっていた。



◇  ◇  ◇  ◇



「疲れたぁ~」


 本田先生との話している時、熊田先生も途中から混ざってしまい、何時しか私の回りには色んな先生が集まって「今の教育は」「大体それは日教組が」「いやいや根本的なこと」「大体、家庭環境が」と話がとんでもなく広がってしまい、皆は「「よし! 続きはこのまま『鳥吉』で!」」となり、コソコソとカバンを持って逃げ出した。


「流石にあそこまでの熱は私にはまだ無理ですぅ」


 何とか電車に滑り込み、戻ったマンションのベッドへダイブして、浮腫んだ足を投げ出した。途中で買ったコンビニ弁当を、レンジに入れて冷蔵庫を開けると、実家から送ってもらった漬物と、作り置きの味噌汁を引っ張り出して火にかける。簡単に夕食を済ませてから、シンクに洗い物を集めていると、風呂の給湯完了サインが鳴った。



「うぅ~生き返るぅ」


 湯船に身体を沈め、半ば口のあたりまで湯に浸かると、一気に体の疲れが滲み出す気がする。引っ詰めた髪を緩め、外したゴムを腕に回すと全身が溶け始めたような気分になって、思わず「あぁ~」と出してはいけない声が出た。


 何とも言えないこの時間が、今の私にとって至福となった。何も考えず、ただ揺れる湯面をぼんやり見つめ、視点を合わせず身を任せる。しばらくすると身体が揺蕩いゆっくり揺れ、体の芯がじいんとなって、お腹の辺りがぽかぽかし始める。


 ――やっと、やっと見つけたわ。


 ふわふわとする意識の中、突然その声が頭に直接響いた。驚き「なに!?」と湯船で身構えるが、勿論誰かが居る訳ではない。朦朧としていた為に聴いた幻聴かと思い、仕切り直して湯船に腰を落ち着け、深呼吸の途中、今度ははっきりと聴こえた。


 ――この時を幾星霜、幾度人生を紡いで待ち望んで来たでしょう。……私の御霊を持つ者よ、どうか願いを叶えてほしいのです。



 ……え?! なんて――。



~*~*~*~*~*~*~*~



 朝のなんだかソワソワした喧騒の中、ホームルームの予鈴が鳴る。ダラダラと皆が席につく中、教卓側のスライドドアが開く。クラス担任の本田先生と、その後をちょこちょこと少し俯いたまま、早足気味に付いてくるのは、青葉千景教育実習生。ただ、ぼんやりとしたまま何も考えずに、見ているつもりだった。



 ――っ?!


 彼女が少し顔を上げ、ふとこちらに目線をよこした途端、俺の心拍が跳ね上がる。机に置いた手を思わず握りしめ、別に視線がぶつかったわけでもないのに、首ごと逸らしてしまう。


……なんだ?! なんで俺は今顔を逸らしたんだ? ふと湧いた疑問と裏腹に上がり続ける心拍に、何故か紅潮し始める顔面。


「木崎? どうかしたのか?」

「い、いやなんでもない」


 ……そうだ、何でも無い。何でもないったらなんでもないんだ! ちかげっちゃ……んんっ! あ、青葉センセーが何だってんだ! 昨日からおかしいぞ? 何がどうしてこうなってるんだ? ……そう、昨日だ。昨日、いつも見る夢の内容が変化していた。しかも内容をはっきりと覚えていて……。



 ――我の御霊を引き継ぎし主に請う。あの御方こそ、我が短し生涯にただ一人、心の底からお慕いした御方。……今際の際に約定を交わし、その想いを御霊に刻んだ唯一人。木崎清太、どうか、どうか我の願い、叶えて欲しい――。


 眼の前にはぼろぼろの鎧武者。ただ、かなり若く見え、背も中学生程。傷がない場所が見当たらないほどに斬り刻まれ、片腕、片足がない状態。一瞬落ち武者の亡霊かと思ってゾッとしたが、その真摯な眼差しに俺はただ呆然と聞き入ってしまった。


 ……だから。


 ……その真剣な想いに。


 ……つい聞き返してしまったんだ。


 ――その人って青葉千景先生なの?



◇  ◇  ◇  ◇



 昨日の事など全く意に介さずに、本田先生はスタスタと私の前を歩いていく。あんなに教育論と、今の環境について愚痴り倒していたにも関わらず。教室に向かう途中、教室に入っていない生徒たちに「ほら、もう予鈴鳴るわよ!」と元気に、にこやかに声を掛けながら……。


 そんな先生を視界の上に収めたまま、私は全く違う事を考えていた。昨夜、お風呂で起きた、あの夢のような出来事だ。湯船ではっきりと声が聞こえたと思った途端、眼の前には湯気とともに、日本人形みたいな綺麗な黒髪の女の子が現れ、私をじっと見つめてきた。一瞬何が起きたか判らず、変な返答をしてしまう。が、次いで思い出したのはいつも見る夢の一場面。


 燃え盛る屋敷の中、周りは既に火の海になっている。起き上がろうにも体は言うことを聞かず、熱気が否応なしに襲いかかってくる。長く伸ばした髪は焼け落ち、熱波が顔と言わず腕と言わず、その肌をこれでもかと焼き焦がし始める。熱いと痛いが同時に体中を駆け巡り、悲鳴を上げようにも唇すら焼けてしまい、喉にもそれが迫ったのか、既に呼吸音しかまともに出せなくなっている中、ふと耳に聞こえるのはいつも傍に居てくれた人。


 ――清十郎?!


 まさか、もう逢うことは叶わぬと諦めかけていたのに。……産まれてからずっと。ずっと一緒に育ってきた。彼は家臣の息子であり、唯一人の年の近い私の守り人。世間を知らずに育った私にとって、たった一人の心を許せる大切な人……。


 身分という枷のせいで、秘めた思いは言えぬけれど。私は……。


 ――私は姫を好いております。


 その言葉を告げるのは、彼女の見た光景ではなく――。



 ……とそこで、自分が教卓の寸での所にまで来ている事に気がついた。慌てて段に躓く前で停まり、徐ろに顔を上げて教室に目を向けるとそこに。



 真摯な顔で、私に告白してくれた彼の顔があった。


「……っ!」

「……青葉先生?」


 教卓に両手をつき、言葉を発しようとした瞬間に、千景の様子がおかしい事に気づいた本田が声を掛けるが、千景は顔を真赤にしてブンブンと頭を振る。様子を見ていた生徒の一人が「青葉先生、そこの段に躓きそうになってました」と笑いながら報告し、「あらら、気をつけてね」と彼女もにこりとし、連絡事項を話し始めた。



 ……っぶなかったぁ~。委員長、ナイスフォロー!


 一人心の中でサムズアップを掲げ、旨を抑えて心を落ち着けようとするが、窓側の一部の席には顔を向けられなかった。



 ――どうして、私(俺)がドキドキするの(んだ)よ!?



◇  ◇  ◇  ◇



 ――そして、大きな大きな歯車が、やっと回って一巡り。遠くで鳴るは鐘の音。澄んで綺麗な鐘の音。



◇  ◇  ◇  ◇




「……鐘の音?」



 昼の休憩時間、清太は一人、購買で買ったパンを中庭の隅で齧っていた。朝の事や昨夜の夢もあり、彼女の事をまともに見る事すら出来なくなった。だと言って頭の中から彼女の事を追い出せず、若武者の言葉も重なって、とにかく一人になりたかった。そうして、中庭の隅にあるベンチに居ると、突然聴こえた鐘の音。妙にその音が気になり、周りを見回すと、背に一番聞きたくない声が聞こえる。


「木崎くん?」


 そこには手に箸だけを持ち、いかにも昼食を取っていたと言う感じの彼女がいた。


「ち! ……青葉セン――」

「今の鐘の音、聴こえた?」


 俺の必死の取り繕いに気付きもせず、周りを見回しながらそう聞いてくる彼女。思わず赤面しそうに鳴るのをぐっと堪えて、文句の一つでも言ってやろうとした瞬間、今一度鐘の音が響き渡る。


「「?!」」


 まるで頭のすぐ上で、その音は鳴り響き、思わず耳を塞いで彼女を見ると、そこには今まで居なかったはずの二人が立っていた。



 ――千代姫……永い間お待たせいたしました。……清十郎、姫とのお約束やっと果たせそうです。

 ――清十郎……やっと相見えること叶いました。えぇ、私も約束、果たしましょう。


 青葉千景と俺の丁度間に分け入る形で、俺の目線の合う方には若武者が。対する千景には小さく、着物を着た長い黒髪の女性が立っている。


 ――さぁ、言葉を紡ぐは男の役目、我が魂を引き継ぐ者よ、我が宿願、見事果たしてくれようぞ!


 そう言う若武者の顔は真剣で、言ってる意味も理解した。……いや、理解はしたが……まじか? それって要するに……告れってことだよね? と言う目線に気づいたのか、若武者は「そうだ!」と無言で頷き、振り返る。向いた先には当然彼女がいる訳で……。



 私の目線にぶつかる彼女。綺麗な黒い長い髪、小袖に打ち掛けを羽織った姿では有るが、どう見積もってもその背格好は幼い。……が、視線は強くはっきりと。まさに凛とした所作でこちらを見据え、小さな笑みを湛えている。


 ――一世一代の晴れ舞台、私の願いをどうか叶えてくださいませ。


 私にどうしろと?! って、いやいや待って! ちょい待って! わ、私は教師で、彼学生! ドゥユゥアンダスタンぬ? ってナニイッテンだ私? 思わずパニクり変な言葉をモゴモゴしていると、不意に二人の向こうにいる彼と視線がぶつかった。







 からーん、からーん。


 教会の鐘が鳴る。緊張でベールの向こうはまとも見られない、ただ父に手を引かれ、真っすぐ進んだその先に。


「もう二度と離さないから」


 と、笑顔で照れ隠しをする清太くんが、私の手を取りそう言った。



 ――澄み切った青空の中、一筋の光が立ち上っていく。



~完~

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